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todo94

近江の城めぐり② (2024/03/09 訪問)

石山寺からの転戦です。小槻神社に駐車させていただきましたが、その横に見事な空堀と土塁が続いていました。先に進んで土塁を乗り越えたところに城址碑がありました。周囲を一通り回ってみましたが、説明板は志津小学校校門前にありました。

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しんちゃん

新発田十万石にまで出世 (2024/04/10 訪問)

西溝口城は成願寺の周辺に築かれていたと見られ、成願寺の境内に顕彰碑が残っています。城主は逸見左衛門尉勝政とされ、当地に移って溝口の姓を称したとされています。城域は東西約72m、南北47mほどで勝政の子、秀勝は織田信長や豊臣秀吉に仕え、上杉景勝の転封後は新発田5万石の城主となり、子孫は十万石にまで躍進したそうです。
城址はパッとしませんが、そこから日本百名城までいったわけです。う~ん、あなどれない。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/07 訪問)

熊本城廻の最後に人吉城に登城。JRが災害で長期不通のため(ちょうど「10年後の復旧完了を目指す」とJR九州と熊本県の発表がありました)、高速バスを使いました。
歴史館がある西外曲輪も水没したようで、スタンプ設置の小屋(倉庫?)に2m位のところにここまで水没したとの記録がありました。歴史館は水害以降閉鎖ですが、スタンプは小屋にあり24H押印可能です。パンフレットも置いてありました。
今は相良神社がある御殿エリアを囲む石垣に跳ね出し石垣があります。神社から本丸に向かうと気づきにくいのでお見逃しなく(復元された堀合門の東側です)。堀合門の向かいに水の手門があり球磨川につながっています。さらに西に行くと御下門跡があり、ここから本丸まで登ることができます。登城時はちょうど新緑の青モミジがまぶしかったです。

実際の交通手段は以下の通りです
※前日八代城跡付近に泊
 八代城跡を前日に続き見学
8:42検察庁・法務局・博物館前(コミュバス:みなバス)、9:02,9:40新八代(高速バス:予約要)、10:20,10:20人吉IC(循環バス)、10:37人吉駅
 人吉観光案内所で城跡情報をゲット ※ICから直接歴史観に行くには新町バス停で下車
 (駅徒歩20分)歴史館(百名城スタンプをゲット)
 人吉城跡散策
 遅めのランチと観光案内所でもらった人吉温泉マップにある源泉かけ流し温泉で入浴
 時間があれば是非温泉に。入浴料は数百円のところもありますよ(タオルは必須です)
16:08人吉IC、17:00,19:30鹿児島空港(航空機)、21:15羽田

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宗春

沖縄県の日本百名城・続日本百名城イッキ攻略 その②座喜味城 (2024/04/11 訪問)

名古屋在住の友人と那覇空港で待ち合わせして、レンタカーで沖縄県の日本百名城・続日本百名城イッキに攻略してきました。
2ヶ所目は座喜味城。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/06 訪問)

小雨がぱらつく中、桜まつり開催中の八代城に登城。あいにくの雨で出店の屋台も1店舗以外閉店している状況で人でもほとんどなくゆっくり見れました。続百名城スタンプは、本丸北側の北参道神橋から徒歩4分の八代市立博物館未来の森ミュージアムにあります。正面玄関ではなく南側の警備室入り口なのでご注意を。
本丸、二の丸中心に堀と石垣が良く残っており、天守台(小天守台もあった)石垣にも上れました。桜は満開過ぎの散り初めでしたが、十分桜のコラボが楽しめました。城跡近くのホテルに泊まったが、部屋の窓からも見ることができ上からの景色も楽しめました。

実際の交通手段は以下の通りです
※前日は日野江城近くの南島原市泊
※日野江城とともに登城

 日野江城見学
10:52日野江城入口(路線バス)、10:36,12:05島原港(高速フェリー)、12:39,13:00熊本港(路線バス)、13:28,13:58熊本(JR)、13:58,14:35八代(路線バス)、15:13北荒神町福祉センター前
 (徒歩4分)未来の森ミュージアム(続百名城スタンプ押印)
 (徒歩4分)八代城跡

※八代城付近のホテル泊

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しんちゃん

関ヶ原ツイート 吉川広家の胸の内は? (2024/03/31 訪問)

