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にのまる

天神山城(三鷹市)・かるた第一幕おつかれさまでした。

天神山城は金子氏館(島屋敷)訪問の際に通り抜けていましたが、最近説明板が設置されたという情報を得たので散歩がてら行ってきました。
築城主や築城時期はわかっていないそうですが、城であった証がこの小山の下に埋まっていると思うとそれだけで感慨深いです。
柴田勝家の孫で北ノ庄城から落ち延びた柴田勝重の墓・柴田家墓所のある春清寺、柴田勝家のものと伝わる兜塚がある勝淵神社も近く、隙間時間で歴史散歩を楽しむことができます。

遅くなりましたが100名城かるたCF、残念でしたね。9月に7セット受け取って親族・知人に配り、12月のかるた大会に向けて腕を磨く予定でいたのですが…。加藤先生の解説講座も楽しみでした。
クラウドファンディングに挑戦すること自体が英断だったのだろうと推察しますが、何と言っても“日本100名城”かるた。頂は遥か山の上、思い描いたとおりにいかないのは城めぐりと同じ。難攻不落ですね。
しかし、高い山を麓から見上げるだけではなく勇気ある一歩を踏み出した結果ですから、この挑戦は必ずや次へと繋がると信じます。
一度目でまわりきれなかったり遺構を見逃したりしたところへリベンジ登城して素敵な景色に出会えた、何度も挑戦してよかった、失敗も無駄ではなかったという経験は多くの城びとさんがお持ちのことと思います。
100名城かるたも敗北ではなくて道の途中。次の一手を期待しています!
CFの写真を見ていてひとつ気になったのが、見間違いでなければ『た』の絵札が今治城になっていたような…?違ったらごめんなさい。
応援コメントでは既に「続100名城かるた」を見据えている方がいらっしゃいました。目標を高く持つことは大切ですね!

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カズサン

水濠と鏡石-7/7 (2024/05/20 訪問)

 本丸石垣の積直し工事で内濠は水が抜かれて居り、中濠、外濠を廻った個々の写真と馬出から続く本丸枡形虎口の巨石、立派な大石の存在感が在り併せ投稿を致します。
 東門口の弘前城案内図、弘前文化センター前の津軽為信公像も終わりに投稿させて頂きます。

 青森1日目夕刻に弘前城で無事終了、長く7編に分けての投稿ご覧お付き合い頂きましてありがとうございます。

 今回の企画、東北城探訪青森2日目の飯詰城へ続きます。
  

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チェブ

箱根関所の巻き。 (2017/08/20 訪問)

朝田 辰兵衛さん、しんしんちゃんさん、アドバイスありがとうございます。参考にします。
病院にも行かずにいたので安心しました。
これから少しづつ歩ける身体になるように、時間と歩数を気にしながら行動してみます。
それからロキソニン、常備品に加えます。

続100名城の「石垣山城」から車で30分位の所に「箱根関所」があります。
江戸時代の関所が再現されていて、寸劇も観られます。
「箱根関所」では、入り鉄砲と出女を重点的に取り締まったそうです。

出女で、御用にならないようにしようと思った「箱根関所」観光でした。
、、、その前に、梅雨と猛暑で家から出られないかもしれませんがヽ(;´ω`)ノ

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カズサン

現存桝形櫓門の北門と+α-6/7 (2024/05/20 訪問)

 弘前城には現存桝形櫓門が五つあります、先に写真投稿した追手門、南内門、東門、東内門の他に北を守る四の丸の北に枡形櫓北門が在ります、またの名を亀甲門と称し大光寺城の追手門が移築されてと言われています。
 更に三の丸と四の丸の間に丘陵差が在り築城当初は賀田御門が在り賀田城(大浦城)の大手門が移築されて三の丸の北門として折れを持った桝形で厳重な護りであったそうです。
 北門から外濠を東に廻り込んで東門、弘前文化センター駐車場へ戻りました、約1時間40分の探訪でした。
 北門と賀田御門跡の写真投稿を致します。

 水濠と鏡石-7/7に続きファイナルです。
 

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小城小次郎

じっくりゆっくり建築中 (2023/12/02 訪問)

公民館として長く使われていた書院が元の位置に戻るという朗報を聞いてから結構経ったがじっくりゆっくり大事に建築中で完成はまだ当分先らしい。最後の写真は公民館時代の書院。どんな姿に生まれ変わるのか。

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しんちゃん

無印投稿  高松城 (2013/12/11 訪問)

