日本百名城の一つ福井県福井市の一乗谷城がある一乗谷朝倉氏遺跡です。福井市東南部の越前山地から流れる一乗谷川の峡谷に15世紀頃造られたとされます。峡谷には朝倉氏館や家臣屋敷、商人・職人等の城下町が形成され、谷のもっとも狭まった部分に下城戸と呼ばれる土塁と堀、出入口を巨石で固め、上流1.7kmにも上城戸と呼ばれる同様のものが置かれ、右岸側山頂部に詰めの城一乗谷城が置かれています。朝倉氏が越前を平定すると応仁の乱で荒廃した京都から公家や名僧等文化人が下向し、領国支配が安定した孝景の時代になると一乗谷は北陸の小京都と呼ばれたとされます。しかし、1573年浅井氏の小谷城支援のため派兵された朝倉軍2万は刀根坂の合戦に惨敗し織田信長軍3万の追撃を受け、名の有る武将が多数打ち取られ、当主義景は手勢のみで一乗谷に帰還しています。しかし、一乗谷での抵抗をあきらめ、より山間地の大野の寺へ移動。一乗谷城では少数の朝倉兵が抵抗するも織田軍により一乗谷は炎上廃墟となっています。大野へ逃れた義景は一族の景鏡に裏切られ攻撃を受け近習らが奮戦する中、自刃しています。一乗谷城は朝倉館の背後の山頂に本丸、東南の尾根伝いにそれぞれに堀切が設けられた一の丸、二の丸、三の丸が続く連郭式城郭となっています。道路沿いの館郡だけを見るのも1時間程度かかり、当日は雨のうえ、山城は1時間半程度かかるため山城は断念しました。
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