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トク

㉓【関ケ原の26人】(12)田中吉政 (岡崎城大河ドラマ館) (2023/02/10 訪問)

(12人目)「田中吉政」の続きですがちょっと寄り道します。

せっかく岡崎城まで来て、カズさんら東軍諸将の方々のおすすめ記事もありましたので、思い切って「大河ドラマ館」へ潜入してみる事にしました(写真①②)。西軍の残党である事がばれぬよう、そろりと身を隠しながら入口付近まで近づいて行くと急に何やら殺気が! 振り返ると家康の銅像が私を鋭く見下ろしていました(写真③)(くせ者ではござりませぬ~何卒御容赦を~😭!)。そして九州弁をひたすら隠しながらチケットを購入し、いざ密かに潜入します😎!

中では、ドラマのこれまでのストーリーや登場人物が紹介され、使われた衣装や家康が大高城で身につけた金の鎧兜などが展示されていました(写真④⑤)。中でも関ケ原のコーナーは広くスペースが割かれていました(ばり銭をばかけとんしゃ~あごたるなあ🤔)。大型スクリーンに10分間の映像が流れ、その下の動くジオラマとともに、合戦の様子が家康の語りで解説されていました。(ここは撮影不可のため、写真でお伝えできないのが残念です)。大河ドラマ館の方々も、後半最大の山場はやはり関ケ原だと思ってこのようなものを作成されたのでしょうか・・・?(やっぱあげんしも関ケ原っち思うちょるげな🤔)

(ムフフ😎 こりゃ~ちかっぱよか展示ばい!😊)

次は、(田中吉政陣跡と柳川城)へ続きます。
 

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赤い城

熊野神社の裏手に (2023/02/18 訪問)

熊野神社に駐車場があります。
神社向かって左手から登って行きます。
この時季は藪もなく下草も刈ってあるので歩きやすいです。
本丸直下に堀があり、その東側には二重の堀切があります。
本丸下の堀は本丸を囲むようになっています。
西側は広めの堀があり、その外側にも堀のような地形がありました。
説明板や石碑もありませんが遺構は残っている城でした。

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小城小次郎

味わい深い見所が満載 (2022/10/16 訪問)

発掘された天守台と復元櫓群、更には博物館の開館と話題に事欠かない駿府城だが、植物に埋もれた人名刻印石やビルに埋もれた石垣や、地味にカラータイル表示されている大手礎石等、味わい深い見所が満載なのだ。

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ぴーかる

千石堀城 (2023/01/29 訪問)

【千石堀城】
<駐車場他>せんごくの社 里山駐車場<34.418059, 135.370135>十数台駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>千石堀城は石山合戦の後に根来寺の支城の一つとして根来衆によって築城されました。北東に近木川が流れており畠中城・積善寺城・千石堀城が近木川のすぐ南西側にあることから近木川が根来衆・雑賀衆の防衛ラインだったことがよく分かります。1585年豊臣秀吉軍の猛攻を受け(千石堀城の戦い)双方多数の死者を出して落城しました。
 城の範囲は三ノ丞山と呼ばれる南北2㎞が城跡と思われているが北側3分の1程から分断されていて(かつては堀切だったのを現代に削って道にしたか?)範囲はよく分からない。城跡入口から重機の通ったような広い道があったので不思議と思ったらやっぱり主郭の北側に大きなユンボが置いてあり、主郭西側が削られ改変されていました。主郭の東側は生き残っており2重の堀や傾斜のある曲輪が残っています。分断された南側にも行ってみました。切岸を登ると折れた石碑と説明板があります。尾根上を南に下っていくと堀切があって丘陵上ピークに竹林が整備された削平地があります。東側に牛神池があります。かつては城の一角ではあったかもしれませんが、瓦が落ちていたので近世にここに家があったかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

【尾張・浅野城】愛知県一宮市 浅野長政公宅跡 (2023/02/12 訪問)

 浅野長政公宅跡として浅野公園として整備されています、養父長勝、秀吉の妻寧々などの思いも詰まる屋敷跡庭園です。
 奥殿陣屋、岩津城跡を終えて高速の豊田東ICが数km程の距離で移動に大変便利、西に約60km程、一宮ICを降りて北へ3km程の所に浅野公園・浅野長政公宅跡が在ります。

 住所:愛知県一宮市浅野八釼(浅野公園)
 駐車場:浅野公園駐車場12~13台可能、浅野公園手前の通り沿い北(35°17'46"N 136°49’40”E)

