事前申請をし、承認頂いたので
4月に仲間と空撮目的で登城しましたが、
生憎の雨と風で断念し見学だけで帰阪
しました。今回は再申請の後、私一人
のリベンジ訪問です。
投稿は静止画ですが、上空からの
郡上八幡城と城下町は素晴らしかった
です。
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検索結果・・・「」を含む投稿
2024/06/09 13:11
2024/06/09 11:52
刀根山城 大阪府豊中市 (2024/05/17 訪問)
城びと未登録の城です。
未登録城をレポートする際には「お城選択」で最寄りの城を選んでいますがここは関連する有岡城を選択しました。
織田信長が有岡城の荒木村重を攻めた際に築いた砦の一つです。
モノレールの柴原阪大前駅から道路を横断し、坂を登った先の住宅地に位置します。
高低差があり、当時は要害であったことも伺えますが遺構はありません。
常楽寺の境内に鬼瓦風の説明板が立っているのみでした。
こんな住宅地でも信長関連の地があることは感慨深いです。
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2024/06/09 09:49
無印投稿 岡城 (2014/01/13 訪問)
岡城には城めぐり2年目で到達しています。転職の合間に四国、九州、関東から東北の一部まで一気に回りました。旅費は重みましたが、2~3週間の長期のスパンで継続して回れたのでコスパはそんなに悪くはなかったですね。しかもイストで車中泊です。よくやりましたね、あの狭い車で。冬場なので風呂は銭湯で3日に一度。4~5日ほど入ってない時もありました。まさにRPGの冒険者の世界です。
岡城の歴史は古く文治元年(1185)に緒方惟栄によって源義経をかくまうために築かれたとされています。惟栄さん、いいヤツですね。
その後、建武元年(1334)南朝方大友氏の一族、志賀貞朝によって拡張され岡城と名付けられたそうです。戦国時代には島津氏の猛攻を幾たびも退け豊臣秀吉から褒状を受けています。
大友氏が秀吉から所領を没収されたのちは、文禄3年(1594)中川秀成が入り、3年かけて大規模な改修を施したそうです。
登城口のヘリの石はなぜか丸く、大手門周辺はまるで中世の古城のような雰囲気です。大手門の位置はもともと東にあったものを、藤堂高虎の勧めで本丸の西側に移したとされています。大手門より北東に三の丸、二の丸、本丸があり本丸には岡城天満神社、二の丸には滝廉太郎の銅像があります。
古い時代よりの天然の要衝に近世城郭の粋を込めた鉄壁の守りを誇る大城郭です。
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2024/06/09 09:03
無印投稿 篠山城 (2013/09/21 訪問)
篠山城には、しんしんちゃん歴元年(2013)に訪問してます。懐かしいですね。城めぐりを初めて数年で百名城のスタンプはほぼ埋まり、ついでに続百名城の城もあらかた回って(スタンプはリピートでもう一回行く)、百名城のほうは96より先はずーっと埋まっていません。沖縄県と根室半島ですね。沖縄は百名城と続百名城をいっしょに回れるメリットはあるのですが、根室半島はハードル高いですわ。
あと続百の対馬と五島もなかなか‥狭いようで案外日本は広いです。
篠山城は江戸時代の慶弔14年(1609)に新たに築かれた新しい近世城郭です。豊臣氏の大阪城や西国の大名の抑えとして、天下普請で六ヵ月で完成したようです。二の丸御殿である大書院は解体費用がかさむため、そのまま残され小学校や公民館などに使用されてきましたが、昭和19年の火災訓練の失火で全焼したようです。何をやっとるんだ!と思いますが、そのまま残っていたとしても、その後の空襲で焼失していたかもしれません。個人的には無謀な戦争で失われた城郭天守は国が責任を持って当時の工法で再建するのが正しい落とし前の付け方だと思います。
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2024/06/09 07:34
