宮城県最南端の白石市にある白石城です。伊達政宗の重臣片倉氏が城主として、江戸時代一国一城令後も伊達藩では例外として仙台城とともに城と認められ、本丸は9mの石垣の上に三層櫓を立てるほどの壮大な城でありました。戦国時代、米沢城を本拠とする伊達氏の家臣白石氏が城主でしたが、1591年豊臣秀吉に、この地方を没収され蒲生氏郷の領地となり、1598年には上杉景勝領となり上杉家臣甘糟景継が城主となっています。1600年の関ヶ原の戦で、徳川方の伊達政宗は白石城を攻撃、城主甘糟景継は会津若松城に詰めていたため甥の登坂勝乃が守備していましたが、伊達軍は元々支配していた城であり地理や城の網張に明るく1日で本丸以外を攻略、上杉方は守備を諦め降伏、1日で落城となっています。落城後伊達氏家臣石川大和守が一時城主となりましたが、1602年片倉景綱が1万8千石で城主となり片倉家が城主として明治維新まで続いています。片倉景綱は幼い頃伊達政宗の十歳年上の近侍となり、伊達家の「知の片倉景綱」と呼ばれ(ちなみに武は伊達成実)軍師的役割を果たし伊達家の主要な戦で政宗を助け活躍した重臣です。また、1866年戊辰戦争の際、東北諸藩代表がこの白石城に集まり奥羽列藩同盟が結ばれた歴史的場所となっています。白石城は、市の中心部、白石駅の西500mにある標高76mの丘陵北端に築城され、本丸、二の丸、中ノ丸や曲輪などを配し、外側には館堀川があり、西南は沼と空堀、北東は二重の塀をめぐらし、前面には三の丸・外曲輪を配した壮大な平山城で、東西700m南北500m程の規模を有し伊達藩の南端を守る重要な城でした。現在は益岡公園(白石城)として市民の憩いの場となっています。
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