草津市立武道館周辺が跡地で、門の横に説明板があります。遺構はありません。在りし日は円形の堀で囲まれていたようです。
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2023/10/21 22:20
草津市立武道館 (2023/10/21 訪問)
草津市立武道館周辺が跡地で、門の横に説明板があります。遺構はありません。在りし日は円形の堀で囲まれていたようです。
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2023/10/21 21:13
門司城 (2023/09/09 訪問)
【門司城】
<駐車場他>和布刈第1展望台駐車場 無料数十台分あり。
<交通手段>車
<見所>石垣跡・石段跡
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅4城目。門司城は1185年に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたとされます。室町時代中期からは長く大内氏の城でしたが室町時代後期、毛利氏が周防・長門国を支配するようになると大友氏との争奪の攻防が続きます。関ヶ原後は細川氏が豊後国を支配するようになってからは家臣を城代に置き、1617年廃城となったようです。
関門海峡の海底トンネルは下関側から歩き往復したことはありましたが、車で下関IC~門司ICの1区間は初めてで300円に驚き(橋料金がない)ました。主要部南側の駐車場は尾根上の広い平坦地になっているのでかつての段曲輪か広い曲輪があったように思われます。山頂の主郭と東側の尾根は堀切で分断しています。山頂の主郭は狭く、西側に櫓台があったと思われる石積み遺構が見られます。主郭の西側下段に腰曲輪があり、主郭から昇降する石段が僅かに残っています。天候が良く、関門橋・下関の街・遠く六連島 藍島まで見られ絶景でした。
<満足度>◆◆◇
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2023/10/21 19:49
春日山城2 (2023/10/07 訪問)
春日山城は、1548年上杉謙信公が長尾家の家督を継いだ頃から城域の拡大・改修が大規模に行われ春日山全体に大小200とも云われる曲輪を配し、その周辺の尾根を城砦化、さらに、近接する山々には多くの支城を配しています。
春日山城は大規模な山城でありながら、堀切や土塁が少なく、他の日本三大山城・戦国期の日本五大山城に見られる石垣はありませんが、軍神上杉謙信公の居城であること、城の規模、御館の乱などの歴史的背景等で十分に想像を膨らませることが出来ます。
もし、御館の乱で上杉景勝公が勝利せず、上杉景虎公が勝利していたならば、豊臣秀吉の小田原征伐はあったのでしょうか?もっと言うならば、徳川家康公が江戸に幕府を開くことが出来たのでしょうか?もしの話ですが、本丸から景虎公が籠った御館方面を眺めると、そのように思えてしょうがありません。(こんな近くで謙信公の養子2人が家督を争ったのかと)
上杉謙信公を祀る春日山神社の鳥居をくぐり参拝すると、その時代の空気間というか、凛とした空気間につつまれ、自身の生活態度を考えさせられます"(-""-)"
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2023/10/21 18:32
2023/10/21 18:25
神社が入口 (2023/10/21 訪問)
北畠氏館跡庭園のある北畠神社さんのすぐ、そばが登山口です。雨が降っていたので、入口だけ覗きました。御城印は、北畠神社で、購入できます。
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2023/10/21 18:21
2023/10/21 18:15
小学校 (2023/10/21 訪問)
道の駅菰野に、車を置いて、徒歩で、現地に向かいました。案内板があります。敷地は、小学校になっています。土塁らしきものと、たぶん、お堀だったのかなという跡がありました。
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2023/10/21 17:06
大桑城 (2023/10/21 訪問)
登山口駐車場に駐車。
各所に石垣、竪堀が確認出来ます。
山城に庭園跡が有るのは、珍しいですよね。
切井戸に至る道は、ロープを伝って坂道を降りる感じで大変でした。
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2023/10/21 16:42
2023/10/21 16:40
泉頭城 (2023/10/21 訪問)
旅行のついでに(柿田川公園)
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2023/10/21 10:21
2023/10/20 18:37
2023/10/20 10:26
73【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と内城) (2023/10/17 訪問)
(24人目)「島津義弘」の続き④です。
義弘が15才頃から約4年間を過ごした「内城」を訪れてきました。
鹿児島中央駅から南国交通バス「大龍小学校前」で下車、または市電に乗り終点「鹿児島駅」(写真⑨)からでも徒歩6分程の所にあります。私はバスで行き市電で戻りました。