無印投稿 丸亀城 (2018/01/03 訪問)
丸亀城は日本一の高さ(全高で)の石垣を誇る近世城郭です。迫力ある石垣に対してこじんまりとした天守閣が特徴で、重要文化財に登録されています。もともとは標高66mの亀山に築かれた砦だったのですが、慶弔2年に生駒親正が17万石で高松城に入り、高松城の支城として築かれました。工事は慶長2年~7年(1597-1602)におよんだそうです。元和元年の一国一城令で廃城の危機を迎えますが、その存在を隠して破却を免れ、寛永18年(1641)丸亀藩が正式に立藩し、山崎家治が5万石で入りました。
寛永20年(1643)から32年におよぶ大改修が行われ、延宝元年(1673)に工事が終了しました。今目にする石垣の多くはこの時代に築かれたもののようです。近世城郭とはいえ、ほぼ小山のようなものですよ。
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2024/06/09 04:53
天守閣までの階段
70になったのを機会に、
北海道から南下しながら城巡りをしています。
100名城スタンプがある天守閣入口まで、
立派な階段がありますが、
年寄りにはあがれません。
このときは警備の方にスタンプを頼みました。
せめて、階段の下に置いて頂けませんか。
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2024/06/08 23:27
馬場美濃守信春築城のザ・甲州流 (2024/06/08 訪問)
葛山城から転戦して攻略。途中で吉窪城を攻略しようとしたけど、城近くの道路が狭く、近隣の西明寺近くに駐車スペースが確保できず攻略断念して牧之島城ヘ。よく形を残す丸馬出に駐車スペースがあります。案内板も整備され、三日月堀もよく形が残っていて甲州流築城術の見応えあり。丸馬出と本丸千人桝形をつなぐ橋は老朽化したのか撤去されており、二ノ丸側から本丸に向かいました。この城は土塁や水堀、空堀がよく残っていますが、特に本丸の桝形は見事です。土塁に上がり見ることをおすすめします。この城から2キロ先に北アルプスの山がよく見える上の平展望台があるのですが、生憎晴れていても雲が多く見えそうに無いため断念。春先か晩秋にもう一度登城しようと思います。
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2024/06/08 22:09
大知派峠廃寺跡 豊川道 (2019/02/17 訪問)
静岡県湖西市の大知派峠廃寺跡の続きです。南東の「おちばの里親水公園」のあたりから豊川道が続いています。豊川道は今川沿いに開かれ古くから豊川稲荷への参道として使われていました。一説には平安時代から既に道があったとされています。
道沿いには農民が厳しい税の取り立てから逃れるために隠して耕したとされる「隠し田」の石垣を見ることが出来ます。豊川道から分岐した坂道を進むと大知派峠廃寺跡にたどり着きます。標高340mの高所より遠州浜名湖の展望を楽しむことが出来ます。
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2024/06/08 19:52
Oh! No じゃなくって Oh! Yes~♪ (2024/06/08 訪問)
「捲土重来! 大野城よ私は帰ってきた!」 なんつって。お久しぶりです、大野城さん。
大野城は土岐氏家臣の佐治氏の城です。佐治氏は後に織田信長に従い、お市さんの三女の、お江さんの最初の嫁ぎ先としても有名です。主郭跡に天守を模した展望台が建てられ、南の櫓台跡には佐治氏を祭った、佐治神社があります。現在は城山公園として整備されており、土塁らしきものが残り、模擬城門が建てられています。
展望台の外観はいささか珍妙ではありますが、眺望は最高です。西野口海岸から伊勢湾まで遠く見渡すことが出来ます。景観ならおそらくチタイチでしょう。Oh! No じゃなくって Oh! Yes なパノラマビューですわ ♪ (アホ!)
