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駿府城

「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300」で駿府城が1位を獲得しました!

「ニッポン城めぐり」が発表した「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年度版)」に駿府城がランクインしました。
 
「ニッポン城めぐり」とは日本全国のお城をめぐる無料のGPS(位置情報)スタンプラリーアプリです。GPSの情報を元に日本全国の城郭の訪問者数をランキング化したTOP300を発表しており、数ある城郭を押さえ駿府城が1位を獲得しました!
※「お城ファンが実際に訪れた日本のお城ランキングTOP300(2023年度版)」の詳細はこちら(https://ameblo.jp/cmeg/entry-12826870543.html)をご覧ください。

今年は、NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送に合わせて多くの方々が、駿府城跡天守台発掘調査現場に訪れました。JR静岡駅から徒歩15分程とアクセスも良く、周辺には東御門・巽櫓、静岡市歴史博物館、どうする家康大河ドラマ館など家康ゆかりの施設が数多くあります。
駿府城跡天守台発掘調査現場は年末年始(12/29~1/3)を除き、年中無休で見学できます。ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場に訪れてみてください♪

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トク

2024初登城と初詣(1/2)-加藤神社 (2024/01/08 訪問)

私の今年の初登城は初詣を兼ねて熊本城を訪れました。

登城口でまず清正公に拝礼してから城内へ(写真①)。それから清正公を祀る加藤神社にお参りし初詣をしてきました(写真②)。

そして、その加藤神社から眺めた大天守と小天守です(写真③④)。このアングル私は好きです。

また同じく加藤神社から眺めた現在の宇土櫓です(写真⑤)。完全に素屋根に覆われて見えなくなっていました。約1年前と半年前に同じここから撮った写真と見比べて頂きたいと思います(写真⑦→⑥→⑤の順で見て下さい)。解体工事は順調に進んでいると思われます。でも素屋根の中は、いったいどうなっているのでしょうか?

熊本城内には三つの神社があります。加藤神社の他にも、熊本のお伊勢さんと言われている熊本大神宮(写真⑧)、また商売繁盛を願う熊本稲荷神社です(写真⑨)。いずれにもお参りして、三社詣を果たしてきました。そこに厄年などの今年の運勢が貼ってありました。皆さん要チェックですよ! あなたの今年は大丈夫ですか~?(写真⑩)😲

次も、2024初登城と初詣(2/2)熊本城です。
飯田丸五階櫓とくまモンに続きます。
 

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イオ

小谷城防衛の拠点 (2023/11/04 訪問)

平安末期に山本氏が築いたと伝わり、戦国期には京極氏の城として阿閉氏や浅見氏が城主となりました。浅井長政と織田信長が敵対すると小谷城防衛の拠点となりましたが、阿閉貞征が信長に降伏して開城。本能寺の変後は明智光秀に味方するも山崎の戦いに敗れて処刑され、山本山城も廃城となったようです。

朝日山神社と宇賀神社の2つの登城口がありますが、駐車場がわかりやすかった宇賀神社側から。この秋は各地で熊害の報道があり、宇賀神社裏手の登城口にも「熊出没注意」の看板があったので、熊鈴を装着して登城開始。若宮山古墳近くの防獣柵を抜けて、つづら折りの急坂をひたすら登ること約30分で二の丸に到着。

二の丸は重機で改変されているようで遺構らしきものは見当たりませんが、琵琶湖方向の眺望が開け、曇天ながら竹生島を望むことができました。二の丸の北には四方を土塁に囲まれた主郭があり、南、東、北に虎口が開いていますが、北の虎口はハイキングコースのために改変されたもののようです。北の虎口を出ると、直下に横たわる堀切を木橋で渡って一番馬場へ。一番馬場とその先の二番馬場は東西両辺に土塁をめぐらせています。二番馬場から北に続く曲輪群は5条の堀切で区画され、北端の曲輪は土塁で囲まれていました。北端で引き返すと今度は東尾根へ。朝日山神社からの登城道沿いに腰曲輪が見えますが、藪に沈んでいます。その先の虎口を抜けたところが三の丸で、北辺と西辺に土塁が見られました。

