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ryu

古代山城、大野城を巡る(2) (2022/03/20 訪問)

続き。(写真は2022年訪城時撮影)

再掲:
白村江の戦い後、大和朝廷が築いた古代山城で大宰府政庁跡の背後の四王寺山(410m)に位置する。
665年(天智天皇4年)、基肄城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されている。
大野城には何度か訪城しているが、今回(2022年)は、大宰府天満宮駐車場を起点に水瓶山経由で登り、古代山城の土塁上を大原山へ。さらに土塁に沿って歩き、小石垣、北石垣、百間石垣と遺構を確認しながら周回、大城山から増長天礎石群を経て焼米ケ原で昼食後、太宰府口城門跡を見て、岩屋山方面へ下る。
2007年探訪順路:八ツ波礎石群、土塁、増長天礎石、太宰府口門跡、百間石垣
2015年探訪順路:大石垣~土塁~焼米ヶ原~太宰府口城門跡~増長天礎石跡
2022年探訪順路:土塁、小石垣、北石垣、百間石垣、水城口城門跡、増長天礎石群、太宰府口城門跡
『日本書紀』には、「・・・大野(おおの)と椽(き)、二城(ふたつのき)を築かしむ」と、記載。また、『続日本紀』に、「大宰府をして大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の、三城を繕治せしむ」と、記載された城。

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ryu

古代山城、大野城を巡る(1) (2022/03/20 訪問)

白村江の戦い後、大和朝廷が築いた古代山城で大宰府政庁跡の背後の四王寺山(410m)に位置する。
665年(天智天皇4年)、基肄城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されている。
大野城には何度か訪城しているが、今回(2022年)は、大宰府天満宮駐車場を起点に水瓶山経由で登り、古代山城の土塁上を大原山へ。さらに土塁に沿って歩き、小石垣、北石垣、百間石垣と遺構を確認しながら周回、大城山から増長天礎石群を経て焼米ケ原で昼食後、太宰府口城門跡を見て、岩屋山方面へ下る。
2007年探訪順路:八ツ波礎石群、土塁、増長天礎石、太宰府口門跡、百間石垣
2015年探訪順路:大石垣~土塁~焼米ヶ原~太宰府口城門跡~増長天礎石跡
2022年探訪順路:土塁、小石垣、北石垣、百間石垣、水城口城門跡、増長天礎石群、太宰府口城門跡
『日本書紀』には、「・・・大野(おおの)と椽(き)、二城(ふたつのき)を築かしむ」と、記載。また、『続日本紀』に、「大宰府をして大野、基肄(きい)、鞠智(くくち)の、三城を繕治せしむ」と、記載された城。

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三浦道寸 (2022/05/12 訪問)

 三浦導寸が「かわらけ」のように砕け散るまで戦った城です。初めてこの城を知ったのは司馬遼太郎の「箱根の坂」を読んだときです。その後、三浦導寸のことを調べたりしていたので、いつかこの城へ来てみたいと思っていました。城址は東京大学の研究施設になっていて一部しか見ることがでません。空堀や土塁は少し確認きます。
 京急久里浜線に乗り三崎口駅下車。バスに乗り換え油壷温泉で下車して徒歩5分くらいです。

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水軍の拠点 (2022/05/12 訪問)

 京急三崎口駅からバスに乗り三崎東岡バス停下車して徒歩5分くらいで石碑と案内板に行くことができます。土塁が各所に残っています。

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遺構は地下に (2022/05/12 訪問)

 京急神奈川駅から徒歩15分くらいでしょうか。石碑と案内板があります。雨が降り出しそうでしたので石垣など確認しないで早々に退却しました。

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幸ヶ谷公園 (2022/05/12 訪問)

権現山合戦の舞台となった城址ですが、幸ヶ谷公園となっていています。

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本覚寺 (2022/05/12 訪問)

 京急神奈川駅の北側に見える本覚寺が城址です。遺構はありません。

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ぴーかる

揖斐北方城 (2022/04/09 訪問)

