8:04新宿(JR)、8:58,9:05高尾(路線バス)、9:11霊園正門
八王子城ガイダンス施設(百名城スタンプ 9:00-17:00)+八王子城散策
※帰路は、詰城や富士見台を経て、高尾山方面へトレッキング
18:38高尾山口(京王)、19:35新宿
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2024/01/15 18:43
2024/01/15 17:05
城への交通手段実践レポート (2022/03/31 訪問)
7:45 東京八重洲口(高速バス)、9:06大多喜(オリブ)
(徒歩19分)いすみ鉄道大多喜駅(続百名城スタンプ 9:00-17:00)
(駅徒歩10分)大多喜城
※県立中央博物館大多喜城分室は改修中のため中に入れませんでした
※いすみ鉄道1日乗車券を購入、桜や菜の花畑などいすみ鉄道沿線を散策
16:42大多喜オリブ(高速バス)、18:04東京
※帰りの高速バスは渋滞で1時間以上遅れました(お勧めしません)
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2024/01/15 16:41
城への交通手段実践レポート (2021/05/11 訪問)
※本佐倉城跡と共に登城
8:58日暮里(京成)、9:49京成佐倉 ※駅前観光案内所でレンタサイクル(9:00-16:00)
佐倉城(百名城スタンプ 佐倉城址公園センター9:00-16:30)
本佐倉城(続百名城スタンプ 本佐倉城案内所24HOK)
※時間があれば印旛沼、風車のある佐倉ふるさと広場へサイクリングがおすすめ
16:12京成佐倉(京成)、17:03日暮里
※佐倉城跡から本佐倉城跡へは上り坂多いので電動アシスト付自転車がおススメ
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2024/01/15 16:36
城への交通手段実践レポート (2021/05/11 訪問)
※本佐倉城跡と共に登城
8:58日暮里(京成)、9:49京成佐倉 ※駅前観光案内所でレンタサイクル(9:00-16:00)
佐倉城(百名城スタンプ 佐倉城址公園センター9:00-16:30)
本佐倉城(続百名城スタンプ 本佐倉城案内所24HOK)
※時間があれば印旛沼、風車のある佐倉ふるさと広場へサイクリングがおすすめ
16:12京成佐倉(京成)、17:03日暮里
※佐倉城跡から本佐倉城跡へは上り坂多いので電動アシスト付自転車がおススメ
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2024/01/15 16:12
城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)
※杉山城、菅谷館、鉢形城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
(1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
(2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
(徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿
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2024/01/15 16:09
城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)
※杉山城、菅谷館、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
(1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
(2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
(徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿
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2024/01/15 16:05
城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)
※菅谷館、鉢形城、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
(1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
(2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
(徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿
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2024/01/15 16:03
城への交通手段実践レポート (2021/11/17 訪問)
※杉山城、鉢形城、忍城とともに登城
7:48新宿(JR)、7:54,8:00池袋(東武)、8:56武蔵嵐山 ※レンタサイクル:嵐山町ステーションナビ嵐なび
(1.0km)菅谷館(続百名城スタンプ 嵐山史跡の博物館9:00-16:00月休)
(2.8km)杉山城(続百名城スタンプ 嵐山町役場8:30-17:15)
※時間がある場合は嵐山渓谷に立寄りもいいかも
11:33武蔵嵐山、11:40,11:43小川町、11:56鉢形
(徒歩25分)鉢形歴史資料館(百名城スタンプ 9:00-16:00月休:閉館時駐車場正面入口) + 鉢形城跡
14:25鉢形歴史資料館前(休日:路線バス)、14:33,15:12寄居(秩父鉄道)、15:43,15:44熊谷、15:50持田
※平日は鉢形歴史資料館から徒歩30分で寄居駅へ
(徒歩16分)行田市郷土博物館(続百名城スタンプ 9:00-16:30) + 忍城散策
18:07持田(秩父鉄道)、18:14,18:21熊谷(JR)、19:30新宿
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2024/01/15 12:27
天守の床 冬はメッチャ冷たい (2024/01/13 訪問)
(松本城HP 観覧案内)https://www.matsumoto-castle.jp/info
JR松本駅まで特急で移動した私…🚃 その時点で外を見渡すと雪が降っており、駅から城までの徒歩移動は無理そうなのでバスで向かいました🚌 市役所前というバス停で降りて橋を渡り城門をくぐり中へ
外は雪が降り続けており、刺すような寒さ❄️ 天守が目と鼻の先の位置までは来たのですが、「体が冷えすぎてる…まずは売店にでも入って体を暖めてから行きたい」と考え、まずは御城印を扱っている事務所へ
1種類かと思っていたのですが、何と3種類(特別版も含めれば4種類)ありました。石川家、小笠原家、戸田家の家紋が入った御城印…いずれも松本城の城主を務めた大名
特別版は1枚1000円もして高いし、通常版のほうが馴染みやすい…かつそっちは3枚セットで1000円とお買い得だったので、迷わずそれを買いました(その内の2枚が画像4枚目)
事務所の隣には売店もあり、そこで身体を暖め、そろそろ…というタイミングで天守へ向かいました
1枚目が外から見た天守…ここ松本城は建設当初から現存する国内の天守12ヶ所の中に入っており、その中でも最も古いそうです。雪の降る中を入口まで歩き、石垣から階段を登って中に入りました
入口にて靴を脱いでビニール袋に入れてから中に入るよう言われてそうしたのですが、床に足をつけた瞬間…物凄い冷たいこと冷たいこと…まるで足の裏が凍傷になるんじゃないかと思えてしまうくらい…😱
今回の天守見学は…一言で表すなら…まさに足の裏の冷えとの戦い…氷の上をずっと歩くような感覚で梯子のような階段を登り各フロアを見学しました
2階は大筒…火縄銃コーナー。ここも(犬山城や彦根城と同じく)昔ながらの天守が幾度の修理を経て現在に至る、基本構造は江戸時代から変わってなく博物館用に造られたわけではないので、飾られてる展示品には限りがあります
火縄銃が種子島に漂着したポルトガル人によって伝わったことは有名ですが、それより太さが大きく、威力も高い大筒も戦国時代に伝わっており、戦場において使用され、例えば大坂冬の陣では大阪城の天守に被害を与えて、豊臣の戦意を喪失させた…エピソードは有名かと
2枚目が当時の兵士の服装。兜も着けているので足軽ではないと思われます。ある程度身分の高い武将の武装姿…甲冑や具足を付けて片手には火縄銃も握る…フル武装な姿が画像内の右側の絵に描かれてますね
3枚目は戦を描いた絵の展示…まず大坂夏の陣が一番左に展示されており、その右に島原の乱…そしてその右にある(3枚目の画像が)長篠の戦い。要は火縄銃が活躍した戦いの紹介。どの戦のを添付画像として撮影しようか迷いましたが、「やはり火縄銃が活躍した一番最初の戦い…火縄銃での戦闘を格段に増やしたのは、長篠と聞いたことあるから…やっぱりこれかな🔫」と考えて、この絵を撮影
ちなみに「階段付近の撮影は禁止」と各所に貼られていたので、階段の写らない場所のみ撮影対象として撮影する必要がありました。どうして階段付近はダメなのか…理由は分かりませんが、何せ階段が急(古来から現存する天守はこういう造りになりがち)なため、登り降りに集中する必要があり、その辺りで撮影を認めてしまうと歩きスマホと似たような危険性がでてくるからではないでしょうか?