高松城は天正16年(1588)生駒親正によって築かれ、天正18年に完成しました。現在は玉藻公園として整備されていて、周囲は水堀で囲まれており、外堀と内堀は海水で満たされ、海城の雰囲気を良く残しています。
現在は高松港の南東に位置し、周辺にはJR高松駅や高松シンボルタワーなどインフラや市の中心的な施設が海岸近くに集中しています。本丸と二の丸を繋ぐ鞘橋は刀の鞘に見立てて名前が付けられていて、屋根付き廊下橋となっており、天守台から全容を眺めることが出来ます。月見櫓、艮櫓(うしとらやぐら)、水手御門、渡櫓が重要文化財として指定されていて、月見櫓と渡櫓は日曜日に公開されているようです。また三の丸にある旧松平家高松別邸・披雲閣も重要文化財に指定されていますが一般の公開はしていないようです。

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牛若丸

名古屋観光のついでに (2024/06/09 訪問)

大垣城から車で15分ほどでした。
若い時の秀吉が築城したお城。
駐車場はありますがちょっと遠いです。天守の上からは岐阜城が見えました。
もっとも秀吉が築城した時には天守はありませんが...。

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牛若丸

名古屋観光のついでに (2024/06/09 訪問)

桑名城の次に寄りました。
復興天守とはいえよくできていました。中も見ごたえがありました。

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牛若丸

名古屋観光のついでに (2024/06/09 訪問)

九華公園が桑名城跡です。
天守台跡が残っていました。

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しんちゃん

どかんどかーん ドカン坂……◎◎◎ 愛知県常滑市 (2021/05/30 訪問)

愛知県の焼き物の二大産地といえばご存じ常滑市と瀬戸市です。常滑焼は一時期、瀬戸焼に押され江戸時代前期まで勢いが衰えたのですが、尾張藩の支配下で勢いを取り戻しました。650~100万年前に存在した東海湖の底に堆積した鉄分を多く含む良質な粘土を使用しており、大きな壺や甕を製作するのに適していたようです。江戸時代後期(天保年間)に連房式登窯が導入され、効率よく土管、甕、朱泥茶器などを生産できるようになりました。瀬戸物と同じく猿投窯の系譜とされ、釉薬を用いない「焼締」による焼き物が特徴です。
また六古窯の一つに数えられ、日本遺産になっています。

土管坂は常滑市を代表する観光地「やきもの散歩道」の中にあります。海外でも有名らしく台湾人とみられる観光客が「タ~イワン」と言いながら記念写真を撮っていました。壁を覆い尽くしているのは明治時代の土管と昭和初期の焼酎瓶で坂道には「ケサワ」と呼ばれる土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材(焼台)が敷き詰められ、滑り止めになっています。
写真のでかい招き猫は とこなめ見守り猫「とこにゃん」です。幅6.3mあり、日本一巨大と言われています。とこなめ招き猫通りの南側、陸橋の脇に据えられ、やきもの散歩道の入り口で観光客を出迎えてくれます。

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牛若丸

餃子を食べに行ったついでに (2024/04/08 訪問)

宇都宮ライトレールの飛山城駅から歩いて20分ぐらいです。駅からは歩くしかありませんでした。
土塁などの遺構が残っていました。
歴史館や本丸跡には定休日には入れませんので注意が必要です。
車は停められます。

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しんちゃん

常滑城  天下人と焼き物 (2024/06/08 訪問)

常滑城は緒川・刈谷水野家の分家、常滑水野(監物)家の城で、水野監物忠綱によって築かれたとされています。戦国期の産業としての焼き物の需要は高く、織田氏の経済力の源にもなっていたようです。徳川家康の叔父・水野信元のころには知多半島一帯に水野家の勢力が伸び、長篠の合戦のころには信元は24万石の所領を得ていたようです。尾張圏内で徳川に近い、水野氏が力を増したのが脅威になったのかは不明ですが、天正2年(1575)信長は瀬戸焼のブランド力を強化し販路としての街道の整備に力を注ぎます。しかも、翌年の天正3年(1576)信長の命を受けた徳川家康によって信元が大樹寺で殺されてしまいます。常滑水野氏と常滑焼には逆風が吹き続けている感じで、常滑焼は安土桃山時代から江戸時代初期まで一時衰退してしまったようです。
そうした経緯があってか信元の娘婿で常滑城主・水野守次は本能寺の変に際して明智光秀に味方し、常滑城を退去させられています。後に織田信雄の家老・岡部重孝が入りますが、豊臣秀吉に通じたとして重孝は信雄によって殺されてしまいます。その後、徳川家康の家臣・高木広正が信雄より常滑郷に500貫文を与えられますが、家康の関東移封に伴い関東に移り、常滑城は廃城になったようです。
正法寺のある丘陵が城址と見られ、正法寺の南の小公園に城址碑が立っており、近くまでソーラーが迫ってきています。