【揖斐北方城】
<駐車場他>山頂すぐ手前にロータリー<35.507230, 136.534334>あり、3台程度停められそう。
<交通手段>車

<感想>揖斐北方城は建武・延元年間(1334~1336年)に吉田休三入道が築城しました。吉田入道は後醍醐天皇の南朝方に味方し美濃の土岐氏と戦ったとありますので、すぐ南に位置する揖斐城と境界にあったと思われます。
 主郭は独立した山の山頂にあり周囲に東屋やトイレの建っている腰曲輪、その下段に改変された舗装道が主郭周りを1周しているので遺構はどの程度のものなのか分からない。主郭からの南方向の眺望は抜群です。主郭と周囲を散策して今回の日帰り美濃攻城の続きを終了した。

<満足度>◆◇◇

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いんげん丸虫

早坂山館 山形県米沢市 (2022/05/03 訪問)

標高503mの山城です。詳細は不明。
「ビッキ石山公園」に駐車可能で、道路を挟み
登山道がついてます。
山頂までの斜面に多数の帯曲輪があるのですが、
それぞれ幅が小さく削平も鋭くないので城跡だ
という認識がないとわからないですね。
東への尾根には4つの堀切があり城跡の雰囲気が
出てきます。

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おっちゃん

沼田公園案内図 (2016/10/30 訪問)

パンフレットより。

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おっちゃん

松代城跡ごあんない (2015/08/03 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

松前藩戸切地陣屋案内図 (2019/06/08 訪問)

現地案内板より抜粋。

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零汰

終活1残雪:100城・続100・100名道、城郭巡りの記録 7日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問と残雪を求めて名道を走る7日目

5時にホテルを出て、5分程度で2回目の松本城に到着。前々日まは立山に宿泊しアルペンルートに行くつもりだったが迷っていた。拘束時間が長かった為に急遽宿泊地を松本に変更した。よって松本城は入場時間の壁に阻まれ周囲から眺めるだけに終わる、しかも霧に覆われよく見えない。入場時間の壁には今後も行く先々で悩ませられると覚悟している。本日はルート変更の為、郡上八幡城と彦根城を最低限のノルマとし、その他は行き当たりばったりで琵琶湖を目指した。

松本からは、険道安房峠を通りたかったが冬季閉鎖の為に安房トンネルを抜けて高山城と高山陣屋に至る。高山は25年振りだったが記憶と一致しなかった。

高山城・・・・二の丸公園に到着し散策、一部石垣がある。小1時間ほどの攻城だった。
高山陣屋・・・時間の壁に阻まれ周囲からの散策に終わった。時には板塀より内部を覗き込む。

ライダー絶景ロードに選ばれているせせらぎ街道を南下、難易度が低くとても走り易い。本日は土曜日、道の駅パスカル清美で休憩、続々とライダーが集まりだした。普段はよほどの事が無い限り言葉を交わすことを避けている。この日は行き当たりばったりで動いていたので油断して年配ライダーに捕まった。独りで乗り付けて来たライダーだ。とにかく話が長くて何を話しているか大概分からない。昔の事や周辺の事を言われてもさっぱり不明。30分後満足した年配ライダーはニコニコしながら去って行った。この後も休憩で立ち寄った別の道の駅でもまた捕まった。合計1時間ほど年配ライダーの暇潰しに時間を費やす。本当に今日は油断が甚だしい、もっと素っ気なく対応しないとダメだ。同じライダーでも昨日のセローさんと違い価値観に隔たりがある時は苦痛と拷問の時間の様だ。この時間があとに入場時間の壁に影響を及ぼす。

郡上八幡城・・・コンパクトに纏まった良い城郭だと思います。残念ながら一番記憶に残っているのはとてもタイトな登城路。距離は長
        くは無いのだか、九十九折の激しい道路。前の車がタイヤを滑らせ何度も何度も切り返し、その都度待機。城の横の駐
        車場に着くまでとても時間がかかった。到着するまでこんな道とは誰も思いませんよね。