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2024/06/08 19:49
日本武尊はともかくとして (2023/12/02 訪問)
日本武尊の東征時に設けられた城(夷城)との奇怪な伝承が残るお城だが後北条の「河東十二塁(って何だ?)」の一つとも。城域は広くて駐屯地にはなり得るので後北条が大宮氏の後詰に入った城という最近の説明には納得感がある。
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2024/06/08 19:44
ダブ山チャシ:順番を間違える (2024/05/11 訪問)
加齢により感情の起伏が小さくなってきました。逆に分かっているかのように斜に構えたり気取ってみたり。何より驚きや感動が少なくなって来たのが残念で良くない傾向です。いつからか予習をせずに真っ白な頭で訪れるようになりました。その場合、良い城の訪問になると初見で大きな驚きを感じます。こちらもそんなチャシでした。きっと十分予習して写真を見て訪れたらそこまでの驚きを感じないでしょう。
野付半島は道路の両脇が海です。岬や半島を走るのと違い水面と道路の高低差が小さく、トドワラやナラワラを見る事が出来ます。この世の果てと呼ぶ人もいて楽しみにしていました。その入口の直ぐそばにダブ山チャシはあります。
詳しい案内板を見て登っていくと景観はオホーツク海と遠くに見える雪山と眼下には蛇行する小さな川が。ショボい展望台よりも良い景色です。そこには今までよりも大きなチャシの遺構が広がっています。こちらも祭祀用でしょう、今までの基本形状を変形しているようです。違ったのが堀が二重になっいる場所がある事と、大外に小ぶりの堀が入っている事です。とても良い遺構で軽く興奮気味でした。初見の際の驚きに勝る驚きはないのではないでしょうか。
その直後は興奮気味のままに野付半島を行けるところまで走っていきましたが、想像より面白くない。チャシが良すぎて半島が霞んでしまったようです。先に半島へ行くべきで訪れる順番が逆でした。それなら両方楽しめた事でしょう。
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2024/06/08 18:13
日本一の兵と鬼の小十郎。 (2024/05/04 訪問)
GWの東北道は渋滞するのが当たり前。
なら下道でと、東京の端っこから国道4号を使って7時間かけ「白石城」に進軍しました。
夜中だったので、7時間でも順調に到着。開門したばかりの「白石城」には、もう登城する人々が。
秀吉さん、伊達家が治めていた地を、蒲生 氏郷さんに与えます。その後、上杉家が治めましたが、伊達家が奪い 家臣の片倉 景綱さんが「白石城」の城主になります。
駐車場から登って行くと、『二ノ丸大手二ノ門』の説明板があります。前後の草木の奥に古い石垣が隠れてました。
今は簡単に通れてしまう門を、襟を正し通行します。
と、復元された大手一ノ門・二ノ門と三階櫓の美しさに感動しました。
天守と言っても良い、風格のある三階櫓は、一国一城令に配慮して、あくまでも櫓だとアピールしてます。
この、三階櫓は忠実に再現されているので、膝痛には急階段が笑っちゃう位つらかったです。
でも、コンクリートではなく木造で、とても良い雰囲気の三階櫓です。
櫓内は、縄張り図や甲冑が飾ってあります。入り口から、やけに六文銭の幟がはためき、何でだろうかと思ったら、大阪の陣での、逸話がありました。
真田 信繁さんが敵将の片倉 重長さんに子供たちを託しました。「白石城」で匿われていたんだそうです。
鬼の小十郎、頼れる漢だったのでしょう。
櫓を出ると、ぐるっと匿われた土塁を見学。最近 お目にかかっていなかった石垣を見て歩きました。
この後、昼食に温麺を『やまぶき亭』でいただきました。店内は甲冑やコケシが飾ってあります。
温麺は、胃を病んだ父の為に作った物が始まりなんだそうです。
冷たい温麺をいただきました。お汁は、ゴマ・クルミ・醤油たれです。エピソードと同様にやさしい味でした。
優しい先人たちに触れ、膝痛も忘れた「白石城」攻めでした。
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2024/06/08 18:01
武田方の旭山城と文字通り睨み合う城です (2024/06/08 訪問)
