みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7目:秋月城 (2022/07/26 訪問)

西条城からの転戦です。墓地前の空スペース(34.101027、134.312350)に駐車しました。

古代、秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏が居館を構えていました。
文永年間(1265年~75年)守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと伝えられています。
1336年(建武3年・延元元年)小笠原氏(後の三好氏)に代って阿波国守護となって入国した細川和氏・頼春兄弟が、当地の土豪の秋月氏に迎えられて、秋月城を築き居館としたといいます。
秋月城は和氏のあと、弟細川頼春、子の細川頼之と三代にわたり居城となりましが、頼之が管領として上洛すると弟詮春は勝瑞城に移りました。 その後は秋月氏の居城となり戦国時代まで続いたといいます。
1579年(天正7年)長宗我部元親に攻められ落城、廃城となりました。

墓地となっており、的場跡の碑、城址碑が建てられています。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=原田城に向かいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:西条城 (2022/07/26 訪問)

芝原城からの転戦です。富士建(34.099328、134.3827)さんの駐車場をお借りし、道路向かい路地入口(34.099320、134.382789)を進んで行きます。

1346年(貞和2年・正平元年)森左近将監備前守春之によって築かれたと云われるが定かではないようです。 森春之が秋月城の支城として築いたのが始まりだといいます。
天文年間(1532年〜1555年)の城主は岡本美作守清宗で百貫を領し細川持隆に仕えていました。
この清宗の娘が小少将局で、細川持隆の側室となって細川真之を産ました。持隆が三好義賢によって討たれると義賢の正室となり、三好長治・十河存保を産んでいます。
1582年(天正10年)長宗我部元親によって滅ぼされた勝瑞城と運命を共に落城したそうです。
1588年(天正14年)蜂須賀家政は阿波九城の一つとして改修し、家臣森監物を置いて守らせました。
1638年(寛永15年)一国一城令によって廃城となりました。

阿波9城のひとつです。
廃車は放置されていますが、城碑と森監物を祀る小さな祠は草などで見えません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=秋月城に向かいます。

+ 続きを読む

昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:芝原城 (2022/07/26 訪問)

矢野城からの転戦です。蔵珠院横(34.092443、134、463429)から蔵珠院に進入して駐車しました。

城主は久米安芸守義広と伝えられています。
久米義広は主君細川持隆が三好実休によって見性寺で自害に追い込まれると、これに反発して1553年(天文22年)挙兵します。
義広方は野田山城主野田内蔵助、花房城主仁木日向守、佐野須賀城主佐野丹波守、蔵本城主小倉佐助らであったが、槍場の合戦で敗れ、ことごとく討死したそうです。

芝原城の位置ははっきりしないようで、現在の八幡神社と隣接する蔵珠院のあたりを城跡としています。
蔵珠院にはいつの頃に作られたものかわからないが、全国で唯一という、螺旋状の通路をつけたすり鉢状の井戸があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=西条城に向かいます。

+ 続きを読む

にのまる

中濠と門跡めぐり (2022/06/10 訪問)

姫路駅から大手前通りを直進。聳え立つ天守へと逸る気持ちを抑え、中の門跡から時計回りに市橋門跡まで中曲輪の門跡めぐりをしました。ずいぶん歩いたような気がしますが確認したのは11の門のうちの5つで、歩いた距離も中曲輪全周の1/5 程度だったのではないかと思います。

中の門は大手門に至る堂々とした構えの面影を今も残し、交通量の多い商業地の中にあっても目を見張る存在感があります。そしてそこから西へと延びる石垣と土塁。北へ曲がる次のコーナー(南西隅櫓跡)は一体どのくらい先にあるのか、全く見えず、見当もつきません。
ここを生活道路としている人たちが羨ましすぎる!と思いながら石垣沿いに歩いていると『昭和7年に国道2号線改修のため東西450メートルの濠を埋めました』と記された大きな石碑がありました。2号線に面している濠跡は現在は1kmくらいありそうです。
ちなみに姫路城の濠は螺旋状に約10km。限られた時間で外周をまわるには西松屋のミミちゃんのレンタサイクルがよき相棒となってくれそうです。駅の近くにありました。

