柳生藩家老屋敷は柳生藩1万石の家老であった小山田家の屋敷です。作家の山岡荘八氏がここに移り住み「春の坂道」の構想をここで練ったと伝わってます。いいですねえ‥、こんな古風な屋敷で一年くらい暮らしてみたい。
柳生藩に伝わる武具や山岡氏にかかわる展示がされています。すぐ近くに小山田家の分家があります。こちらは非公開になりますが、本慶に負けない立派な石垣が目を引きます。
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2024/11/20 19:54
柳生食堂・まかない飯 柳生藩家老屋敷小山田家 (2024/11/02 訪問)
柳生藩家老屋敷は柳生藩1万石の家老であった小山田家の屋敷です。作家の山岡荘八氏がここに移り住み「春の坂道」の構想をここで練ったと伝わってます。いいですねえ‥、こんな古風な屋敷で一年くらい暮らしてみたい。
柳生藩に伝わる武具や山岡氏にかかわる展示がされています。すぐ近くに小山田家の分家があります。こちらは非公開になりますが、本慶に負けない立派な石垣が目を引きます。
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2024/11/20 19:43
よくわからん (2024/11/03 訪問)
現地案内板にかつての縄張りが載っていますが、今はだいぶ変わっているようです。近くにある門は常時閉まっているようです。現状=良くわからん‥です。
永禄9年(1566)2月、家原城に籠っていた松永久秀方の泉州衆が城を出て、畠山高政と合流し、上芝で三好義継の軍勢13000と戦いますが敗れて岸和田城に逃れたそうです。永禄11年(1568)9月には織田信長が三好三人衆を破って畿内を平定しますが、12月には三好義継の家臣・寺町左衛門大夫・雀部治兵衛尉らがたてこもる家原城が三好三人衆に攻められ落城したそうです。
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2024/11/20 19:02
城跡へは立入禁止 (2024/11/03 訪問)
【御影山城】
<駐車場他>出雲大神宮大駐車場
<交通手段>車
<感想>御影山城の築城の詳細は定かではありません。城びとの城郭情報では主な城主に柳本氏・内藤氏がある。柳本氏は幕府管領を務めていた細川氏の家臣、内藤氏(八木城が本拠地)は細川氏から丹波国守護代を任ぜられた家柄です。また亀岡市のホームページには明智光秀の進軍の際、国衆がここで防戦したと伝えられると書かれています。
御影山全体が麓の出雲大神宮の御神体であるため入山禁止となっています。山の中腹にある巨石の磐座へは社務所で受付すれば見に行けるとのことでしたが山頂付近の城郭遺構まで行けないとのことでしたので私もパスして神社でお参りのみとしました。山頂付近は石積み、土塁、堀切等良い遺構が多くあるようです。
<満足度>◆◇◇
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2024/11/20 17:41
割と標高差のある山城でした (2024/11/16 訪問)
彦根駅徒歩20分くらいの龍潭寺から上り、切通し、西の丸、本丸と登城し、千貫井やわずかに残る隅石垣などを見てきました。地元のガイドの方によると三の丸や法華丸への道は昔はあったが今はなく、登城道も今は一つなので、上った道を下るルートです
本丸からは彦根城を眼下に見ることができました。千貫井は今は水はないが水があった痕跡はしっかりありました。隅石垣はほんの数個残っているだけで、彦根城に流用されたという話も聞きます。三成の城だから思い込みもあるでしょうが、なんとなく荒廃感がありました
城山全体が寺の所有地とのことで、登城道などの整備も追いつかないのかもしれませんが、入山料などはなく開放いただいているようです。また、龍潭寺付近や登城道で何匹もサルを見かけました。目を合わせたり食べ物を見せないように気を付けてくださいね
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2024/11/20 13:47
豊田城探訪 (2024/11/06 訪問)
茨城県常総市にある豊田城を訪問しました。
国道294号を南下していると5重7階の天守閣が視界に入ってきます。高さ48.5mで市内で一番高い建物だそうです。
この豊田城は常総市地域交流センターとして建てられましたが、実際のお城跡は別の場所のようです。
最上階からの眺望は素晴らしく、常総市の街並みや筑波山が良く見えます。また、登城日はあいにく見えませんでしたが、天気が良ければ、富士山も見えるとのこと。
1階のロビーには、城主豊田治親氏の毒殺の場の展示がしてありました。戦国時代の厳しさを見るようです。
ところで、常総市内を走行していると櫓風の建物が散見されます。いくつ位あるのでしょうか?
