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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/27 訪問)

※山中城、石垣山城、小机城と共に登城
※静岡駅前ホテルに前泊
7:06静岡(JR)、7:54,8:02原(コミュバス)、8:15東根古屋
 (徒歩1分)興国寺城(続百名城スタンプ 城内神社境内24HOK)

9:00東根古屋(コミュバス)、9:09,9:21原(JR)、9:36三島,10:15三島南口(路線バス)、10:45山中城跡
 (徒歩1分)山中城(百名城スタンプ 案内所24HOK)

12:40山中城跡(路線バス)、12:15三島駅南口,12:27三島(JR:熱海乗換)、13:15,13:40小田原(土日祝のみの運行バス)、13:58一夜城歴史公園
 (徒歩1分)石垣山城跡(続百名城スタンプ 駐車場トイレ前24HOK)

14:48一夜城歴史公園(土日祝のみ運行バス)、15:17,15:28小田原(JR)、16:21,16:27横浜(JR)、16:43小机
 (駅前)小机地区センター(続百名城スタンプ 9:00-17:00第四月休)
 (徒歩12分)小机城跡

18:24小机(JR)、18:29,18:36菊名(東急)、19:02渋谷

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イオ

城下町めぐり (2024/01/08 訪問)

(続き)

犬山橋から天守に向かう道中には丑寅櫓跡があり、笹に覆われていますが櫓台の石垣が遺っていました。丑寅櫓の南側、ホテルの駐車場には内田門脇の外堀が見られます。

城からまっすぐ南にのびる通りはかつての大手道で、少し行ったところの洋菓子店前の長屋門の脇に犬山城三之丸武術稽古場跡の石碑が立てられています。そのはす向かいにある城とまちミュージアムとからくりミュージアムは前回訪れているので今回はポチのみにとどめ、さらに行くと西側に大手門枡形跡発掘調査地が広がり、説明パネルが掲示されていました。

いろんなお店が建ち並ぶ城下町に行く前に、西側にそれて常満寺へ。常満寺には松の丸裏門が山門として移築されています。また、犬山成田山の西麓には瑞泉寺の山門として内田門が移築されています。移築門は他にもあるようですが、少々離れているのでまた今度。

大手道に戻ると趣のある街並みが続き、高札場があった本町には火の見櫓が復元され、石碑や説明板が立てられています。食べ歩きできるようなお店も多く、この日もたくさんの人で賑わっていました。五平餅のお店を出てふと振り返ると街並みの間に天守が! 城から歩いてきたので気付きませんでしたが、犬山駅からだと天守を仰ぎ見ながら城下町を散策できるんですね。これは人気になるわけだわ…。旧磯部家住宅や旧堀部家住宅など、公開されている町屋や武家屋敷も多く、街歩きとしても楽しめます。そして、どんでん館と犬山駅観光案内所でニッポン城めぐりのイベントを制覇し、犬山城下を後にしました。

今年の城めぐり一年の計に挙げていることもあり、城初めは国宝五城の犬山城にしてみましたが、川越しに見ても間近で見ても映える天守を、城下町からも眺められると知ったのは思わぬ収穫でした。次の機会には食べ歩きしながらゆっくり城下町を楽しみたいと思っています。
 

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todo94

城址周辺の散策も含めて (2023/12/09 訪問)

この日最後の攻城です。赤い城さんの投稿で2時間もかかるハイキングコースはアウトだなと思っていました。dougenさんの投稿にある駒場地区から登城しましたが、難台山への表示がしっかりとあって迷うことなく、攻城することができました。城址のあたりの説明板は地面に落ちていて城としての趣もさほど感じることができません。山頂の方が中世山城らしさを感じることができるのではないかなと思います。屛風岩、小田五郎追弔碑などもしっかりと回ってこの日の攻城を無事終えることができました。難台城址入口の看板のある説明板から山頂まで私の足で20分足らずの所要でした。麓から山頂まででも35分くらいでしょうか。私の登城ペースはかなり速いのであまり参考にはならないかと思いますが。

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トク

88【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (串木野城-豊久生誕の地) (2024/01/08 訪問)

(25人目)は島津豊久です。
関ケ原にて義弘の身代わりとなり、まだわずか31才という若さで亡くなった豊久。彼はなぜそのような状況に至ったのでしょうか? これから彼のその短くも壮絶な人生を追って行こうと思います。まずは豊久生誕の地「串木野城」を訪れてきました。

豊久は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の末弟「家久」の嫡男です。伊作城で生まれた家久は、祖父の日新公から教えを受けた後、23才の時の1570年、父の貴久より串木野の地頭職を与えられてここに移り、この串木野城を居城としました。そして同年に豊久はここで生まれます。

