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カズサン

清々しい長塀の景観 (2005/10/21 訪問)

竹の丸の長塀も平成28年の熊本地震の被害を受けて倒壊、飯田丸五階櫓が復元した直の平成17年10月に登城しましたので、地震前の坪井川沿い草を刈られて綺麗な土手、長塀下の長い石垣、黒下見板張の長塀約240mを東の須戸口門の高石垣、乗っかってる復元平御櫓から西方向復元馬具櫓間を坪井川沿いの散策路を長塀景観を楽しみながら歩きました、詰りは行幸橋たもとの清正公様の像を仰ぎ見ます、熊本城を護ってる様です。地震前の姿をご覧下さい。

 ちなみに馬具櫓は昭和41年再建され平成28年の熊本地震前には前の櫓を解体し古い図面を基に木造復元し続土塀、櫨方門枡形の土塀と合わせて完成一般公開前でしたが被害に遭い、次の修復復元計画の順番待ちです。
 馬具櫓の復元、櫨方門枡形土塀の復元の次は飯田丸五階櫓の北に続く百閒櫓が復元予定だったのですが、惜しまれます、地震崩壊した石垣、建物の次の次になって仕舞いました。
 末尾の投稿写真は行幸坂辺りから眺めた往時の熊本城の櫓が連なった幕末頃の写真です、このような姿を復元したいとの希望計画で進んで居ました。
 生きてる内には見れないかもしれませんが復旧修復が全体済みましたら、幕末古写真の櫓が連なった往時の姿復元を大いに期待して居ます。
 

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おっちゃん

国史跡「勝瑞城館跡」遺構配置図 (2018/01/05 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

勝賀城縄張図 (2018/01/04 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

基肄城跡概要図 (2017/12/02 訪問)

現地案内板より抜粋

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イオ

とことん江戸城(本丸) (2022/06/22 訪問)

(続き)

かつて表・中奥・大奥の御殿が建ち並んでいた本丸は、現在では芝生の広場になっています。本丸北部の天守台に向かう前にまずは南隅の富士見櫓へ。木立越しに見える程度かと思っていましたが、すぐ近くまで遊歩道が整備され、説明板も各種建てられています。裏側には破風は設けられていませんが、寛永期天守が焼失した後は天守代用とされただけあって、堂々とした佇まいの三重櫓でした。一般参観では表側から間近に見上げられるようですし、いつかは是非とも…。

本丸の西側を北に進むと、松の大廊下跡の石碑と説明板が建てられています。ここが元禄赤穂事件の発端の地なんですね。忠臣蔵ものは好きなので石碑や説明板があるだけでも想像が膨らんで嬉しいものです(元禄繚乱での勘九郎さんの内蔵助が好きでした)。

蓮池濠沿いには御休息所前多聞(富士見多聞)が現存しています。内部公開されているので入ってみると、蓮池濠越しに西の丸を見渡すことができました。一般参観、一般参賀や乾通り一般公開では西の丸側から高石垣の上に建つ姿が見られるようなので、これもいつかきっと…。

御休息所前多聞を出ると、本丸を横切って東側へ(石室を見落としてしまいました…)。本丸休憩所の南隣には寛永期天守の復元模型が展示されています。案内表示に1/30スケールと書かれてはいたものの、想像していたより遥かに巨大でびっくりしました。天守台約14mと天守約45mで高さは約59mあったとされますので、1/30だとほぼ2mになるんですね……道理ででかい訳だ。

本丸休憩所の東にある展望台(台所前三重櫓台)から二の丸と白鳥濠を見渡し、汐見坂へ。汐見坂門を抜けると急坂が二の丸へ続いており、改めて本丸と二の丸の高低差を実感させられます。これだけ高低差があるなら、かつて汐見坂から日比谷入り江が見渡せたとのいうのも頷けますね。

そしていよいよ天守台へ。遠目に見ても巨大ですが、近付くと視界に収まりきらない規模に圧倒されてしまいます。地階部分は半分以上埋め立てられて北側は展望台になっていますが、遺された部分には雁木も見られます。折しも平日のお昼過ぎで天守台には誰もいなかったので、しばし天下人気分にひたってから天守台を下り、美しく積まれた算木積みを眺めながら北桔橋門の前を素通りして梅林坂に向かいます(続く)。
 

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赤い城

来福寺 (2022/07/24 訪問)

