地元各所の城跡を見て廻っているとやたらと地頭仮屋の表示・仮屋門や石垣が目に付いていました。取り合えず写真に納めていて、30か所を超えた頃に地頭仮屋とは何だろうと調べてみました。その頃は全国に存在しているものとばかりと思っていて荘園関係の地頭なのだろうと思っていました。ですがこの地頭仮屋は薩摩藩特有の制度で荘園関係の地頭とは全く関係なく薩摩藩特有なのだとか。この制度を外城制といい当時薩摩藩に籍のあった宮崎県の一部にも存在していおり、同様の制度がお隣熊本県の人吉藩でも導入されていたそうです。詳細は以後順次・・。
この外城制の遺構について、地元発信のローカルネタとして遺構を不定期で投稿しようかと。何しろ100か所以上あるので終了しないような気もしているのですが。
1~3:串木野郷地頭仮屋:いちき串木野市
・・・登録城の串木野城の一角にあります、串木野麓として武家屋敷の遺構も残っています。遺構は石垣ですが表示板によると明治期築造なのだとか
4~6:加世田郷地頭仮屋:南さつま市加世田
・・・最寄りの城跡は加世田城、そこを中心に麓が形成されています。遺構は階段や門柱、築造時期は不明です。
7~9:山川郷地頭仮屋:指宿市山川
・・・最寄りの城跡は不明だが近くに消滅した土矢倉城があります。ここは漁業が盛んな為、海近くに設置したのかもしれない。遺構は石塀で江戸時代の築造によるそうです。
次回に続く。。。
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