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とばつびしゃもん

3「大」1つ目の城 (2024/02/10 訪問)

大草公園南の駐車場に車を駐車し登城開始。
公園に入るとそこが本丸で模擬天守がある。1階には資料展示。解説によれば織田長益が築城途中に断念した城で、天守閣も建築工事が進行中のところ中断になったとか。
模擬天守の展望台手すりが劣化し上階へは立入禁止。残念ながら登れない。令和6年度修理予定と案内表示。
公園の散策路を歩き、堀や二の丸、物見櫓跡など確認。40分の攻城。

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小城小次郎

山城二つ分の見学時間 (2023/05/20 訪問)

南端の主郭から南北に伸びる東西ふたつの尾根上に連続して曲輪を設ける姿はむしろ群郭式に近いのかも。それぞれの尾根が異常に長いのでちゃんと見学するなら山城二つ分の時間を見ておく必要があると痛感した。

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侍ホリタン

姫路城「西小天守特別公開」 (2024/02/17 訪問)

期間2024年2/1(木)〜2/29(木)
時間9時〜16時最終受付まで
入城料1,000円の他に別途特別公開観覧券300円が必要です。

姫路城の連立式天守を構成する小天守3基のうち、今まで公開された事のない西小天守が2024年2月1日より2月29日まで公開されています。
同時に西小天守へ至るルートとしてイの渡櫓、東小天守2階、ロの渡櫓、乾小天守2階、ハの渡櫓も公開されています。

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三浦の晃ちゃん

井伊家の長男が・・・。 (2024/02/23 訪問)

井伊家の長男が、立藩したようです。城関係の建物はありません。日本のマラソンの発祥の地のようです。

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小城小次郎

どうやって短期間で仕上げたのだろう (2023/05/14 訪問)

賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀長が在陣した陣城で、いわば羽柴方の本陣。最前線の虎口と中心部の間が自然地形なあたり典型的な陣城だが無駄がなく合理的であるとも言える。短期間でどうやってこれだけのものを仕上げるのだろう。

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Tokyobay

市街地城址あるある? (2024/02/19 訪問)

「土浦」と言えば、最近は渋谷の事故で話題になり、イメージ悪化した印象もあるが、実際に行ってみるとそれなりに風情のある歴史を感じる城下町が残っていたのはチョット意外。大手門跡は現在は小中学校の門になっていて、これもなんだか不思議な感じ。
城内に入ると夕暮れ時の「市街地城址あるある?」なのかカップルがいて、フラッシュONでバチバチ写真を撮ってるとちょっと嫌な顔をされる。城郭自体は思ったよりもこじんまりしていたが、現存・復元含めて街のシンボルとして存在しつつも、市民の憩いの場?としても上手い具合に活用されているように思えた。ただし、逆に言えば観光客と市民との「目的」の違いがコンフリクトすることもあるのかと。それが所謂「オーバーツーリズム」ってことになるのかもしれないが。

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カズサン

桜門周辺 (2024/02/20 訪問)

 「菜の花に誘われて田原城登城」の続きです。
 
 桜門は袖池、桝池を東西に水堀と構えて南に面した櫓門です、左右に小さな付曲輪を控え土塀はナマコ壁仕上げで周囲を石垣で築いき田原城の見所の一つで田原城紹介ポスターでは桜門が一番です。
 桜門は平成4年に復元復興されて居ります、南側の通りも往時を偲ばせる景観に成っておりしっとりした感じです、桜の時期に成れば大勢の方が見えられる事でしょう。
 無料博物館専用駐車場も完備し大変便利です。

 続きます。
 

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todo94

元日の攻城③ (2024/01/01 訪問)

元日の攻城3城目、息障院がその故地だという源範頼館です。空堀の痕跡を求めて寺の周囲を散策させていただきました。

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Tokyobay

北虎口の丸馬出土塁の痕跡が道路に? (2024/02/19 訪問)

国指定史跡の本丸ど真ん中になんで鉄道通したの?と思ったら、鉄道が先で国指定された方が後だった。調べてみると北畠親房が『神皇正統記』を書いた場所であることが影響しているらしい。そんなこんなで「いわく付き物件」ではあるのだが、痕跡を巡る分にはその方が楽しいのかもしれない。
最近は「奪還を繰り返す城」としてTVでも取り上げられるようになってきており、バス専用駐車場もあって観光にも力を入れているようである。そのメイン施設である「小田城跡歴史ひろば」は旧常陸小田駅の敷地を活用しておりホームはそのまま残っている。サイクリングロードはさすがに本丸を迂回するようにはなっているが、「小田城跡歴史ひろば」から向かって行くと、鉄道が通っていた場所に「穴」が開いていて(なんで遺したんだろう)レール門で塞がれている。また鉄道が通っていた時代の案内板も捨てきれないのか、曲輪の隅に追いやられてはいるものの健在。
中でも、イチバン印象的だったのは北虎口の丸馬出土塁の痕跡が道路となっているのではないか?と思えた部分。おそらく地権の問題でこのようになったのではないかと妄想するが果たして。