立会川駅から徒歩で7分。
来福寺周辺が館跡であると伝わります。
遺構はありませんが高台にあり、それらしさを感じます。
来福寺は平安時代に創建された真言宗のお寺。
かつては品川の海も望めたそうです。
北条氏の家臣の梶原氏の館跡とされます。
梶原景時の館跡説もあるようですが信憑性は低いようです 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:中村御所(城びと未登録 高知県四万十市) (2022/07/23 訪問)

中村城からの転戦です。天神橋商店街駐車場(32.992744、132.934483)に駐車しました。

1468年(応仁2年)一条教房によって築かれました。
1468年(応仁2年)前関白一条教房は、応仁の乱の戦火を逃れるため一条氏の荘園であった幡多庄に下向しました。
教房は加久見城主加久見土佐守宗孝の娘を娶り生まれたのが一条房家です。この房家が実質的な土佐一条家の初代です。
戦国時代の土佐は一条氏を別格として、津野氏、大比良氏、吉良氏、本山氏、安芸氏、香宗我部氏、長宗我部氏の七人守護といわれました。

中村御所は現在の一條神社付近に築かれていたそうです。
中村御所跡の北側、一條神社境内に一条家の女官・侍女がお化粧をするために使用したと伝えられる化粧井戸が残っているそうですが、見逃してしまいました。
攻城時間は15分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:中村城 (2022/07/23 訪問)

栗本城からの転戦です。石碑付近(32.996606、132.929819)に駐車しました。
夜遅い為、中村城は開いていないので、模擬天守を外から確認しました。

築城年代は定かではないようですが、1467年(応仁元年)に勃発した応仁の乱を避け、左大臣・関白であった一条教房が、翌年、荘園であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着しました。
元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられているようです。
代替わりして一条兼定は、1558年(永禄元年)に伊予国の宇都宮豊綱の娘を娶るが、1564年(永禄7年)に離別して豊後国の大友義鎮(宗麟)の次女を娶り大友氏と結びました。
1574年(天正2年)素行が悪かった一条兼定は羽生、安並、為松の三老臣によって幽閉され、豊後に追放されました。
これにより一条氏は兼定の嫡男内政が擁立され、長宗我部元親に後見を頼み大津御所に送られた。元親は中村城主に実弟である吉良親貞を置いて幡多郡を支配させたそうです。
1575年(天正3年)一条兼定は中村に復帰を試みますが、長宗我部元親に攻められ滅亡しました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、1601年(慶長6年)山内一豊の弟康豊が20,000石で入りました。
1615年(慶長20年)の一国一城令に伴い、廃城となりました。

二の丸跡に郷土資料館として模擬天守が建てられその南に土塁・虎口が残っています。郷土資料館の開館時間には間に合いませんでしたので、二の丸跡付近のみの攻城でした。
車を駐車した付近に石垣があり、駐車した場所は堀切にあたるようです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=中村御所(城びと未登録 高知県四万十市)に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:栗本城 (2022/07/23 訪問)

宿毛城からの転戦です。排水池前(32.983429、132.916258)に駐車しました。

築城年代は定かではないようです。城主としては津島勘助、のちの鳥屋源兵衛などと云われているようです。
1575年(天正3年)豊後に逃れていた一条兼定は中村城奪還のために、伊予の法華津播磨守らの助勢を得て栗本城に要害を構えて拠点としました。
兼定と元親の軍勢は渡川(四万十川)を挟んで戦ったが兼定の軍勢は敗れ、伊予に退き奪還は果たせませんでした。

現在山頂部分には水道施設があり、大半の遺構は消滅してしまったようです。
排水池前付近に栗本城の説明板が建っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=中村城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:宿毛城 (2022/07/23 訪問)

佐賀城からの転戦です。説明板付近(32.940815、132.730286)に路駐しました。

築城時期は定かではないようですが、松田兵庫が居城としていたようです。
後に依岡伯耆守が城主となり、1575年(天正3年)長宗我部氏によって攻められ落城しました。
1601年(慶長6年)長宗我部氏に代わって山内氏が土佐に入部すると、山内一豊の甥山内可氏が6,000石で入部し改修しましたが、1615年(元和元年)一国一城令により廃城となりました。

現在は石鎚神社の境内となっており、東側の川沿いにある県道に石碑や案内板があります。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=栗本城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:佐賀城 (2022/07/23 訪問)

