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POYO58

続日本100名城スタンプ巡りNo.5 小牧山城 (2023/01/23 訪問)

遺構★★★☆☆ 土塁、堀切、虎口(山頂は除く)
アクセス 名鉄小牧駅から徒歩15分 (あ、ちなみに電車の行き方を書いていらっしゃる方、特にスティクラさん、朝田辰兵衛さん、ものすごくありがたいです。車で行かれる方も多いと思うのですが、やっぱりアクセスが大変なので。)
注意ですが、どうやら4月まで工事で山頂まで行けないようです。頑張って登ったのですが、あらゆる場所にロープがついていて入れません。なので今回は山麓の紹介のみにさせていただきます。一部山中も入れてます。
とは言っても山麓にも見るべきものは結構あります。山麓には主に家康の遺構が残っています。堀切や虎口、小牧、長久手の戦いの対策として建てられた土塁が残っています。小牧山城には10を超える虎口があるようなので探してみると面白いと思います。堀切は主に3つあります。1つは復元のようですが、城の面影をしっかりと残しています。
また山中の本丸虎口もなかなかすごかったです。結構大きな堀切となっていますが、これは家康時代のもののようです。
いやそれにしても山頂に行けなかったのは本当に残念でたまりません。実は小牧山城は3回目なのですが、スタンプ目的で行ったものの、石垣もちゃんと見たかったので本当に残念。小牧山城の石垣がなかなかちゃんと見れていないので、小牧山城の投稿を見て楽しみたいと思います。

さて、もうそろそろ冬も終わり、山城ムーブがやってきそうですが、今日も僕の質問コーナー! 毎度すみません。
実は僕、山城は大好きですが、虫が本当に無理なんです。特に蜂が無理で、山城には絶対にいると思います。半年前の高取城訪問では妹の頭に蜂がのり、妹が怯えていたのが記憶に残っています。あの時以来さらに蜂が怖くなってしまってたまりません。
変な質問にはなるのですが、どのように対策したらよろしいでしょうか?よく落ち着けばいいとかおっしゃる方はいるのですが、どう考えても僕には不可能です。何か考えがありましたら回答をお寄せいただけますか?
ちなみに3月は鎌刃城に行こうと思っているのですごく楽しみです。ただどうやって電車で行けばいいのでしょうかねー。

あとまたいつか城クイズも始めようと思っています。カズさん、 にのまるさん、朝田辰兵衛さん、またお願いしますよ。

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赤い城

まだ入れない (2023/02/11 訪問)

東金駅から徒歩で10分くらい。
八鶴湖から城山を見上げながら陣屋跡の本漸寺へ。
説明板が立っています。
まずは本漸寺をお参りし、奥の墓地に進んで見ました。
竪堀っぽい形の部分もありますが藪でよく分かりません。
ちょっと脇に入ると空堀がありました。
私有地なので奥に進むのは自重しました。
本来は東金高校裏手から登城路がありますが数年前の台風による倒木で立入禁止。
門が閉まっていました。
最後のフォトは数年前に撮影した堀切です。
またいつか見たいです。

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チェブ

小山総合公園からの「鷲城」攻め。 (2023/01/03 訪問)

小山氏の居城であった「鷲城」です。
車で来たので、小山総合公園の駐車場を利用しました。
この日は1月3日で、凧上げしている親子を見かけお正月感を味わわせてもらいました。広いグラウンドです。
その奥に登城口があります。特に案内はありませんが、皆さん必ず分かると思います。
上から若い衆が下りて来ました。すれ違えないので、譲り合いです。
登城口、少しぬかるんでいて通れる場所が狭いです。寒かったから霜柱ができ、溶けたと思われます。
写真③からお邪魔しました。虎口があり、キラッと何かが光ります。
土塁や虎口の案内板が、シルバーに格好いい文字。
と、横矢。こちらは案内板が木製?いや、枯れ草が映ってるのか?そんな事を気にしてたら、討死します。
小山市は小学生の現地学習で、虎口から駆け上がりながら城攻めチームVS本丸を守るチームで戦いながら学習するそうです。
そして、本丸の『鷲神社』に出ました。
さっきの若い衆は、初詣だったのかな。
神社を背にして参道を歩くと、神社入口に「鷲城」の石碑と説明板があります。
折り返し参道を戻ると、広い場所があり、説明板によると中城という事になります。

小山市の小学生に混じって、現地学習に参加したい「鷲城」攻めでした。

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トク

⑳【関ケ原の26人】(11)鳥居元忠 (家康と元忠-伏見城の別れ) (2023/02/09 訪問)