この度いろいろと城址を巡ってみて、水戸学の影響なのか茨城って尊王思想が強いのかなあとあらためて思った次第。それも偏見なのかもしれないが。

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しんちゃん

うじがわ 夢浮橋 (2018/03/31 訪問)

夢浮橋といっても五木ひろしさんの楽曲ではありません。京都の宇治川のほとりに夢浮橋ひろばがあり紫式部の石像が鎮座しています。「夢の浮橋」は源氏物語の第54帖にあたり、光源氏亡き後の薫と匂君、そして浮舟を巡る三角関係を描いた宇治十帖ゆかりの場所のようです。すぐ近くに宇治橋もかかっており情緒がありますね。いまから一千年も前の話なのに今でも色褪せないってすごいですね。

夢浮橋ひろば‥京都府宇治市蓮華花(地名がオシャレ)

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しんちゃん

武田信成館跡 信虎誕生屋敷 (2017/12/10 訪問)

武田信成館跡の情報は城郭放浪記さんを参考にさせていただきました。清道院のあたりが館跡とされていて北側の道路との間に空堀の跡があるようです。武田信成は甲斐源氏11代で武田氏8代の当主とされています。初見が暦応2年(1339)なので武田信玄よりだいぶ前の人ですね。境内には信成夫人の身投げの井戸とされるものが残っていますが、あくまで伝承と考えた方が良いのかもしれません。
信虎誕生屋敷はあの武田信玄公の父、武田信虎の生まれた屋敷の跡とされています。現状、果樹園らしき畑となってしまっているので情緒が無いのですが、調査では掘立柱の建物の跡が見つかっているそうです。こちらも情報元は城郭放浪記さんで、近くに清水陣屋の跡があります。
ウィキで信虎さんのプロフィールを読んでいたのですがこれまた、なかなかのボリュームで頭のキャパシティーをオーバーしてしまいました。伝承ではかなり非道な人物とされる信虎さんですが甲斐をまとめ上げ武田信玄の飛躍の足固めをした実績は多大なものがあったと思います。

武田信成館跡‥山形県笛吹市八代町北字大庭
信虎誕生屋敷‥山形県笛吹市春日居町岩下

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赤い城

昼寝してても落とされない (2024/02/18 訪問)

高松から県道3号線、大窪寺方面に向かうと案内板があります。
そこから左折、道なりに進みます。
途中案内板がいくつかあり、だんだんと道は細くなりますが登城口の案内板までスムーズにいけます。
登城口には駐車スペースもあるので安心ですね。
登城口から城域までの道のりはややハードですがトラロープが張ってあり整備もされています。
ただ登城路は細く、途中ガレ場のような所もあるので万全な装備は必要。
しばらく登ると最初の堀切があり、ここから先が城域のようです。
左の尾根に行ってみましたが細い尾根道。
いい感じでした。
引き返し、さらに登るとトラロープも分岐、まっすぐ行くと主郭部へダイレクトですが左に進みます。
堀切部分には井戸跡かな?石積が残っています。
さらに左へ進むと曲輪があり、さらに行くと矢筈山方面へ。
この辺りまでが城域かな。
引き返し主郭方面へ戻ります。
主郭手前には堀切があり、両サイドへ落ちていました。
主郭には土塁が残り、見学していると「ガサガサ」っと、イノシシが走っていきました。
四国の城では熊の心配は無いですがイノシシもちょっと怖い。
用心しながら小さな祠がある二郭まで見学して下山しました。
南北朝時代の寒川氏の居城で「昼寝してても落とされない」とのことで名付けられた城。
規模は小さいながらも引田城や虎丸城を支城としていたとのことです。
四国八十八ヶ所結願の大窪寺も近くにあります。
ちょっと足を伸ばして参拝、名物の打込みうどんを頂きました、猪肉入りで。。。

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枡形ともき

岡崎は美味しい食べ物がたくさん (2023/07/01 訪問)

前を通っただけで美味しそうな匂いがしてくる桝八川魚商店でうな丼を食べました。
店内には生きたうなぎがいてびっくり!
それからカクキュー八丁味噌の郷に行って蔵などを見学させていただきました。
味噌ポップコーンめちゃくちゃ美味しかったです。
ぜひ行ってみてください。

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枡形ともき

松平のお城 (2023/07/01 訪問)

お城自体はあまり大きくありませんでした。
ですが堀や石垣が大きくかなりダイナミックでした~

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チェブ

将軍家御用達ホテル。 (2024/01/04 訪問)

