西側の郭の先端にあります。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2024/03/09 20:56
大掘切と石垣 (2024/03/09 訪問)
西側の郭の先端にあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2024/03/09 19:04
東農協前バス停からの案内が充実💡))) (2024/02/11 訪問)
秦野駅前4番のりばから,神奈川病院ループのバスに乗りました。東農協前バス停から約20m戻った交差点からアクセスします。この交差点から案内が充実していて迷うことはありませんでした。受け入れ側からすると,案内を充実させることで,無関係な場所への不用意な立ち入りを防止する観点もあるのでは…とも考えました。
復路もこの神奈川病院ループのバスを利用。同じバス停です。違う系統のバスも存在しており,逆方向へ戻るためのバス停も向かい側にありましたが,本数は少なかったです…。
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2024/03/09 18:31
佐味城 早速行ってきました!(^^)! (2024/03/09 訪問)
佐味城、早速本日に行ってきました。墓石の真ん前の柵に針金があって、外して開ければ難なく入れました。よく見ると、踏み跡の大手道が柵の外からでも見えていました。前回行った時は、①車を駐車する所が見つからず、県道30号線の道路脇の私有地みたいなスペースに停めたこと。②思いもよらず、柵が設けられてしまっていたこと。③この日に奈良県をコンプリートする為にプランを詰め込み過ぎたこと。この3つの原因が重なって焦って進入口を見落としていたようです。
イオさん、しんちゃんさん、とある煩悩の登城目録さんのお三方のおかげで攻城が果たせました。素晴らしい城跡でした、ありがとうございました。城びとの訪城者が約10年ぶり、たて続けに4人も来たら佐味城のほうもビックリしたかも、なんてね。
投稿の順番待ちのお城が37城も溜まっているので、佐味城の投稿がだいぶ先になりそう、まずはお礼まで。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2024/03/09 11:26
松平の衰退のはじまり (2024/03/02 訪問)
織田信光(織田信長の叔父)の居城で、徳川家康の祖父・松平清康が亡くなり、松平の衰退に至った森山崩れが起きとところです。。
矢田川の河岸段丘を利用して作られています。
現在は、閑静な住宅地の中になっています。
二階建てアパート(その名も城跡荘)の奥に城跡がありますが、円形古墳のような感じで
出丸の一部だったのではと推察されます。
城跡の西、数軒の住宅を含めた部分および南側の宝勝寺が城域だったんじゃないでしょうか。
北400mほどのところにコインパーキング(名鉄協商パーキング 鳥羽見第2)がありますが、宝勝寺も寄るのであればお寺の駐車場にとめるのもよいかと思います。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/03/09 10:47
狭い道からの 広い本丸ファーム。 (2024/02/10 訪問)
「戸崎城」から「穴倉城」に向かいました。
こちらの「穴倉城」も、佐竹氏の秋田移封後、廃城しました。
県道118号をドライブしていると、ナビは左折を案内しました。すると『穴倉城 本丸入口』の案内板が現れ、左折。(これが、その後 大変な事になりました。)
細い道の先に『道が狭い為 車が進入できません』の立て札があり、そのまま駐車しました。
目の前には土橋が本丸へと続きます。
藪の中に空堀。別れ道の右手は高くなり本丸方面。左手は更に奥に進めます。
先ずは本丸に上ると、「戸崎城」と同様に広い本丸ファームでした。「穴倉城」の説明板があります。
別れ道の左手の奥は、郭が広がります。耕されてはいません。
さて、次は何処に向かおうかと車に戻ると、この場所では方向転換できません!
細い道を、ひたすらバックで退陣しました。150m位だったと思います。小さな軽自動車なのに壁スレスレです。写真②です。
何事もなく「穴倉城」を脱出した時は、2月なのに汗びっしょりでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2024/03/09 10:01
「水郷柳川」日帰り散歩⑤(天守跡で新発見?) (2024/03/04 訪問)
日帰り散歩④の続きです。北原白秋の歌を口ずさみながら、掘割り沿いを歩き、柳川城の本丸天守跡に着きました。今は何も残っていませんが、ここには天守台の石垣とその上に五重の天守が建っていました(写真①②③④)。
関ケ原当時は、ここは立花宗茂の居城でした(写真⑤)。そして関ケ原後には田中吉政が、石田三成を捕らえた功績で、岡崎10万石から筑後柳川32万石に加増されて1601年に入り、その五重の天守を築きました。明治5年までその天守は残っていましたが、火災で焼失したとの事です。その明治期の写真が説明板にありました(写真⑥)。それをいつものように眺めていると(ん?🤔)ここで新たな発見が・・・ 天守部分を拡大してみます(写真⑦)。この写真、どこかの城にそっくりだと思いませか? そう岡崎城に何となく似ていると思いませんか?