(11人目)は「鳥居元忠」です。
元忠が最後まで守り抜き壮絶な討死をした「伏見城」を訪れてきました。

伏見城は最初1592年に豊臣秀吉が自らの隠居所として指月に築城します。しかし慶長の大地震(1596年)で倒壊。そして翌1597年に今度は1km東の木幡山に新たに城を築きますがそこで秀吉は病没。その後、徳川家康が入り五大老としての政務をここで行います。そして、この関ケ原の前哨戦である伏見城の戦いで焼失、1602年に家康によって再建されますが、1619年一国一城令で廃城となりました。模擬天守が北に1kmの旧桃山遊園地に建てられましたが、耐震化の問題で現在は外から見学できるのみで入城はできません。

私は、模擬天守(写真①-④)、木幡山の城跡(写真⑤⑥:現在は明治天皇御陵)、指月の城跡(写真⑨⑩:現在はマンション)を訪れ当時の様子を想像してきました。

鳥居元忠は家康とは今川家の人質時代から50年間も苦楽を共にしてきた側近中の側近です。上杉景勝に謀反の兆し有りとの知らせが入り、家康は1600年6月16日この伏見城から会津の上杉討伐へ出陣します。その隙に石田三成は挙兵、4万の軍勢で伏見城を囲みました。残された鳥居元忠はわずか1,800の軍勢で13日間籠城するもついに力尽き城は焼かれ討死します。そしてこの時の血染めの天井が、現在京都養源院にあるそうです。

上杉討伐へ出発の前日、家康は元忠と深夜まで酒を酌み交わし、これまでの親子2代に渡る忠義に感謝し、そしてわずかの兵しかこの伏見に残さぬ事を詫びました。しかしその時に元忠は、「殿が天下を取られるには多くの家臣が必要でございます。よってこの城に多くを残すは無駄でありますゆえ、私にかわまず一人でも多くの家臣をお連れ下さいませ」と答えたそうです。それを聞いた家康は元忠の手をぐっと握り涙ぐんで別れたとの事です。美しい話だな~と思いました。

私は木幡山の城跡に立ち(写真⑤)、ここにかつて五重の天守があった事を想像してみました。そして後ろを振り返り(写真⑥)、この眼下に小早川秀秋・島津義弘ら西軍4万の軍勢がいた事を想像してみました。この天守から同じようにこの軍勢を見下ろしながら、鳥居元忠はこれまで家康と過ごした50年間をどのように振り返っていたのでしょうか? そしてなぜ自ら捨て石となる覚悟を決め、散っていったのでしょうか?

【余談】大河ドラマ
「どうする家康」では「音尾琢真」さんが元忠を演じられています(父の忠吉は「イッセー尾形」さん)。家康と元忠のこの伏見城での美しい別れのシーンは果たしてあるのでしょうか?(私は密かに期待しています😊)。

次は(12人目)に続きます。
 

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にのまる

会ってきました。 (2023/01/04 訪問)

①高知駅前広場で三志士像の写真を撮り8:30に「とさてらす」でポストカードをもらう。
②龍馬パスポート受付窓口で申請書を青パスポートに引き換える。
③駅のコインロッカーにキャリーバッグを預ける。
④コンビニでおにぎりとお水を購入。
⑤午後の移動の乗り換え時間が微妙なのでとりあえず最低切符を買っておく。
⑥北口2番乗り場から9:02発の領石出張所行バスに乗車。

と朝からミッション多すぎでドキドキでした。
バスに揺られること30分。学校分岐に到着し、出迎えてくれた歴史民俗資料館の大きな看板を見て、ちゃんと来られた(^o^)丿と、やっとホッとしました。

岡豊城で楽しみだったのは、何をおいても『長宗我部元親飛翔之像』です。
以前カルビンさんと朝田辰兵衛さんとで盛り上がっていらっしゃるのを見て、それほどまでに惹きつけられるなんて一体どんな像なんだろうと興味津々でした。ぽんたっく土佐守さんのアイコンもこちらですね。
坂の途中の山村民家に立ち寄り、歴史民俗資料館へ。
……と、いらっしゃいました、元親さま。
全身からあふれ出るエネルギッシュな魂の雄叫び。あふれる躍動感とみなぎる闘志。鋭い視線が見据えるのは未だ見ぬ世界か。
どの角度から見てもかっこよくて、今にもジェット噴射でマッハ10を出し飛び立たんとする姿には姫若子の面影などは微塵も感じられなかったのでした(^^)v
地面が四国で方角もリアルなのもよかったです。

