瀬木城(城びと未登録 愛知県豊川市)から自転車で10分くらいで、一色城土塁跡前(34.811652、137.385242)に着き、その後、牛頭山大聖寺入口(34.810861、137.384737)に向かいました。
一色時家は室町時代の足利氏の一族で、1439年(永享11年)に吉良の地よりここに来て一色城を築きます。
しかし、家臣の波多野全慶に討たれてしまい、その波多野全慶も同じ一色氏の家臣だった牧野古白に討たれてしまい、結局、一色城は牧野氏のものになります
その後、牧野古白は今橋城(後の吉田城の前身の城)を築いて移り、二男・成勝を城主にしました。この時から一色城は牛久保城(牛窪城)と改名されます。
牛頭山大聖寺は、かつての一色城の中にあります。つまり城の中にあった寺です。その一色城を築いたのが一色時家です。
牛頭山大聖寺にはその一色時家の墓も残されています。また、今川義元公の墓もあります。
この今川義元公の墓は、今川義元の胴体を埋めた胴塚(どうづか)と呼ばれるものです。
なぜここに今川義元の遺体を埋めた胴塚があるのか?話は桶狭間合戦にさかのぼります。
1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元は織田信長に討たれました。
そして首は織田軍に持っていかれ、須ヶ口といところに晒されるのですが、戦場には胴体だけが残りました。
残兵たちは泣く泣く義元の胴体を駿河に連れ帰ろうとしますが、桶狭間合戦起こったのは旧暦の5月19日。現在の暦でいうと6月上旬くらいです。
当然、遺体は傷んでいきます…『とても駿河までお連れすることはできない…』そう考えた兵たちは、まだ今川氏の勢力圏だった東三河の大聖寺に遺体を埋めることにしました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=赤坂陣屋の移築陣屋門(城びと未登録 愛知県豊川市)へ自転車で向かいました。
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