つぎに現れたのは鵰(くまたか)門。教習所のS字クランクを彷彿とさせるカギ型の道路です。(現在は自家用車も手放し全く乗っていませんが以前はハンディキャブの運転などもしていました。)これぞ城門というカーブが堪りません。めちゃくちゃ見通し悪いし、スピード出して突撃!なんて到底できません。

南西隅の埋門まで来ました。堀には土橋がかかり、二重の櫓とともに南に向く二つの門が多門で繋がっていたそうです。と、文字で読んでもイメージしがたいのですが、現地案内板のイラストを参照しながら残されている石垣を見るとその状況が手に取るようにわかり感激です。門も櫓も土塀もありませんが、「なくなった」ではなくてあえて「今、石垣を組み終わって(普請)、これから櫓とかつくるところ(作事)」なんだと想像しながら見るとすっごくわくわくしてきます。

埋門を入っていくと合坂のある石垣が現れました。石垣を巻いて反対側に行くといくつかの門の重なりのような石垣があります。ここ(車門)は西国街道に直結する主要な出入口のため4つの門で構成されていたのだそうです。外門から入り中門通って内門へ。戻って今度は車道門から出て……という入退城ごっこ遊びの楽しいことといったら!

車門から船堀川沿いのすてきな小径を石垣を眺めながら歩いて市橋門に到着しました。

<つづく>

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

さかさいじょう (2022/07/30 訪問)

さかいじょうでは無くさかさいじょうです。
逆井城址公園になっています。
櫓や土塀、物見櫓などが復元されています。
本丸の堀なども良く残っていてなかなかの見応えでした。
二郭はグラウンドゴルフ場になっていますが周りを囲む堀には横矢がかかる部分も見られます。
二重櫓のそばには関宿城の薬医門も移築されています。
早朝の登城でしたがすでにグラウンドゴルフを楽しむ高齢者の憩いの場になっていました。
申し訳無さそうに土塁上を歩き退散しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

津和野から門を移築しただけでなく… (2021/10/09 訪問)

津和野から門を移築しただけでなく,三段櫓石垣をパクってんじゃね…と思ってしまいました。津和野城と日をあけずに登城すると,たぶんそう感じると思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

刑部

住宅地の中にある城址 (2022/08/16 訪問)

住宅地にポツンとある普通の公園が城址です。でも、城址の石碑は大きく立派でした。

+ 続きを読む

小城小次郎

ここ数年が見ごろ (2022/02/23 訪問)

ここ半年ほど勝間田城の案内役やら講演会やらで大変お世話になった。植生改良のための伐採作業でものすごく見やすくなっているがいずれまた森に還るので、ここ数年がとにかく見ごろのはず。ぜひぜひみてみて。

+ 続きを読む

かいのすけ

苗木城

苗木城は岐阜県の中津川市にあります。城の跡がある木曽川のほとりの岩山に登ると恵那山や中津川市街を一望できる絶景を見ることができます。迫力ある岩やその間に築かれた石垣、建物の跡が魅力ですね。
で、当時の苗木城はこんな様子だったというものがあるのですが、これを見て皆さんどのように思いますか?私は初めてこれを見たとき「変な城だな~」と思ってしまいました。だって、普通思い浮かべる城とあれこれ違いすぎませんか?
破風でばっちり決めた天守や櫓はなく、なんだか蔵のような形をした建物がごちゃごちゃに並んでいます。計画的に築かれた様子というより、増築を繰り返してこうなりましたみたいな感じを受けるのは私だけでしょうか・・。それにあちこちに見える自然のままの岩。カッコよく石垣にしてしまえばスッキリしそうですよね。そもそもこんな岩だらけの山に、無理に城を建てなくてもよかったのではないかと思ってしまいます。
苗木城の城主は遠山氏。戦国時代にこの苗木城を築いてから江戸時代そして明治まで、ずっと遠山氏が治めていました。こんなに長い期間に渡って城主が変わらない城ってほとんど無いのではないでしょうか。珍しいと思います。そして遠山氏は、その長い間にこの苗木城にあれこれ手を入れ、あの絵のような城が完成していったようなのです。
遠山氏は江戸時代1万石ほどの小さな大名で、大金を苗木城に投じることはできなかったようですが、資金をやりくりしながら長い年月をかけて少しづつこの城に手を加えていったのでしょう。