小倉山城から頂上迄開通していない伊吹山ドライブウェイ経由で本日メインの彦根城に向かう。ライダー絶景ロードの伊吹山ドライブウェイ、とてもタイトな道路でした。霞がかって絶景は望めなかったが今後の事を考えると行って良かった。

彦根城・・・・二重の堀に囲まれたどても広い城郭でした。入口付近から見上げる登り石垣はとても美しい、もっと近くで見たいもの 
       だ。攻城を開始たのは4時前、閉館まで1時間しかなくなった。現存天守なのに建物内を見るのは諦めて城域を小走りで移   
       動。この時間でも人が多くて写真が中々撮る事が難しい。撮りたい説明版から中々人が離れてくれない。ちょっと泣きた  
       くなる。15分前くらいに閉館の予告アナウンス、ここは放課後の小学校か!イライラしながら歩き回ったが限界があっ
       た。消化不良で時間切れ、入場時間の壁に阻まれたとても残念な攻城となってしまった。
       
       2時間以上は余裕で見ることが出来るはずだったのに、どこで時間を無駄にしたのか、伊吹山ドライブウェイに寄った  
       のがいけなかったのか。いいえ、年配ライダーに時間を盗まれたからです。

昨日とうって変わり、終日入場時間の壁もあり消化不良の結果となって残念で反省している。遠方の城郭巡りの場合はもう少し計画の段階で深く考えたい。2度目の攻城は現実無理なので、観光地化されている城郭については、土日での攻城かどうか、入場時間の有無、そしてブレの無いルート選定。次回からは時間的な問題を突き詰めて計画したいと思う。

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川勝光照推し (2022/05/05 訪問)

2021年11月に、まーやんさんが訪問後、看板、説明板が増えたのではないかと思います。国道沿いに、「戦国大名 川勝光照候 今宮城」の看板があり、登城口には迷いません。登城道や道標もよく整備されています。
山体は、砂岩、頁岩を含むチャートであり、棚野川が激しく浸食して、急斜面、痩せ尾根を作っています。今宮城は、この痩せ尾根に郭群を並べています。

まーやんさんの投稿の「そこから津向山頂へ約40分、本曲輪に戻らず下っていくと愛宕山展望地が二ヵ所あり、上松祭場跡の大岩も見れるので合わせて見ていただきたい。」に従い、今宮城の背後の連続堀切を越えて、津向山山頂に登り、今宮城のある尾根の南側の尾根を下りました。けっこう、きつかったが、京都市街北西にそびえる愛宕山が春霞の先に見え、行った甲斐がありました。

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カズサン

H7年山上に天守台・本丸石垣復元整備される (2009/05/15 訪問)

 日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行の2日目白河小峰城を終えて3城目二本松城へ13年前の平成21年5月中旬登城。レンタカーは二の丸城塁高石垣前の専用駐車場利用。

 私は過去に探訪済みなので平成7年に発掘調査の上復元整備された山上の本丸・天守台を主に観察探訪、二の丸下の千人溜り二本松少年隊群像を拝み、二の丸高石垣を仰ぎ見て、箕輪門(昭和57年復元)から入り、ぶらぶらゆっくり山上を目指す、山上の本丸・天守台の復元修復整備後は初めての探訪観察、天守曲輪の様な本丸・天守台、北角に天守台を設け西側に西櫓台続き多聞櫓台、東側に東櫓台続き多聞櫓台、南中程に枡形虎口の構えに成って居る。見晴らしも素晴らしく360度見渡せる、資料によると天守閣は建って無かった様子です。
 天守台から下城、搦手側石垣、山々の新緑、藤の花が綺麗でした。

 歴史的には室町期畠山氏が9代約150年治め戦国期伊達政宗の治める所と成り、小田原征伐後の奥州仕置き後蒲生氏郷が会津に入り二本松城は会津の支城へ、蒲生氏後上杉氏の会津支配、関ヶ原後再び蒲生氏支配、寛永4年(1627年)松山より加藤嘉明が会津に入る、二本松城は会津若松城の支城扱い、加藤氏の時代には石垣改修が成されたのでは?寛永20年(1643年)白河より丹羽氏が10万石余で入封し今日の石垣の姿に大改修し丹羽氏10代継承し明治を迎える。
 しかし戊辰戦争では本体が会津方面に出向いてる所を婦女子少年で守も陥落、二本松少年隊の悲話が伝えられて居る。


