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山中鹿之助 (2024/01/06 訪問)

 山陰の覇者であった尼子氏の再興が潰えたことで知られる城です。
上月歴史資料館前から登城しました。登城路は整備されていて歩きやすく、主郭までは約20分で行くことができました。曲輪跡、浅くなっていますが堀切等を観ることができます。眺望はよく利神城方面まで観ることができるようですが、この日は小雨が降っていてよくわかりませんでした。早めに西側の堀切を過ぎたところで下山しましたが、そのまま目高集落方面へ歩いて行くと砦跡があるようです。雨も降ってきていたことあり早めに下山すると晴れ間が見えるようになりました。

 JR姫新線上月駅から徒歩約10分で登城口のある上月歴史資料館に行くことができます。電車の本数は少ないので要注意です。

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くうくう

方形居館の土塁空堀遺構がみごとに整備されている

築城年・築城者についてははっきりわかってない。戦国期武田氏の蔵前の庁所という説もあったが、遺跡発掘から15世紀前半から中頃に使用されていたと考えられている。武田氏が甲斐東部へ勢力を伸ばしていた時期に重なり、その関連性が注目される。それにしても見事な土塁空堀だった。一辺が約130mある不等四辺形の屋敷跡。ただそれだけなのが想像を掻き立てる。

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しんちゃん

恐れ知らずの村上海賊の城。 新年第一稿 (2024/01/01 訪問)

新年の祝賀を申し上げたいのですが、今はとてもそのような状況にありません。一連の災害で亡くなられた方のご冥福と一刻も早い状況の改善を祈ります。地震が起きた元日、私はちょうど中国地方の城を攻略していました。
上関城や周辺の台場を攻略している最中に車内のTV(音声のみ)からアナウンサーの絶叫が聞こえてきました。ただ事ではないぞと思いスペースを見つけて駐車して家族に連絡を取りました。夕焼けにつられてか、どんどん人が集まってきます。自分の無事を家族に伝え先方の状況を確認しますが、同じ本州の海でも上関はこんなにも静かで美しいのです。
被災地の方々が心配ですが私にはどうすることも出来ないので旅をつづけました。
上関城は能島の村上義顕の子吉敏によって海関として築かれ、代々居城とされました。上関を通過する船や周囲を監視するのに適した海に突き出ている標高49mの丘陵上に築かれており、大きく北と南の郭に分けられ南の郭の方が高地にあります。南郭の背後には巨大な土塁があり、その向こう側は確認できません。能島海賊衆はこの城で上関を通過する船から通行料(帆別銭)を徴収していたのですが大内氏とモメて一度は上関から追い払われるのですが反撃をして奪い返したそうです。

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カズサン

木造復元天守30年掛川城新年登城 (2024/01/06 訪問)

 令和6年の初登城は掛川城としました。今年は平成6年4月公開された木造復元天守閣30年と記念の年と成り正月明けの6日登城しました。
 駐車場:掛川大手門駐車場(有料)

 正月明け6日の土曜日なのか大勢の方が登城されて居りました、海外の方も、四足門前には正月定番の門松、霧噴き井戸にはしめ縄を付け、天守付櫓入口にもしめ飾り、天守に登りましたが30年経っても木組みは真新しいまま、二階に鯱展示にもしめ縄飾り、階段は急で一段一段ゆっくりと登り展望階へ、掛川駅方面、西には磐田台地越しに浜松アクトタワーが望めます、天守より二の丸御殿を眺め、掛川古城も手に取るよう。
 二の丸御殿へ、此処も大勢の方が見えて居りました、入館券は天守閣と御殿合わせ大人410円、JAF割で320円。サラッと回ったつもりでも約1時間半、駐車場代は300円でした。
 現在天守登城路の土塀、同板屋根、天守東下帯曲輪土塀、同板屋根の経年劣化痛みが増しており修復工事中でした。
 
 この後は南西10km程に在る遠江三山の一つ法多山に寄り初詣と名物の厄除け法多山団子を1箱購入600円。帰って家族で頂きます。
 本年もぼちぼち城探訪、城びと投稿させて頂きますので宜しくお願い致します。
 