約半年ぶりの山城で少々足が疲れましたが、特筆するほどの遺構はないものの典型的な中世山城で、やっぱり山城は良いな、と改めて。この日はカメラを持ってくるのを忘れてしまいスマホでの撮影でしたが、慣れてないのでピンボケも多かったものの何とかなりました。

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todo94

八幡太郎 (2023/12/09 訪問)

水戸城からの転戦です。ソーラーパネルの奥には踏み込みませんでしたが、隣接する林の中に踏み入ってみると、空堀や土塁が見られました。一盛長者伝説地の石碑の側面の説明には愕然としてしまいました。歓待を受けた有力者を危険視して滅ぼしてしまうなんて何たる非道。八幡太郎義家のイメージが地に落ちてしまいました。

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ゆい

念願の初登城! (2024/01/07 訪問)

3日連続でお城巡り中!
何千回と前を通ってるけど行ったことのなかった安土城へ。

考古博物館は行った事があったので、今回は安土城址と資料館(御城印を買いに)に行きました。
その後に山崎山城址にも行きましたがそれはまた山崎山城の方で。


駐車場はかなり広く、無料です。
駐車場からすぐのところに小さな建物があります。
【城なび館】という有料の資料館とお土産ショップを併設しているお店です。
お土産ショップは入場料不要です。

御城印は取り扱いありません。

ただ、《信長四城御城印ラリー》のスタンプはあります。
お土産はトートバッグや御城印帳、信長安土マンゴー(ジェラート)など色々ありました。

建物のすぐ横にトイレもあります。
とても綺麗で虫の心配も無く快適でした。

駐車場から見て左手の方に坂があるので登っていくと受付(小さな小屋)があります。
入山料は700円でした。

《石垣しかないのに彦根城より100円安いだけか、、高、、》
と思っていました。

入場券の代わりに、パンフレットが貰えます。
考古博物館にも行く方はパンフレットを博物館で提示すると割引が受けられるようなので捨てないように。

また、ここで *御朱印帳 を購入するとサービスで安土城と書いて下さるそうです。
見本は飾ってありました。

*御城印帳ではありません。直接書くタイプの御朱印帳です。

御朱印は興味が無く、せっかく買っても他に書いてもらうことがないので今回は諦めました。
ちなみに100名城スタンプは受付の出口側にあります。
帰りに押しました!

大手道を登り始めると直ぐに前田利家邸跡が右手に。
左奥には羽柴秀吉邸跡があり、すぐ右手に徳川家康邸跡(現在は摠見寺仮本堂)があります。

鐘があるので、一突きしました。

そのままやや急な石段を登っていくと【石仏】がいくつも現れました。
さらに登っていくと、【黒金門跡】【仏足石】があり、奥には【本丸跡】【*天主跡】が続きます。
*安土城は天守ではなく天主です。

周辺には立ち入り禁止の場所や発掘調査中の場所もありました。

木などが邪魔であまり見晴らしはよくありません。

その後、信長やそのほか5人のお墓や邸跡、古井戸を見てまわり、三重塔の方へ。

摠見寺本堂跡からの眺めは良かったです!
すぐ左に三重塔も。
立派な三重塔でした。
残念ながら中に入ることはできませんが、昔からの建物が残っているのは良かったです。
そして立派な二王門をくぐり、いよいよ終わりに。
二王門には木造の【金剛二力士立像】もいました。


安土城の石段や石垣はとにかく立派で終始圧倒されました。
信長公のお墓に手を合わせられたのは光栄でした!
帰る頃には700円の価値はある、と納得がいく立派な城址でした。

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しんちゃん

鹿出現! そういや十二支に鹿っていないな。 (2024/01/03 訪問)

