お城すぐ脇にある案内所で散策マップを頂き整備された歩道をひと回り。
雪の積もる今の時期は無理でしょうが歩きやすくなっています。
1460年頃北畠氏によって築かれ120年ほど使われたお城のようですが
親族間の争いで衰退し大浦為信に攻められ落城。
発掘された品々が多数あり近くの中世の館で展示されてます。大人210円です。
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2023/01/08 10:07
2023/01/08 06:54
奈良の城めぐり⑤ (2022/12/10 訪問)
大和郡山城からの転戦です。皆さん、攻城に苦労されているとおり、道の細い住宅地で駐車場所に難渋、獣よけフェンス、廃屋、倒竹と攻城を困難にするファクターがなかなかのてんこ盛り状態でした。
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2023/01/08 02:02
小峰城跡 (2023/01/07 訪問)
平成に入ってから復元された三重櫓が白河駅のホームからもよく見える市のシンボルで、地元では「お城山」の愛称で親しまれています。
春にはたくさんの桜に囲まれます。三重櫓のそばに生えている「おとめ桜」は人柱伝説があり有名。
震災の際に崩れた石垣は現在とても美しく修復されています。
三重櫓はとてもコンパクトで数人入ると混み合いますがスマートで綺麗です。
敷地内の公園は広く芝生が植えてあり開放的。
先着300枚とのことですが冬季限定デザインの御城印がありました。
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2023/01/07 21:07
標柱だけ (2023/01/05 訪問)
見つけた標柱、柵に囲まれ中に入れず柵外から撮影。
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2023/01/07 21:01
2023/01/07 20:32
2023/01/07 20:08
2023/01/07 19:34
国宝五城・松本城に行ってきました!②惣堀編 (2023/01/03 訪問)
松本城の掘は、内堀、外堀、惣堀のみっつあり、
その中で、惣堀はとても大きいです。
今回は惣堀を紹介します。
『東側』
惣堀の中で、唯一残っているのは東側の一部だけです。
東側の掘は水が張られ、当時の歴史を馳せています。
はじに、昔の石垣が少し残っていて、見えます。
とても大きく、川のようです。
『南側』
大手門のあたりには、今は公園となっていて、説明板があります。
大手門にも惣堀が巡っていたようです。
『西側』
西側には、土塁が残っており、公園となっています。
昔の土塁がきれいに一面だけ残っています。
土塁は昔とても広かったようで、とても大きく感じます。
『北側』
北には遺構がありませんが、北門大井戸のあたりに、北門馬出跡の説明看板があります。
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2023/01/07 17:29
尼崎市立歴史博物館と尼信会館 (2022/12/10 訪問)
(続き)
廃城後、本丸跡は学校用地となり、戦前に建てられた市立高等女学校の校舎が整備されて歴史博物館になっています。歴史博物館の北東部が天守跡にあたり、玄関前の植込みに尼崎城天守閣遺蹟の石碑が建てられています。また、北辺の道路沿いの植込みには大量の石垣の石がならべて展示されており、矢穴のある石も見られました。
館内に入ると、2階は古代から現代までの常設展示エリアになっていて、尼崎城の絵図や本丸の復元模型、鬼瓦や鯱瓦、桜井松平氏の具足、発掘調査の成果の展示など、尼崎城に関する展示が特に充実しています。中庭にも尼崎城石垣の石が数多く展示されていました。
なお、尼崎城とは無関係ながら現代の常設展示の最後に現下のコロナ禍に関する展示があったのが印象的でした。まだまだ歴史どころか現在進行形ですが、いつか歴史の一ページになった時に後世の人が指針とし得る資料をひとつでも多く伝えていく、それこそが歴史という学問に携わる者の後世に対する責務ですよね。
歴史博物館を出て城下をあちこち散策した後、今度は西屋敷跡の尼信会館に行きました。その名の通り尼崎信用金庫が開設した博物館で、城下町尼崎展として尼崎城と城下の絵図や資料、桜井松平氏に伝わる大旗、太刀や具足が常設展示されています。併設のコイン・ミュージアムもなかなか面白く、ちょうど時期的にFIFAワールドカップ各大会の公式記念コインが展示されていました。ついでに南隣にある尼信本店別館の世界の貯金箱博物館にも行くつもりでしたが、閉館時間が迫っていたため断念しました…。
…ということで、歴史博物館も尼信会館も入館無料ながらなかなかに見応えがあり、尼崎城への理解を大いに深めることができました。さて、歴史博物館で知識を仕入れたら城下を散策します(続く)。
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2023/01/07 17:26
公園再生で成長(?)するお城。 (2023/01/03 訪問)
1148年、小山 政光さんが築城した「小山城」。
1576年、小山氏は北条 氏照さんに降伏し「小山城」は大改修されます。
秀吉さんの小田原征伐で、北条方だった小山氏は滅亡しました。
因みに、「小山城」が落城したのが7月7日。小山市は七夕を祝わないんだとか。
織姫もがっかりです。
関ヶ原の戦い後は、本多 正純さんが入城。「宇都宮城」に移ると「小山城」は廃城しました。
と、ざっくり いろんな事がありましたけど『小山評定』が「小山城」を印象深くしたのではないでしょうか?