 元旦の令和6年能登半島地震、2日の海上保安庁機とJAL機の衝突事故で新年の挨拶がしにくい状況で控えます。
 亡くなられた方々へのご冥福と被害を受けられた方々へのお見舞いを申し上げます。

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いんげん丸虫

古城 長野県青木村 (2023/12/02 訪問)

標高895mの山城です。
一つの尾根に主郭を中心に堀切、2曲輪、両端に
二十堀切とシンプルですが遺構の残存状態も良く
好きな城跡です。
古城(ふるじょう)という、よくある名称ですが
山城好きの方にはお薦めです。
沓掛温泉の駐車場に駐車可能です。その背後の
山をほぼ直登します。かなりの角度がありますね。

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イオ

水攻め関連遺跡めぐり (2023/10/15 訪問)

(続き)

城跡から南東約900mの高松城水攻め史跡公園は、羽柴秀吉が水攻めのために築いた約3kmにわたる堤防の起点となった地で、幅15.2m、高さ4.5mの堤防(蛙ヶ鼻築堤)が現存しています。堤防前に立てられた高松城跡高さ表示板と堤防を見比べると、本丸を水没させるに足る規模で築かれていることがよくわかります。蛙ヶ鼻での発掘調査では堤防の基底部に杭列や土俵の痕跡が確認され、その一部はモルタルで固めて見学できるようになっていました。

蛙ヶ鼻築堤から北西約2.5kmの足守駅付近が水攻め築堤の北端で、副堤を築いて足守川の水を引き入れた場所と伝わります。足守川の水の取入れ口と副堤の北端に標柱が立てられていました。蛙ヶ鼻から副堤北端まで車で走っても約15分。これほどの距離にあれほどの規模の堤防をわずか12日間で築いてしまうとは…。実際に訪れてみてスーパーゼネコン秀吉組の実力のほどを改めて実感させられました。

時間があれば秀吉本陣はじめ、「高松城水攻め」パンフレットに載っている諸将の陣跡にも行きたいところでしたが、その辺はまたの機会に。
 

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HKISD

日隈城跡散策 (2024/01/02 訪問)

公園の上に城跡があり。
なんと言ってもこの二方に流れる川が絶景で驚きました。
この散策は最高でした。

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HKISD

永山城跡散策 (2024/01/02 訪問)

しっかりとした石垣が残っていました。
整備もキチンとされており登りやすかったです。
登った後の日田の街並みを見下ろしたのは最高でした。
近くに豆田の城下町も散策出来素晴らしかったです。

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ゆき

初江戸城 (2023/11/25 訪問)

虎ノ門から官公庁が密集している霞ヶ関をゆっくり歩いてみました。しかしながら舐めてました。広すぎる‥
見附を巡りながらと思いましたが諦めてササっと撮影して終わりましたが再挑戦したいです!

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

南関御茶屋敷の駐車場から登りました。

登りきるまでは屋敷の庭園ですが、登った先には立派な石垣を見れます❗

官軍墓地もある激戦の地だったみたいなので手を合わせて帰りました。

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

ここまで大きい堀切に囲まれたお城だったとは…下からゆっくり見て上がるのがやっぱり楽しいですね

駐車場もありトイレもあり、のんびり見れました。

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ろっし

お城探訪 (2024/01/02 訪問)

下から見れば公園登ればお城❗

空堀や曲輪など見てまわれます。

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ぴーかる

横尾八幡城 (2023/11/25 訪問)

【横尾八幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。登城口の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目10城目。現地説明板によると横尾八幡城は大永年間(1521~1528年)に尻高三河守によって築城された伝えられます。後に塩原源太左衛門が城代となり、1580年真田昌幸の吾妻進出によって富沢豊前守が配置されました。武田氏滅亡・本能寺の変後は北条氏が進出してくるようになり、真田昌幸は利根・吾妻の2郡を長子真田信幸に任せます。信幸は吾妻の武士たちをこの城の番衆として守らせます。1589年北条氏邦が攻めてきますがこれをよく守り撃退しています。
 城跡へは登城口から案内版矢印に従って行けば主郭背後の帯曲輪に入り主郭に着けます。城跡は主郭とその下段に副郭の大きく2つの曲輪があり主郭に帯曲輪が取り巻き、主郭は土塁囲みになっています。土塁が高く主郭内、主郭の帯曲輪から見上げるとまあまあ迫力があります。主郭東側の副郭のさらに東側の奥が急峻な崖になっていて土塁も何もなく落ちたらヤバイ状態になっており珍しい構造、後年崩れたものかもしれません。城跡内は雑草化していますが登城口から城跡内まで舗装道なので簡単に攻められる山城です。