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2024/11/20 13:43
向羽黒山城探訪 (2024/10/16 訪問)
福島県の向羽黒山城を訪問しました。初めに本郷インフォメーションセンターに立ち寄り、パンフレットの入手とお勧め登城ポイントの説明を受けました。丁寧に説明していただき、登城の参考となりました。事前に立ち寄ることをお勧めです。
登城は、お茶屋場跡、二の丸跡、本丸跡、三の丸の順で巡りました。本丸跡への古城のみちで見える竪堀は圧巻ですね。そのほかにも見どころ一杯です。さすがに日本最大級の山城です。
当日は曇り空であり眺望は今一つでしたが、眺望のよさは山城ならはですね。
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2024/11/20 13:38
2024/11/20 13:26
三春城探訪 (2024/10/15 訪問)
三春城を訪問しました。三春城は戦国時代に田村氏が築城したとのことですが、現在の遺構は蒲生氏、松下氏のようです。
お城へは自動車によるアクセスにて、船引三春ICから向かいました。駐車場は本丸下にある三春城跡駐車場となります。
城跡には建物等はありませんが、石垣、堀切、土塁など遺構が残っており、山城らしさを感じることができます。特に現在は道路となっていますが、二の丸と本丸の堀切跡はなかなか見どころかと思います。
パンフレットが本丸の東屋にあります。縄張図の記載があり、参考になりますよ。
なお、三春城ではVRを活用した説明がなされており、当時の建物の姿を感じることができます。
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2024/11/20 12:08
大宰府政庁(紫式部ゆかりの地を訪ねて⑤) (2024/11/16 訪問)
紫式部(まひろ)がしばらく滞在したとされる大宰府政庁を訪れました。今では礎石が残るのみですが、ここが奈良・平安時代の九州の政治の中心地でした(写真①)。大宰府政庁内にある大宰府展示館(写真②)には、平安時代の様子を解説する資料が残っています。
亡き夫の宣孝は、かつてこの大宰府に赴任していました。紫式部が訪れた当時は、道長と敵対関係にいながら目を患って下向したあの藤原隆家が赴任していました。隆家は中宮彰子の女房であった紫式部の事を憶えていて、宴を開いてもてなしてくれたそうです(写真④⑤のような感じかな?)。隣の観世音寺には歌も残っていました(写真⑥)。紫式部が訪れた時(1018年頃)は、菅原道真が没してから約100年経っているので、道真を祀る大宰天満宮もおそらく建てられていたのではないかと思います。ならもしかして、紫式部も梅ケ枝餅も食べたのではないか? と想像し買って帰りました(写真⑩:やっぱりおいしい😊)。
しかし、紫式部(まひろ)はここで滞在中に、刀伊入寇(といにゅうこう)という事件に巻き込まれてしまいます。これは外国(満州の族)が日本を初めて襲って来たという、元寇よりまだ250年前の出来事です。対馬・壱岐・博多と攻めて来た彼らを隆家は果敢に戦って守り抜き、これらを撃退しました。そのため紫式部はなかなか京へ戻れず、2年後にようやく隆家とともに戻る事ができたようです。しかし隆家には援軍を送らなかったどころか、何の恩賞も与えられなかったようで、当時の関白藤原頼道(道長の子)やこの時代の公卿たちにいかに危機意識がなかったかが分かります。
その間に紫式部(まひろ)の娘の賢子(かたこ)は、大宰府へ旅に出た母の意志を継いで土御門第邸へ上がり、皇太后となった彰子の世話をしつつ、また彰子の孫(後一条天皇の子)の乳母となったそうです。そして従三位(女房の筆頭)にまで登りつめたとか。道長がこの時、賢子は自分と紫式部(まひろ)との間にできた子だと知り、取り立てたのではという説もありますが、実際の賢子は仕事のできるキャリアウーマンだったようです。紫式部(まひろ)は、低い身分の女性でも社会で認められて自立し、自分の成し得なかった夢を実現してくれた娘の姿を見て、とても喜んでいたのではないでしょうか。
一方では、天皇の後見職である摂政となった道長は、後一条天皇が幼くして亡くなると、また同じく自分の孫(敦良親王)を後の天皇(後朱雀天皇)に即位させ摂政関白となり、やりたい放題の栄華を極めます。しかし、あまりの独裁政治に他の公卿たちの反感を買い、またここで再び体調を崩したため、子の頼道に摂政関白の座を譲り出家する事にしました。そしてここで京へ帰ってきた紫式部(まひろ)と再会しますが、その後の1027年藤原道長はついにその生涯を閉じてしまいます(享年61)。
次は、紫式部が晩年を過ごした雲林院とその墓を訪れます。
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2024/11/20 10:30
2024/11/20 10:10
高土塁の角部分-3/4 (2024/11/09 訪問)
本郭内部と高土塁-2/4の続きです。
本郭内部をざらっと見学撮影して東虎口より北周りに遊歩道沿いに散策探訪し、東西南北角々の高土塁が聳えて見事でしたので別編にして投稿させて頂きます。