 城域は南東側南に張り出し、北側西に張り出し、北東は入角を周囲全周を水堀で覆ってる、大正6年に整備し水路は元堀跡の名残、水堀として整備もされる、公園としてツツジが植栽されて居り時期には綺麗に咲くでしょう、また藤棚も有り時期が待たれます。
 北側奥には小高く土が盛られて石碑が有り元屋敷が在ったそうです、その西側に寧々の歌碑(「たちばなを 庭のまがきに 眺むれば 雲井の花を 恋しくぞ思う」天正16年1588年4月後陽成天皇聚楽第行幸を後に偲んで詠だ和歌)、寧々の水なる井戸が在り掘り起こされた時に出てきた神石と共にまとまって整備されて居ます。
 更に西に長政公も好きだった囲碁の石碁盤も露出展示、夫々には解説板が付いています、西の隅に小山が有り傘亭(カラカサテイ)、この小山は狐山と呼ばれ、養老山脈、伊吹山が眺められる風光明媚な場所との事、更に西張出の南角に手植杉が有り浅野家の最終の藩は芸州広島藩ですが、最後の藩主浅野長勲(ナガコト)の手植杉と碑と一緒に在ります、他各界各氏の手植杉も有ります当時の海軍大将加藤友三郎後の総理大臣等。
 中心部は広場に成って居り見学時は子供達が遊んでいました、東側には一宮市浅野老人いこいの家、その南は寧々晩年の京都高台寺からの寄贈でシロヤブツバキ、ホンキリシマツツジが植わって居ます。

 城びと登録の濃尾平野には戦国武将の館、屋敷、城が多くありますが車で回れて、一に駐車場の心配があり未だに回り切れていません、そんな中数年前から城郭放浪記さん城郭案内写真館を眺めて居り、浅野城浅野長政屋敷がヒットして駐車場も有り、平城、高速道ICからも近いと、此処を拠点に濃尾平野の城々を廻ろうかと温めていた城跡でした。
 情報は城郭放浪記さんグーグルマップに依ります。
 

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todo94

岸岡山緑地 (2023/01/05 訪問)

近鉄千代崎駅から徒歩にてアプローチしました。古墳としての形状はとてもはっきりしているのですが、空堀となるとちょっと微妙な感じです。岸岡山緑地の南側のエリアも恐らく城地なのでしょうが、ちょっと踏み込んでみて遺構を見つけられそうな気配が感じられなかったのでこれにてこの日の攻城を完了といたしました。

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T-Shionoya

縄張図に刺激され栗橋城へ (2022/12/31 訪問)

個人的には、北条氏照が関宿城攻めの拠点とした小田原北条氏の支城というイメージがある茨城県五霞町の栗橋城。
ほとんど遺構がない認識でしたが、江戸期に書かれた縄張図に刺激され、昨年末に行ってきました。

今は権現堂川(元渡良瀬川・太日川)の東岸に位置する栗橋城。
河川工事前は対岸まで城郭の一部であったとも伝わり、川は今より西側を流れていたのでしょうか。
いずれにしろ川辺の微高地に築かれた城で、鎌倉街道中道の通り道でもあり、陸路と水運の要衝だったことでしょう。

古河公方設立の1500年代中頃から約100年間、その重臣の野田氏の居城。
その後、北条氏照の手に渡り、改修されたでしょうか。秀吉の小田原征伐後、しばらくして廃城となりました。

現在は北外郭の南部から東外郭付近の遺構を残すのみ。
訪問時は、中まで公開されている雰囲気ではなかったため、法宣寺から七曲りの堀を眺めるに留めました。

堀は写真以上に深く、向こう側(城内)は1段高い印象。
江戸期に描かれた「築城規範」を見ると、各虎口が馬出や桝形で守られた魅力的な城。
その仕掛けを直接見ることはできませんが、残る堀が嘗ての巧妙な城を今に伝えているような...
そんな周辺含め約2時間の栗橋城訪問が、私の城巡りの139城目でした。

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赤い城

クイズの答えと千葉の城

クイズの答えは朝田さんご回答通り久留里城です。
さらに仰る通り弥陀曲輪から東に伸びる尾根の先端にある切通状の通路の写真でした。
弥陀曲輪から少し進むと写真2の堀切があります。
この尾根にはいくつもの堀切が設けられていました。
朝田さん訪問時は足元悪かったようですが晴れた冬の日に訪れた際には是非行ってみてほしいです。