<満足度>◆◆◇

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ゆい

初めてのぼっち城! (2024/01/05 訪問)

初投稿です( *´꒳`*)
実は三雲城跡から駐車場への帰り道に偶然このサイトを見つけて、すぐ登録しました✨

ダイエット中なので、運動も兼ねて1人でやって来ました。
駐車場にたどり着くまでの住宅街は狭かったのでハイエースやハイラックスなどの大きな車で行くのはお勧めしません。。。

三雲城は初めてなので、Googleに案内された、
三雲城址・八丈岩駐車場に停めていきました。

土日は駐車場にある売店?が開いているようでそこで御城印やグッズが購入出来るようです。
平日は近くの長谷商店さんで購入できます♪
私は長谷商店さんの自販機で購入しました!

平日だからかとにかく人が少なく、登っている時も出会ったのは2〜3人でした。
冬で寒いですが、登っている時はじんわり汗ばみました。
行く時は着込むより脱ぎ着できる服装がオススメです。
弾丸だったのでスリッポンで行きましたが、登れます。
ただ、紐のついた靴の方が絶対にいいです。

あと、駐車場より上に登っていくと2、3台停められるスペースがあるのであまり混んでない時に行くならそこに停めるのがおすすめです。
そのスペースに行くまでの坂道がかなり急勾配でキツかったです💦

登城口から先の林道は、小学生くらいなら登れるかなぁという感じです。
道無き道を登る訳ではなく、所々急な階段を登っていきます。
過去にドラマの撮影現場にもなっていたそうですよ( °Д° )
しかも時代劇とかじゃない…

上まで1人で登って思ったことは、あまりにも誰にも出会わないので心細い、です。
八幡山城をひとりで登るのとは訳が違います。

でも、絶景に出会えて、いい汗かけるのでおすすめです!

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イオ

水攻めと清水宗治 (2023/10/15 訪問)

戦国期に三村氏に仕えた石川氏が足守川東岸の沼沢地に築いた城で、三村氏が毛利氏に滅ぼされると清水宗治が城主となり、羽柴秀吉の中国攻めでは水攻めの舞台となりました。本能寺の変を受けて宗治の切腹を条件に秀吉と毛利方が和睦すると、宇喜多氏の城として花房正成が入り、関ケ原の戦いの後は花房職之が交代寄合旗本として城主となりました。江戸初期に一国一城令により廃城となりましたが、廃城後も花房氏がこの地を領し、本丸跡に陣屋を構えて明治まで続いています。

南側の駐車場から登城開始。駐車場のあたりは三の丸跡で、駐車場から南に徒歩2分には南手口の外濠に舟を並べて橋とした舟橋跡に説明板が立てられています。駐車場北西の髙松城址公園には蓮池が広がり、水攻図案内盤、水攻め築堤跡高さ表示板、水攻音頭など大いに水攻め推しです。4か月前にリニューアルオープンしたばかりの備中高松城址資料館を見学し、続100名城のスタンプを押したら「高松城水攻め」パンフレットを片手に城めぐり再開。資料館の裏手に説明板があり、説明板の奥の田畑が二の丸跡のようです。資料館は城外だったんですね。二の丸跡西側に復元された蓮池に自生する蓮は宗治蓮と呼ばれ、400年前から地中に眠っていたもののようです。

宗治蓮を眺めながら橋を渡って本丸へ。本丸には清水宗治の首塚があり、辞世の句碑も立てられています。また、本丸から北西に徒歩2分の住宅地(家中屋敷跡)には胴塚が、南側の駐車場から東に徒歩1分の妙玄寺(花房氏の菩提寺)は清水宗治自刃の地として供養塔があり、妙玄寺すぐ南のごうやぶ遺跡は宗治の家臣らが殉死した地と伝わります。