JR鹿児島本線「串木野駅」から徒歩で20分、串木野城は標高30mの小高い丘の上にありました(写真①)。入口には串木野城跡の標識と説明板がありました(写真②③)。ここから入って行きます。途中に地頭仮屋跡がありここが政治の中心だったようです。武家屋敷門も残っていました(写真④⑤)。

登城口(写真⑥)を過ぎ城跡に入ると、大部分が竹藪におおわれていてうっそうとしていました。当時は竹藪などないので、当時の様子がちょっとつかめにくいです。でも逆に竹の香りに包まれて何かいい感じです。六つの曲輪があり空堀で仕切られていたようです(写真⑦)。所々に少し広い空間があり、ここが曲輪の跡だと思います(写真⑧)。この空堀の掘り方、いかにも島津らしいと感じました。

登城口前には、兄の義久が義弘の朝鮮出兵を見送ったとされる南方神社(写真⑨)や、5分程北へ歩いた所には、家久が父貴久亡き後にその御霊を祀り、朝夕に拝んだという大中公の廟もありました(写真⑩)。

まだ若き29才の家久は、父貴久が薩摩大隅を統一できた事への神仏へのお礼と見分を広めるため、ここ串木野から5カ月かけてお伊勢参りや京都や大坂を旅してきたようです(あの時代によくまあ行けたものだ🤔)。その時、京で本願寺攻めから戻る信長の軍勢を見るも信長は馬上で眠っていたとか、また坂本城に本名(島津の子である事)を隠して訪れ明智光秀にも会ったとか・・・ そして無事帰還した際には、この串木野城の沿道で地元の人々が盛大に出迎えてくれたとか・・・ 四男坊は結構自由気ままに生きていたのですね~。

しかし自由気ままな生活もそこまで。1584年36才になった家久は、兄義久の命により南下し薩摩を脅かすようになった佐賀の龍造寺隆信と決戦するため、ここ串木野から出陣します。そして13才になった豊久も同行し初陣を飾ったようです。

次は、その豊久初陣の地「森岳城(島原城)」と「沖田畷合戦の地」を訪れます。
 

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/26 訪問)

※浜松城、掛川城、諏訪原城とともに登城
7:10品川(新幹線)、浜松8:27
  (徒歩20分)浜松城(続百名城スタンプ 8:30-16:00)
10:08浜松(JR)、10:35掛川 ※or10:25浜松(新幹線)、10:37掛川
  (徒歩12分)掛川城(百名城スタンプ 二の丸御殿9:00-17:00)
  ※掛川駅構内観光協会で高天神城のスタンプ押印も可能でした
12:17掛川(JR)、12:31金谷
  (徒歩24分)諏訪原城(続百名城スタンプ 諏訪原城ビジターセンター 10:00-16:00月休)
14:32金谷(JR)、15:03静岡
  (徒歩16分)駿府城(百名城スタンプ 9:00-16:00月休)
  ※静岡駅付近泊

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/26 訪問)

※浜松城、掛川城、駿府城とともに登城
7:10品川(新幹線)、浜松8:27
  (徒歩20分)浜松城(続百名城スタンプ 8:30-16:00)
10:08浜松(JR)、10:35掛川 ※or10:25浜松(新幹線)、10:37掛川
  (徒歩12分)掛川城(百名城スタンプ 二の丸御殿9:00-17:00)
  ※掛川駅構内観光協会で高天神城のスタンプ押印も可能でした
12:17掛川(JR)、12:31金谷
  (徒歩24分)諏訪原城(続百名城スタンプ 諏訪原城ビジターセンター 10:00-16:00月休)
14:32金谷(JR)、15:03静岡
  (徒歩16分)駿府城(百名城スタンプ 9:00-16:00月休)
  ※静岡駅付近泊

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/26 訪問)

※浜松城、諏訪原城、駿府城とともに登城
※掛川駅から掛川城にまっすぐ進むと橋渡ったすぐに旧掛川城址(懸河城址)があります

7:10品川(新幹線)、浜松8:27
  (徒歩20分)浜松城(続百名城スタンプ 8:30-16:00)
10:08浜松(JR)、10:35掛川 ※or10:25浜松(新幹線)、10:37掛川
  (徒歩12分)掛川城(百名城スタンプ 二の丸御殿9:00-17:00)
  ※掛川駅構内観光協会で高天神城のスタンプ押印も可能でした
12:17掛川(JR)、12:31金谷
  (徒歩24分)諏訪原城(続百名城スタンプ 諏訪原城ビジターセンター 10:00-16:00月休)
14:32金谷(JR)、15:03静岡
  (徒歩16分)駿府城(百名城スタンプ 9:00-16:00月休)
  ※静岡駅付近泊

