尾崎城は国道158号線の東側の標高720mも丘陵地に築かれた、天然の要害ともいえる城で日本城郭大系にも記載されています。現在は公園として整備されており本丸付近まで車で行くことが出来、駐車場もかつての本丸の一部のようです。戦国期の塩屋(谷)筑前守秋貞の居城とされ永禄7年(1564)武田方の山県昌景に攻められ落城したとされています。主郭と二郭を二重の堀切で分け、東を主郭、西が二郭とされています。公園化の際に復元された物かは解りませんが、遺構は二の郭に多く残されていて周囲に土塁と堀切がめぐり、畝状の空堀群が連なっています。ちなみに二の郭には軍資金や金の鶏が埋められているという伝説があったようで、昭和のはじめに大量の明銭が出土しているようです。公園化の工事の際に何か出土したかは謎です。
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