そういえば岡崎城を建てたのも田中吉政(家康時代は土造りの城)、柳川城の天守を建てたのも田中吉政(宗茂時代は土造りの城)です。そう普通に考えると、ここには岡崎城にそっくりな天守が建っていたとしても、何の不思議ではない気がします。
でもよく考えると、吉政は岡崎城の天守台までは造りましたが、実際に建てたかはわかっていません。その後に入った本多康重・康紀父子が、吉政の天守台を拡張して1617年に三重の天守を完成、その天守が明治の廃城令まで残っていたとされています(現在は模擬天守)。
ならば、なぜ先に完成した柳川城が後に完成した岡崎城に似ているのか? あるいは、本多父子が吉政の指南を受けながら柳川城をまねて岡崎城を築城したのか? あるいは、吉政はmini版の岡崎城を築城していて、本多父子は単にそれを拡張して造り変えただけなのか? はたまたこれは単なる偶然なのか? それとも私の目の錯覚なのか? 疑問が尽きなくなりました。
はたして真実は?
お聞かせ下され吉政殿~!(写真⑧⑨⑩)
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2024/03/09 00:00
ゼリーフライ (2024/01/07 訪問)
行田市のご当地グルメ“ゼリーフライ”。
何度説明を聞いても、最初に思い浮かんだ揚げパンの中にポイフルが入っている絵面が頭から離れず(>_<)
百聞は一食に如かずということで、忍城の近くの【かねつき堂】さんに行ってきました。
忍城から移設の鐘楼がシンボルで、宛ら『かねつき曲輪』といった感じです。
ゼリーフライとふらい焼きそば(小)を店内でいただきました。素朴で懐かしいほっとするお味で、小腹が空いた時のおやつにも、がっつりお食事にもいけそうでした。お持ち帰りのお客さんも次々といらっしゃっていました。
あっという間に完食しました。ごちそうさまでした😋
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/03/08 21:02
吉田城 さんぽ (2024/03/08 訪問)
2023年に行われていた吉田城(豊橋)の石垣修復に伴う解体と発掘調査で、新たな石垣刻印が発見されたと今さらながら知りました。何でも13個も見つかったそうですが、多くは元の石垣の修復のために戻されてどこにあるのかよくわかりません。まあ実際、石垣の内側など見えないところに刻まれていたので、すでに確認は出来ない状態だとは思います。
毛利秀就の「二」の刻印も見て見たかったのですが、いかんとも‥。ただ南多聞に使われていた蜂須賀至鎮の「山田」の刻印の入った石はいつでも見ることが出来ます。交換用の石垣とされたので南多聞の片隅に、誰にでも見えるように置かれているんですね。
地元の良い所は仕事帰りに散歩がてらに寄ることが出来るんですね。こういう時、地元は有り難いです。「山田」の刻印石は蒲郡市西浦町で採取されたと見られています。刻印の田の部分にのこっていたゴカイの巣からわかったようで、名古屋に運ばれずしばらく放置されたためと見られています。ということは名古屋城の石のおさがりでなく直接、吉田城に運ばれてきたということですね。
蒲郡の医王神古墳に残されていた矢穴石(しかも割ったあと)も不要になったため現地に残された可能性もあるわけですね。困ったものですね毛利秀就さん。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2024/03/08 20:37
厳しい意見ですが、メガな遺構の見応えはあまりない。 (2024/01/13 訪問)
【妻鹿城】
<駐車場他>駐車可能場所あり。カズサンさんの投稿を頼り<34.796999, 134.694601>砂利敷3台分の場所に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>竈門跡・眺望
<感想>妻鹿城は国府山城・甲山城ともよばれ、現地石板碑には元弘の頃妻鹿孫三郎長宗が築城したと伝えられる。1573年に黒田職隆が新たに築城し、天正13年職隆が没するまでの居城としました。天正8年に子の孝高が羽柴秀吉に姫路城を譲ったあと黒田孝高も居城(実際は三木城攻めに従軍したり、有岡城に幽閉されたりしてほとんど住んではいないが)としています。