織田信長にとって焼き物は財力の源であり、家来に与える褒美であり、また趣味の一環としても欠かせない重要な存在であったようです。

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朝田 辰兵衛

チェブさんへ~もう数ヶ月待ちましょう…~ (2024/04/02 訪問)

かわいいのが生えてきているようですね。その子を大切になさってください。個人差があるかと思いますが,もう数ヶ月待ちましょう。回復後は,6時間超の歩き続けというのは控えて,せいぜい2~3時間(2~2.5万歩程度)で切り上げるようにしたらどうでしょうか…?
トレッキングシューズも徐々に足になじませるようにしないと,身体の不調に影響を及ぼす可能性があります。

さて,鮎貝城ですが,土塁奥の水堀見落とし注意です。鮎貝八幡宮本殿は,明治31年に鮎貝城本丸跡に移転したとパネルに表記されていました。

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WEST

鶴ヶ岡城探訪 (2024/06/06 訪問)

鶴ヶ岡城を訪問しました。現在のお城は、酒井氏が入封した江戸時代の姿とのことです。なお、この酒井氏は、あの徳川四天王の酒井忠次を祖とします。
JR鶴岡駅から自動車でアクセスしました。お城の周囲は鶴岡公園となっており、無料の駐車場が数か所ありますので、アクセスし易いお城と思います。
(なお、前日に村上駅からJR羽越本線で鶴岡駅に来ましたが、ICカードSuicaが使用できませんので注意です)
このお城の本丸跡には庄内神社が鎮座し、まずは参拝してからの散策です。本丸を囲むように水堀と土塁が巡らしてあり、平城のイメージそのものです。
また、二の丸跡には藩校の致道館、明治時代の致道博物館がありますので、見学をお勧めします。訪問時、致道博物館では「大名酒井家の名宝 国宝展示」が開催され、数々の貴重な国宝、重要文化財を見ることができました。

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WEST

村上城探訪 (2024/06/05 訪問)

村上城を訪問しました。このお城は臥牛山を中心とした平山城で、室町時代に本庄氏が築城したのですが、現在の本丸、二の丸の姿は越前松平氏とのことだそうです。
アクセスはJR村上駅前からにて、新潟交通観光バス 道の駅関川行のバスに乗り、二ノ町バス停で降り、向かいました。(このバスの本数は少なく、たまたま接続がうまくいきました)
途中に東北電力村上電力センターに寄り、パンフレットを入手して登城しました。なお、センター内では村上城の簡単な展示があります。
登城口から七曲りの階段を15分程度登れば石垣が見えてきます。建物の遺構はありませんが、見どころは、総延長が1kmを超える石垣です。東日本では珍しいとのこと。石垣ファンにはワクワクしますね。
また、本丸からの眺望も素晴らしく、平山城の魅力です。
登城後は城下町を散策するのも良いと思います。歴史的な建造物や街並みを見ることができます。なお、村上市は皇后陛下雅子様のゆかりの地であり、まいづる公園にある旧嵩岡家の住宅は、雅子様の曾祖父が住んでいたとのことです。

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WEST

新発田城探訪 (2024/06/05 訪問)

新発田城を訪問しました。JR白新線 新発田駅から徒歩20分程度ですので、アクセスし易いです。
このお城は戦国時代に入封した溝口氏の居城とのこと。残念ながら、明治時代の廃城令により、多くの建物が取り壊されました。しかし、表門と旧二の丸隅櫓は当時の建物として残されています。貴重です。
また、本丸、二の丸の半分は陸上自衛隊が駐屯しており、立入ができません。
見どころは、前述の表門と旧二の丸隅櫓及び復元された三階櫓と辰巳櫓の建物群、それに石垣でしょう。特に三階櫓は屋根の棟がT字型で非常に珍しいものです。自衛隊の敷地内にある三階櫓を除いて建物内部の見学ができるのも魅力ですね。
今後、三階櫓も限定日を設けていただいて見学できるといいですね。
なお、赤穂浪士の堀部安兵衛の生誕地が新発田とのこと、城内には銅像が設置されています。

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カズサン

現存桝形櫓門の東門と東内門-5/7 (2024/05/20 訪問)

 弘前文化センターに車を駐めて弘前城への登城口が三の丸東に在る東櫓門枡形を潜り三の丸内へ西に進み中濠に架かる弘前城唯一の石橋、渡って二の丸桝形東内門を潜り二の丸へ、本丸へと繋がります。
 弘前城に残る五つの桝形櫓門の内、東門と東内門、石橋の写真投稿を致します。

