JR行橋駅か平成筑豊鉄道に乗替え15分「豊津駅」で下車しました(写真⑩)。ここから黒田官兵衛の「馬ヶ岳城」を目指します(写真①)。
駅から県道58号の脇道を30分程歩いて進むと登山者用臨時駐車場があります。そこから左に折れてあぜ道を歩く事15分、大谷登山口に到着しました(写真②)。ここから登山を開始します。
馬ヶ岳城は、小倉を出発し西ルートを進軍する秀吉が最初に宿泊したとされる場所です。秀吉が九州平定を終えた後は、豊前一国を与えられた黒田官兵衛・長政父子がここに入り居城としました。しかし手狭で山城はやはり不便なため、官兵衛は山国川の河口に、翌年新たに「中津城」を築城し移り住みます。しかし若き長政は、反旗を翻した城井氏(宇都宮鎮房)を討伐するため、しばらくここに留まったようです。
登山口から登山道を登っていると、途中には堀切・土塁・畝状竪堀がいくつか見られました(写真③④⑤)。これらは、官兵衛の時代に築かれたのではないかと言われています。さすがは官兵衛! ここはかなりの要塞堅固な城だったようです。
そして汗を拭きながら登る事30分、標高144m「太閤岩(展望台)」に到着しました。ここには、秀吉と官兵衛が座ったとされる岩があり(写真⑥⑦)、二人はここから香春岳城(かわらだけじょう)を眺めながら密談したようです(写真⑧)。私も同じように、ここから座って眺めてみました。秀吉や官兵衛の気分に浸れて、もう感動です! しかしこの日は気温35度。本当はこの上の本丸(標高216m)まで行きたかったのですが、暑さと体力を考えて断念、ここで下山しました。冬になったらまた再訪し頂上を目指そうと思います。
秀吉は麓で2泊し、宿泊中に黒田官兵衛・蒲生氏郷・前田利長らと軍議を開いたそうです。そして頑強に抵抗する秋月種実の「岩石城」「益富城」「香春岳城」「古処山城」をどうやってこれから攻め落として行けばよいか、作戦を練ったものと思われます。しかしここで意外な一言が・・・🤔。
秀吉は自分の家臣である官兵衛に対し、「西九州は我々に任せ、そなたには毛利とともに東九州を行く秀長を助けてほしい」と頼みます(写真⑨:秀長の豊前松山城)。秀吉は密かに官兵衛に、弟の事を託したのではないでしょうか。しかしこの判断が、根白坂で見事に功を奏する事になります。
次は秀吉の筑後平定の地(吉見岳城)を訪れます。
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