続100名城ながら明瞭な遺構はほとんど見られませんが、水攻めと清水宗治関連の史跡だけでもなかなか見どころがありました。せっかくなので、周辺の水攻め関連遺跡にも行ってみるとしましょう(続く)。
 

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チェブ

天下布武は年中無休。 (2024/01/03 訪問)

2024年の最初のお城攻めは「岐阜城」。
年中無休と言うことで、『日本100名城』のスタンプが押せます。
岐阜県の他の100名城・続100名城は正月三が日はお休みです。
ロープウェイで山頂に向かいました。
斎藤家の『二頭立波』の幟旗がたくさんあり、 斎藤 道三さんの人気もうかがえます。

ロープウェイから少し上がった所にトイレがあります。こちらからの眺めが最高でした。

1月1日の能登半島地震。
被災された皆様と、その家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
東京の端っこも緊急地震警報が流れました。
遠い石川県の、地震の影響が届く程の揺れです。現地の方々は、恐怖だった事と思います。

朝田 辰兵衛さん、越後の地も被害が出ているとの報道を見て心配してました。
投稿が届き、ホッとしました。
*朝田さんの「足柄城」の投稿が1月1日の16時12分だったので、違う意味でビックリしましたが、、、。
どの方も、楽しく お城巡りができる日が、 1日でも早く来ますように。

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くうくう

甲斐国守護代跡部景家終焉の地

「甲斐国志」に「安田遠江守ノ要害ナリ」と記され、平安末期に活躍した甲斐源氏安田義定の居城だった。現在小田野山標高883mには中世山城の様相が見られ、室町期守護代跡部景家によるものと考えられる。三方尾根には遺構が連なり、南の段郭、北の堀切や竪堀、東の尾根には雄雌の竜石など探索が楽しめる。登城口は普門寺西奥にある。晩秋での登城で落ち葉が多く斜面が滑り苦戦した。

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くうくう

信虎築城、信玄出生の標高780mに築かれた武田氏の詰城

武田信虎が永正17年(1520)躑躅が崎の武田氏館の詰城として築城。東郷平八郎書による「武田信玄公誕生之地」碑もある。主郭は土塁がめぐり、大手方面の西は階段状に曲輪が展開、搦手方面の東は大きな堀切が何本か確認できる。石塁や虎口が石積みで固められてたり、背後の堀切などには石積みが見られたり、と堅牢に防御されている。南東尾根の支城熊城とともに戦国期の武田氏山城の迫力を余すことなく伝えている。

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todo94

城カードゲット (2023/12/09 訪問)

コインパーキングに駐車し、水戸駅の観光案内所にて城カードを購入してから攻城に取り掛かりました。水戸学の道・慶喜(将軍)ルートに従って、三の丸空堀、大手門、二の丸展示館、二の丸角櫓、杉山門、薬医門、柵町坂下門と水戸城を堪能させていただきました。

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朝田 辰兵衛

足柄城より徒歩で👣 (2023/12/17 訪問)

足柄城より徒歩で転戦しました。武田と北条が奪い合った城ですが,巨大な三日月堀を目の当たりにすると,武田の執念をひしひしと感じました。ここの三日月堀のRは,諏訪原城より大きいんじゃないかな…と。あくまでも,個人的な主観ですが。
ちょっと離れた大雲院に大手門が移築されています。見落とし注意です。

そうそう,1月1日に発生した能登半島地震で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。我が家は,少し歪みましたが,鏡が1枚割れただけで済みました。液状化の影響も受けておらず,ライフラインは問題ナシです。通信レスポンスも改善に向かっております。
羽田の航空機事故に巻き込まれた方はいなかったのかなぁ…。スタンプ帳等は燃えてしまってますね。
どちらにおいても,思い出の品々が一瞬のうちに消失するという出来事…。

『思い出は,まずしっかりと心に刻むこと』を肝に銘じたいと感じた年頭となりました。

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