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にのまる

爽快!! (2023/10/21 訪問)

関東の私鉄沿線のお城はJRのお得切符期間外にふらっと出かけるのが大体のパターンです。加えてこの日は翌日からの7連勤に備えて城成分を補充しておこうと出かけました。

小川町駅から熊谷駅行きの路線バスで「ワイナリー入口」下車。
初めて行く町の路線バス。楽しいです。
下車してから「どっちだー?こっちかー?ちがうかー?」と迷いながら歩くのも楽しいです。
バス停から30分くらいで到着予定で、ざっくりアッチ方面だなと思いながら歩いていると、遠くに見える山の頂に何か建物が見えました。
あんな山の上に一体何???
気になる…行ってみたいなぁ…。
でも無理だろうなと諦め、遠くから写真だけ撮って目的地の高見城(四津山神社)へ向かいました。

そして無事、四津山神社入口の鳥居に到着。
山頂に神社と城跡があるようです。長い参道ですが歩きはじめるといつもの心地よい疲労感。この感覚と時間が好きです。
犬走り跡の案内がありましたが道が不安だったので行かずに不動明王尊のある広場へ。ここから階段を登ると一気に神社(本郭)のようですが、右側の女道経由で行ってみました。
右手に二郭・三郭が広がります。かっこいい堀切もありました。
神社として整備されているという認識だったので、城遺構がこれほど保存され体験できるとは思っておらず、驚きと感動と感謝でとても嬉しかったです。

そして本郭の心地よさ!
視界も良好。
ずーっと歩いてきた一本道が眼下に見えます。
と、ここで初めて気がつきました。
歩きながら遠くに見た『てっぺんに何か建っている山』って、ここじゃんっ!!
…行くの無理どころか、目的地そのものだったというオチでした。



※年始の長い無言期間、ご心配をおかけしました。飛行機は利用しませんでしたが、1月3日の北九州の商店街の火事の直前に小倉駅にいたのでびっくりでした。懐かしい街が元に戻りますように。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/26 訪問)

※掛川城、諏訪原城、駿府城とともに登城
7:10品川(新幹線)、浜松8:27
  (徒歩20分)浜松城(続百名城スタンプ 8:30-16:00)
10:08浜松(JR)、10:35掛川 ※or10:25浜松(新幹線)、10:37掛川
  (徒歩12分)掛川城(百名城スタンプ 二の丸御殿9:00-17:00)
  ※掛川駅構内観光協会で高天神城のスタンプ押印も可能でした
12:17掛川(JR)、12:31金谷
  (徒歩24分)諏訪原城(続百名城スタンプ 諏訪原城ビジターセンター 10:00-16:00月休)
14:32金谷(JR)、15:03静岡
  (徒歩16分)駿府城(百名城スタンプ 9:00-16:00月休)
  ※静岡駅付近泊

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/11/05 訪問)

9:00新宿(JR,りんかい線)、9:25東京テレポート
 (徒歩12分)お台場海浜公園管理事務所(続百名城スタンプ 9:00-16:30?)
 ※現在スタンプはマリンハウス1階に設置されているようです
 ビーチ沿いに歩いて第三台場を散策
 ※帰りは、台場辺りをうろうろしてレインボーブリジを歩いて渡って田町駅まで
  レインボーブリッジは、ゆっくり歩いていろいろ立ち止まって景色を楽しんでも1時間ちょいです
  天気のいい日には是非おすすめ

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しんちゃん

巨大な山城と化した御本陣山の中心部。 (2019/05/02 訪問)

太閤ヶ平陣は羽柴秀吉が鳥取城を攻めた時の本陣が置かれた場所です。東側一帯に中継所が設けられていて、東照宮より舗装された道が続いています(徒歩ですが)。開発の手が伸びてきてはいますが国の史跡に登録されており、よくぞ遺構を壊さずに残しておいてくれたと思います。
本陣の置かれた帝釈山(御本陣山)から鳥取城の築かれている久松山まで遊歩道が続いていますが、周囲にこれでもかとばかりに陣城が築かれています。まるで御本陣山そのものが巨大な山城のようであります。本陣周辺にも土塁や空堀が非常に良好に残っていて東と南に虎口が設けられ土橋がかかっています。枡形など複雑な防御の構えは有りませんが、それが必要ないほど本陣の周囲の守りは固いのだと思います。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2021/05/03 訪問)

