天文期(1532〜1555年)に松浦肥前守が築城したとされ、その後、永禄期頃(1558年以降)に紀伊の根来衆が和泉へ進出する拠点として構築したとされます。
東西に峰があり、東丸と西丸に分かれた一城別郭のような大規模な山城です。
2回に分け、まずは東丸を投稿させて頂きます。
南側下に二つの堀切があります。
南東側尾根には二重堀切があり、特に城内側は大きくて鋭く見応えがありました。
山頂から北東以外の全方向に小さめの曲輪が連なり、西側の広めな曲輪に低い石積が二段あり、城郭寺院を思わされました。
でも、城跡でなければ、みかん畑の石積にも見えてしまいそうです。
東丸と西丸の間の鞍部は大門跡とされ、大きな堀切のようでもありました。
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