栃木県小山市城山町1丁目1。小山市の中心です。
なのに、ナビは「小山城」の裏手の駐車場に案内しました。、、、間違ってはいませんけど。
なにやら工事が始まるようです。
発掘!
と、期待しましたが、公園を憩いの場に再生工事するそうです。
駐車場から橋を使い堀を渡ります。曲輪ではバトミントンをしてる子供達。
馬出しには趣のある赤い橋。
でも、工事準備するのか、橋は通行止めでした。
憩いの公園は良いけど、遺構を削る事が無いようお願いしたいです。
前回、投稿した渋滞の原因は『須賀神社』の初詣の駐車場待ちでした。
調べたら『須賀神社』は「小山城」の守護神なんだそうです。
『須賀神社』お願いしましたよ。
東京の端っこから「小山城」のこれからを、見守ります。
東京の端っこ、、、、!
いらっしゃいませ、朝田 辰兵衛さん。
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2023/01/07 13:10
⑤【関ケ原の26人 】(2)吉川広家 (吉川広家と岩国城) (2022/09/04 訪問)
(2人目)は「吉川広家」です。
広家の関ケ原当時の居城は「米子城」ですが、今回は関ケ原後の居城「岩国城」を訪れてきました。
関ケ原の敗戦により毛利輝元は120万石から周防・長門の二か国36万石に大減封されてしまいます。岩国城はその時、毛利の重臣であった「吉川広家」が米子からここに移り築城を始め1608年(慶長13年)に完成した城です。しかし、その後の1615年(元和元年)に一国一城令で廃城の命を受け泣く泣く破却、天守はわずか7年しか存在しませんでした。
現在ある天守は、昭和37年に観光目的で50m南に移動した位置に再建されています。天守からは、錦帯橋や岩国城下(岩国市街)、米軍基地や瀬戸内海まで遠望でき、とても気持ちのいい眺めでした(写真⑥⑦)。また桃山風南蛮造りの天守はとても美しく感じました(写真③)。当時の天守台も残っており、広家が築いた野面積の石垣も見ることができました。その横には同じく広家時代の空堀もありました(写真④⑤)。
吉川広家は、関ケ原では毛利輝元の名代である毛利秀元(元就の四男で輝元の養子)を補佐すべく、南宮山の麓に陣を構えました。南宮山の頂上にいる秀元はやる気満々でしたが、広家が動かないため山を下りる事ができません。そこで石田三成は広家に再三の出陣要請をしますが、今は飯を食べているので出陣できぬと答え、後の「宰相殿の空弁当」の言葉で有名となりました。実は黒田長政との密約で東軍に寝返へれば毛利120万石の所領は安堵されるとの約束があったようです。広家は父の吉川元春の教えに従い、誰よりも毛利家の行く末を案じていました。よって、このような決断をしたのだと思いますが、結局は家康から反故にされてしまい、この決断は裏目に出てしまいました。最大の過ちは、家康から直接お墨付きを取っていなかった事ですかね🤔?(そんな時間もなく長政を信じたのでしょうが・・)。家康は長政が勝手にやった事として反故(ほご)にしたようです(これも口実でしょうが・・)。
私は岩国城の天守に立ち、そこから城下を眺めて見ました(写真⑥)。岩国城を築城したものの、結局は自分のせいで毛利家を没落させてしまう事になった広家は、どんな思いでここから城下を眺めていたのでしょうか? そして、どうすれば毛利家を元のように再興できるのか? 日々ここで悩み、そして苦しんでいたのではないでしょうか?
【余談:ハローキティ号】
新岩国駅から博多行の山陽新幹線こだま号に乗った時、たまたまでしたが、それがカズさんと同じ「ハローキティ号」でした。おじさんがビール片手に乗るには、ちょっとはずかしい列車でした😊(写真⑩)。
次は、「吉川広家陣跡」を歩き「南宮山」を眺めます。
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2023/01/07 11:14
2023/01/07 11:06
2023/01/07 10:55
2023/01/07 10:51
2023/01/07 07:42
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー55城目 (2022/12/10 訪問)
この日の4城目は、続100名城の大和郡山城。極楽橋が出来てから、そして国史跡に指定されてから初めての攻城です。これだけの城が今まで国史跡でなかったことの方が驚きです。スタンプを頂いて柳沢文庫も拝見して参りました。柳沢吉保が悪役で描かれている葉室麟の「影ぞ恋しき」を読み進めている最中でしたので、特別展の「大名家の日記-柳澤家当主四代の記憶と記録-」は、実にタイムリーでした。
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2023/01/07 07:31
備中松山城 (2023/01/03 訪問)
日本三大山城、3つ目❗
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2023/01/07 07:15
リニューアル、岡山城🏯❗ (2023/01/03 訪問)
独特な出で立ちで、素晴らしい❗
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2023/01/06 23:57
そろそろ東京の端っこでも。 (2022/11/28 訪問)
得意の途中下車。今回は,JR金子駅で。埼玉県から東京都青梅市に入りました。コインロッカーはなく,キャリーバッグを転がしながら。この駅で降車した乗客は私だけでした…。それなりに住宅はありましたが,ほとんどマイカー所有でした。都心で感じる風とは違います。
さて,ここは何といっても空堀が魅力的な城です。少年だったころに発見していたら,間違いなく「仮面ライダーごっこ」をしていました…<笑>。
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