旭山城からの眺めを見た時から次はこの城の攻略と決めてました。ながの山城歩きのガイドを参考に葛山城駐車場に駐車して攻略。ナビで芋井郵便局にすると分かりやすいですが、曲がり角が鋭角になるのですぐ先でUターンが楽。念の為熊対策が必要。道は整備されていて看板もあるので迷うことはありません。このルートは、いつの間にか途中から北側の郭を一つづつ攻略するように登り30分ぐらいで主郭まて攻略できます。主郭には四阿があり休憩できるほか、目の前に旭山城が良く見えておりお互いが目障りな位置にあるのがよく分かる。九連の堀切も笹などに覆われてますが比較的分かりやすいですが、端の九番目は良く分かりませんでした。あと気を付けないといけないのが、主郭から姫谷、堀切方向に向かって下る場所。ちょっと足場が崩れているのか足場確保しづらいので慎重に。長野市の山城では一番規模が大きく、ぜひ旭山城とセットで攻略してみてください。葛山攻略後、この城を落城させた馬場美濃守の城である牧之島城に向かいました。
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2024/06/08 10:32
張り切って行ったが (2023/11/24 訪問)
早朝に広島城界隈を散歩する機会に恵まれ、前日の天気予報が「晴れ」だったのでいい写真撮るぞと張り切って行ったが現地は曇っていた・・・でも本丸の東側で土塁を見つけた。こんなところにも遺構が残っていたのか。
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2024/06/08 10:13
2024/06/08 09:06
2024/06/08 07:59
四万十の街並みと川の流れ (2013/12/13 訪問)
ちょっと古い写真で申し訳ない。中村城は一条氏の城で、為松氏によって築かれたとされています。西の四万十川、東の後川に挟まれた丘陵地に築かれ、石垣が残っています。現在は為松公園になっており、二の丸跡に犬山城を模したとされる模擬天守が建っています。なぜ犬山城?と思いますが、隣の芝生は青いというやつでしょうか。
模擬天守は微妙ですが、展望台からの眺めは良好で四万十の街並みや川などの景観を楽しむことができます。行って損はないと思います。
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2024/06/08 07:38
模擬天守からの眺望は良い。 (2013/12/12 訪問)
川之江城は鷲尾山の山頂に築かれています。南朝歴・延元2年(1337)に南朝方・河野氏の砦として土肥義昌によって築かれたとされています。交通の要衝である、四国の瀬戸内海側の中央に位置しており、戦国時代も河野氏側と長宗我部氏側との間で、激しい争奪戦が繰り広げられています。江戸時代の寛永13年(1636)に一柳直家が川之江藩を立藩しようとしたのですが、寛永19年に死去し、伊予国内の所領は没収されたため再建はかなわず川之江は天領になってしまいました。
現在は城山公園として近くまで車で行くことができ、怪しい模擬天守からの眺望は抜群です。ちょっと写真が古くて申し訳‥。
巨大な橋が完成して、四国もだいぶ行きやすくなりました。できれば車で訪問したいですね。
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2024/06/08 00:59
さすがでございますな (2024/06/08 訪問)
すこしの間、ヤキトリでいじりたかったのに、そうなる前に機転を利かせるとはさすがでございます。
まさに軍師官兵衛の如くでございますね。これも私なりの愛ですわ。(土壇場で参加したくせに‥)
捲土重来、大いに期待いたします。まだまだいけまっせー。
さて寝ようかな。
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2024/06/08 00:11
応援メッセージご紹介記事を公開しました
ヤキトリから不死鳥のごとく蘇った城びと編集部です。
「日本100名城かるた」商品化プロジェクト実施中、多くの方が寄せてくだったメッセージに大変励まされました。
感謝の気持ちを込めて、応援メッセージご紹介(そして捲土重来を誓う)記事を公開しました。
「「日本100名城かるた」商品化を応援いただいたメッセージをご紹介!」
https://shirobito.jp/article/2008
やるぞー!
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