うまがだけじょう

馬ヶ岳城

福岡県行橋市

別名 : 馬岳城、馬ヶ嶽城、大谷城
旧国名 : 豊前

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小城小次郎

割り切った? (2022/05/28 訪問)

豊前に領地を得た黒田親子が入ったのがこのお城。織豊系城郭への積極的な改修が見られないのは中津城築城が決まっていたからなのか、登城路だけ入念に加工すればあとは高さで勝負!と割り切っていたからなのか。

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ryu

軍師官兵衛ブームで馬ヶ岳城に登る(2014年) (2014/12/07 訪問)

馬ヶ岳~ホトギ山まで縦走し、馬ヶ岳城と御所ヶ谷神籠石を探訪する。

10世紀、清和源氏の始祖である源経基によって築城と伝えられる。豊前北部の重要拠点として少弐氏や大友氏・秋月氏、中国地方の大内氏や毛利氏といった群雄たちによる激しい争奪戦が繰り広げられた。
秀吉の九州征伐の際には、長野氏が城主で、秀吉は馬ヶ岳城に二泊滞在している。その後、豊前国6郡(宇佐郡の一部除く)12万5000石を与えられた黒田官兵衛が馬ヶ岳城を拠点としたが、やがて中津城を築いて移っている。

この年は大河ドラマ「軍師官兵衛」のブームで登山者も多かった。大谷登山口から遺構(土塁・横堀・畝状竪堀群、二の丸、堀切、本丸)を見学しながら登り、御所ヶ谷神籠石があるホトギ山まで縦走する。

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todo94

ミニオフ (2009/04/11 訪問)

馬ヶ岳城は九州攻めの際に豊臣秀吉が逗留しその後、黒田勘兵衛の居城ともなった国の史跡。秀吉を迎えるに当たって小早川隆景が急造したという畝状竪堀群を確認できないままに展望所に到着、小休止。暫し眺望を楽しんで先を目指す。一つ目のピーク、東丸でも小休止。一旦下って一気に坂を登りつめ、本丸に到着した。本丸にはなかなか立派な新田氏表忠碑が建つ。本丸からの眺望はなかなかの物だった。本丸と東丸の間の竪堀跡なども探ってみたが、今ひとつ判然としなかった。国史跡の山城に良くあるパターンではある。しかし、最後にサプライズが待っていた。竹藪の先に続く畝状竪堀を発見。一人での攻城だったら間違いなく見逃していただろう。お付き合いいただいたお三方に感謝の限りである。

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ヒデタカ

馬ヶ岳城跡 (2015/06/13 訪問)

なかなか良い城跡です😊

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 源経基
築城年 天慶5年(942)
主な改修者 緒方氏、新田氏、長野氏
主な城主 源経基、緒方氏、少弐氏、菊池氏、規矩氏、新田氏、大内氏、大友氏、宇都宮氏、長野氏、細川氏
廃城年 慶長20年(1615)頃
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
再建造物 石碑、説明板
住所 福岡県行橋市大字大谷/京都郡みやこ町犀川花熊
問い合わせ先 行橋市教育委員会文化課
問い合わせ先電話番号 0930-25-1111