天守は五層六階。三階は何故か屋根裏部屋のように低い造りになっており、最上階は七階と書いてありましたが、実質六階でした
画像5枚目は最上階の天井…井桁梁でがっちりと組まれている。そこにこの城の神様(二十六夜神)が祀られている。この最上階は有事の際に、城の周りの敵軍の様子を見るところとして使われたそう
この城は行きと帰りで通るコースが異なり、帰りに6枚目の場所を通りました。この城を築いた石川数正に関する展示文がこの反対側にあり、それを写してもよかったのですが、「そう言えば今まで天守内にある展示物の撮影はしていても、空間を撮影したことは無かった気がする」「建設当初の特徴を残す数少ない天守の内部…階段付近は撮影できないから、ある程度の広さの空間で撮れそうなところは…ここか?」と考えてシャッター押しました
御座の間と呼ばれ、有事の際における城主がいるところ(御座所)。天井が高く四方から光が入り、書院造り風の丁寧な造り…と来場者パンフレットより
行きと同様、帰りも階段は急…「横向きで降りると降りやすいです」と城内スタッフがアナウンスしていたので、その通りにしたら本当に降りやすかった…何故でしょうね😂
そのアドバイス自体はありがたかったのですが、スタッフの足元見たら靴みたいなもの履いてるし…「どうしてアンタたちだけ…?何で客の我々だけこんな冷たい思いしなきゃなんないの?」
「靴を脱いだ状態で床に足をつけたらヤバいの、アンタたちだって分かってんでしょ?ずっと靴履いてるから分かりませんなんて言うつもり?そんなの想像つかない?」「客にもスリッパもしくは靴を覆うカバーを貸し出すべきだよ、マジで凍傷モノだから💢」とガチで思いました
帰りの2階には火縄銃の展示の代わりに月見櫓(7枚目)がありました。櫓はたいてい、天守とは離れた場所にあるもの。天守と一体化している櫓は何とここしかないそうです。「ここも天守内部のスペースを示すのに適している」と思えたので撮影。限られた我がスマホのメモリーの一部を食っても悪くない存在…と判断したから
今まで天守は一ヶ所につき一枚しか撮らなかったのですが、天守の周りに本丸御殿跡というものがあることを知った私は「御殿の建物自体は残ってないけど、跡地はこうして残ってるわけだから、それを含めてもう一枚撮影してみようかな」「御殿跡も撮影できるだけではなく、近くから見た天守と遠くから見た天守をそれぞれ画像として記録に留めることができる」「えーい、マスコットっぽいキャラもこの際におまけ!」
というノリでもう一枚撮影。年始に放送されていた、国内の城を紹介する番組にて「冬の松本城はオススメです。雪景色がキレイ🏯⛄️」と地元のガイドが紹介しており、それを期待して訪問した今回の冬の松本城…
うん、確かに周りが雪に覆われた天守はキレイと言えばキレイ…冬ならではの趣がある…ただ…あの床の冷たさは…来場者には決して優しくはないね😅😭😖
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2024/01/14 23:42
遅ればせながら… (1989/08/13 訪問)
新年のご挨拶を申し上げます。
みなさま方の大切な一日一日が平和のうちにありますように。
年明けから、思うところがあり写真の整理をしておりました。昔ながらの台紙に貼るタイプのアルバムが12冊あり、場所をとるし重たいしで何とかしたかったのですが、データ化したいかというとそうでもないので、枚数を減らしつつ無印良品の薄いアルバムに差し替えていたところ…出てきたのです、記憶にない城写真が。
35年前、平成元年の姫路城です。
私、若いです😅
姫路城の写真はこの1枚しかないので、おそらく旅行中に「ちょっと寄ってみた」のだと思います。それでも備前丸で撮っているということは大天守のベストショットを狙っていたのだと思われ…。姫路在住の親戚に案内してもらっていると思うので、多分、現在の登城ルートとは逆まわりの最短ルートで行っています。(料金体系も違っている可能性あり?)
……ということは!!
まさかの『るの門』を通っているかもしれない⁈
という妄想をしてみました🤭
朝田さん、メッセージありがとうございます。ネット上の交流でも気にかけてくださる方がいると思うとたいへんありがたく嬉しい気持ちになります。(やはり会員の『絆』の証としてかるたは商品化していただきたいですね!)
