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おっちゃん

川之江城跡案内図 (2018/01/03 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

鹿児島(鶴丸)城館想定再現図-江戸時代後期- (2017/11/03 訪問)

現地案内板より抜粋

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T-Shionoya

先祖が幕末を迎えた館林城 (2022/08/14 訪問)

今年の夏休みは群馬県館林市の館林城へ。

東と南を城沼に守られた邑楽館林台地東端のいわゆる舌状台地を城郭とした館林城。
忍と佐野を結ぶ日光脇往還の利根川と渡良瀬川に挟まれたポイントで、家康が東北への抑えとして重要視した模様。

残っている記録では室町後期に上野赤井氏が居住しており、家康が江戸に入ると徳川四天王の榊原氏を配置。城は近代城郭に改修され、徳川綱吉が城主になると本丸西に三階櫓を建設。その後しばらくの廃城期間を経て越智松平氏が修築し、秋元氏の時代に明治を迎えました。

現在は土塁が点在するものの、堀は埋められ公共施設や科学館が建つ城感の薄い城跡。
土橋門が復元された三の丸西部のみが城の雰囲気を残すエリアで、その桝形を形成する目隠しの土塁が蔀土居と呼ばれている模様。秋元氏時代の絵図を見ると二の丸の門も同じタイプで、本丸の門には異なるタイプの仕掛けが見られます。

訪問時は、まず三の丸から八幡郭までを1周し、続いて大手門跡や総郭の土塁跡へ。この時期、加法師口付近の土塁はヤブ化していたものの、下戸張口寄りの土塁跡(?)は明瞭。
そして秋元氏時代の館林城絵図を確認するため、館林市第一資料館へ。先祖が秋元大名の馬廻衆だったと聞いており、屋敷の名前を確認していくと、見難いものの総郭加法師口の外に私と同じ名字を発見。ここに先祖もしくは親戚が住んでいたのかな?
こんな館林城訪問が私の城巡りの130城目でした。

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おっちゃん

城山周辺案内図 (2017/04/22 訪問)

現地案内板より抜粋

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朝田 辰兵衛

冬場が散策しやすいと思います。 (2019/12/21 訪問)

冬場が散策しやすいと思います。運が良ければ富士山を眺望できるようですが,私は朝駆けでチャレンジするも,運が悪かったです…。

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スティクラ

2度目の犬山城へ (2022/08/11 訪問)

2度目の犬山城へ。

今回は天守だけでなく、外側からの城の景色も目的。

人が多く天守まで階段で待ちがあり、少し時間がかかった。
階段はかなり急なので、足が悪い人はきついかもしれない。
天守にあがると風があり、かなり気持ちいいのでぜひ体験してほしい。

天守をみてまわった後、一番の目的である外側から犬山城を眺めることに。
木曽川からの眺めをホントに素晴らしい。
木曽川の対岸に回って一周するのに1時間近くかかるが、見る角度によって犬山城の魅力が変わってくる。
犬山城に行く計画がある人は、大目に時間を取って木曽川からの眺めをみてもらいたい。

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赤い城

石碑の後ろに (2022/07/30 訪問)

周囲は住宅地と農耕地になっています。
柵で保護された中に石碑が立っていました。
訪問時は草も刈ってあり、見やすかったです。
石碑の背後に堀跡、西側に土塁が僅かに残っています。
単郭の城だったようですが周囲は湿地で水城として要害性は高かったようです。

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スティクラ

のぼりが多すぎる小里城へ (2022/08/11 訪問)

それまで知らなかったが、岩村城へ向かう前に見つけたので、岩村城にいった後に訪城。

駐車場は看板が小さくわかりにくいが、登山口の道路の反対側にあり。

遺構は入口近くの大手門跡の石垣と頂上の天守跡の石垣を中心。
登り時間は30分くらいだが、勾配が結構あり平坦な場所が少ないので、かなり体力を奪われた。

天守がある頂上は石垣が石積みが残っているが、それ以上にのぼりが多く、瑞浪市か稲津町かは知らないが、押しが凄かった。

頂上からの景色は木に覆われているため、頂上からの景色を期待することはできない。道中に一か所だけ。

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ぎりょう

模擬天主が建つテーマパーク (2022/08/14 訪問)

