荏原城からの転戦です。登山口前の空スペース(33.881076、133.123830)に駐車しました。
「高尾城跡 登山口」の石碑の横より橋を渡って用水路の土手に出て攻城しました。
築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528年〜1532年)に高峠城の支城として、高峠城主石川通清によって築かれたと云われています。
1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国征伐で、小早川隆景が伊予に侵攻します。
高峠城主石川若竹丸はまだ幼く、重臣達によって協議した結果、金子城主金子元宅の意見が通り高峠城に籠って小早川隆景と対することとなりました。
元宅は金子城を弟金子元春に守らせ自身は総大将として高峠城に入り、宇高城主高橋美濃守を高尾城に籠らせました。
小早川隆景率いる2万とも3万ともいわれる軍勢が怒涛の攻撃を仕掛け、美濃守らは良く防戦したが、遂に落城し城に火を放って自刃したそうです。
主郭は山頂にあり南に高土塁、北西に低土塁が残っています。主郭の南背後に堀切があります。
防虫ネットが蜘蛛の巣だらけで蜘蛛までついていました。
下山中、右ひざを木の株にぶつけてしまい出血負傷。足をひきづりながら下山しました。
攻城時間は65分くらいでした。次の攻城先=土居構に向かいます。
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