(続き)
日比谷門は日比谷交差点の少し西に位置し、現在では晴海通りになっていますが、日比谷公園の北東隅に枡形の石垣が一部遺っています。日比谷公園の心字池は、日比谷門から山下門へ続く水堀を公園造成時に池としたもので、心字池沿いにのびる石垣が往時の姿を伝えています。石垣は心字池の南端近くまでとなっていますが、これは水堀自体がここで東に折れていることによるもののようです。日比谷門の北側では日比谷濠が満々と水をたたえて北と西に広がっています。
日比谷公園のあたりは日比谷入り江の埋め立て地のために住環境が悪く、毛利氏や上杉氏など外様の有力大名に(嫌がらせ的に)割り当てられましたが、伊達氏の上屋敷も公園北東部にあり、心字池の北側には参勤交代時にこの地で亡くなった伊達政宗の終焉の地の説明板が建てられています。公園内には堀の石垣と思しき矢穴のある石や上水の石枡があちこちに置かれており、南東隅には烏帽子石と呼ばれる市ヶ谷門に用いられていた巨石が移設されています。
また、日比谷公園の南にある日比谷セントラルビルは虎ノ門と幸橋門の間の外堀跡にあたり、ビルの南西隅に付近で発掘された外堀石垣が展示されています。ここでまた外堀に戻って、幸橋門に向かいます(続く)。
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