由利本荘市の二ヵ所目は亀田城に。本荘城址から日本海東北自動車道を秋田方面へ、松ヶ崎亀田IC経由で19km、23分ほど。
ここは戦国時代は由利十二頭の赤尾津氏が拠った地。最上氏が由利郡を領有するにあたりその臣楯岡氏が配され赤尾津城に入るが、その後、支配の拠点は本荘城に。最上氏改易の後、本多氏を経て、由利郡は亀田・本荘・仁賀保・矢島の四藩に分割され、亀田には信濃川中島より岩城修理大夫吉隆が20、000石で入部すると、吉隆はかつての赤尾津城の麓に亀田陣屋を築いた。元和9年(1623)の事である。その後岩城氏は13代続くが、嘉永5年(1852)8代隆喜(たかひろ)のとき、善政を認められ城主格となり亀田城と呼ばれるようになったと云う。慶応4年(1868)の戊辰戦争にあっては、当初は奥羽越列藩同盟に加盟するも久保田藩が新政府軍側に付くと亀田藩も列藩同盟を離脱する。しかし列藩同盟側の庄内藩勢が矢島藩・本荘藩を攻めると、一転して庄内藩側に組みしたため、久保田藩勢に攻められ焼失したと云う。
富原文庫蔵の陸軍省城絵図には「旧亀田県城郭之図」として明治五年時点の姿が描かれている。東西百五間南北百間とあり、本丸・二ノ丸ともに建物は焼失したためか描かれていないが、本丸と二ノ丸の土塁、水掘、大手外舛形と喰違虎口三ヵ所がしっかりと残されており、かつての堅固さを偲ぶことができる。
現在城址周辺は、史跡保存伝承の里「天鷺村」として美術館や藩政時代の士農工商の建築物、石垣と櫓門、模擬天主が並ぶテーマパークとなっている。


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諏訪原城 (2022/08/07 訪問)

続日本百名城

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駿府城 (2022/08/07 訪問)

日本百名城

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古宮城 (2022/07/30 訪問)

続日本名城

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スティクラ

六段壁が見事な岩村城へ (2022/08/11 訪問)

六段壁を見るために岩村城へ。

岩村歴史資料館の駐車場から六段壁に向かう。

登り道は、整備はされていて道に迷うことはないが、石畳が結構でこぼこしているので、運動靴は必須。
特に雨などで足元が濡れている場合は、滑りやすいので注意が必要と感じた。
頂上に近い場所まで車で上がれるため、六段壁だけ見たい人はその駐車場を利用するのもあり。
駐車場までの道は狭いが、駐車場は広くトイレもしっかりとある。

その日は35℃前後だったが、標高が高いせいか登っている時はそれほど暑くはなかった。
登り時間は、40分前後。
六段壁ももちろん素晴らしいが、六段壁までの途中でも遺構が結構残っていて、城のつくりやどのように防衛していたかを想像しながら登ることができた。

岩村城は四季折々の景色が素晴らしいらしいので、次回は冬の雪景色の時に訪問したい。

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ぎりょう

出羽国府と推定される古代城柵 (2022/08/14 訪問)

ここは山形県庄内地方の北部に位置する古代城柵跡。奈良時代末に造営された出羽国府所在地の有力候補地と云う。
昨年はここから2kmほど離れた新田目城(国府留守職の居城)を訪問した際は時間がとれずパスしていた。昭和6年(1931)の発掘調査により、一辺約720mの方形を成し、外郭の門や櫓の存在が確認されたと云う。現在は保存事業により東門・政庁南門・築地塀などが復元され往時の面影を伝えている。鳥海山をはるかに望むこの地が早くから開けた場所であったのだろうか。
駐車場表示は無いが、復元東門と柵跡の標柱の前側通路が南門側まで伸びており駐車スペースは充分。