窪川城からの転戦です。漁協前空スペース(33.078177、133.109389)に駐車しました。
その後、観音堂避難路入口1(33.078269、133.110204)、城山避難路入口2(33.078269、133.110204)と廻り攻城しました。

築城時期は定かではないようですが、もと伊予木氏が居城としたのち、1577年(天正5年)から1601年(慶長6年)までの26年間、光富氏の居城だったそうです。

城跡は城山津波避難所のようですが、ついでに観音堂津波避難所にも行ってみました。
主郭に土佐神社が祀られている以外、遺構は見あたりませんでした。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=宿毛城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:窪川城 (2022/07/23 訪問)

久礼城からの転戦です。岩本寺駐車場(33.208474、133.134264)に駐車して説明板を確認しました。

築城年代は定かではないようです。 1500年(明応9年)相模国鎌倉から山内備後守宣澄が移住し、窪川氏を名乗り、茂串山に築城したようです。
その後、充秋、宣秋と3代続き、その間津野氏、中村一条氏に属したが、1571年(元亀2年)山内宣秋のとき長宗我部氏に仕えたそうです。
宣秋は1596年(文禄5年)文禄の役で朝鮮で討死したようです。
1600年(慶長5年)長宗我部氏の改易により、長宗我部氏の滅亡と共に廃城になりました。

登城する予定でしたが、時間が押しており説明板の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=佐賀城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征4日目:久礼城 (2022/07/23 訪問)

姫野々城からの転戦です。久礼保育所駐車場(33.3300845、133.2232504)をお借りしました。
登山道入口は久礼保育所の西側にあります。フェンスを開けて入ります。フェンス横に杖がありました。

築城年代は定かではないようです。 城主は佐竹氏で1221年(承久3年)承久の乱の時、佐竹信濃守と後藤基之が入部したことにはじまるようです。南北朝時代に城主佐竹氏は北朝方として戦ったそうです。
戦国時代に入ると中村城の一条氏に属したが、1571年(元亀2年)長宗我部氏の軍門に下り、以後久武氏等とともに転戦しました。

堀切と畝状竪堀群のオンパレードは圧巻です。堀切好きな自分は大満足です。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=窪川城に向かいます。

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マダム卑弥呼 

息子の修学旅行に合わせて

行きました。私の修学旅行。

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マダム卑弥呼 

朝倉の城

麒麟がくるでユースケさんが、強烈な印象のある朝倉義景を演じたが、それを前に一乗谷二回目。昔来た時にはなかった街並みの再現、資料館の充実さ。川の水が氾濫したおかげで一乗谷が保存されたんだとおじさんにいわれてはっとした。

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マダム卑弥呼 

柴田勝家の城

負ける気がしないいい城なのにな。20分くらいで登れます。時期によってはトイレがないです(冬)

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マダム卑弥呼 

予想以上の山城 (2022/08/11 訪問)

大きくないんだろうなと思っていたけど、風景はきれいだし、立派な建物がいっぱいあったんだろうなと思わせるほどの色々な柱の礎石?が残っていて感動した。空堀、石垣もあるし、登りやすかった。ただ、登り口が分かりにくく入り口に看板をもう一か所見えやすいところに付けてほしい。中学の校門の近くだったのに坂を上がってきたときに見えない位置に看板があるのが悲しかった。長束さんの奥様の歴史を知ってこれはもう一度墓参りだなと思った私でした。東海道は草津も行ったし、大津も知ってるし、宿場町としての歴探も面白いですね。

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マダム卑弥呼 

閉ってた (2022/08/11 訪問)

「近くに住んでる人に橋が腐って入れないで。」と言われたものの、行ってみた。。。。

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朝田 辰兵衛

コンパクトだな…と思いきや。 (2020/12/20 訪問)

コンパクトだな…と思いきや,大手門がかなり離れた位置にあり,城域の広さに納得しました。

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赤い城

谷戸運動公園 (2022/07/23 訪問)

中野駅から徒歩で10分ちょっと。
谷戸運動公園が館跡となります。
もちろん遺構は無く、少年野球用?のグラウンドでした。
堀江氏の館とされ、周囲を囲む堀は障子堀立ったそうです。
近くには堀越学園、さらにその先に堀江氏の墓がある宝仙寺があります。
ここ単独では行きにくいですが周辺を散策すると楽しいかもです。

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