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肉球

立派な長屋門 (2023/12/04 訪問)

関東郡代伊奈忠次によって築かれた陣屋跡です。
その後家臣永田氏に与えたようです。
水堀で囲もれた跡地には木製の忍び返しがある立派長屋門が残り
門の内側には駕籠吊るされていました。
まだ子孫の方が住まわれているようです。

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じゅんじん

九鬼岩倉神社 (2023/11/18 訪問)

九鬼氏が鳥羽城に移る前の居城になります。

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じゅんじん

14年ぶり (2023/11/18 訪問)

発掘調査もしたそうで。天守復元するかな?

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じゅんじん

対岸 (2023/11/18 訪問)

立ち入り禁止みたいだから対岸より撮影。

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じゅんじん

2回目 (2023/11/05 訪問)

近世と江戸時代を見られるお城です。

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じゅんじん

よくわからん (2023/11/04 訪問)

どこにあるかわかりませんでした。多分近くを撮影。

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じゅんじん

巨大天守 (2023/11/04 訪問)

本当に巨大ですね。

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じゅんじん

公園 (2023/11/04 訪問)

古墳メインの運動できる公園でした。

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じゅんじん

長福寺 (2023/11/04 訪問)

急坂の上部にあります。自転車はきつい。

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T-Shionoya

福岡城 天守台周辺が魅力的 (2023/10/13 訪問)

10月の福岡旅行で訪れた最後の城が福岡県福岡市の福岡城。

福岡平野と西の早良平野の間を博多湾に向かって伸びる福崎丘陵の先端部を主要城郭とした城。
低地部に三ノ丸を築き、北堀の外側には干潟を埋め立て城下町を造成。元々、大濠は博多湾からの入江(草ヶ江)であった模様。

関ヶ原の後に筑前国の大名となった黒田長政が、手狭な小早川時代の名島城から本拠地を移転。
1601年から7年掛けて築城された黒田氏11代の幕末までの居城。

現在は舞鶴公園と大濠公園として整備され、三ノ丸は陸上競技場などに変貌しているものの、本丸と二ノ丸は大規模な石垣城郭が健在。また三ノ丸北西エリアには移築建造物が点在。

本丸表御門が移築されている崇福寺を訪問後、福岡城では上之橋御門、下之橋御門、二ノ丸外周を時計回りし、本丸、天守台、南丸へ。
本丸と二ノ丸の石垣は想像以上で、特に天守台周辺の石垣迷路は魅力的。
また近年、隣国細川氏の手紙に「長政が天守を取り壊すと語った」との記載が発見され、天守閣の短期間存在説が浮上しているとのこと。

滞在時間3時間越えの福岡城が、私の城郭巡りの162城目でした。

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肉球

中釘陣屋・埼玉県さいたま市西区 (2023/12/04 訪問)

1623年山内一豊の甥一唯によって築かれた旗本3000石の陣屋です。
跡地は畑、住宅が建っていますが痕跡はありません。
近くには一唯が篤く崇敬した秋葉神社と菩提寺の妙玖寺があります。
1689年4代当主豊房が5代土佐藩主を継いだため陣屋は廃止されたようです。

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肉球

18年ぶりでした (2023/11/05 訪問)

親戚のお宅へお邪魔するついでに立ち寄りました。
前回訪れてから18年が過ぎていたようで
御殿跡付近は駐車場になっていて
景色が随分と変わっていました。
公園内の案内板に記されていた大手門付近まで歩きましたが
標柱や案内板はありませんでした。
史跡公園になってますので駐車場完備です。

厚木駅方面に向かう途中の福伝寺に門が移築されています。

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肉球

太田善太夫陣屋・神奈川県愛川町 (2023/11/05 訪問)