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スティクラ

最上義光歴史館と合わせて訪城 (2022/07/31 訪問)

山形城は霞城公園内にあるが、公園がしっかり整備されていて、地元の人達がゆっくりできる場所になっていた印象。

二ノ丸は期間限定で解放していたが、地元の展示室のような感じだった。
訪れた7月31日は猛暑でだったため、ざっと見て退散。

本丸一文字門の石垣の発掘と復元、本丸御殿の発掘と復元を目指しているらしい。
一文字門の石垣は、見事で見る価値は十分あり。

本丸御殿が復元されたら、再度訪問したくなる場所だった。

山形城に行った後、最上義光歴史館を訪問。
最上義光は、大河ドラマの「独眼竜政宗」のイメージしかなかったので、最上義光について良く知ることができた。
地方の歴史館は、がっかりすることが多いが、山形城の歴史の知識がなかったこともあって、この歴史館は面白かった。

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はなじろー

石積みが立派 (2022/05/01 訪問)

林大城の後に続けて訪問しました。
土塁と石積みが立派です。
帰りは廣澤寺側に下りましたが、途中の松林がマツクイムシのせいか立ち枯れしていました。
廣澤寺に至るアプローチは雰囲気があります。

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はなじろー

大城・小城を廻るのがオススメ (2022/05/01 訪問)

林小城とともに訪問しました。
松本駅からタクシーで登り口のある金華橋まで向かい、そこから大城、小城、廣澤寺と巡りました。
遺構が残っていて見どころが多いです。大城から谷の集落を経て、小城に向かうと地形を感じることができ、楽しめます。
小城のエリアに出入りする際は、鹿柵を閉めることを忘れずに。

近くの大久保醸造店のダシはとてもおいしいです!

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橋吉

今回は (2022/08/09 訪問)

続日本100名城ツーリング、脇本城の後に秋田城を訪問する予定でした。
ただ、この日の天気予報は雨。しかも、日本海より次々と雨雲が同じ場所に流れ込む線状降水帯が発生し、災害が発生してもおかしくない大雨になるというものです。

奇跡的に脇本城では降られずに済みましたが、このままでは雨雲にとらわれるのは時間の問題だと思われ、早めに県境を越えて山形に逃げ込むのが賢明であると判断しました。

秋田城は、6年前に日本100名城スタンプラリーツーリングのついでに一度訪れたことがあるので、今回は城跡の見学はパスして、続日本100名城スタンプだけ押すことにしました。

けっきょく、展示とVTRも見ちゃいましたけどね。

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カズサン

宇和島真珠が目的の二度目登城 (2005/08/07 訪問)

 木造復元天守閣大洲城登城目当ての四国旅、今回はしまなみ海道を使い四国入り、家内の要望で生口島の平山郁夫美術館、西の日光耕三寺に寄り、大三島の大山祗神社、同宝物館で義経の鎧を参拝見学、今治城を横目に高速に入り、宿泊先の宇和島へ、宿泊ホテルで情報を聞き込み、鯛めしとじゃこ天の晩酌夕食、夕食後家内の目的である宇和島真珠宝飾店を探し購入、宇和島は養殖真珠の産地で伊勢をしのぐとか?

 登城は翌日朝食後から、初登城は20代の初めで50数年前です、今回二度目は17年前の平成17年8月上旬、宇和島城天守閣にも登り、伊達博物館も見学し約3時間の探訪。
 大洲に向かう途中、その当時高速は宇和島には未開通でしたので地道沿いに吉田陣屋が在ったので寄り探訪。

 サブのコンパクトデジカメに残っていた数少ない写真を投稿します。
 天守閣、本丸石垣と天守閣、眺望、移築長屋門(旧藩老桑折氏武家長屋門)です。
  

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刑部

三密を避けながら城址巡り (2022/08/16 訪問)

城址は正慧寺の境内となっています、「小篠塚城址園」

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