+ 続きを読む

三瀬氏の居城 (2022/08/20 訪問)

  北畠氏の家臣三瀬氏の居城と伝わっています。大谷川が宮川本流と合流する嘴状の突端にあり、南、西、北の三方は断崖となっています。土塁と井戸が残っています。
 松阪駅から三重交通バスに乗り下三瀬バス停下車(約70分)、徒歩5分くらいで行くことができます。バスの本数はかなり少ないので要注意です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

北畠具教終焉の地 (2022/08/20 訪問)

 北畠具教終焉の地として知られる三瀬館跡へ行ってきました。階段状の削平地があり、案内板には「館跡は鎌止山の麓斜面を改修してほぼ三段にしつらえられている、、」と記載がありますが、現状はもう少しあると思います。石垣がありましたが、当時のものか否かはわかりません。近くに北畠具教の胴塚があります。見張り台の茶臼山には堀切を見ることができます。館跡は整備され紅葉スポットだそうです。夏でも支障なく散策することができました。徒歩5分くらいの所に北畠具教を主神とする北畠神社があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

北条 氏規さんの3ヶ月。 (2022/08/14 訪問)

伊勢 宗瑞さん=北条 早雲さんの最初のお城「韮山城」です。
今川家の客将だった宗瑞さんが、堀越公方 (正式に継いでないので、なんちゃって公方様)足利 茶々丸さんを討ち、伊豆進出。自らの本城である「韮山城」を築城しました。
北条 氏綱さんの時代に拠点を「小田原城」に 移します。
秀吉さんの北条討伐の時は、3ヶ月も籠城した堅固な「韮山城」です。

まずは、皆さんの情報により『韮山代官屋敷・江川邸』の無料駐車場を利用して出陣しました。近くに高校があり、写真②のような案内板があります。
写真③から登り、切通が見えてきました。奥に神社があり、土塁が守ってます。
整備された道があり本丸まで、行けます。
本丸からは、秀吉軍が築いた陣城の位置が分かります。

北条家の最後の「韮山城」城主は、北条 氏規さんです。3ヶ月、籠城し徳川 家康さんの説得により開城しました。
氏規さんと家康さんは、今川家で同時期に人質でした。
、、、ドラマチック。
ところで、「韮山城」は3ヶ月の籠城に対して 「八王子城」は1日、「山中城」は半日で落城してます。
各お城の事情があるにせよ、正直「韮山城」が一番、こじんまりとしていて早く落とせそうです。
「八王子城」「山中城」の方が、たくさん歩いたしな、、、。歩数の多さで勝敗が決まる訳じゃないけど、、、。と、戦無知の幼稚な考え方です。

伊勢 宗瑞さんの念願と、北条 氏規さんの執念が「韮山城」を堅固にしたのかもしれません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

packy

真田山 (2022/08/20 訪問)

真田幸村の真田丸出城跡

+ 続きを読む

マダム卑弥呼 

鍋島藩 (2022/08/18 訪問)

この新しい再現された弘道館で鎌倉殿の13人に出てくる大江さんの墓が出てきた。

+ 続きを読む

マダム卑弥呼 

忠興の城 (2022/08/17 訪問)

ここも二回目でした。

+ 続きを読む

ヒロケン

世界文化遺産・国宝 姫路城特別公開 (2022/08/19 訪問)

