登城前、入口の案内板で早くも妄想と感動に耽ってしまいました。数少ない史料と伝承から調査と推察とを重ねられ、整備・公開されています。
明るく、見通しの良い城址には藪も倒木も蜘蛛の巣もなく、もちろん冷蔵庫とか電子レンジとか浴槽とかが転がっているということもありません。それどころか、複雑な折れと高低差を持ついくつもの土塁と空堀が複雑に重なり合い眼前に迫ってきて、圧倒されてしまいます。勢いだけで攻め込んだらあっという間に討たれてしまいそうです。
城主岡見氏は小田氏についていて、ここ小坂も領地争いの戦場となったようです。史上最弱と言われた小田氏治が何度も戦えたのはこんなハード面の強さに支えられていたこともあるかもしれません。
大小4つの曲輪がそれぞれに役割をもっていたと推測されています。内側に土塁がないのは曲輪間の往き来を簡単にしていざという時に仲間を守るため。L字型の2郭と主郭の関係は相互の信頼と絆の証。500年前の「土」から支え合いの素晴らしさを教えられるなんて‼︎
そうは言ってもここは戦場。1郭の柱穴と焼土は落城を物語るものかもしれないし、3郭から2郭へ土橋を渡った虎口は確実に狙われるところ(写真⑦の落書きの感じかと^^;)。写真⑧は逆に1郭の櫓台から2郭虎口を見たものですが、見通しのよさに唖然としてしまいます。(私の身長からの写真だと全然伝わりませんけど…)当時はもっと土塁も高く、堀も深かったでしょうから隠れようがないです。
その一方で二重の堀で囲まれた小さな4郭からは擂鉢や天目茶碗、土器(かわらけ)などが出土していて生活臭にほっこりしてきます。
コミュニティーバス(100円のかっぱ号)の時間に合わせて1時間くらい見学しました。「小坂城址入口」に停車しないバスでも「団地中央」から徒歩数分です。周囲は住宅地なので何かしら方法はあるはずです。公共交通機関派の方も諦めないで大丈夫、行けます。
再訪の機会があれば2郭南東の竪堀と腰曲輪を確認したいです。(忘れてるし…^^;)
ご紹介くださった方々に感謝です。ありがとうございましたm(__)m
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