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ryu

英彦山登山と松尾城 (2021/10/02 訪問)

英彦山登山の帰路、黒田六端城のひとつである小石原にある松尾城を訪問する。

松尾城は戦国時代、秋月氏の家臣と考えられる宝珠山山城守の居城と伝えられ、黒田家入国後は、黒田六端城の一つとして仲間統胤が城主となったが、一国一城令で廃城となる。

標高は510mくらいだが駐車場からの比高は50mほどである。
城址までの山道は整備されていたが、主郭内部は丈の高いススキで覆われて入るのを躊躇われ、遺構もよくわからなかった。主郭南側の石垣、虎口の石垣を見て下る。

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ryu

伊都菜彩と波多江氏館 (2021/06/30 訪問)

糸島産の食材の直売所「伊都菜彩」に買い出しに行った際に訪問。現地は民地のため周囲を歩く。

『筑前国続風土記』「波多江」の項には「波多江村の内に、丹波屋敷と云所有。是波多江丹波が居たりし宅の址也。
四方大堀をかまへ、高築地あり」とする。『筑前国続風土記拾遺』では波多江丹波守種敦の宅跡とし、二方に堀の跡があるとしている。

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ryu

風天山登山と綾部城探訪 (2021/06/24 訪問)

鎮西山城探訪後、宮山城(綾部城)を訪城する。

宮山城(綾部城)は、藤原通良によって築かれたと云われ、
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城としたらしい。その後、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていたらしい。

綾部八幡宮近くにある風天山公園駐車場に車を停めて、まずは綾部八幡宮にお詣り、神社の横から遊歩道を登る。登山道は夏草が生い茂って覆い隠されて歩きづらく、遺構も草に覆われてよく確認できなかった。やはりこの季節は山城巡りにはあまり適さない。

下りてきて参道の喜久屋というお店で名物の「あやべさんぼたもち」を買って帰る。

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ryu

鎮西山登山と鎮西山城探訪 (2021/06/24 訪問)

午前中に吉野ヶ里遺跡をじっくりと見学、近くの蕎麦屋で昼食後、午後の暑い日差しの中、平安末期に鎮西八郎源為朝が城を築いたと伝わる鎮西山に登ってみる。
山中は散策路が錯綜して分かりにくいがよく整備されており、山頂からの佐賀平野の眺めも素晴らしかったが、山城の遺構はよく分からなかった。

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シェル

スタンプのみ登城 (2022/05/06 訪問)

時間があまりなかったためスタンプのみ押印
JR小机駅そば 城郷小机地区センターの入口を入ってすぐの場所に、スタンプが設置されてました。
スタンプの横には小机城周辺ガイドマップも置いてありました。

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朝田 辰兵衛

民家の車庫前,気を使います。 (2022/05/08 訪問)

近隣の方かと思いますが,写真を撮っている私を不審に思っている様子でした。何気に距離をおいてツケられてる空気を察しましたが,智観寺に入って行ったら(安心したのか)去って行きました。ここは冷や冷やです。あまり,ウロウロもできません。

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カズサン

内濠と石垣 (2009/05/15 訪問)

 木造復元三重御櫓からの続きです。

 先に木造復元三重御櫓中心に東西南北の姿を投稿致しましたが、本丸を囲んでる内濠、余り探訪されない北側の裏の姿も今回、家内も同行して呉れ本丸一巡致しました、北側の内濠も広く、樹木、桜の葉っぱに覆われていますが周囲の石垣がちらちらと観る事が出来ます。
 
 探訪したのが13年前の平成21年5月中旬で東日本大震災発生の2年前の写真投稿に成ります。それから震災大被害を被り石垣の修復も平成29年末には完了し昔の姿に戻って居り、本丸清水門の木造復元が計画されて居り令和5~6年度には姿を現しそう、期待して待って居ます。


 

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カズサン

木造復元三重御櫓 (2009/05/15 訪問)

 日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行、家内の要望と私の城廻りを兼ね合わせ、前泊の鬼怒川温泉を出発し今回の2城目白河小峰城へ13年前の平成21年5月中旬登城。
 車はレンタカー、二の丸南の専用駐車場に駐める。

 過去に私は復元三重御櫓、城跡は探訪済みですが家内は初めて、二の丸、清水門跡、本丸、復元前御門、木造復元三重御櫓、登閣、本丸御殿跡、西の一段高い曲輪2重櫓跡、竹の丸、本丸水堀を回り込んで本丸北裏、バラ園、尾廻門、北側の内濠、北から西に廻り内濠とい石垣、三重御櫓も眺める、西から南に廻り、二の丸へ一巡する。

 木造復元三重御櫓は平成3年、前御門は平成6年に竣工公開されてる。
 現在残ってる石垣城跡は寛永4年(1627年)棚倉から丹羽長秀の嫡子長重が10万石余で入封し石垣造りに大改修し今日の姿を観る事が出来ます、しかし寛永20年(1643年)丹羽氏は二本松に国替え、二本松城の石垣造りの城郭に大改修、結構いじめられていますね? 小峰城も二本松城も石垣造り城跡を今日見る事が出来るのは丹羽氏のお陰です。

 三重御櫓中心に写真投稿致します。

 続きで内濠と石垣編を投稿します。

 

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テンちゃん

寺尾城 訪問 (2022/05/10 訪問)

2020年2月11日の鶴見れきぶん祭に参加し、寺尾城に関する講演
 「戦国の城の楽しみ方、寺尾城の魅力」萩原さちこ氏
 「小田原北条氏、東へ!~小田原城と寺尾城~」諏訪間順氏/枡野俊明氏/二宮博志氏
を聞いて以降、訪問したかったのですが訪問する機会がなくやっと訪問することができました。
車を殿山公園近くのコインパーキングに駐車し、殿山公園を通って主郭方面へ向かいました。
今は、住宅街となり寺尾城の遺構はあまりないですが、地形や地名はここに城があったのだと思わせるものでした。