ちなみに忠勝さんの居城にも写真3の堀切が残っています。
駐車場から遊歩道に入って行くと見ることができます。
こちらは夏でも大丈夫。

POYOさん、大人になったらぜひ房総にもお越し下さい。
写真4は万喜城の尾根道、5は本佐倉城のセッテイの空堀です。

未登録城でも見逃せない城は多いですよ。
写真6は千本城。
房総名物の岩盤堀切の中でもかなり大きな堀切です。
城域は広く奥まで進むのは難易度高いですがここは登城してすぐに見れます。

写真7は最近登城した峰上城。
上総や安房はこのような岩盤を削った遺構も多いです。
先日聴講した金谷城の説明によると岡本城の石段も当時のものなのではないかと。

写真8は森山城隣の須賀山城。
写真9は多古城、10はその近くの並木城の二重堀。
多古町は最近、城の整備をしていてこの他にも整備された城があります。

千葉は安房の里見氏、上総の武田、正木、酒井氏、下総の千葉氏、足利氏と比較的小さな領主が多く、その分城も多かったとのこと。
北条氏の影響も受ける城もあります。
何より岩盤を削った遺構は見応えありです。
難易度の高い城も多いですがハマるか引くかのどちらかかも。

尚、久留里城もそうですが上総、安房の城は夏はヤマビルと藪のため攻城は冬がおすすめです。

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ぴーかる

西曲輪群と畝状竪堀 (2023/01/29 訪問)

 2回目の登城。前回の登城は2020年の5月、西曲輪群へ行く方法が分からず攻略できず不十分で、必ず再訪攻略する意思で最大の見所の西曲輪群にある畝状竪堀を攻略しに来た。前回と同じ所に駐車してまず殿の墓にご挨拶し入城した。進入口の竹の倒木が綺麗に整備され入口が明瞭になっていました。先に南側の小径を通って大堀切に行きました。堀切の北側奥の方の荒れ方は同じでしたが、南側の竪堀付近が整備され、イオさん投稿にあるように西方向に堀切を登る鉄パイプが設置され道がつくられていました。
西曲輪群は尾根上に小さめの曲輪が続いて奥に広い主郭があります。主郭の西側から関空・大阪湾の眺望が見事です。主郭だけ綺麗に間伐されていて整備されています。主郭の西側に高い切岸の堀切があり先が曲輪がありますが羊歯藪化してここまでしか進めませんでした。さて、畝状竪堀ですが主郭の南側から下へ降ります。主郭からは畝状竪堀は見えません。かなりの急勾配ですのでストック要、体力によってはロープを持参した方が良いかと思います。100m弱程下ると上から見えてきます。大阪には珍しい大きい竪堀が7条程あり、その起点となる横堀も見事で圧巻です。
戻りに東曲輪群に行って最北の曲輪の西側の堀切を発見し、前回見落とした2段の石垣遺構を探しましたが1か所しか見付けられませんでした。なかなか散策と遺構探しの難易度が高いですが、かなり見応えある城跡でした。満足度も暫定◆◆⇒◆◆◆へ修正です。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

めまぐるしい (2022/10/10 訪問)

伯耆国の真ん中なのに東伯郡というのが境目らしいというか尼子・毛利が争奪戦を行った挙句に織豊期にも毛利の飛び地だったのを南条が掠め取ったとかいろんなことがあって中村、市橋、池田、津田でやっと落ち着いたという・・。

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にのまる

阿波青石パラダイス (2023/01/05 訪問)

徳島駅から路線バスで「一の宮札所前」下車。
帰りのバスまで2時間半あるので時間を気にしないでゆっくり見てまわることにしました。
登城口から縄張り図のコースどおりに、まずは倉庫跡方面に向かいました。山道ですが整備された歩きやすい道でありがたかったです。しばらく登ると神宮寺跡、経筒出土地、神宮寺谷道の案内板があったので、コースからは外れますが行ってみることにしました。どこまでも続くかに見える石敷き道と随所に渋めの石積み。自然の中で芸術鑑賞をしているような気分を味わえました。石の道を抜け出たところは登城口のすぐそばだったので登城リスタートとなりましたが、それも全く苦にならないくらいの満足感でした。