江戸時代に入り鹿児島城が築城されると、この跡地は貴久と義久の菩提を弔う大龍寺となりましたが、寺は明治時代に廃仏毀釈で破却、その後は「大龍小学校」になっています。校庭に内城の碑が残っているようですが校庭の中には許可がないと入れないので、碑を柵の外から撮影しました(写真①すいません)。またその横には旧校門や大龍寺跡の碑もありました(写真②③)。でもこの小学校を見た瞬間ビックリ!😯 西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」が掲げられていて、西郷の教えが今でも受け継がれているのには感動しました(写真⑦⑧)。今和泉島津家屋敷「篤姫」生誕の地も隣接していて、その向こう道の突きあたりが西郷隆盛の墓所(南洲公園)です(写真⑥)。
この近くにはもともと東福寺城という島津宗本家の城があったようです。しかし伊作島津家である父の貴久が守護であった宗本家の後を継ぎ、1550年に伊集院の一宇治城から鹿児島市内の海に近いこの場所に新たに内城を築城し移り住みます。城といっても屋形のような平城(居館)であったようです。ザビエルに出会ってから南蛮貿易の重要性に気づき、その貿易を盛んにするために海に近い場所に移して港を整備し、また大隅日向の統一を目指すための拠点としてここに居を移したと思われます。そして貴久死後は、長男の義久が後を継ぎ城主となり、江戸時代にその義久の後を継いだ義弘の子で初代薩摩藩主の忠恒が鹿児島城を築城するまでの約50年間、ここ内城が島津の本城となりました。
義弘も父の貴久と共に1550年に移り住み、15才頃から約4年間をここで過ごしたようです。そして18才になった義弘は、いよいよここから初陣を迎えます。
次は、義弘初陣の地で最初に城主となった(平松城)を訪れます。
【余談】さつま焼酎の看板
「さつま白波」は有名な鹿児島の芋焼酎ですが、鹿児島中央駅前でバスを待っていた時、ふとこのでっかい看板が目に止まり、思わず笑ってしまいました(写真⑩)。皆さんにはこの「だいやめで、きばいもんそ。」の意味がわかりますか?🤔(正解はこの下↓です)
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(正解は)
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「今夜は一杯飲んで今日の疲れを癒し、また明日から気合をいれてがんばりましょう!」
の意味でした~!😊
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2023/10/20 07:48
2023/10/20 07:27
埋門からのアプローチ(2/3) (2023/10/01 訪問)
南内堀周辺の復元整備の確認へと探訪を終えて、且つ天守台、本丸、二の丸の南側石垣城塁も十分堪能し、二の丸搦手門側からアプローチし二の丸埋門から二の丸内部へ進入、二の丸内部、平成12年に復元された大書院は風雪23年に耐えて風合いが出て来ました南側を眺めて、本丸へ現在青山神社が鎮座、天守台に登り周辺を俯瞰する、遠く八上城の山容を望み、天端より復元整備された南内堀、南広場を眺める。
城下の賑わいほどではないですが、観光客が多く入城して居ました、何時訪ねてもワクワクします。
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2023/10/20 06:56
伝正寺境内が主郭 (2023/09/30 訪問)
伝正寺と三田公会堂周辺が城趾。
車も停めることができます。
伝正寺の周りを土塁が囲んでいてその外側は堀だったようです。
ちょうど彼岸花の時季で土塁を彩っていました。
公会堂の裏手にも土塁があるようですが見落としてしまいました。
姉川古戦場からも近い場所にありますが先を急ぐことにしました。
次回は小谷城も含めて周辺をじっくり回ってみたいですね。
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2023/10/19 22:59
なんとなくノスタルジックな気分になれる。 (2020/01/04 訪問)
秋月城は別名・秋月陣屋といい、戦国期の秋月氏の館跡に寛永元年(1624)に黒田長興が
築いたとされています。県の文化財に指定されている黒門を進むと黒田長興を祀る
垂裕神社にたどり着きます。城の主要部分は秋月中学校の敷地となっているようで
木造の校舎が良い味わいを出しています。大手には瓦が敷き詰められていて瓦坂と
呼ばれています。派手さはないものの落ち着いた雰囲気の良い城址です。
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2023/10/19 22:16
2023/10/19 21:57
広大な城域を遺構で囲む。城というより山。 (2020/01/04 訪問)
基肄城は朝鮮式山城と呼ばれる古代の山城で基山と坊住山の二つの山にまたがる広大な城域
を持ち、太宰府の南の守りを担っています。天智2年の白村江の戦いで敗れた日本が新羅・
唐に対する防衛のために天智4年に築いたとされています。南水門の周辺には石垣など遺構が
良く残っており、水門は急峻な山容から流れる谷水の排水の役割も担っていたようです。
基山の山頂部からの眺望は素晴らしく、東峰の周辺には土の堤が残っています。2時間ほどの
ウォーキングを楽しみましたが、あまりにも城域が広いので全容を把握するまでに至って
いません。
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2023/10/19 21:08
夕暮れの中津城 (2020/01/04 訪問)
少し古い写真になりますが、中津城は二回目の訪問で、続百名城のスタンプが
欲しくて駆け込みに近い形で訪問したのを覚えています。すでに夕方になってきて
写真もいささか暗いのですが、これはこれで味があるのかもしれません。
サンドイッチのような直角三角形の縄張りを持っていた風変わりな城で扇城の
別名を持っています。黒田官兵衛の築いた石垣を細川家が改修した跡が残って
いるようなので三度目の訪問の際にはゆっくり石垣の継ぎ目を探してみたいと
思います。
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