 現存桝形櫓門の北門と+αに続きます。
 

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カズサン

現存桝形櫓門の追手門と南内門-4/7 (2024/05/20 訪問)

 本丸を終えて二の丸南内門、未申櫓、辰巳櫓を中濠越しに撮影し三の丸追手門を見学撮影、弘前城には現存の桝形櫓門が健在です、南の三の丸に追手門桝形、二の丸の南に南内門桝形、先に登城入口の東の三の丸に東門桝形、二の丸の東に東内門桝形、北の四の丸に北門桝形またの名を亀甲門桝形と五つの桝形を備えた現存櫓門が有ります、国内でも稀な現存桝形櫓門の残りを誇っています。
 先ずは追手門と南内門の写真投稿致します。

 現存桝形櫓門の東門と東内門に続きます。
 

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零汰

閑話:砂利道7選+α

チャシが7か所続いて少々飽きてきそうでしたので目線を変えて一旦休憩

城の訪問時を除きバイクで出かける際に砂利道に出くわすと迂回して走行します。普段は道路工事中の砂利道を渋々走行する程度でしょうか。この2週間余りに城跡に訪れたり絶景を求めていたので過去数年分の砂利道を走り抜けました。そこで色んな意味で記憶に残る砂利道を書き出してみたいと思います。〇印が城跡関係です。

※この投稿は北海道並びに関係自治体や所有者に対してのバッシングではありません。歩いていく(熊の脅威は別として)、車で行くなど危険を回避すれば良い話です。バイクで行ったが故のいわば副産物の投稿です。零汰の戯れ程度とお考え下さい。

〇、ユクエピラチャシ訪問時の道道143号線・・・峠超えの山間部をぬうクネクネした砂利道です。別ルートを利用すれば問題ありません。
〇、桜丘チャシに至る砂利道・・・ここを訪れる場合は必ず通る1km程の砂利道。訪問時は道路工事終了直前の様子で砂利が深かったですが、体力のある時期に訪れたので少々苦労した程度です。
〇、鶴沼チャシに至る砂利道・・・ここも必ず通る道、坂道カーブがあるので出来れば避けたいところです。別の砂利道で迷いこんだので3km程度走る事となりました。写真1
〇、茂別館に至る砂利道・・・境内まで砂利道で行く事が出来ますが、坂道カーブそして砂利が大きいです。後半戦で疲弊の出始めていた頃で難儀しました。
・、コッタロ湿原と釧路湿原を繋ぐ砂利道・・・とにかく景色は抜群です。湿原を歩いて眺める場所は幾つもありますが、車窓から眺める事が出来るのはここだけではないでしょうか。深砂利部分が所々ありチラ見程度しか出来ませんでした。5km程度の長さでしたが、舗装すると人が殺到してしまうかもしれないので舗装を避けているのかもしれません。
・、十勝牧場白樺並木と展望台に至る砂利道・・・並木道を舗装してラインを引いた風景を想像すると味気なくなります。現状維持が良いと思います。展望台に向かう途中で挫折しました。深砂利+登りだったからです。写真3
・、礼文林道・・・8km弱の砂利、土混じりの林道です。絶景を見たくて無理をして走行して転倒した場所です。これは全て自身の責任で私が悪いです。想像通り絶景でした、緑の時期だったらもっと良かった事でしょう。写真4.5

番外、志苔館入口・・・勢いよく入り込んで身動きが取れなくなった場所です。道路に出すのを苦労しました。こちらの入口は車でも苦労しそうです。写真2
番外、白い道・・・宗谷丘陵にある最近観光客の増加した場所です。砂利ではなく帆立貝を粉砕して撒いていて景観は良いです。道に浮いた砂や小砂利と変わらず滑るので気にしながらの走行となりました。

くだらない与太話でした。いずれ小ネタが溜まったら息抜きに城に絡めて投稿する事があるかもしれません。

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しんちゃん

一回も展望台に入れていない。 (2024/06/08 訪問)

大草城には2013年と2021年と三回来ています。なんとなく展望台に登ったような気がするのですが、古い写真を見ると、一回も登ってない。そうだったのか‥。現状、変な城型オブジェです。そういえば、本丸と二の丸の草も荒れてきている気がする。
展望台が整備されて、草をキレイに刈ると良い公園になるんだけど、ちょっともったいないですね。
大草城は本能寺の変の後、織田長益(有楽斎)によって築かれたとされています。江戸時代は尾張藩によって城址が保存されていたので江戸末期まで堀や土塁が良好に残っていたようです。現在残っている遺構が当時のものかはわかりませんが、そうだと思ったほうが、訪問時のテンションは高いです。

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