コースに戻って左手の倉庫跡、竪堀、右手の上下二段(縄張り図を見ると三段のようでした)の曲輪跡を見学しつつ進みます。メイン会場にはまだ到達していませんが既に曲輪の数が多いなという印象です。その先進むと二つ目の倉庫跡の案内がありましたが、そちらは行けそうにありませんでした。さらに登るとダイナミックな堀切が見えて才蔵丸に到着。船戸谷川の景色を展望できました。
ここから分岐している外側の道へ進み城内最大の堀切を見て、本丸、明神丸へとまわりました。
はじめて見る緑泥片岩の野面積み石垣。想像していた以上の別天地で、唯一無二の個性の中に人の手による温かさを感じます。本丸を守る頑強な石階段を下り明神丸へ。本丸・明神丸・帯曲輪に三位一体の強さを感じました。

本丸に戻って小倉丸方面へ向かいましたが、この時点で10:30。帰りのバスは11:09発。
ここから後半の見どころだというのに、前半ゆっくりしすぎたせいで既に2時間が経過し、タイムアップまで残り40分を切ってしまいました。来た道を戻るのではなく一周する予定なのでこのあとどのくらいかかるかの見当もついていません。
……まっ、いいか。

小倉丸は虎口が崩落対策中ということでしたが行くことができて、湾曲した土塁や櫓台跡を見ることができました。才蔵丸も細長かったですがここはさらに細長かったです。青々と茂る羊歯に水場の近さも感じました。
空堀、竪堀を見つつ進むと、難所ありの椎丸経由で水の手丸へ行くか、椎丸を通らずに向かうかの二択を迫られました。時間もあまりないし、どちらにしてもこの先避けて通れない鎖場が待っているので椎丸には寄らずに進むことにしました。難所がないとは言え、登城口から小倉丸までの整備された道とは違い自然のままの山道を歩く感じでした。
水の手丸への分岐に着いたのが10:48。水の手丸に寄るとバスに間に合うかかなり微妙。「椎丸に寄らなかったついでに水の手丸にも寄らない」という意味不明な理由付けをして水の手丸はパスして貯水池と堤跡の方へ進みました。
ドキドキの鎖場は思ったほど大変ではなくて(でも鎖がないと降りられなかったです)ホッとしました。ここから登城口まで300メートルの表示があったのでダッシュして無事にバスに間に合いました。

このたびの四国7城めぐりのなかで一宮城がいちばん不安でしたが、楽しんで歩きまわることができました。もし一箇所だけ再訪できるとしたらここを選ぶと思います。(椎丸・水の手丸にも行きたいし。)
御城印収集は最近は積極的にはしていないのですが、整備の一助になればと缶バッチ2個とあわせて(500円硬貨しかなかったので^^;)購入させていただきました。
ここに限らずほぼすべてそうなのですが、城郭協会さんが100名城・続100名城の選定とスタンプラリーという一大企画を立ち上げてくださらなかったら知ることも行くこともきっとなかったので、城郭協会さん、それから何十年もお城に情熱を注いで険しい山道を登城し後進に道をひらいてくださったマニアの皆さまに感謝です。

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モト

空堀や郭が確認できました (2023/01/31 訪問)

城跡は片倉城址公園になっておりある程度整備されておりますので見学しやすかったです。
城跡は公園の小高い山の上にあります。
神社がある方と奥の沢の方からの登城ができます。
私は奥の沢の方から登りました。
登り切ると二の丸が下の方から臨め、空堀がしっかり守ってます。
二の丸に入ると出丸のような郭と本丸の間にも空堀を確認できました。
本丸には櫓跡の遺構や下の帯曲輪には神社が建っています。
神社からの本丸、櫓跡の眺めは城跡の雰囲気が漂っておりました。

季節によってツツジや桜が綺麗なようです。
駐車場も公園のがあり停める事ができます。
また、駅からも徒歩で5分くらいですので行きやすい城跡かと。
八王子城へ行った際になど立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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赤い城

冬枯れで土塁が出現 (2023/02/12 訪問)

峰上城の七重堀切を諦めて帰陣途中に立ち寄りました。
請西(じょうざい)藩の陣屋跡です。
霊園の向かいに広い空き地があり、前に説明板が立っています。
投稿にあるように以前あった石碑はなくなったままでした。
空き地隣の藪に遺構が残るとのことだったので入って見ました。
陣屋を囲むように綺麗に残っていました。
周辺は住宅地でおそらくこの空き地も造成用なのでしょうが前回訪問時とそんなに様子は変わってませんでした。

クイズの答えは次のレポートとします。
出題の仕方も頭使いますね。
勉強になります。

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nm

醤油の香り (2022/09/08 訪問)

