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しんちゃん

主郭西の五連続堀切が見事 (2023/11/11 訪問)

駒場城は阿智公園として整備が進んでいます。今でも多くの工事関係者の方が来ていて木々を伐採しているようです。主郭に立つ大きな松の木も、いずれ伐採されるようで、少し勿体ないようですが痛みが進んでいるようでやむを得ないみたいです。城址まで林道が続いていますが轍の跡がすこし深いので、通常の車であれば底をすってしまいます。四駆車であれば、何の問題も無いと思いますが、できればこちらの方も整備してくれると有り難いです。駐車場から西に向かって進むと東屋のある郭があって、その西に主郭があります。見所はさらに西にあって大小5つの堀切が続いていて、見るものを楽しませてくれます。駐車場の東にも城域があり東の郭には社が奉ってあり、東には堀切が残っています。

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しんちゃん

長岳寺 武田信玄公供養塔(灰塚) (2023/11/11 訪問)

長岳寺は長野県阿知村駒場馬場にある寺で武田信玄公の灰塚供養塔が建ち、武田信玄の最期の地とされています。当時は信玄公は輿に乗って移動していたので体調を崩し(負傷して)死亡が確認されたのがこの周辺とされているようです。長岳寺に秘かに運び込まれ、近くの山中で火葬され、遺灰を納めた供養塔が建立されたとされています。遺灰が収められているのであれば立派な墓とも言えるのではないでしょうか。拝観料を納めれば貴重な仏像や高名な画家の描いた襖絵を拝観することが出来ます。

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しんちゃん

伝説の蛤石が鎮座。目立った遺構は無いが容姿の美しい城。 (2023/11/05 訪問)

古川城は古川氏によって築かれたとされ、一時期三木氏の手にあったようです。三木自綱を討った金森長近によって養子の可重が入りますが、長近が蛤模様の奇妙な石を見て、かつての古川城から名を蛤城(古川城の別名)に改めたとされています。県道471号線を北上して吉城コンボという採石場らしき施設のある道を左折して西側へ登っていくと古川城の登城道の標柱が見えてきます。登城道を進んでいくと出丸らしき郭があり、そこから東側の郭に続く道があるので進むと蛤石のある郭にたどり着きます。かつては野ざらしだったようですが、今では大切に祠のような建物に囲まれています。郭の南東側には内枡形虎口という虎口が残り、かつては石垣で補強されていたようです。主郭へ通じる道の周辺にも石垣の跡があり、主郭周辺の側面全体に石垣の跡らしき石が散らばっています。主郭には土塁が残り、浅いですが周囲には竪堀が残っているようですが、全体的に遺構はあまり残っていません。土塁や堀切は少ないのですが郭や山容が山城らしい美しさを持った城だと感じました。

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刑部

福山城 (2023/10/08 訪問)

やっと来ました福山城、旧幕府軍に数時間でおとされたとは思えない縄張り。しっかり整備された城址です桜の時期に来れたら良かったのですがここまで来るのになかなか時間が取れずやっとここに!感動。
探索の後はやはりグルメ、マグロを食べに!

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いんげん丸虫

大平城 (おおだいら) 岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

標高525mの山城です。
岩場を伴った32m x 13mの主郭を中心に
東に2段、西に大きな2段の曲輪があります。
曲輪の段差が10m位ありますね。
しっかりした遺構で見応えがあります。
東の曲輪は杉の丸太で柵のように囲って整備
されてます。戦国当時の状況が想像できて
とても良い整備の方法だと思います。
登城口には看板があり、その付近に路駐も
可能です。

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かつじ

桜の名所 (2019/04/30 訪問)

多くのお城は桜が植えられていますが、ここ五稜郭も桜の名所として知られています。
写真は4年前の4月30日。今年は5月に入る頃には散ってしまったようで、年々、見ごろが早くなっているのかもしれません。
車で行く場合は観光駐車場が便利ですが、桜の時期は早朝に行かないと渋滞します。

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シェル

東京文化財ウィーク2023の一般公開 (2023/11/03 訪問)

西武池袋線 石神井公園駅南口から徒歩20分
(石神井公園内の西側のエリアが石神井城跡のため、公園の中の移動でけっこう時間がかかりました)
三宝寺池にかかる橋を渡ると、正面の階段手前に石神井城の案内板、左手に石神井城址碑があります。
橋の正面の階段を登ると、左側のフェンスの奥に主郭跡があります。
普段は、主郭内は立ち入り禁止ですが、東京文化財ウィーク2023という企画で、期間限定で主郭内に入ることができました。
入口を入ると、すぐ空堀と土塁を見ることができます。
主郭内でも立ち入れるのは一部でしたが、あちこちに遺構の説明や発掘調査の内容が書かれたパネルが展示されていました。また一部ではありましたが、土塁の上を歩くこともできました。

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駿府城

「駿府おさんぽスマホdeスタンプラリー」を開催しています!