更に北東角、南東角は見事で櫓台を思させました、南東角には東屋が建てられていました、高土塁には東虎口、西虎口、南虎口から登る事が出来ます。
水堀と散策路-4/4に続く。
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2024/11/20 09:50
本郭内部と高土塁-2/4 (2024/11/09 訪問)
虎口の続きです。
南虎口から入り北西に大きな欅が夕陽で紅葉が輝いて居る、本郭内部規模は東西約50~60m、南北約60~70m程でしょうか?、周囲の堀を入れると東西約100m程、南北120m程あるようです。本郭に入り北の高土塁、東の高土塁、西の高土塁を眺めて、北高土塁上より南高土塁・南虎口を望み、東高土塁上より西高土塁を望む。
本郭内部南東に屋根掛けの井戸が有る「上三川七水・銀名水」と札が掛って居る。
再度帰り際に南虎口から東、西、北の高土塁を眺め記憶にとどめる。
高土塁の角部分-3/4に続く。
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2024/11/20 08:05
とことん津山城(本丸東辺~北端) (2024/09/16 訪問)
(続き)
八番門跡から天守曲輪を出ると、本丸東辺に長大な石垣が見えます。宮川の断崖になっている東辺への備えとして築かれた南北80mにも及ぶ石垣で、石垣上の月見櫓や矢切櫓、太鼓櫓へと続く合坂も設けられています(立入禁止ですが)。石垣南端の石段は上れるようなので行ってみると、太鼓櫓跡の下を通って包櫓跡に行くことができました。いったん表鉄門跡を出て、包櫓跡に東接する十四番門跡から東辺石垣の外側へ。左手には太鼓櫓の石垣が聳え、右手の瓦櫓跡からは眼下の宮川を越えて東方向の眺望が広がっています。東辺石垣を外側から見上げつつ北端まで進むと、石段を下った右手に十二番門跡がありました。
石段を戻り月見櫓の麓を回り込んで十一番門跡から再び本丸に入ると、本丸北端には東側に小天守とも呼ばれた粟積櫓、西側に大戸櫓と長屋櫓が建ち並び、各櫓跡からは北方向の眺望が開けていました。
さて、これで本丸をひとめぐりしたので、搦手側に下りていきます(続く)。
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2024/11/19 23:25
広大な城柵・官衙遺跡に感動! (2024/11/08 訪問)
横手市・大仙市の二城目は払田柵を訪問しました。この夏から始めた古代城柵・官衙遺跡探訪の7カ所目です。この柵は文献に記載が無く、地名を取り払田柵跡と呼ばれています。ここは外郭の柵木の年輪の年代測定から9世紀初めの創建と考えられており、横手盆地の南に有った第一次雄勝城が北に移転された第二次雄勝城の遺跡とする説が有力のようです。東西1,370m、南北780mという規模は東北の城柵・官衙遺跡では最大級と言われています。
東北各地に残る古代城柵・官衙遺跡は発掘調査後の埋め戻しや農地化、市街地化により、判りにくいケースが多いのですが、払田柵跡はほぼ全体が整備され、沖積地を外柵で、政庁が建つ丘陵部を外郭で囲む創建当時の広大な姿を判り易く観ることができました。
外柵南門の前に総合案内所があり、発掘された柵木列や復元模型などを展示、解説動画も観ることができます。
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2024/11/19 23:09
攻められる度に落城しているのかも (2024/03/02 訪問)
麓に複数の城郭建築風建物があるがそれは温浴施設と美術館で標高400mを超える山頂付近に残るのが真の岩石城。豊前筑前の国境近くの要衝だけに度重なる戦いに巻き込まれ、その度に落城している不運な城でもある。
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2024/11/19 20:25
2024/11/19 20:08
楠木十七支城 (2024/11/02 訪問)
平石城は地元の豪族の平岩茂直が楠木氏の赤坂挙兵に応じて築いたと現地案内板に記されています。元弘元年(1331)茂直はこの城で河内に侵入してくる北条の軍勢を防いだとされています。正平14年(1359)楠木正儀は17の城を整備し、平石城も楠木十七支城の一つとして河内に攻め入った足利勢を防いだとされています。
府道から北上して行くと集落の建物の間から城址に向かう道が有ります。付近には車を停めるスペースは無いので注意が必要です。
標柱の有る場所から城址に向かって入っていくと、堀切がかかっていてその上の丘が主郭になります。主郭はそれなりに広く、西側にも腰郭が有りました。周囲の山で平になっている場所に出丸もあったようです。
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2024/11/19 19:24
2024/11/19 19:16
2024/11/19 18:43
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