JR引田駅を降り、城跡までの道のりが楽しい。昔ながらの街並みを通ると讃州井筒屋敷に100名城スタンプがある。近くに醤油醸造所があり、歩きながら香ばしい匂いが郷愁を誘う。蛭子神社を横切り海沿いを歩く。あちこちに引田城の看板があり、テンションが徐々に上がる。登山口には詳細な登り方の立て看板。ちょうど下山した人に会う。伺うと左回りに登るのが良いとのこと。ありがたい。本丸まで季節の花木や鳥たちの鳴き声が楽しめる。小さなかわいい灯台もあり、写真を撮りたい。北の二の丸の石垣は感動して何枚も写真を撮った。思い出の攻城になった。

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朝田 辰兵衛

<再>赤い城さんのクイズ… (2022/02/13 訪問)

赤い城さん,ヒントありがとうございます。
房総・上総で行ったことのある,万喜城よりメジャーな城は,忠勝公の居城とくるりんぱの二択。
忠勝公の居城は整備が行き届いているか,開発の手が入っていて,写真のようなワイルド感ナシ。
とすると,くるりんぱ…。
あの時は残雪があり,しかも次第に雨が強くなってきました。弥陀曲輪まで下りたところで,さらに続く尾根道を見つけましたが,ぬかるんだ足元に危険を感じ断念しました。
ということで,久留里城弥陀曲輪より先の尾根道の景色かと思います。

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ぴーかる

仁王山城 (2023/01/29 訪問)

【仁王山城】
<駐車場他>廣野神社駐車場<34.428767, 135.540322>2台程度可能。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>仁王山城は現地案内版も見付けられず、サイト情報も少ないので詳細が記述できませんが、城びと情報によると1332年に楠木正成によって築城されました。
 廣野神社に参拝し、南に真っすぐ進むとGoogle地図ではまず日の谷城跡に着きます。日の谷城跡手前には堀切、左手は1段低い細長い削平地が並行してあります。日の谷城跡は広い主郭と思われる削平地があります。そこからすぐ奥に切通しがあり仁王山城に入ります。井戸跡がある付近は尾根上のやや広い削平地がありその先に谷の扇状地があります。この辺りが一帯が城跡遺構がはっきりとしていて主要部と思われます。山道が土塁上を歩くような感じでさらに両脇に土塁、その先に土橋、土橋下の谷にははっきりしませんが竪土塁のような感じに見えたものもありました。ちょうど日の谷城跡手前で獣捕獲檻を仕掛けられていた方に井戸跡と切通しがある他は何もありませんよ。と教えて下さいましたが、なかなかどうして土塁、曲輪、土橋がはっきりしていてちゃんと城跡でした。廣野神社からほぼ高低差なしでたどり着けるので登山はありません、楽です。

<満足度>◆◆◇

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牲川義春 (2023/02/18 訪問)

 牲川氏が築いた城とされています。東の城、西の城、出城が尾根で結ばれた縄張りとなっています。尾根には堀切があります。東の城、西の城付近の別の尾根にも堀切がありました。
 橋本市城山団地三丁目の奥にある給水塔が目印です。その奥に城山台三丁目集会所の左に登城路があり標識が立っています。こちらから登城して東の城→西の城→出城と散策しました。出城の下にも別の登城路があり、そこを下山しました。道は迷うようなことはありませんが、急坂があり倒木もあり少し難渋しました。またこの季節は枯れ葉が堆積していて滑って歩きにくかった。特に下山時の急坂は怖かったですね。それでも堀切、竪堀、曲輪、土塁等が残っていて散策していて楽しい城址だと思います。

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三箇氏の居館 (2023/02/18 訪問)

「小山 三箇城址」という石碑が立っています。堀も残っていますが藪になっていてよくわかりません。

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松倉重政 (2023/02/18 訪問)

 妙住寺付近が本丸であったようです。近くに案内板がありました。遺構は残っていないように思われます。

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ひろし

地元に愛されている城跡 (2023/02/18 訪問)

このサイトを情報源に、石碑のあるところへ訪問しました。
ちょうどその角のお宅の前に、小学生向けでしょうか?簡単な説明文もあり、もう1つの石碑のことも書いてありました。

またそのお宅の方がたまたま外に出てみえて、親切にいらいろ教えてくださいました。

遺構はなくとも、地元の方に大切にされてるお城なんだと感じました。

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