上見城からの転戦です。石段前案内板前(36.558940、136.869418)に路駐しました。
築城年代は定かではないようですが、1183年(寿永2年)砺波山の合戦で、木曽義仲軍に加わり平家の大軍と戦い活躍した石黒太郎光弘が、福光城を築き、以来300年間石黒氏は栄えました。
1481年(文明13年)山田川で井波瑞泉寺の一向宗徒と戦って敗れ、石黒氏が滅亡したときの福光城主は石黒右近光義でした。
慶応年間(1865~68年)前村礼蔵、波多易直らが、学問奨励のため、漢学者宮永菽園、弟の半仏両人を福光に招き教えを仰いだところ、弟子が増え1869年(明治2年)にこの荒れた城址の一角に郷学所を建て「栖霞塾」と称し、地方の学問の中心としたそうです。
福光城は現在の栖霞園の辺りに築かれていましたが遺構は残っておらず、栖霞園の入口の所に説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=城端城に向かいます。
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