スマホ片手に静岡市の家康公ゆかりの場所やお店を巡る「駿府おさんぽスマホdeスタンプラリー」を開催しています。開催期間は2024年1月28日(日)までです。

まずは下記QRコードからエントリー!登録完了するとスタンプラリーに参加できます。

GPSを利用してラリーポイントを訪れると、名所や名店を紹介する音声ガイドが自動で流れます。音声ガイドを最後まで聴くとスタンプが貯まります。集めたスタンプは賞品に応募できます。
詳細は下記チラシをご覧ください。

発掘調査現場内に併設されている「発掘情報館きゃっしる」もラリーポイントになっています。

発掘調査現場の音声ガイドは、きゃっしるに駐在している文化財サポーターが担当しています!
発掘調査の成果や発掘調査現場の見どころなどを紹介していますので、ぜひ発掘調査現場で聴いてみてください!

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トク

79【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (根白坂(1/2) 島津VS豊臣:決戦の地) (2023/11/05 訪問)

高城から念願の根白坂まで歩きます(いざ出陣!)。

高城川(現:小丸川)を渡り坂の入口に着きました。このあたりが高城川合戦の地で、島津の釣り野伏せにあった大友軍の将兵が多く討死した場所です。その供養でしょうか? 無名の塚や神社がありました(写真①②③)。

ここから坂を登ります。意外とトラックが突然来るので、注意して登ります。坂というよりここははっきり言って山ですね。標高差は麓から200m以上はありそうです(写真④)。傾斜も急で結構きついです。当時は今のような舗装された道などないので、昔の人は獣道や崖を鎧を着て槍や鉄砲をかついだまま、よくまあ登ったものだと感心します。

途中で急に開けた場所がありました。ここからさっきまでいた高城が見えました(写真⑤)。わかりにくいと思うので拡大した望遠写真です(写真⑥)。畝状竪堀や温泉館や秀長陣跡も見えました。左には小早川隆景の陣もあり、写真には映っていませんが右側手前には黒田官兵衛や藤堂高虎の陣もありました。総勢8万の軍勢が高城を取り囲んでいる姿は、いったいどんな光景だったのでしょうか? そして義弘には、助けに行こうとしている山田有信が守るあの高城がここから見えたのでしょうか?

そしていよいよ根白坂の頂上へ着きました。ここまで高城から2時間もかかりました(ああ汗が止まらない、登り坂はきつくだんだんと足にくる)。ここには根白坂に関する看板が立っていました(フムフム・・なるほど🤔)。なぜ島津は豊臣に敗れてしまったのでしょうか? ここでヒントが少し見えてきました(写真⑦⑧)。

実際に合戦が行われたのは、ここから反対側の南へ下った場所です。では今から、その理由を探りに、今度は南へ下ります。( (2/2)へ続く)
 

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イオ

とことん駿府城(二ノ丸堀) (2023/08/06 訪問)

(続き)

四足御門を抜けて北に進むと、水堀越しに端正な坤櫓が目に飛び込んできます。いつか再訪するぞ…。中堀にあたる二ノ丸堀はごく一部に改変はあるものの完存していますので、南西隅に設けられた駿府古絵図の石碑を起点として時計回りに堀めぐりスタートです。

病院、税務署、裁判所が建ち並ぶ三ノ丸を堀沿いに北に向かい、西門橋を渡ると清水御門です。往時の木橋や門、枡形石垣は失われていますが、発掘調査地のフェンスに設けられた窓から発掘された石垣を見ることができました。二ノ丸堀北西隅で東に折れると北御門に至ります。門や門内部の枡形は失われているものの、高麗門跡の石垣は遺っています。北東隅で南に折れてしばらく進むと、対岸に二ノ丸水門が見えました。ここから本丸堀まで二ノ丸水路が続いているんですね。

東御門を過ぎ、巽櫓で西に折れたところには府中 弥次喜多像が建てられています。弥次さん喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」の名前くらいは知っていましたが、作者の十返舎一九が駿府の出身(喜多さんは江尻出身の設定)だったとは知りませんでした。二ノ丸堀南辺を西に進み、二之丸橋を過ぎたところに二ノ丸御門跡の説明板があり、対岸の石垣を見てみると、なるほど確かにかつての門をふさいだ痕跡が見られます。そのつもりで見なければ見落としたかもしれませんが、明らかに積まれた石の大きさが違いますね。往時はここに木橋が架かり、昨日見学した枡形へと続いていた、と。

そして坤櫓で二ノ丸堀をひとめぐり。三ノ丸堀に比べて走行距離は3分の2くらいでしょうか。さて、いったん宿に戻ってチェックアウトすると、いよいよ念願の天守台発掘調査現場に向かいます(続く)。