 二本松城を終わって、会津若松城、天守閣に登る、会津若松城のシアター鑑賞、幻の神指城の復元映像も上映、白虎隊の飯盛山見学参拝、会津さざえ堂を昇り降りを見学して今夜の宿泊先東山温泉へ、老舗旅館向瀧は無理として湯川渓流沿いの和式ホテル、温泉と地酒にビール、窓から見える渓流、渓流の音、新緑、所々に藤の紫が点在し五感に癒される温泉ホテルでした。

 

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ばばよ

石垣色々 (2022/05/06 訪問)

本来土塁中心で石垣は一部、実際天守や櫓さえ建てられなかったということですが、石垣に特徴ありました。
基本的には野面積みですが、本丸と二の丸を結ぶ鉄門跡は鏡石が存在をみせます。
そこから東側の石垣は割石など隙間を埋める小さな石があまりなく、積石も比較的同じサイズのものが目立ちます。色も2色構成に見えます。
小規模な割に場所によって与えるイメージが変わります。

現存建築物は移築千歳御門(埋門)のみですが、元々は本丸と少し離れた千歳御殿の入口にあったと考えられているようで、本来今の場所ではなかったそうです。

富山市内は路面電車、バス、レンタサイクルといずれも充実している印象を受けました。

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びーこ

改修中の石垣の石を超観察! (2022/05/01 訪問)

数回目の登城だが、いつも違った姿を見せてくれる弘前城。でも今回は桜なし、天気曇りということで特に期待もせずに登城を開始。前回は石垣の改修を始める前ということで、膨らんだ石垣を間近で見ることができたが、今回は全面シートで覆われていて、足場も組んであり、殆ど何も見えない状態。天守閣内のビデオは調整中で見れず、岩木山を見渡す展望台はコロナで封鎖。全く、踏んだり蹴ったりである。

遅咲きの八重桜を見ながらダラダラ歩いていると、石垣改修の経緯を纏めた展示をしている小さなプレハブを発見。工事の方々の休憩室かと思った。中に入ってみると、狭いながらも興味深いパネルや模型が展示してある!一番の情報は、剥した石垣の石は、四の丸に保管してあるということ。さっそく四の丸(今はグランドになっている)に向かうと、桜まつり期間中は来園者の飲食スペースになっていた。飲食に夢中の人々を横目に、サイズや形ごとにキレイに並んでいる石垣の石を超観察!しかし、この量の石を積み直すとは、パズル好きの私でも考えただけで気が遠くなる・・2024年度までに完成するというから、あと2年か・・2年で出来るのか?2年後、必ず確認しに行くぞ!と固く誓ったのだった。

さて今回のグルメは、弘前城近くのりんご公園でリンゴ尽くしのランチ♪
リンゴ入りトンカツ、リンゴ入りイカメンチ、リンゴ入り炊き込みご飯、アップルパイ、リンゴソフトと、リンゴ大満喫!
期待してなかった弘前だったが、結果的に城もグルメも大満足であった。

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にのまる

【城と標柱】

史・・・

掘り出したい。

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小城小次郎

早く見に行くべし (2022/01/08 訪問)

城内の井戸に金属製の釣瓶が吊られていたので「かなつるべ」城と名付けられたのだとか(ほんとか)。発掘成果に基づき柵列や木橋が整備されたがもしかしたら老朽化でそのうちなくなるかも、という噂も聞いた。早く見に行くべし。

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刑部

姉川城と横竹城 (2022/05/01 訪問)

姉川城と横竹城は車で5分くらいの近さにあります、非常によく似た城郭で私が見た感じでは横竹城の方が規模が大きく公園になっています。

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