充分に満足したところで資料館へ。
⑦龍馬パスポートにスタンプをもらう。
⑧ニッポン城めぐりの土佐城さんぽ御城印を引き換える。
⑨続100名城のスタンプを押す。
のミッションクリアしました。
長宗我部展示室に設えられた本陣内でのビデオがとてもよかったです。

<つづく>

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コージー

西尾城プロジェクションマッピング (2023/02/11 訪問)

7分間のプロジェクションマッピングは壮大で見応えがありました。

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Rucchy

石垣が素晴らしい (2023/02/11 訪問)

綺麗に保存されていてとても綺麗なお城でした。

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赤い城

小森城 千葉県白井市 (2023/02/09 訪問)

白井第二工業団地の中にあります。
登城口のところに駐車スペースがあり、微妙な階段を登ります。
正面に謎の小屋というか倉庫というか。
いずれにしても現在使われている感じではありません。
左手に空堀、先の方には土橋のようになっています。
小屋の裏手には土塁も残ります。
この辺りが主郭で少し散策すると土塁もありました。
ここも那津かなりの藪のような気がします。
都心から近くの城なので少し整備されると行きやすいですね。

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カズサン

8年振りの登城本丸編 (2023/02/08 訪問)

 三島佐野美術館で本多忠勝所持の日本三名槍の一つ蜻蛉切を鑑賞し、同食事処「松韻」で昼食を頂き、目も脳も腹も満足堪能し、8年振りに成りますが西行拾数kmの県道22号線沿いに在る興国寺城を目指しました。

 駐車場:本丸東側駐車エリア(他にも二の丸、三の丸の東側エリアが駐車可能です)、トイレは有りません。

 昼からの天気予想は曇りから雨模様でしたので暗く曇り富士山は見えず、沼津港、海は見通せず、しかし本丸を囲む西、北、東の高土塁は見事に聳えています、草も刈られて歩き易く観察も出来、見応えも有ります。
 穂見神社、最後の城主「天野康景之碑」、最初の城主「北条早雲之碑」は8年前と変わりません、令和2年10月製の興国寺城跡解説板、以前も有った平成7年3月製の歴代城主一覧付き解説板、解説板下にパンフレットボックス、一枚頂く、同隣に続百名城のハンコがボックスに入って居ました。
 本丸より撮影した写真を投稿します。

 天守台編に続きます。
 
 

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名塚砦と稲生原古戦場 (2023/02/11 訪問)

 織田信長が弟である末森城主織田信勝(信行)に備えるために築いたとされる砦で、佐久間盛重が守っていました。城びとは未登録の砦です。白山神社が跡地とされ案内板があります。場所については諸説あるようです。
近くには信長と信勝方である柴田勝家や林美作守らが戦った稲生原の戦いの戦死者を祀ったともいわれている庚申塚があり案内板もあります。

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松平竹千代織田信広人質交換の地 (2023/02/11 訪問)

 名古屋市南区の笠覆寺、通称笠寺観音は織田方に人質になっていた松平竹千代(徳川家康)と今川方が捕らえた織田信長の兄織田信広との人質交換の地とされ、敷地内には石像があります。人質交換の地は諸説あるようですが、現在はここが定説となっているようです。
境内には宮本武蔵の碑もあります。巌流島の戦いからしばらくして尾張に滞在していたとのことで、弟子によって建立された顕彰碑とのことです。

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侍ホリタン

姫路城2023年冬の特別公開「菱の門・2階櫓部」 (2023/02/11 訪問)

普段は公開されていない「菱の門」の内部が本日より期間限定(2023年2月11日〜3月12日)で公開されています。2階の櫓部は初公開になります。菱の門は姫路城内の玄関口、入城ゲート入ってすぐの所にある現存する姫路城内最大の門です。入場料の他に別途拝観料(200円)が必要になります。

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小荷駄

箕作城跡 (2023/02/08 訪問)

近江鉄道河辺の森駅から徒歩で30分程で城跡北側の貴船神社横の登山口に着きました。駐車場とトイレは有りませんでした。登山口からは約30分から40分程で頂上の城跡に着きました。登山道は少し雨も降っていたせいか滑りやすくなっていましたが整備されていたので楽しく散策させていただきました。遺構は少ないですが主郭からの眺望は素晴らしく観音寺城や回りの支城など良く見え楽しかったです。また主郭北西側に残っている石垣は少しですが見学しやすいようにして頂いてあり非常に有り難かったです。整備している方々に感謝します。

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赤い城

かつては五重の堀があった (2023/01/29 訪問)