普段は非公開の乾小天守・東小天守・イの渡櫓・ロの渡櫓・ハの渡櫓(いづれも現存で国宝)が2022年7月15日(金)~8月31日(水)まで特別公開されています。入場料1000円に加え、観覧料500円(小人200円)がかかります。
乾小天守
大天守の西北に位置し3重4階地下1階。「ロの渡櫓」と「ハの渡櫓」に接続しています。1重の西面に軒唐破風を設け3重の南面と西面に黒漆塗り・錺金具打ちの火打ち窓を2箇所づつ設けており、西面を中心に意匠を凝らしています。
東小天守
大天守の西南に位置し3重3階地下2階。「二の渡櫓」と「ハの渡櫓」に接続しています。地階東面に「水六門」を備えて出入り口としています。南面中央に軒唐破風を設け、3重に黒漆塗り・錺金具打ちの火打窓を2箇所設け意匠を凝らしています。
イ・ロ・ハの渡櫓
大天守と各小天守を接続する渡櫓で、なかでも「ロの渡櫓」は1・2階とも東西約28.8m、南北約5.9m面積約170㎡で現存する渡櫓で最大級の規模を誇っています。

コロナ感染症新規感染者が26万人を超え過去最多を更新する中、今を逃すと今度何時見れるか分からないため「姫路城 特別公開」を見に行ってきました。マスクを二重・携帯のアルコール持参で臨みました。「気温が高くなっています、水分補給で暑さ対策を行って頂くようお願いします」などと城内放送が入る中、熱中症にも気を付けての特別公開でした。
今回2泊3日で8城を訪問してきましたが、ここ姫路城だけはソーシャルディスタンスがとれそうもないことが予想されたので、最終日の最後にもってきました。一日明けた今でも体の不調はありませんが、少し心配ですが(>_<)、行ったことに後悔はなく、行けて良かったと思っています(*^▽^*)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

マダム卑弥呼 

宗茂さま~ (2022/08/17 訪問)

同じホテルの同じ部屋に泊まることができました(御花宿泊)1泊して二日目朝に柳川城。伏見以上の大きな堀(水路)の幅に驚きました。今回の大きな収穫は資料館の館長さんに柳川古文書館の職員さんを教えてもらったことでした。宗茂の浪人時代のエピソード聴けました。宗茂のお墓参りも済みました。

+ 続きを読む

マダム卑弥呼 

石垣の迷路 (2022/08/19 訪問)

今回は数年前とほぼ同じルートでの(ホテルまで一緒)2泊3日で最終日に福岡。
思った以上の迷路(門が多くて)驚きました

+ 続きを読む

橋吉

細道ですが、距離が短いので大丈夫 (2022/08/09 訪問)

国道101号線北に、脇本城碑と菅原神社の一の鳥居が並んでいます。両者の間の細い坂道を登ればすぐです。
クルマでは心配くらいの細道ですが、距離が短いので大丈夫でしょう。
菅原神社をさらに少し越えると駐車場があります。駐車場脇に脇本城跡案内所のプレハブ小屋があります。
跡案内所内にはパンフレットと立体模型が置かれています。続日本100名城スタンプも押すことができます。

城は三つの部分で構成されています。
内館,馬乗り場,兜ヶ崎です。雨が心配でしたので馬乗り場ははパスしまして。30分でした。

帰り際に案内所の職員と話をしたのですが、この近くに金山があったのでという噂があるそうです。
この城は、その採掘と防御のためにつくられたのではないか?
地元とにはこんな説もあるそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

坂東ゴルフクラブ (2022/07/30 訪問)

坂東ゴルフクラブの中が城跡です。
コース内に二重堀切があるそうですがプレーしないと見れません。
私もゴルフするのですがここは未訪問なのです。
県道沿いに少し空地となっているところがあったので駐車。
徒歩で近くまで行きました。
田んぼのあぜ道を進んでゴルフ場の外側にたどり着きます。
当然藪なのですがなんとなく土塁っぽい部分が見えるような。
心眼なのでしょうか。
いつかここでプレーすることがあれば堀切も見てみたいのですが、多分そんな余裕もなくあたふたしてそうです。

+ 続きを読む

ページ447