北陸への旅の最終日の最後に佐柿国吉城を訪問致しました!
国吉城は、若狭守護武田義統の有力武将である粟屋勝久が、越前との国境に近い三方郡佐柿にあった古城跡を利用して1556年に築いたと云われています!
1570年4月、勝久は、朝倉氏と敵対する織田信長と結んで、織田の軍勢を迎えた!
国吉城は、朝倉攻めの本陣とされ、織田勢は敦賀に攻め寄せたが、浅井氏の裏切りによって撤退を余儀なくされた!
織田信長亡きあと、柴田勝家と豊臣秀吉の対立から、若狭国を治めていた丹羽長秀は、柴田勝家の侵攻に国吉城を改修せよと勝久に命じています!
その後、浅野氏、木下氏、京極氏の城代支配が続き、その後酒井氏がこの地を領して明治維新に至った!
国吉城は、1634年、酒井忠勝が小浜藩主となると廃城とされ、翌年、若狭東部統治の拠点としては佐柿町奉行所が、また領内巡検の休息所としての御茶屋屋敷が城跡の南に新築されました!
伝二ノ丸(出丸)には、喰違虎口があり、本丸には、本丸虎口が有りました!
その他に、ニノ郭、三ノ郭、四ノ郭、五ノ郭、六ノ郭が有りました!
国吉城は、標高およそ197mの城山頂上部を本丸として、北西屋根上にさらに5段の曲輪が連なります!
また、頂上部から西に派生する尾根には、高土塁と喰違虎口をもつ伝二ノ丸があり、南麓に城主居館が広がる!
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