岡本駅から徒歩で30分くらい。
正規の登城口に辿り着かず稲荷神社から登城しました。
神社の奥にいきなり深い堀を見ることができます。
この部分には折れもあり、深さもあるので見どころです。
堀の向こうは本丸。
木が伐採されていたりで整備の跡が伺えました。
北側の切岸も鋭く、高さもあります。
西側の堀はやや浅めで少々藪。
南側の虎口は斜めに入る感じで傍らに説明板が立っています。
二郭から外側は畑や宅地。さらにはソーラーパネルが並んでいて想像力を働かすしかありません。
かつては五重の堀があったとされる城。
もう少し痕跡を探そうと思いましたが電車の時間が気になったので退却しました。
帰路は正規の登城口から、公民館が目印となります。

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ぎりょう

南門の復元が完了! (2023/02/09 訪問)

2020年6月に着工され、工事が続いていた多賀城跡南門の復元がこのほど完了した。高さ約14m、幅約11mの木造で、政庁第二期(762~780年)の姿を再現しているという。現在は門全体の姿を見ることができるが、一月後には両脇に築地塀を復元する工事が始まりフェンスで覆われる予定だ。朱色の柱と白壁がとても美しく、多賀城創建1300年にあたる2024年の一般公開が楽しみである。(2月3日付河北新報記事より)

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、松本城 (2022/07/17 訪問)

上田城からの転戦です。
現存十二天守の一つ、国宝五天守の一つです。
1590年豊臣秀吉公の小田原攻め後に小笠原氏に代わり入封してきた石川数正・康長父子によって天守が築かれました。
現在、太鼓門は令和5年2月28日の予定で耐震対策工事中でした。一部養生はされてますが今のところ通行は可能です。

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、上田城 (2022/07/17 訪問)

小諸城からの転戦です。
1583年上田昌幸公によって築城された上田城は、二度も徳川軍の大軍を退けたことで名を馳せた名城です。特に関ヶ原合戦の前哨戦「第二次上田合戦」では、中山道を西進する徳川秀忠軍3万8千の兵を上田城に誘き寄せ、5日間の足止めを余儀なくされた秀忠軍は関ヶ原合戦に間に合う事が出来ませんでした。この時の上田城に籠る昌幸、幸村軍の兵力は僅か2500でした。関ヶ原合戦後、上田城は廃城、その数年後東軍に属していた嫡男上田信之公は松代へ移封、その後小諸より入封した仙石氏によって上田城は再建されます。仙石氏が但馬国へ移封となると松平氏の居城として明治まで続く事になります。
駐車場は上田城跡駐車場が駐車場は上田城跡駐車場が無料なのでおすすめです。

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、小諸城 (2022/07/17 訪問)

高島城からの転戦です。
小諸城跡がある懐古園には遊園地、動物園、藤村記念館等が併設された市民公園となっています。また日本さくら名所100選にも選ばれています。
武田晴信公により拡張整備され、その後入城した仙石秀久公による大改修によって現在の姿になりました。城の玄関口である大手門よりも低い位置に本丸が築かれた「穴城」という縄張りとなっています。この場合、本丸の守りが弱くなりますが、本丸先の千曲川の断崖が弱点を補っています。
懐古園入り口付近に有料駐車場ありますが、城訪問だけなら2時間無料の大手門公園駐車場がオススメです。 小諸城跡がある懐古園までは徒歩5分程度です。公園内にある大手門2階は無料の資料館になっています。

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にのまる

日本民家園と。 (2023/02/10 訪問)

くろもりさん、こんばんは。
お久しぶりのご投稿に、おーっ!てなりました。
お子さまのご誕生、おめでとうございます。お健やかにお育ちになられますようお祈り申し上げます。

七尾城、登りましたよ。お天気もよくて気持ちよかったです。

くろもりさんといえば、長谷堂城⇄山形城往復慶長出羽合戦行軍、観音寺城の雪中行軍など、伝説の城巡り人というイメージを(勝手に)持っております。

宮後城訪問の機会がありましたら「東京から城跡碑を撮りに来たのに…( ; ; )」とならないようご投稿を参考にさせていただきます。

山形や観音寺城の雪とはくらべものになりませんが、本日は東京でも積雪がありましたので、雪の山城登城気分を味わいに近くの枡形城に行ってきました。海抜84メートル。登城口から山頂まで5分とかからないところですが。
みぞれまじりの雪で、あっという間にべちゃべちゃのぐちょぐちょになってしまいました。

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小城小次郎

「風の陣」クライマックスシーンの舞台となった古代城柵 (2022/09/25 訪問)

陸奥按察使の紀広純が蝦夷出身の伊治呰麻呂(あざまろ)に討ち取られるという大事件(宝亀の乱)の舞台であり、それは同時に高橋克彦「風の陣」におけるクライマックスシーンの舞台でもある。それだけでももう感動もの。

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