城は市川の東側に沿った甲山という独立した山に築かれています。北東から南西にかけて尾根が走っていて尾根の東側が比較的緩やかなので曲輪が伸びています。尾根の西側は市川が流れて急斜面で曲輪は少ない構造です。南にある荒神社から登山道があります。荒神社にトイレ・城跡碑があります。遺構としては門跡、門跡を少し登ると竈門跡があります。登山道に竈門跡の矢印板が道の左手方向にありますが、逆に右手方向に入って下さい。こちらの方が明瞭な石積みの竈門跡が3基程確認できます。矢印板左手の竈門跡は石が無くなっています。竈門跡から一旦登り上がった段があります。左右に長い馬場跡のような帯曲輪です。左方向に進んで、経塚跡からは市川と西方向の眺望が良いです。山の尾根に取り付いて北東方向に進みます。薄くなった堀切があり、すぐに平坦な感じになります。右手に曲輪跡が続いて主郭に至ります。主郭からも西方向と北西方向の眺望が望め姫路城が見えます。主郭から北東方向に進み庭園跡、巨石のある磐座、尾根曲輪の北東端の北曲輪が広いです。北曲輪からの方が姫路城が近く見えます。表面観察では堀切が1条、横堀・竪堀も見受けられず、強い防御性はあまり感じられませんでした。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2024/03/08 20:07
なぜか最近人気の佐味城 城びといらせり (2024/02/24 訪問)
先日、佐味城の投稿で「なんとなく足音が聞こえている気がする」と書いたのですが、すぐ近くまで来ていたとは‥最近佐味城に熱い注目が集まって来ています。元々はぴーかるさんとイオさんのやりとりから始まっているのですが、独特の縄張りをしていることもあって人気の城になりつつあるようですね。この勢いが続けば坂本城に続くムーブメントになるかもしれません。(城びと限定ですが)問題はアクセスなんですね。車で行くかタクシーで行くしかないようです。
主郭周辺の写真を載せてなかったので無印で投稿しちゃいます。主郭は二段構造になっていて西側の方が少し高くなっています。藪化しつつありますが十分歩けます。西側には土塁が残り、その先は堀切が走っています。堀切の先は散策していません。ここに至るまで郭を7つも見て、主郭と東と南の堀切(けっこう大きい)を堪能して来たので、けっこうおなか一杯になりました。主郭東側の堀切は面白かったですね。けっこうな幅があり、堀の間を土塁で仕切ってあるんですね。まるで小さな郭のようでした。
帰りは大手を降って行きます。行きで苦労した分、帰りは楽でしたね。大手の下りは礫石が敷いてあるのでわかりやすいです。麓の方にも郭があって土塁が残っていました。ここで山に登る人間をチェックしていたのかもしれませんね。
あとは突き当りのフェンスの四隅を針金で巻いてある部分の片側を解いてやれば外に出れました。入るときにはここからが推奨になりますね。余呉クンのお城のホームページさんの縄張りを参考にさせていただくと解りやすいですよ。有難うございます。
ちなみに とある煩悩の登城目録さんとはエリアが近いこともあってか最近登城した城がすごくかぶっているんですね。どこかで合っているかも知れません(お城EXPOとか)。投稿もけっこうかぶってしまうかもしれませんが、その際はご容赦くださいませ。
イオさんはすでに登城されていますので、あとはぴーかるさんですね。すでに大手は赤じゅうたん状態ですよ(礫石ですが)。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2024/03/08 14:13
東の丸下土塁竹藪伐採中 (2024/03/07 訪問)
昨年本丸の東面崖切岸の樹木を伐採整備して本丸周りがスッキリしたのですがその下側の東の丸下土塁に竹藪密集状態で土塁法面、竪堀などがハッキリ確認できない状態でした、本丸東面が整備されたので竹藪密集の東の丸あ辺りが伐採整備されるのかな?と昨年秋以降気に成っておりましたが昨日先ずは確認へと曇り日でしたので出かけました。(途中から小雨に成りました)
何と!東の丸下、東の丸下隅櫓台辺りが一部、竹藪、田圃の葦が伐採、草刈されて居ましたので途中状況の写真を投稿致します、また本丸に在った久野城址大看板が無くなっており鉄骨が残るだけでした、今後新しくなるのか?分かりませんが要経過確認です。
染井吉野桜前の早咲きの桜が咲いていましたので桜景観写真、昨年久野城保存会が受賞した日本城郭協会大賞受賞幟が誇らしくたなびいて居ましたのでその写真も投稿致します。
染井吉野が咲く頃には東の丸竹藪もスッキリ伐採整備されてる事でしょう!