また、東京都コンプリートが間近、そろそろ伊豆大島へと向かわれているのではないかという気もしているのですが…。クイズを用意してお待ちしております。
昨年登城、未投稿のものもまだありますので、ゆっくりペースになるかもしれませんががんばりますので、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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2024/01/14 23:16
城への交通手段実践レポート (2020/09/23 訪問)
9:11渋谷(東京メトロ・東武)、9:56,10:18川越(路線バス)、10:30博物館前
(徒歩2分)川越城本丸御殿(百名城スタンプ 9:00-16:30)
※帰りは川越駅まで徒歩
本丸御殿以外ほとんど当時の面影が残っていないが「中ノ門堀跡」「富士見櫓跡」
「川越城下町散策」などが楽しめます
通りゃんせ発祥の地らしくわらべうた発祥の碑もありました
城下町ではさつまいもスイーツがおすすめらしい(昔は水運で江戸城にも運んだとか)
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2024/01/14 21:11
やっと行けました 評価★★★☆☆ (2023/11/04 訪問)
姫路城探訪後は一夜おいて翌日(11月4日) に明石城へ行きました。駐車場は市営駐車場に駐めました。
東側にあった駐車場を出ると早速広い水堀があり、門跡のような石垣が建っていました。東側から城に入れるようですが、東虎口は後ほど行きました。
水堀を周って大手門跡に着きました。今日はなんと菊の展覧会がやっていて結構人がいました。大手門は当時枡形虎口になっていたようですね。
大手門跡から城までは結構遠いですね。なんで城前にこんな広場があるのでしょうか?
大広場から巽櫓と坤櫓を写真にとって二の丸へと続く階段を登って行きました。石垣が建っていましたが、虎口だったのかな?東の丸の方には高石垣が建っていました。
二の丸下からは巽櫓と坤櫓を一直線上に見ることができます。
階段を登ると大きな堀切があり、とてつもなく高い高石垣が見れます。おそらく大堀切下から攻城する人もいると思います。大堀切は二の丸と本丸を大きく分断していますね。
さあ、次は本丸へと向かいます。続く
申し忘れていましたが、能登地震の被害が相次いでいると聞いております。北陸地方の早期復興を願いたいと思います。朝田辰兵衛さん、ご無事でなによりです。
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2024/01/14 21:07
ひじ方歳三最期の地 (2017/05/04 訪問)
北海道函館市には旧幕府軍の司令官(軍事奉行)として奮戦し最期を迎えたひじ方歳三の碑が残っています。ひじ方の最期は銃弾に当たって倒れたと有るのですが遺体は見つかっていません。東京都日野市に墓がありますが函館の当地にも墓参がわりに訪れるファンも多いことと思います。
ちなみに(ひじかたとしぞう)と漢字で入力するとAIが勝手にド〇タと判断してNGが出てしまいます。お願いだから「ひじかた」ぐらい漢字で入力させておくんなまし。たのみますよ御代官さま。
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2024/01/14 20:53
海防に特化した近世城郭。 (2017/05/04 訪問)
松前城の前身は慶長5~11年(1600~1606)に松前慶広氏によって築かれた福山館とされています。福山館は堀や石垣を有し本丸以外にも二の丸など複数の郭を有する城と呼べるものだったそうですが松前氏が城持ち大名の待遇では無かったため館名義で通されたようです。
嘉永2年(1849)松前崇広の代に異国船に対抗して海防を強化するため幕府から築城を命じられ、縄張りは高崎藩の市川一学(当時78歳)に協力を依頼しました。築城は福山館を拡張する方式で決定がなされ安政元年(1855)に完成したとのことです。
南側に7台の砲台を配置した海防に特化した近世城郭でしたが、明治元年(1868)ひじ方歳三を指揮官とする旧幕府軍の攻撃を受け南側では門が開くのを待っていた敵方がなだれ込み、北方では敵方が堀や塀を乗り込んで来て、城内にいた兵力では支えきれず落城したとのことです。翌年には官軍が「甲鉄」「春日」などの軍艦とともに松前城を奪還しましたが城中は廃墟と化してしまったようです。