先日投稿させていただいた関ヶ原の合戦の疑問③ 吉川広家に野心はあったのか?
なのですが個人的には「あった」のではないかな~と思います。元々吉川家は小早川家と両川として主家である毛利家を支えていかなければならない立場にあるわけなのですが、小早川家はすでに秀秋を当主として筑前・筑後59万石(?)の実質的な独立大名になっています。(関ヶ原の合戦後、岡山に55万石で加増・転封ということになってるけど、これじゃ減封では? ま‥それはさておき)
吉川は準家臣格のままですね。西軍が勝ってもその状況は変わらないだろうけど、広家の働きで東軍の勝利に大きく貢献すれば小早川のように独立した国持大名になれるかも‥という下心があったかもしれません。
本当の所は本人にしかわからず、ただ本気で毛利家の行く末を案じていただけかもしれませんが、家康公や東軍諸将にはどう思われていたか?
関ヶ原の合戦の後の恩賞が、毛利家を改易として広家には周防・長門を与えるという内容ですから、かなり意地悪ですよね。こんな提案を受けたら周囲から「主家を追い落として二ヶ国の国持大名に出世した」と悪く思われるに決まっています。後々ろくなことにならないわけで(改易とか)かなり意地悪の悪い提案だったと思います。見透かされていたのでしょうか?

吉川広家の陣は南宮山の山麓、ちょうど毛利秀元の陣の北側に位置しており、不破高校の西側に案内板が立っています。ここから南西の方向に朝倉山が良く見えるんですね。
朝倉山の麓から北に500mくらいの位地に東軍に属した浅野幸長の陣が有ります。陣跡を示すのは案内板のみになりますが、国史跡の垂井一里塚の旗が立っています。ここでは一里塚≧浅野幸長陣ということになりますか。
幸長陣と朝倉山の位置関係もなんとなく意味深なものを感じます。

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復元町並み周辺 (2024/04/11 訪問)

 朝倉氏の復元町並み周辺は、以前にも来たこともありさらりと散策しました。桜がきれいでしたね。
ゆっくり観たいという気持ちもありましたが、山城から下山するのに予想以上に時間がかかってしまいバスで来ていたので時間がなくなってしまいました。

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山城へ (2024/04/11 訪問)

 朝倉氏館の詰の城です。越前最大級の山城で東西約440m、南北約620mの範囲に展開しています。曲輪や堀切が良好に残っていました。縄張り図を見ると畝状竪堀が多く存在してます。全部を見たわけではありませんが、浅くなっている所も多く、また樹木で見にくくなっている所もありわかりにくい状態でした。主要な城域は整備され標識もあり歩きやすくなっています。二の丸、三の丸は樹木が伐採されていて雑草も少なく見やすい状態でしたが、一の丸は藪になっていました。一の丸周辺の千畳敷、観音屋敷跡等はよく整備され眺望も良好です。その下に降りて行くと不動清水があり水の手と思われます。近くにも湧き水があり山城ながら水は十分確保されていたようです。
 帰りは馬出ルートで下山する予定でしたが、道を間違えて英林塚ルートを下りてしまいました。沢沿いの道で、場所によってはかなり悪路でした。

 以前に来たときには、朝倉氏館周辺は散策しましたが、諸事情により山城への登城を断念しています。いつかは行きたいと思っていて今日になりました。
山城ですが、よく整備されていて散策しやすく遺構も多く残っていて楽しめる城址です。

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しんちゃん

城というよりは砦跡。 (2024/03/10 訪問)

下奈良城は小牧・長久手の戦いの際に羽柴秀吉によって築かれたとされています。秀吉がこの地に砦を築いたという文書や、秀吉と信雄が講和を結んだ際に下奈良砦が破却され、道具類が河田砦に移されたという文書が残されていたようです。周囲は宅地で、遺構らしきものは無く、城址碑と案内板のみが往時をしのばせます。
このあたりには城址碑のみの城が多いので、続けて回っているとお墓まいりをしているような気になってきます。

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しんちゃん

松平・徳川とゆかりの深い城。 (2024/04/06 訪問)

小幡城は大永2年(1522)に織田敏信、信安に仕えた岡田重篤によって築かれたとされています。東西約200m、南北約70mの城域を持っており、本丸跡の駐車場に案内板が立っています。二の丸跡は馬出しを兼ねていたようで、本丸の南に位置し間には堀を配し、本丸とは土橋で繋がっていたようです。東の阿弥陀寺は三の丸跡と見られ城址山・阿弥陀寺と気の利いた山号が付いています。城址の周囲は切岸になっており本丸跡の北側と西側からは周囲を良く見渡すことが出来ます。
天文4年(1535)には家康の祖父・清康が尾張侵攻時に在城し、天正12年(1584)に家康によって修復され、小牧・長久手の戦いの際に拠点の一つとして活用されています。尾張にありながら松平・徳川とゆかりの深い城です。