伊勢ヶ坪城は根の谷川の東側の丘陵に築かれています。大林神社の東側の道を高所に向かっていくと坂の途中に登城道があり、そこから城址に至ります。頂部の扁平地以外にも西側に郭が配されているようですが実際に訪れてみると散策できるのは頂部の主郭と西側の扁平地ぐらいに限られると思います。で‥今回訪問した時に入口の近くに鹿がいたんですね。
じっとこっちを見て「何しに来た」って表情をしていたのですが、写真を撮っているうちに、ものすごい勢いで斜面をくだっていってしまいました。実際にのぞきこんでみるとなかなかの急坂ですが、ここをあっという間に駆け下りていってしまったのですね。改めて野生の動物の機動力には驚かされます。主郭周辺から下をのぞいてみると、遠くに二頭の鹿がいます。さっきの奴ですね、つがいの鹿のようです。街中に住みついてしまっているんですね。悪さするんじゃねーぞ。

承久の変の際に熊谷直国が討死し、その功で息子の直時に安芸国三入荘の地頭職が与えられ、やがてこの地に移り伊勢ヶ坪城を築いたとされています。後に熊谷氏は高松城に本拠を移しますが、伊勢ヶ坪城はその後も隠居所などに用いられたそうです。

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しんちゃん

大内氏に滅ぼされた鷲頭氏の築いた前城。 (2024/01/02 訪問)

新春一ノ槍・其ノ五 亀山城の投稿です。
亀山城は深川城城主、鷲頭弘忠によって築かれたとされ深川城の前城(出城)として機能していたようです。鷲頭氏は大内氏の庶流で大内氏に仕えていましたが大内教弘の時代に弘忠と不仲になり、亀山城は大内氏の水軍に備えて築かれたようです。文安5年(1448)大内氏は深川城を攻め、弘忠と一族郎党は皆殺しにされてしまったそうです。
亀山城は法蓮寺の背後の丘陵の頂部に位置し東側の墓地に回ると右手奥にうっすらと道が続いて、これを登っていくと城址にたどり着きます。まずは巨大な堀切が行く手を遮り、西の小高い箇所の上が主要部になりますが登り口がはっきりしないので強引によじ上りました。しんどいのはここだけで後は主郭周辺を散策し西の郭を確認した後引き返しました。
普段訪れる人がほぼいないようで、手入れは行き届いておらず、なかなかの竹藪状態になっています。

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三浦の晃ちゃん

最大級の古代城柵 (2024/01/08 訪問)

多くの施設が復元されています。資料館も、あります。(無料です。)広大な面積です。初代征夷大将軍の坂上田村麻呂が、建てたようです。続々100名城シリーズか選ばれることが、もしあれば、推薦したいお城です。

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三浦の晃ちゃん

律令制度最後の城柵 (2024/01/08 訪問)

律令制度最後の城柵です。最初の征夷大将軍、坂上田村麻呂の後継者が、建設したようです。今は、広場になっています。隣接の矢巾町歴史民俗資料館に、詳しい説明があります。が

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とばつびしゃもん

野面積みの石垣が各曲輪に残る城 (2023/07/15 訪問)

洲本市立淡路文化史料館で続日本100名城スタンプポン。オーソドックスな史料館。洲本城のパンフレットを入手。
三熊山ドライブウェイを通って城址へ移動。馬屋の下にある駐車場から登城開始。
駐車場から階段を登ると腰曲輪の二段積みの石垣を確認。南の丸石垣を通って日月の池を右手に見て、東の丸から攻める。武者溜の東端からは洲本港と大阪湾を一望。東の丸高石垣のそばから北側を見下ろすと、見どころの登り石垣が段々に続く様が見られる。
続いて本丸へ。1929年に建築された模擬天守は入場不可。築100年はすでに遺構と言える雰囲気が感じられる。本丸の茶屋で一休みしてから搦手口を出て西の丸へ。その途中、本丸を振り返ると、青い空と青い海をバックにした模擬天守と本丸石垣のきれいな眺めに息をのむ。
西の丸を一回りしてから南の丸を経由して駐車場へ戻る。見どころたくさんの城址を約1時間半かけて攻城。

