新潟県新発田市の百名城の一つ新発田城です。この地に初めて築城したのは鎌倉時代地頭に補任された佐々木氏の末裔新発田氏とされ上杉謙信・景勝時代、揚北衆の重鎮として勢力を固辞していましたが、1581年豪勇の誉れ高き新発田家当主重家は織田信長に内通し、破竹の勢いで周辺領地を占領します。しかし、1582年信長が本能寺の変で亡くなると上杉景勝軍は総攻撃を開始、重家支配下の城を次々に攻略、新発田城に迫ります。これに対し新発田重家は城から出撃、景勝軍に7百騎で突撃し最後は自刃したとされます。その後、上杉氏が会津に転封となり、1598年加賀から6万石で入部した初代藩主溝口秀勝が旧城地に築城を開始、56年後の三代藩主宣直の時に城が完成してます。城は本丸を二の丸が取り囲み、南側に三の丸を配し東西500m南北1000mの規模を有していた平城とされます。本丸は石垣造りでしたが、その他は土塁で作られ天守閣はなく、本丸、二の丸、三の丸に三階櫓を含め11の櫓があったとされます。明治維新により新政府の命で城は取り壊され、本丸表門と石垣、二の丸隅櫓のみが残っています。平成16年に三階櫓と辰巳櫓が復元され、平成18年に日本百名城に認定されています。現在城跡は陸上自衛隊の駐屯地となっていますが、城址公園として本丸の一部に石垣、表門、復元された三階櫓、辰巳櫓、本丸に移築された二ノ丸櫓が遺構として残っています。
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