徳川家康の旗本太田善太夫吉正の陣屋跡です。
1615年加増によりこの地を得て中津川沿いに陣屋を築き
1697年まで支配してようです。
川沿いの低地が跡地とされていますが崖の中腹が平地になっており
大きな家が建っていますので、その辺りが跡地なのではないかと思われます。
跡地には若宮八幡宮が建っていますが痕跡などはありません。
『善太夫の力石』なるものがポツンとあるだけです。

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城好きのメガネ

「飯野陣屋」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
飯野陣屋は、1648年頃に保科正貞が1万7000石の大名として立藩し、廃藩置県まで10代にわたって治めた。保科氏は甲斐・武田氏の家臣で先方衆をつとめた名門。藩主の多くは大坂定番、江戸城の守備など幕府からの信任も厚かった。10代・保科正益は若年寄にまで栄進し、第二次長州征伐では征長軍の指揮を任された。戊辰戦争では新政府側に与する代わりに徳川慶喜の助命嘆願を求めて京都に入るが、親戚筋にあたる会津若松藩が徹底抗戦の構えを取り、飯野藩も連座し、謹慎処分となる。廃藩置県に伴い廃城となる。三条塚古墳・亀塚古墳・稲荷塚古墳などを再利用している。現在、土塁、横堀(水堀)が遺されている。

<アクセス>
JR青堀駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「館山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
館山城は、1580年頃に里見義頼によって築城された。里見氏の居城となるが、1614年に里見氏が改易され、破却・廃城となる。1781年頃に稲葉氏が館山藩を立藩し、麓に陣屋を構える。4代藩主・稲葉正巳は、徳川慶喜の信任も厚く、若年寄、老中格、海軍総裁、陸軍奉行などを歴任し、幕府海軍の創設など功を上げた。戊辰戦争では新政府側に恭順し、廃藩置県に伴い廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR館山駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「岡本城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
岡本城は、里見氏の家臣・岡本随縁斎が築いたとされる。里見義弘が後北条氏に対する水軍基地とするため岡本随縁斎から譲り受けたとされる。里見義弘が死去した後は、弟・里見義頼の本拠となる。1591年頃に里見義康(里見義頼の子)が館山に本拠を移したため廃城となる。現在、土塁・曲輪等が遺されている。

<アクセス>
JR富浦駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「黒羽城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
黒羽城は、那須七党・大関氏の居城である。小田原征伐では大関高増が豊臣秀吉に謁見し、1万3000石を安堵される。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、会津の上杉氏の動きに備える。外様でありながら15代大関増裕は若年寄など幕府要職を歴任した。戊辰戦争では新政府側に属し、会津戦争などで戦功を挙げる。廃藩置県まで大関氏が治めた。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)、横堀(水堀)などが遺されている。

<アクセス>
JR西那須野駅 バス 黒羽神社下車 徒歩20分

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城好きのメガネ

「大田原城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
大田原城は、1545年頃に大田原資清が築いたとされる。大田原氏は関ヶ原の戦いで東軍に属し、功績をあげ1万2000石を立藩する。徳川家光の時代には千石倉を城内に築かせ、奥州への備えとした。戊辰戦争では新政府側に属し、大田原城は会津攻めの拠点となる。廃藩置県まで326年間を大田原氏が治めた。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)が遺されている。


<アクセス>
JR西那須野駅 バス 龍城公園前下車 徒歩10分

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城好きのメガネ

「飛山城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
飛山城は、宇都宮氏の忠臣・芳賀氏の居城とされる。戦国時代には、後北条氏の侵攻にともない度々戦火にさらされた。1590年、小田原征伐後に、豊臣秀吉による「城破り」の対象となり破却・廃城となる。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)が遺されている。

<アクセス>
宇都宮ライトレール 飛山城跡駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「霧山御所」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
霧山御所は、北畠氏館の詰城として築かれた。織田信長の伊勢侵攻により北畠氏の滅亡とともに廃城となる。現在、曲輪、土塁、横堀(空堀)が遺されている。続日本100名城 北畠氏館と併せて散策してほしい。

<アクセス>
JR伊勢奥津駅 徒歩55分

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