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テンちゃん

小机城 訪問 (2022/05/10 訪問)

以前、小机城と同じ区内に住んでおりましたが、訪問するのは初めてです。
まずは、小机駅前のコインパーキングに車を止めて城郷小机地区センターで続100名城スタンプと案内パンフレットをゲットしました。
空堀などの遺構が良く残っておりなかなか良かったですが、第三京浜により分断されてしまっているのは残念です。
御城印は、横浜市歴史博物館で購入できます(通信販売もあります)。現在、小机城発掘調査記念の特別御城印が販売されています。
令和三年秋、横浜市による初めての発掘調査が行われたそうです。

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テンちゃん

榎下城 訪問 (2022/05/10 訪問)

以前、榎下城から車で10分程度の会社に勤めていましたが初めての訪問になります。
最寄りのコインパーキングに駐車して5分程度で榎下城址に到着しました。円城寺の境内には案内板もありました。
遺構はあまり残っていないようでしたが雰囲気のいい感じでした。
なお、御城印は横浜市歴史博物館で購入できます。(通信販売もあります)

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イオ

膳所藩代官所(大阪府河内長野市古野町) (2022/04/20 訪問)

膳所藩代官所(城びと未登録)は、江戸期に錦部郡内の膳所藩領の代官所として設けられ、明治まで存続しました。

現在の長野こども学園の北東に位置し、絵図面によれば総坪数は300坪を超え、北側に門を設けた造りだったようですが、遺構は消滅しており、こども園の東側に石碑が、西側に説明板が建てられているくらいです。

なお、代官所は堺からの西高野街道に近接して設けられていたようで、説明板の少し南には九里の道標石が現存しています。さらに代官所から少し南(徒歩5分)の本町で京都からの東高野街道と合流して高野山へと続いており、人や物の往来が盛んな地であればこそ、この地に代官所を設けたのかもしれませんね。
 

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todo94

県内の城めぐり2022⑲ (2022/04/29 訪問)

30数年ぶりに戸隠そばが食べたくなり、渋滞を避けるために戸隠に泊をとりました。この日の午後はかなりの雨予報が出ていたので雨が落ちてくる前に到着できたのは喜ばしい限りです。神社の後背に見事な空堀が巡っていました。この後、鬼女紅葉の岩屋に赴いたところで雨が落ちてきました。斜面に駐車して泥濘にスタックしてしまい、JAFを呼ぶ羽目になってしまいました。

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赤い城

かつて陣屋があった (2022/04/30 訪問)

この日は狛江駅から徒歩で訪問。
30分弱で慶元寺に着きます。
江戸時代には門前に陣屋が置かれていましたが遺構はありません。
江戸氏が築城した城で慶元寺境内には江戸重長の像が立っています。
慶元寺参道は杉の並木となっていて雰囲気のあるお寺です。
こぼ慶元寺の辺りから須賀神社周辺が城域だったようです。
須賀神社の近くには大六天塚古墳があり、中世にも使用されていたようです。
土塁として機能していたのかもしれません。

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おっちゃん

玄蕃尾城跡要図 (2017/05/20 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

八幡山城縄張図他 (2016/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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おっちゃん

観音寺城跡図、観音寺城跡平面図 (2016/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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ほりーないと

【城と生き物】 (2022/05/03 訪問)

五稜郭の水堀を泳ぐ、佐久鯉

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ryu

平日の吉野ヶ里遺跡 (2021/06/24 訪問)

コロナ禍で遠出を自粛していたため、久しぶりの100名城訪問となった。
平日で人も少なく、各所でボランティアの方の説明も聞きながらじっくりと見学できた。
9:30頃から2時間半くらいかけてじっくりと見てまわる。

探訪順路:歴史公園センター~環濠入口広場~南内郭~中のムラ~北内郭~北墳丘墓~甕棺墓列~倉と市~南のムラ~歴史公園センター

100名城スタンプは歴史公園センターの発券所にある。

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ぴーかる

揖斐城 (2022/04/09 訪問)

【揖斐城】
<駐車場他>麓の三輪神社に駐車させてもらいました。または城山台公園駐車場<35.492865, 136.573047>利用可能です。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸・堀切
<感想>揖斐城は1343年頃に土岐頼康またはその弟の土岐頼雄が築城したそうです。兄頼康は弟頼雄に揖斐城を守らせ以降揖斐氏を称して約200年にわたり居城とします。1547年に斎藤道三の攻撃で城は落城し以降は揖斐氏の家臣堀池氏が居城としますが今度は織田信長の進攻により稲葉一鉄により落城、のちに一鉄の息子稲葉貞通が城主となりますが後に破却され麓に揖斐陣屋が建てられました。
 登城ルートは一心寺本堂左手から登って行くルートと城山台公園から北の搦手から入り込むルートとあります。道はハイキングコースとして整備され、城跡内も整備されているので非常に見やすいです。城跡はほぼ南北に連なる連郭式で現地縄張り図では南端の方に主郭を置き、北に二の丸、三の丸を置いている。その更に北に標高の一番高そうな場所に周囲を高切岸で防御した出丸(太鼓曲輪)がある。各曲輪間に堀切、堀切からの竪堀が明瞭に残っています。
 石垣遺構は全然見受けられなかったが、元々は石垣もあったかと想像します。麓の居館を関ケ原後に揖斐陣屋建設時に石垣を崩して使用したかと予想します。200年以上詰め城として使われた城だけあっていい遺構、見応えあります。

<満足度>◆◆◇

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