1605年に完成した、「御茶屋屋敷」。
徳川 家康さんが将軍家専用の宿泊施設として築きました。
こちらの「御茶屋屋敷」から関ヶ原の古戦場まで、車で20分の距離です。
家康さん、宿泊するたびに 大戦の思い出話したんでしょうか。

駐車場から「御茶屋屋敷」の入り口へ。
入り口は小さく、趣があります。
しかし、入ると土塁が続きます。井戸跡や空堀があり、お城の防御面も兼ね備えてました。
確かに1605年は、まだまだ安心できない情勢です。

現在の「御茶屋屋敷」は牡丹が綺麗なんだとか。
とても、整備されていてます。
こちらの竹は藪ではなく、竹林。みんな真っ直ぐに伸びてます。
関ヶ原の古戦場近くで、ほっこりできる「御茶屋屋敷」でした。

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朝田 辰兵衛

海老名駅から綾瀬市役所行きのバスで…🚌 (2024/02/10 訪問)

海老名駅でJRから小田急線に乗りかえるタイミングで,「天気もいいし,日没まではまだ時間があるな…」と思い,綾瀬市役所行きのバスが見えたので飛び乗りました。といっても,キャリーバッグを持ったままで…。
事前調査で,「舗装された散策路のある公園」であることと,「城山公園バス停の目の前」という好条件が背中を押しました。
行ってみたら,(キャリーバッグを持ったままでは)堀切や腰曲輪には進入を断念せざるを得ないということがわかりました。ま,それでも遠景で確認できたので満足しました。

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宗春

松本城 (2024/02/22 訪問)

JR東日本の「キュンパス」を利用して松本まで行ってきました。
今回で4回目か5回目の登城ですが、久しぶりに天守にのぼりました。過去3回くらいは夏休みだったためか天守への入場に長蛇の列が出来ており、時間が無くて断念していました。今日は雨(霰)の平日だったためか、客がまばらでじっくり見学出来ました。狙い通りで良かった〜 ^_^

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Tokyobay

美女塚の「伝説」 (2024/02/19 訪問)

下妻と言えば「イオン城」だが、本家の城址公園にも下校時の寄り道学生がチラホラいて一安心?。案内板にあった関ケ原で西軍につき城主追放・城破却となった時の奥方や女中の悲惨なエピソードは史実だろうか。敵が攻め込んできて城が包囲されて籠城戦にでもなっているならまだしも、城から出ていくというだけで自害するというのもちょっと考えにくいが・・・。まあ、美女塚の「伝説」ということらしいので、あまりツッコムものでもないのかもしれない。
尚、広大な城郭だったらしく多宝院や相原山の裏手に外郭の土塁や堀等の遺構が点在しているようだが時間なく未確認(帰宅してグーグルマップで確認)。

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カズサン

【三河畠村陣屋】 愛知県田原市 1万石戸田氏の陣屋 (2024/02/20 訪問)

 住所:愛知県田原市福江町中紺屋瀬古8(福江市民館)
 駐車場:福江市民館裏手に市民館駐車場有、此処を利用、トイレは前の福江公園に平櫓風のトイレ完備。

 田原城から西南西約17~18km程国道259線を走り畠神社交差点を右折北へ150m程で福江市民館、福江公園に着く、伊良湖岬へは西方向へ約10km程。

 遺構は殆どないが福江公園が整備されて福江公園の案内板に畠村陣屋の事が記載されている、また南西の畠湊の降りる坂道を城坂と呼ばれて陣屋が在った名残を留めている、城坂途中に城坂解説板がある、石垣は「長七たたき」と呼ばれる石垣で漆喰で石と石をつないでいる。
 陣屋は台地上に立っており西側は丘陵崖がコンクリートで護壁整備され居ります、見上げると陣屋が在ったのだと空想の世界。

 歴史は、畠村陣屋は元禄元年(1688年)に成立した大垣新田藩の三河地区支配陣屋として置かれた、大垣新田藩(1万石)は本家である大垣藩(10万石)の支藩であり、藩祖は戸田氏成(大垣藩戸田氏西の次男)で定府大名として7代続いて明治を迎える。(解説板抜粋)
 
 畠湊方向へ城坂をお降りると、町屋群が昔の花街で元遊郭の建物など風情のある黒板塀建物群が並んで、飲み屋街やリニューアルして高級和風旅館に成って伝統的な建造物風の街並みが見られます。
 
 田原城の後にどこに寄ろうかと、城郭放浪さんの情報を頼りに畠村陣屋を選びました。
 

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todo94

2024年初城詣の次 (2024/01/01 訪問)

2024年元日の初城詣・石田堤に続いての攻城です。箕田2号墳の南側一帯が箕田館の推定地とのことで箕田2号墳の墳頂には氷川神社が鎮座しています。

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