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ぴーかる

田内城 (2024/02/17 訪問)

【田内城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口南西のオムロンの工場前<35.440831, 133.837448>の道路脇土手に数台駐車できる。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り羽衣伝説の旅2城目。現地説明碑によると田内城は山名時氏が伯耆守護に任ぜられた1337年以降にこの仏石山に築城し、その治所としたとあります。山名時氏の嫡子山名師義は吹打城を築城し本拠を移したので廃城となったとあります。
 巌城橋西詰の交差点、釈迦堂横に登山道があります。つづら折れの山道を10分程度登ると主郭に着き比高はあまりなく丘城といった感じです。小鴨川・天神川を背後にした後ろ堅固な城だったようです。登山道は搦手で途中に僅かに石積み遺構・巨石のある曲輪があります。主郭は狭い2段式になっていて壁板が落ちた古い模擬櫓が建っています。主郭の段にも僅かに石積みが落ちた形跡が残されています。主郭北側に堀切・虎口があり、副郭、北方向になだらかに尾根曲輪があります。最北には新旧墓地があり、古いもので幕末の墓石がありました。伯耆守護の山名氏の城の割には見れる遺構は少なかったように感じました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

小山評定跡から徒歩で…🐾 (2024/02/24 訪問)

小山評定跡から徒歩で約25分かかりました。急がないでダラダラと歩いたので,他の方はもうちょっと短縮できるかと思います。前日の雪と雨で足元は悪かったです。

CFですが…
ちょっと伸び悩んでいる気がします。コメントで盛り上がればいいな…と思い,にのまるさんと思しきコメントにレスを入れました。

赤い城さんへ…
小田原城(蒲鉾)読み札,気づかれましたね。ホッコリ笑いを誘える内容だったので,当日サプライズがいいのではないかと思ってました。私のボケ作品はことごとくボツでしたので…<笑>。

常連の方の作品をちょっと紹介するなら,todo94さんの高知城なんかいい気がするんだけどな…。

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カズサン

【遠江国分寺】静岡県磐田市 歴史ロマン金堂木製基壇復元 (2024/04/07 訪問)

 4月初旬毎日新聞報道をネットで遠江国分寺跡金堂基壇の復元完了の記事を見つけこれは是非見学しなくてはと浜松城桜満開写真撮影と花見を終えて遠江国分寺跡の在る磐田市を訪ねる。

 住所:静岡県磐田市中泉3365(遠江国分寺史跡公園)
 駐車場:磐田市役所北側の駐車場利用、公園の南側。
 参考資料:磐田市HP、グーグルマップに依ります。
 
 遠江国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が全国々に国分寺、国分尼寺を創建の詔が発せられて遠江国も国府の地磐田見付に国分寺と国分尼寺が造られた、国分尼寺跡は国分寺の約200m北に在るようです。

 駐車場の北側隣接地が特別史跡遠江国分寺跡に成っています、以前訪ねて居り二度目の訪問、以前と比べれが樹木が奇麗に全て伐採されて居り見通しがスッキリしています、南から南大門跡、中門跡、今回復元された金堂基壇、中門と金堂の間には回廊が廻って石垣Ⅰ段差で回廊跡が示されている。
 金堂の復元は令和5年度工事で完了し令和6年2月10日に完成記念見学会を実施済、基壇は木製基壇と成っております、今回の復元には発掘調査遺構を保存するために土で覆いその上に木製基壇(発掘調査の成果により)を復元、建物礎石は現存の4個を使い後はコンクリートで疑似礎石、南と北に石階段が設置、基壇大きさは東西33.5m、南北22.9mと成っています。
 見学時既に講堂、僧房木製基壇が完成しており、此処は令和5年4月1日に完成見学会を実施済で金堂の北側に講堂、僧房が南大門からの南北線状に連なった配置です、現在回廊跡の西に石護岸の塔跡が在りますが7重の塔が建っていたそうです、以前JR磐田駅に遠江国分寺七重の塔模型が展示されていました。
 金堂基壇復元の後は、金堂の南面に3mの木製灯籠の復元設置、回廊周り整備、工事3年目ー1で中門跡、南大門跡、塔跡、土塁状に成っている築地塀跡など南、西、北側の整備、四阿の建設、トイレ兼展示スペース建設、工事3年目ー2では東側の道路の面してる部分に築地塀の復元も計画が有るようです。
 数年後の遠江国分寺の復元完成が楽しみです。