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todo94

洲本市ホームページ (2023/10/29 訪問)

洲本城のほど近くですので一度は攻城を試みたことはあるのですが、果たせずにいました。とある煩悩の登城目録さんの投稿の通り、炬口北交差点の近くの戎神社(事代主神社)から登城できます。洲本市ホームページに炬口城への行き方が載っていました。
https://www.city.sumoto.lg.jp/uploaded/attachment/8815.pdf
洲本市、グッジョブです。登城路の途中、桝形虎口らしき遺構がありました。主郭より、見ごたえあるかも。

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ペドロ

名古屋城外堀を初めて巡りました。 (2023/04/22 訪問)

 天下の名城名古屋城、過去5回ほど訪れましたが、外堀を巡るのは初めてでした。外堀に老木1本を発見、倒れないよう支えられていますが、何故、この木だけが1本残ったのでしょう。理由がありそうで調べてみる価値はありそうです。
外堀からの石垣は天下普請たる威容を誇っており、櫓や塀があった往時の姿が壮観だったろうなと思います。
勿論天守や現存櫓も素晴らしいですが、今回は視線を変えて外から城をクローズアップしてみました。

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chiroru

城主気分で旧城下町を見渡せます (2023/11/12 訪問)

ロープウェイ駅に置いてある「八幡山山頂ガイド」に豊臣秀次公がタイトルコールをしてくださっています。

絵図を片手に、色づく紅葉のトンネルを通ってるみたい。

真近で見る野面積の石垣には、「わー」って声が出てしまうほど、残っていることにお手入れしてくださっている

「八幡山の景観を良くする会」の皆様に感謝です。

西の丸から東側を見れば、安土城や観音寺城も目にすることができて、近江にいるんですって実感しました。

近江ちゃんぽんも旅のお供におすすめです。

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ぴーかる

丹波亀山城 (2023/10/21 訪問)

【亀山城】
<駐車場他>大本みろく会館前駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀
<感想>丹波亀山城の築城は1578年に明智光秀によって築城されました。江戸時代には天下普請で藤堂高虎によって大改修を行って五重の層塔型天守が建てられます。明治に新宗教「大本」の指導者が荒廃していた城を購入し整備しますが明治政府から弾圧を受け城跡が爆破されます。現在見られる城跡の石垣は復元された箇所も多いそうです。
 会館内の受付で初穂料300円で城跡内を散策できます。城跡内は非常に美しく整備されており、当時の縄張りの雰囲気を良く感じ取ることが出来ます。大本万祥殿のある曲輪と北古世の曲輪との堀切石垣は美しく復元されており、刻印のある石も見られます。本丸南面の高石垣も見事で上方部は復元されているようですが見応えがあります。本丸南面の空堀は深さがあり、見られる細かい石の石積みは当時のものかとも思われます。1時間程度ゆっくり気持ちよく散策でき記憶に残る城跡でした。市立千代川小学校の校門に現存移築長屋門が残されているのでそこも見に行きました。

<満足度>◆◆◇

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こげら

秋の唐沢山城跡 (2023/11/13 訪問)

藤原秀郷が築いたとの伝承のある唐沢山城跡を訪れました。
秋日和のなか、愛犬とともに城攻めです。
北関東の山並みと関東平野の境にあるこの城は、広大な関東平野が臨める絶妙な場所にあり、関東の山城には珍しく立派な石垣も見ることができました。

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WEST

吉田郡山城探訪 (2023/11/09 訪問)

郡山城を訪問しました。広島からの公共交通機関でのアクセスはバスが便利ですが、最寄りのバス停まで1時間30分程度かかります。
ここは毛利元就の本拠地であり、あの有名な「三矢の訓え」、「百万一心」等の石碑があり、登城途中に見ることができます。
山城ですので、登りは本丸まで30分程度かかりますが、歩行路は整備されており歩き易かった思います。
廃城となったために石垣が破壊されており、バラバラになった石垣を見ると寂しさを感じますね。
郡山城には270もの曲輪があると聞いていましたが、いろいろ回っていると時間があっといまに過ぎてしまいました。日中での帰りのバスは1時間に1本ですので注意が必要です。
行きは気が付きませんでしたが、登城後に帰りのバス停から山を見ると、毛利家の家紋がはっきりと見えます。

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WEST

岩国城探訪 (2023/11/08 訪問)

山口県最初のお城訪問にて、岩国城に行きました。岩国城は横山山頂に築かれ、岩国駅からバスを降りた錦帯橋から良く見え、山城らしさが実感されます。山城とはいえ、岩国城がある山頂まではロープウェイで行けるため、無理なくアクセスできます。
天守の中は刀剣が数多く展示してあり、刀剣が好きな方にも楽しいお城かと思います。
麓には香川家長屋門、旧目加田家住宅など往時を偲ぶ建物もあり、登城後に散策するには良いでしょう。
また、麓にはあの佐々木小次郎の銅像がありましたが、周防岩国の出身とされているからでしょうか。