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POYO58

姫路城2 2024年初投稿 評価★★★★★ (2023/11/03 訪問)

明けましておめでとうございます🎈㊗️かなり遅れてますが…
この前の姫路城の投稿の続きをご紹介させていただきます。

化粧櫓見学終了後、天守へと向かいましたが、夕方であと1時間半で営業終了という時間に天守へは行列になってました。30分待ちとのこと。
にの門にはなかなか他の城では見られない十字紋瓦を見ることができます。
ほの門はかつて武士が滞在していたとされ、通るときには緊張感に絶えないようです。
池田輝政以前の遺構も残っており、豊臣時代に築かれた油壁は貴重な遺構です。
そこから水〜門が続いています。特に水五門は天守の渡櫓によって構成されており美しいですよ。
天守の中で見てほしいのは武具掛けと東大柱ですね。武具掛けにはかつて槍や鉄砲などの多くの武器が掛かっていたとされ、ここでしか見られない大変貴重なものです。また、東大柱は天守の最上階まで続いている柱で天守を支えている大変長い柱です。
また姫路城の石垣は打ち込みはぎがおおいものの、野面積みの石垣も数箇所発見できました。

今年は100名城は大阪の方へ行きたいですね。芥川山城をまだ見てないので行ってみたいです。四国や中国はお金がないので大人になってから行きます…
あと再攻城については観音寺城、郡上八幡城、岩村城を予定しています。
郡上八幡城と岩村城は鉄道目的とスタンプ目的に行きます。長良川鉄道と明知鉄道は乗ったことありますが、友達が乗りたいそうなのでもう一度。
観音寺城は本丸を見ていないのでもう一度行ってしっかり見たいと思っています🎵
投稿についてですが、評価記入を再開したいと思います。毎回適当ですみません🙇今年からは忘れずにやろうと思いますが、多分いつかまた忘れると思いまーす。
明日から学校なので少しだるい感じなのですが、また土日や学校の休みを使ってお城探訪頑張っていきたいと思います💪
あ、ちなみに僕は私立の学校に通ってるので本校の入試の時が休みなので結構多いんですよね〜
姫路城はまだまだ続きます。

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小城小次郎

加越国境に跨る佐々氏のお城 (2023/04/22 訪問)

加越国境に跨って築かれ、前田方の切山城と対峙する形で小原越を封鎖・監視していた。加越両面に眺望が効く立地は申し分ないが街道を切断した堀切が象徴する怜悧な縄張は隙がないとも言えるし余裕がないとも言える。

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相都街道

お世話になりました。 (2023/02/07 訪問)

卒業論文として小田原城に関わる題目で執筆。無事提出を完了しました。史資料集めで2023年は2月から12月にかけて小田原に通う1年になったかなと。色々な人にご協力いただいて良い経験ができました。

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赤い城

田ノ岡城 徳島県三好郡東みよし町 (2024/01/02 訪問)

東山城を目指していたところ、県道12号線沿いに道標が。
登山前に少し立ち寄って見ました。
側の説明板によると東山城の対城とのこと。
県道には大木戸跡とあり、田ノ岡城の大手門だったようです。
遺構は見つけることは出来ませんでした。
河川敷に降りて小川谷運動公園から県道方面を見上げると丘陵状になっており、この辺りが城址のようです。
重機による工事が行われていました。
道標は立派なんですけどね。

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三浦の晃ちゃん

土塁 (2024/01/07 訪問)

佐竹氏の居城です。土塁が、見事です。隅櫓や、史料館は、冬期のためか、休館中でした。スタンプだけは、近くの施設で押印できました。

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三浦の晃ちゃん

ブラタモリ (2024/01/07 訪問)