9:08新宿(京王)、9:57,10:03京王八王子(路線バス)、10:22滝山城址下
 (徒歩6分)滝山城跡(続百名城スタンプ 24HOK) ※中の丸にスタンプあります
 ※お弁当持って城跡尾根をハイキング的に横断する形でゆっくり散策
 ※帰りに道の駅八王子滝山に立ち寄り
14:25道の駅八王子滝山入口(路線バス)、14:35,14:51京王八王子(京王)、15:33新宿

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小城小次郎

地震は何もかもを一瞬で奪い去る (2023/04/22 訪問)

帰雲城が一瞬にして伝説の城と化したあの大地震と同じ地震で木舟城の周辺は数mも陥没し、前田利家の弟の命を奪ったばかりでなく城も城下も全てが潰滅したという。地震とはいつの時代にも一瞬で全てを奪い去っていくものなのか。

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しんちゃん

羽柴秀吉相手に善戦するも兵糧攻めで落城。 (2019/05/02 訪問)

防己尾城は湖山池に突き出た丘陵上に築かれていて東西二つの尾根があり東に二の丸、西に本丸が築かれています。本丸の先は出丸になっており見張台の役割をしていたようです。
天正6年頃、吉岡将監定勝によって築かれたとされています。天正9年・羽柴秀吉の鳥取攻めの際に吉岡将監および舎弟右近らが毛利方として籠城し秀吉と対峙します。天正9年7月羽柴方の多賀文蔵は将監に攻められ旗指物を奪われます。文蔵は秀吉に願い出て防己尾城攻撃の先陣を務めますが城内からの一斉攻撃を受け討死します。戦上手の将監に秀吉も苦戦を強いられますが得意の兵糧攻めにて落城させたとのことです。将監は毛利氏のもとに逃れた後、因幡に戻って帰農したとされています。
将監の活躍は後世に盛られた部分もあるようですが秀吉が兵糧攻めにするほどの強敵であったことは確かだと思います。

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BUGTI

守護代浦上氏の居城 (2024/01/14 訪問)

JR三石駅から数分のところにある登城口から攻めました。道は整備されているが、岩場や崖道が多いので足回りはしっかり準備しておいた方が良い。古い石垣が残る大手門が一番の目当てだったのだが、途中の第一見張所との分岐点で、「本丸跡への近道」という看板の誘惑に負けて近道へ。三の丸下の櫓台石垣には出会えたものの、大手門を通ることなく本丸まで着いてしまった。大手門へ行くには近道ではない方を進むべし。仕方なくお楽しみは後回しにしておいて、堀切や鶯丸を回って最後に大手門を探索。近世の石垣に比べて高さは低いし石も小さいが、これでも実戦を戦い抜いたと言わんばかりの味わいのある石垣を見て満足しました。

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姫街道

巨大な本丸桝形に驚いた!! (2024/01/07 訪問)

岐阜城のインパクトが強すぎて、正直見落としていた。大きな方形土塁に石垣積みが残っており当然に国指定。よくこれだけ石垣も土塁も残存していてくれた。特に本丸桝形!どの角度から見ても素晴らしいの一言。しかも正面に岐阜城が見える点も素晴らしい。家康が対豊臣のために改築したとあり、色々な事を考えさせられる縄張り。感激しました!

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姫街道

立地が魅力的 (2024/01/07 訪問)

当時と今とでは、周囲の河川状況も異なっているだろうが、似たような環境に城を築いていたのだろう。周囲を木柵で囲ってある点が面白い。

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姫街道

昭和初期の国宝 (2024/01/07 訪問)

昭和初期まで残っていたお城や城壁を写真で見る限り、もし今残っていたら…と思うと残念でならない。そのくらい名城だと思う。写真があるだけでも貴重だ。今は綺麗な復元天守がそびえ立ち街のシンボルとなっている。

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姫街道

一向一揆勢を想う (2024/01/07 訪問)

遺構は長良川に水没しており、移設した現在地を訪れた。長島一向一揆殉教之石碑が本堂正面にあり、お寺の造りも雰囲気がある。

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しんちゃん

東京スカイツリー (2019/01/02 訪問)

東京スカイツリーは東京都墨田区押上に築かれていて周辺のあらゆる場所からその秀麗な姿を見ることが出来ます。高さは634mでタワーとしては世界三位を誇ります。現在では展望回廊+展望デッキまでのチケットが2700円(前売り券)で当日券だと400円ほど割増になりそうです。そんなにお安くも無いのですが大東京を一望できるこの景観は絶景といって良いと思います。営業時間10:00~21:00(最終入場20:00)なので夜景を楽しむこともできます。夕方訪れて夕景と夜景を楽しむのもアリではないでしょうか。

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