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WEST

広島城探訪 (2023/11/07 訪問)

広島城を訪問しました。新聞情報では、復元された天守閣が耐震性の問題で2025年度後半に閉鎖されるとのことでしたので、その前に登城したいと思っていました。
広島城へのアクセスは徒歩でも約25分とのことでしたが、広島駅の観光案内所の方のお勧めで循環バス「ひろしまめいぷるーぷ」で行きました。
御門橋から二の丸、そして本丸下段、本丸下段を通って天守閣に登りました。幸い天気も良く、天守閣第五層からの眺めは良かったです。登城後は、内堀外を一周して散策しました。内堀越しに見る本丸石垣、天守閣、太鼓櫓、表御門等は一見の価値がありますね。
本丸北側には、福島正則が改易時に壊したといわれる石垣があります。史実ならば興味深いです。

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イオ

とことん駿府城(三ノ丸堀) (2023/08/06 訪問)

(続き)

朝食ビュッフェ開始と同時に朝食を摂り、自転車で堀めぐりに出発。外堀にあたる三ノ丸堀は東辺と南辺の西半分が埋め立てられているので、三ノ丸堀の南西隅から時計回りに堀めぐりスタートです。スタート地点には「外堀の散歩道」と題した説明板が立てられ、対岸の三ノ丸の南西隅には三ノ丸櫓台が聳えています。外堀でこれだけのものが見られるのはすごいことですね。

堀沿いに北に進むと凱旋橋が見えてきます。往時は三ノ丸堀の西辺には門は無く、橋も架けられていませんでしたが、日露戦争の翌年に架けられたもののようです(それで凱旋橋なんですね)。凱旋橋を過ぎて北西隅で東に折れると、草深御門の手前に水戸違いが設けられていました(凱旋橋の北側にもあります)。往時からのものかは不明ながら、駿府城最高所の三ノ丸堀南西部と北東部では6mの高低差があるため水位調節が必要となるようです。草深御門は真ん中を広い車道が通って門の形状は失われているものの、それでも両脇に石垣が遺されているのはありがたいことです。そして北東隅で堀は南に折れますが、ここから先は埋め立てられています。

堀跡を南に少し行くと横内御門に至ります。三ノ丸堀の木橋も高麗門も渡櫓門も失われていますが、堀に面した側の石垣だけは遺っており、かろうじて枡形の形状が窺えます。横内御門を入ったところは在番組頭の屋敷跡で説明板が立てられています。横内御門の一角だけ三ノ丸堀が復活するも、その先は南東隅まで堀は見られません。

新静岡駅の西側からまた三ノ丸堀が復活して西に続いています。往時には無かった城代橋を過ぎ、折れを経て進んだところが大手御門です。門の形状はしっかり遺っており、堀を土橋で渡って右に折れたところに渡櫓門があったとのことですが、石垣に囲まれた広大な門内を車道が通っていて、説明板を見るまで枡形だとばかり思っていました。歩道には発掘調査で確認された渡櫓門の礎石跡がタイルの色を変えて表示されています。

県庁前から少し行ったところで堀はまた姿を消し、その先に四足御門があります。大手御門と同様の造りだったようですが、東側の石垣が遺るのみで門の形状は失われています。四足御門からスタート地点の三ノ丸櫓台までの間にも堀は見られませんが、堀沿いに通っていた道路の折れに堀の痕跡が感じられました。

…と、これで三ノ丸堀をひとめぐり。四足御門まで戻って、今度は二ノ丸堀めぐりです(続く)。
 

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詠狸庵

白鷺変じて朱鷺(とき)になる・・・その間僅か数分間 (2020/11/29 訪問)

この年の晩秋は紅葉を追って11月上旬に松本城、同じく下旬に姫路城を訪れました。
松本城では真っ青な空に映えて眼にも鮮やかな紅葉が真っ盛り。しかしこれを見てしまった後、西日本の紅葉は盛りとは言え「なぜこれほど色が違うのか?」と思うほど、正直言って鮮やかとは言えず(西日本の皆さんごめんなさい、決して悪気はありません)、天守の白亜との対比を期待していたのでちょっとガッカリしていたのですが、帰りがけ、閉門の5分前に突然天守の色が朱鷺色に輝きはじめました。特別なライトアップなのかなと思ったのですが、実はたまたま地平線ギリギリの落日の光が当って美しい朱鷺色となったのでした。空は夕焼けしていないのに天守だけ夕陽に染まるという経験は初めて。この天然のライトアップはわずかに数分で終了。貴重な機会を得ました。

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