平安時代の古代城柵です。城というよりは、役所かなと思いました。門と古代の水洗トイレが、復元されています。水洗トイレは、ブラタモリでも、取り上げられていたみたいです。近くの秋田市立秋田城跡歴史史料館に詳しい説明があります。

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宗春

箕輪城 (2024/01/07 訪問)

千葉県在住者からすると、群馬県の城を攻めるのはハードルが高く、関東の百名城にもかかわらず今まで来る事ができませんでした。
今回、前橋東照宮への参詣とセットで計画を立て、やっと来る事が出来ました。

朝5時前に起きて10時前に到着し、一通り見学した後、箕郷矢原宿カフェで百名城スタンプを押しつつ優雅にランチなどしようと思ったのですが、想像していたカフェとは少し違っていて、食事する場所ではありませんでした。でもパウンドケーキ美味しかったです。

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ぴーかる

中山城 (2023/11/25 訪問)

【中山城】
<駐車場他>中山城址碑案内板が国道145号線の待避スペースになっています。
<交通手段>車

<見所>空堀
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅3日目11城目。現地説明板によると中山城の築城は1582年と推定されています。本能寺の変後に滝川一益が撤退し真田氏と北条氏が覇権を争いの中で北条氏によって築城したとされます。
 私の考えではこの中山城は沼田・名胡桃城と岩櫃城を結ぶ街道の中間地点にあり争いの中で真田領土に築城するのは難しいと思います。築城年が確かであれば1582年の7月から僅かの期間、真田昌幸は北条氏に従属していたので従属する代償の1つとして北条氏が真田領の楔として築城したとのかと考えます。
 城跡は南北に長い梯郭式の縄張りで西側・南側からの防備に強いように感じます。真田領を分断するにしては東側からは川はありますが主郭が丸出しなので築城された時代の情勢がそうだったのか、東麓は当時湿地・沼地だったのかとも色々思いを巡らせる構造になっています。国道の待避スペースから城跡丘陵地の東麓に周りこみ、東麓から登ります。主郭にすぐたどり着きます。主郭を囲む深い空堀はダイナミックで北条の築城らしさが分かります。主郭以外の曲輪は田畑だったり藪化で入れそうにはありませんでした。一応主郭堀底に降りて堀底を堪能しましたが靴が泥だらけに。後から分かって買いそびれたのですが、道の駅中山盆地に御城印販売しています。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

前城 荒神社の鎮座する岩盤に囲まれた小山 (2024/01/02 訪問)

青景城の本城の南東100mちょっとの距離に頂上に荒神社を頂く小山があり、これが青景城の前城とされています。近くに集会所があるので、ここに車を駐車させていただいて前城と本城を散策させていただくのも良いかもしれません。
前城の周囲も岩盤がむき出しになっていて背後からの攻略は不可能に近いです。南側に神社への石段が続いているので頂上には容易にたどり着くことが出来ます。青景城は前城も本城も、むき出しになった岩盤が特徴的な城です。城主青景氏の趣向かもしれませんが推奨のルート以外は危ないので安全な道から訪問するのが良いと思います。

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しんちゃん

毛利氏が陶の残党を抑えるために築いたらしい (2024/01/02 訪問)

新春一ノ槍-4 米光城の投稿です。
米光城は川内神社の北の標高200m(比高90m)ほどの小山の山頂部に築かれています。神社からの比高は70m位で特に登城道らしいものは有りませんが神社の右手から山に入る道が続いているようです。最高所を主郭とし東西に郭を配しており、登っていくと主郭の東の郭にたどり着きます。主郭を経て西の郭(二郭と仮定)に入ると西側に土塁と虎口らしきものが残っています。
弘治3年(1557)毛利輝元が大内氏の重臣杉次郎左衛門元相に陶の旧領徳地三千貫を与えて上徳地に置き、同じく大内氏の重臣内藤左衛門太夫隆春を下徳地に置いて守らせたとされています。

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