駐車場:専用駐車場は北の丸下、トイレ完備
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2024/03/08 11:10
【遠江三井山砦】静岡県掛川市 徳川高天神城攻め六砦の一つ (2024/03/01 訪問)
三井山砦は高天神城から南に直線で約2.5km程に位置し、小笠山から南に伸びた標高95m程の丘陵先端に在る。中村砦からは西に約2.5km程の位置です。
住所:静岡県掛川市大坂(大浜公園)
駐車場:大浜公園展望台、中腹駐車場、堀切緑橋下(34°40'32"N 138°02'03"E)路駐・・大浜公園入口交差点から北約450m程登城口。
参考資料:余湖図コレクション三井山砦、グーグルマップ、掛川市発行高天神城家康読本。
余湖図コレクションさんの三井山砦を拝見し車で上がれるとの情報で登城を決意、相良・大須賀線の旧道の大浜公園入口交差点から北に進行して砂防ダム横を通り緑橋を目当て登るが良く分からず4、5回褶曲して大浜公園展望台へ出る、展望台に大浜公園案内図が有り大浜公園三十三観音巡りの案内と三井山砦が小山で描かれ、橋のマークが載ってるが三井山砦への指示板も無く森林の中の山道を歩くのも不安になり、余湖図コレクションの案内をよく確認して登って来た舗装道を徒歩で下り、下り道からは緑橋がよく確認できる。
緑橋下は大堀切に成っており(当時の物か現代の造成か分かりませんが?)、大浜公園側と三井山砦を橋でつなげてる、緑橋下左手大浜公園側に砂防階段の様な階段が有り登ると緑橋西に着く、橋を渡り数段の階段を登ると三井山砦領域で平場に成っており主郭から南に降りてる段曲輪が見上げられる、主郭の西側に北東に向かう登り路、杭列に綱が張られて谷側防御散策路に成っている、尾根筋に登ると南に向かって主郭へ、主郭内には標柱「三井山砦六砦の一つ」と記されてる、また主郭には小さな五輪塔を集めた基壇に供養塔、平石盤に刻まれた仏様三体の仏塔が祀られている。
主郭南側には低い土塁が確認されて、南を見下ろすと登りに見た段曲輪を見下ろす事が出来る、主郭何と側に堀、溝のへこみが有るがよぅ分からない。
主郭には標柱は有るが、中村砦に在った様な縄張図付き解説板は無く少し残念な思いです。
徳川高天神城攻め六砦の三井山砦、中村砦、獅子ヶ鼻砦(H29.2.4登城)の三つを探訪、最大の小笠山砦は比高が高く今のところ探訪の予定は無い。低くて車でそこそこ行ける辺りが私には丁度良さそうです。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2024/03/08 07:17
2024/03/08 06:55
二重堀がしっかり残る平城 (2024/03/04 訪問)
県道12号線から細い坂道を登ると民家の横に案内板があります。
少し広くなっているのでそこに駐車、案内板の脇に虎口がありました。
東側には高い土塁があり、外側に二重堀がはっきりと残っています。
この二重堀には土橋がかかり、これもくっきり、見ごたえあります。
郭内に入ると中央に小さな小笠原神社が鎮座。
北側には井戸跡も残っています。
周囲は土塁で囲まれ、北側と西側は崖で守られていました。
三好氏と長宗我部氏の間で再三に渡って攻防があった城、最終的には長宗我部氏のものとなりました。
あまり大きくはない城ですが平城としてば遺構が良好に残っている良い城でした。
気づけば登録城では750城目、ようやく1/4となりました。
全国制覇は夢のまた夢。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2024/03/08 01:10
市ヶ谷門→牛込門→田安門と散歩したら「灯台下暗し」 (2023/11/24 訪問)
天気がよかったので電車に乗らずに外堀土手を散歩。まずは市ヶ谷門跡。門の痕跡は殆どないが土橋はそのまま市ヶ谷橋として活用。土手という名の土塁上?の遊歩道を歩いていると、散歩中の巨大なワンコに遭遇。遠くから見た時はダンボールに見えたが、グッタリ横たわっていただけ。ワンコの居た先の法政の前にも新見附橋という橋がある。ちょっと見附ぽくないなと思ったら、往来の利便性のために明治期に新設された橋とのこと。