 磐田市のHPには遠江国分寺跡の整備計画、現地化見学会の資料がPDFで見れるようになっています、興味の有る方は覗いてみてください。
 

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虎の子

金箔瓦が出土したという日野江城に行ってきました (2024/04/06 訪問)

以前原城跡、島原城跡に行った時に時間の関係で立寄れなかった日野江城。熊本のお城廻の途中にフェリーで島原半島に立ち寄り、桜満開の時期に行けてよかったです。
行き方は路線バスの「日野江城入口」バス停から大手口跡まで徒歩8分程度で行け、そこに10台弱駐車できる無料駐車場がります。

城跡は、石垣が少々、曲輪が残っており本丸辺りに神社が建立されていました。金箔瓦出土場所は二の丸に看板がありますが、レプリカが近くの有馬キリシタン遺産記念館に展示されています。

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POYO58

去年の今頃 (2023/04/08 訪問)

去年ですんません。高遠城の桜を見ました♪
高遠城はもともと桜の名称で有名ですが、お城としての面影は今はあまり感じられませんでした。道路などに犬走りや追手門の標柱がありましたがあまりその痕跡は見当たらず。正直なんでこれが100名城なのと疑問に思いました。
ただ肉球さんの投稿を見て結構見どころがあることも知ったのでまたいけたらと思っています。
高遠城の遺構としては堀切と少し石垣といったものでしょうか?大手門は確か現存で、太鼓櫓も現存だそうです。
堀切は素晴らしかったです。石垣もちょろっと残ってました。
また高遠城の近くには高遠ダムと勝間薬師堂があります。
高遠ダムは綺麗な高遠湖と綺麗な山をセットで撮ることができます。
勝間薬師堂には樹齢140年の枝垂れ桜が咲き誇り、1603年に建てられた薬師堂が今も現存しています。ぜひ合わせて行ってみてください。

評価★★☆☆☆

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/05 訪問)

※前日肥後大津駅付近の宿に宿泊
※鞠智城跡とともに登城

7:15肥後大津駅(路線バス)、8:02,8:34菊池温泉・市民広場前(路線バス)、8:42一寸榎
 (徒歩16分)鞠智城跡:温故創生館(9:30-16:45月休)
 ※池の尾門へ散策60分、展望台、貯水池散策60分

(徒歩16分)11:08一寸榎(路線バス)、11:17:11:26菊池温泉・市民広場(路線バス)、12:43市役所前
 (徒歩1-2分)熊本城(9:00-16:30)

16:23(徒歩1分)熊本城/市役所前駅(路線バス)、16:41,16:55熊本駅(新幹線口:フェリー連絡バス)、17:20,17:40熊本港(フェリー)、18:45島原港
 泊:南島原市内

熊本城エリアは震災後立ち入りできる範囲がかなり制限されています。本丸の天守、小天守エリアへは行けますが、宇土櫓、飯田丸五重櫓など多くのアリアは立入禁止です。復旧を願うばかりです
代わりに「わくわく座」(共通入場券有)で震災後の状況や復興の過程を知ることができるので見学をお勧め

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/04/05 訪問)

※前日肥後大津駅付近の宿に宿泊
※熊本城と共に登城

7:15肥後大津駅(路線バス)、8:02,8:34菊池温泉・市民広場前(路線バス)、8:42一寸榎
 (徒歩16分)鞠智城跡:温故創生館(9:30-16:45月休)
 ※池の尾門へ散策60分、展望台、貯水池散策60分

(徒歩16分)11:08一寸榎(路線バス)、11:17:11:26菊池温泉・市民広場(路線バス)、12:43市役所前
 (徒歩1-2分)熊本城(9:00-16:30)

16:23(徒歩1分)熊本城/市役所前駅(路線バス)、16:41,16:55熊本駅(新幹線口:フェリー連絡バス)、17:20,17:40熊本港(フェリー)、18:45島原港
 泊:南島原市内

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城とマスク

休館日の川越城 (2024/04/08 訪問)

喜多院の帰りに寄りましたが休館日でした、桜が満開で良かったです。

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todo94

近江の城めぐり① (2024/03/09 訪問)

「光る君へ」大河ドラマ館へ行く前に朝駆けしてまいりました。ぴーかるさん、とある煩悩の登城目録さんの投稿を拝見し、バイパス側からアプローチしました。そのバイパスからの入り口近くに残る虎口の土塁が良かったです。その奥の方の遺構はよくわかりませんでした。

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ゴエチュウ

郡上八幡城 (2022/10/26 訪問)

郡上八幡城

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