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2024/01/14 20:21
2024/01/14 20:15
2024/01/14 19:35
臼井台に築かれる (2019/01/04 訪問)
臼井城は印旗沼に面した臼井台に築かれていました。臼井台の東側の南北の中間にあたる張り出しに位置し、本丸からは周囲を良く見渡すことができます。本丸からは土橋を通じて二の丸に行くことが出来、かつては広大な空堀の先に三の丸があったようです。
かつては臼井台全体に外城や砦が配置され臼井台全体が巨大な城塞の体をなしていた模様です。
12世紀の初めごろに千葉氏の庶流臼井常康により築かれたとされ、常康に関する記述が「吾妻鏡」にも見られるようです。永禄4年(1561)臼井久胤の時代に里見義堯家臣の正木大膳時茂に攻められ結城に落ち延びたそうです。
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2024/01/14 18:53
城への交通手段実践レポート (2022/04/30 訪問)
※箕輪城、名胡桃城、沼田城と共に登城
※高崎駅前に前泊
7:17前橋(JR)、7:21,7:23新前橋(JR)、8:01,8:05沼田(路線バス)、8:15上新道
(徒歩30分)名胡桃城跡案内所(続百名城スタンプ 9:00-16:00)
9:43上新道(路線バス)、10:03テラス沼田
(徒歩9分)沼田市観光案内所(続百名城スタンプ 9:00-17:00)+ 沼田城跡
11:02沼田(JR)、11:23,12:09渋川(JR)、12:52群馬原町
(徒歩30分)平沢登山口観光案内所(続百名城スタンプ 9-16時)+ 岩櫃城散策
14:50群馬原町、15:29渋川、16:15渋川駅前、16:50箕郷本町
(徒歩7分)箕郷支所(箕輪城跡スタンプ 9:00-17:15休日は裏口)
17:29箕郷田町(路線バス)、18:10,18:14高崎(JR)、20:05新宿
※箕輪城跡散策はできず
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2024/01/14 18:50
城への交通手段実践レポート (2022/04/30 訪問)
※岩櫃城、名胡桃城、沼田城と共に登城
※高崎駅前に前泊
7:17前橋(JR)、7:21,7:23新前橋(JR)、8:01,8:05沼田(路線バス)、8:15上新道
(徒歩30分)名胡桃城跡案内所(続百名城スタンプ 9:00-16:00)
9:43上新道(路線バス)、10:03テラス沼田
(徒歩9分)沼田市観光案内所(続百名城スタンプ 9:00-17:00)+ 沼田城跡
11:02沼田(JR)、11:23,12:09渋川(JR)、12:52群馬原町
(徒歩30分)平沢登山口観光案内所(続百名城スタンプ 9-16時)+ 岩櫃城散策
14:50群馬原町、15:29渋川、16:15渋川駅前、16:50箕郷本町
(徒歩7分)箕郷支所(箕輪城跡スタンプ 9:00-17:15休日は裏口)
17:29箕郷田町(路線バス)、18:10,18:14高崎(JR)、20:05新宿
※箕輪城跡散策はできず
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2024/01/14 18:48
城への交通手段実践レポート (2022/04/30 訪問)
※箕輪城、岩櫃城、沼田城と共に登城
※高崎駅前に前泊
7:17前橋(JR)、7:21,7:23新前橋(JR)、8:01,8:05沼田(路線バス)、8:15上新道
(徒歩30分)名胡桃城跡案内所(続百名城スタンプ 9:00-16:00)
9:43上新道(路線バス)、10:03テラス沼田
(徒歩9分)沼田市観光案内所(続百名城スタンプ 9:00-17:00)+ 沼田城跡
11:02沼田(JR)、11:23,12:09渋川(JR)、12:52群馬原町
(徒歩30分)平沢登山口観光案内所(続百名城スタンプ 9-16時)+ 岩櫃城散策
14:50群馬原町、15:29渋川、16:15渋川駅前、16:50箕郷本町
(徒歩7分)箕郷支所(箕輪城跡スタンプ 9:00-17:15休日は裏口)
17:29箕郷田町(路線バス)、18:10,18:14高崎(JR)、20:05新宿
※箕輪城跡散策はできず
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