次に牛込門跡へ。ここには何度か来た事があるが、再開発に負けず遺構がそれなりに残っている。この度初めて気が付いたが、地面のタイル?が桝形虎口の石垣部分が分かるよう色違いになっており、その痕跡が辿れる。再開発されても色々と努力しているものだなと関心する。
そして九段下へ。高校時代から何度も来ている場所だが、この度初めて案内板を見て「九段」の地名の由来を知る。靖国神社もなんとなく敬遠していて横を通り過ぎるだけだったが、この度初めて訪問。といっても駐車場のある東側部分だけだが。しゃれたカフェやショップがあったり、学生ぽい人たちがくつろいでたり思ったよりも開けた雰囲気。ただし「トメさんの玉子丼」というメニューもあって、やはり普通の飲食店とは違うところも。大村益次郎の銅像は上の方にありすぎてよく見えないが、顔は有名な肖像画とは違うような。
九段下駅に向かう途中の田安門付近には移築されたと思われる銅像が2つ建っている。しかも皇居にケツ向けて。大山巌と品川弥次郎である。何度も通った道だが、正直こんなのあったっけ?という印象。2人の生家跡には行った事があるので知らない人物でもないのだが、まさかこんなところに銅像があったとは、これぞ灯台下暗し。ちなみに田安門の桝形虎口は武道館に出入りする群衆の勢いを止める役割を果たしているとかナントカ。
普段は電車で2~3分の所を天気が良いので2時間ぐらいかけて散歩したがとても有意義だった。意識して歩いてみないと見落としているものや新しい発見が色々あるものだなと痛感。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2024/03/07 22:43
おもしろい縄張り (2024/03/07 訪問)
金剛山の奈良盆地側に突き出た尾根に位置し、方形の曲輪が雛壇状に見られる特長的な縄張りをしている城址です。山岳寺院を城に改修したと思われますが、詳細はわかっていないようです。
金網フェンスから入ると10分で城域に入ることができました。両側に空堀を認める虎口から入ると主郭まで一直線に続く道があり両側に雛壇状に広さの異なる方形の曲輪が多数展開しています。土塁や空堀を見ることができます。主郭の土塁はかなり高く見ごたえがありました。主郭を過ぎて尾根へ進んでいくと空堀があり、さらに進むと土橋があります。この土橋の両側は削られて竪堀となっているようです。ただ草木などで竪堀構造はよく確認できていません。主郭へ戻り周囲を散策すると横堀が北側を除いた周囲にありました。北側は崖になっています。空堀、土塁等を求めて東西南北を彷徨いながら見て回りました。
変わった縄張りですが「近畿の城郭Ⅰ」(戎光祥出版)には
① 武力を有する宗教勢力による築城
② 寺院を一時的に陣などにとして使用した
③ 廃寺跡の区画群を利用した築城
の3通りが想定できると書いてあります。
遺構も比較的残っていて異形の縄張りを堪能できます。
以前から興味のあった城址で、藪が多いとの情報もあり行くなら寒い時期と思っていました。最近、このサイトで登城されている方がいることを知り触発され行って来ました。
鴨神デマンドタクシー停留所からアプローチしています。トタンのフェンスをまたいで進むと獣除けのフェンスがあり墓石のようなものの前からフェンスを開けて進むと主郭まで迷うことなく行くことができます。フェンスの開閉はしんちゃんさんの投稿が助けとなりました。墓石らしきものの前のフェンスから登城すると倒木はありましたが藪は思っていたより少なく、ストレスをあまり感じることはありませんでした。
歴史的には不明な点が多い城址ですが、土塁や空堀が比較的良好に残っていて楽しく散策できる城址です。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2024/03/07 21:59
まさかのオープンゲート (2024/02/24 訪問)
なんとなく足音が聞こえてきている気がするので、さらっと紹介させていただきます。ぴーかるさんの投稿では周囲はフェンスで囲まれているとのことでした。
それを確認してから帰る気満々でやって来ました。とりあえず某城郭サイトさんの地図で示している場所を訪れると‥開いてるじゃなーい!? 聞いてないよコレ‥とりあえず(周囲をキョロキョロして)いってみようかな‥ と思ったらひっどい藪、どうにも進めない。帰ろうか‥と思ったら藪の隙間から山の斜面が見えてしまいます。半分帰りたい気持ちがあるものの身に沁みついた習性で先に進めてしまう。藪はきついし坂は滑るし、楽して登りたい。ようやく城址に近づいてくると大きな空堀が見えてきます。その先は城というより小さな町、まるで居館のアパートのようでした。東から西へ大手が続き大手道はまっすぐ主郭に向っています。
大手の左右に複数の居館が三段に連なって主郭に続いています。まるで階層構造のようで安土城のように権威や身分を主張しているのでしょうか?この場合やはり上にいくほど偉いのかな?でも下の郭も土塁はしっかり付いているし防御そのものをおろそかにしているわけではないようです。大手道はあいかわらずまっすぐですが部分的に石が敷き詰めてあるようです。
三段構造の郭のさらに上段に主郭が存在し、上下2段の構造になっています。上段の周囲を土塁で囲み、城域の背後にも堀切を配しています。
主郭の虎口は南側にも存在し、その先はやはりまっすぐな通路が南に通じており、その周囲に郭がありました。
変わった遺構としては主郭の虎口に通じる東側と南側に巨大な堀切が有り、間を土塁で仕切ってあります。障子掘っぽくも見えますが小さな郭のようにも見えます。下人や守人が詰めていたのでしょうか?
謎が多い城ですが、面白い縄張りでもっと注目されても良いのではないかと思いました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/03/07 21:13
永井直壮 (2024/03/07 訪問)
陣屋跡は私有地で立ち入り禁止とのことでしたので、移築されている南門を撮影してきました。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2024/03/07 19:27
人間だって生き物さ (2024/02/11 訪問)
先ほど石山寺の投稿で「浮気は文化?」なんて文章を書いたので浮気城の投稿をさせていただきます。なんて引っ張り方をしてくるんだ!なんてお叱りの声もあるかもしれませんが、これも浮気城の宿命というやつでしょう。(すでにネタ城あつかい)
織田晃司さんもおっしゃっているように確かにイメージは良くない。「ふけじょう」、読み方をかえると「うわきしろ」どちらもイヤーンな感じですね。いいじゃないですか‥変な名前の城。個人的には小田切城なんて好きです。(城びとの城ではありませんが)
宍戸城なんかもいいですね。鍋城に鴨城と葱生城をぶち込んでやれば鴨鍋城の出来上がりですよ!(鴨鍋城は実在しません)
ちなみに浮気城は神社の境内に土塁と空堀が残っています。車を停める場所がないので、路駐ダッシュで駆け回ってトンズラです。神社の駐車場を探せば良かったかな?早朝とはいえ少しマナーが良くなかったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2024/03/07 19:01
石山寺 女性文学者に愛された寺 (2015/06/21 訪問)
石山寺の写真が余ったので投稿させてただきます。国の天然記念物・石山寺硅灰石 や国宝の本堂、多宝塔など見所は多いですが、境内には松尾芭蕉の句碑や、紫式部の供養塔、源頼朝の供養塔なども立っています。
紫式部の印象が強いですが、他の著名な女性文学者の作品にも記載があり清少納言の枕草子の208段にも霊山の代表として引用されています。和泉式部日記にも敦道親王との関係に悩んで参詣した様子が描かれているそうです。この二人の関係はだいぶドロドロしていて、どこかのお茶の間ドラマのようです。不倫は文化なんですかね?
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。