白井織部是房館跡と書かれた石碑があります。是房は座間七村の地頭を務めていた人物のようですが在城していた時期などはっきりしません。戦国時代の人物ではあるようです。とりあえず周囲の高台などもぶらぶらしてみました。城も城主も謎が多いです。
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2024/06/30 08:39
謎の城主・白井織部是房 (2024/01/27 訪問)
白井織部是房館跡と書かれた石碑があります。是房は座間七村の地頭を務めていた人物のようですが在城していた時期などはっきりしません。戦国時代の人物ではあるようです。とりあえず周囲の高台などもぶらぶらしてみました。城も城主も謎が多いです。
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2024/06/30 08:27
2024/06/30 08:01
篠原神社と真観寺 (2024/06/16 訪問)
城北高校の北側、住宅地の中にある篠原神社と真観寺一帯が城域となります。
駐車場は無く、短時間なので真観寺に停めさせていただきました。
篠原神社が主郭のようで一段高くなっています。
真観寺の門に旧今切城址の文字が入っていました。
三好氏配下の篠原長秀の居城でしたが細川氏に攻められ落城しました。
徳島と言えば徳島ラーメンですがこの日は寄れず、またの機会に食べたいな。
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2024/06/30 06:49
水門の石、神籠石 (2024/06/11 訪問)
古代山城シリーズです。
第一水門に今も水が流れてました。
また、ここにある神籠石は一部、唐津城の石垣に使用されたそうです。
歴史的な列石を石垣に使用するというのはすごい。
はたしてその当時に神籠石の歴史的な価値を分かった上で使用したのか、それとも石の形が石垣にピッタリだからとう単純な理由だったのか。
いずれにしてもかつて日本をを守る為に使用された石が再び城の石垣としてその領地を守る為に使用されるという事に、なんとも言えないロマンのようなものを感じてしまいました。
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2024/06/30 00:51
咋岡神社一帯が城址 (2024/04/19 訪問)
咋岡神社周辺が城址となっているようですが、うっすらと土塁が見える以外は、特に遺構を見つけることは出来ませんでした。
応仁の乱の後、畠山氏の跡目争いの舞台になり、文明14年(1482)畠山政長勢のこもる草路城を畠山義就勢が攻撃し、草路城は落城、数十人が切腹させられたとのことです。両畠山氏の争いは山城国の国一揆を招き、両畠山氏は山城国から撤退するも、明応2年(1493)一揆勢力内の対立に乗じて古市澄胤が抵抗する勢力を破って一揆は終結したとのことです。
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2024/06/30 00:12
2024/06/29 22:59
往事を偲ぶ板石塔婆 (2024/06/25 訪問)
館跡は台地の端にあり、南には九十九川、越辺川が流れる低地が広がる。館跡に青蓮寺が建ち、墓地が寺域の半分は占めているだろうか。館の遺構は消滅しているのか、うまく探せなかった。弘安四年銘の板石塔婆が保存されいる。脇の説明板に、小代氏四代・重俊の人徳を慕って、また祖先供養のため、小代氏一族関係者が建立した。小代氏は武蔵七党・児玉党の入西資行の次男・遠弘が移り住み、小代を名乗る。その後、肥後国野原庄(現・熊本県荒尾市)の地頭職に任じられ・・・。青蓮寺のほぼ東隣に正代御霊神社が建ち、古くはないが市指定民俗文化財の「正代の祭りばやし」が載っている。青蓮寺山門前、神社社殿前からは、意外に高低差がある風景が眺められる。
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2024/06/29 22:51
豊臣秀長 (2024/06/29 訪問)
久しぶりの大和郡山城です。筒井順慶が居城としたこともある城ですが、豊臣秀長が入城したときに大規模な城郭に改築が行われ、現在見られる城郭の基本的な骨格が形成されたとされています。この城の魅力は高石垣と堀と思っています。ただ冬季に来ると遺構もより楽しめると思うにですが、その時期には来たことがありません。今回も葉が繁り石垣など見にくいところもありましたが、それでも十分楽しませてくれる城址です。
近鉄郡山駅より徒歩10分くらいで行くことができます。
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2024/06/29 22:51
鬼の頭と波多氏の思い (2023/12/10 訪問)
鬼の頭みたいな形をした山城は寺沢氏によって石垣造りのエリアに縮小されたが、波多氏時代には広大な城域を有していた。この地域で営まれていた小さな安穏を文禄慶長の役と名護屋城でぶっ壊された波多氏の思いはいかばかりか。
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2024/06/29 22:47
岡城の遺構・中川覚左衛門屋敷跡 (2014/01/13 訪問)
現在残っている岡城の石垣は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉の命で入った中川秀成によって3年がかりで築かれたとされています。広い城域を総石垣で覆い、その眺めは実に壮観です。本来、石垣だけだと寂しい感じがするのですが、岡城や竹田城のような名城は、むしろすがすがしささえ感じられます。石垣の芸術を見ているようで、建造物が無い分、余計に石垣の存在感が増しているように思えます。
城内の北西端には家老の中川覚左衛門の屋敷跡があります。古田織部の弟の子孫とされ、岡藩の中で2300石を取る身分であったようです。ちなみに赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助良雄が1500石ですので、結構な高給取りだったのではないでしょうか。
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2024/06/29 22:28
織田小学校 (2024/06/29 訪問)
芝村藩は織田信長の弟である織田有楽斎の四男織田長政が開いたことに始まる藩です。以前は戒重に陣屋がありましたが1745年、第7代藩主織田輔宜の時に芝へと陣屋を移しました。桜井市立織田小学校周辺が跡地です。校門の脇に説明板があります。小学校から徒歩10分くらいの場所にある慶田寺に移築門があります。
JR巻向駅より徒歩で箸墓古墳の横を通り約15分で行くことができます。
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2024/06/29 22:22
牛頭天王社 (2024/06/29 訪問)
窪城氏が築城したと伝わっています。方形の東郭と西郭が残っています。東郭には牛頭天王社(八坂神社)があり土塁、周囲には空堀が残っています。西郭は藪となっていて侵入していません。西郭に北側にはいい空堀が残っていますが、倒竹が多く行く手を阻んでいました。東郭と西郭の間と東郭北側の空堀は何とか散策できます。
JR帯解駅から徒歩15分くらいで行くことができます。
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2024/06/29 22:14
愛知県の観光地 常滑市・登窯 新城市・阿寺の七瀧 (2021/05/30 訪問)
中世の遺構では無いのですが、常滑市のやきもの散歩道には登窯(陶榮窯)があります。明治20年頃に築かれ昭和39年まで使用されました。17度の傾斜角を持ち、8つの焼成窯と10本の煙突を備えています。常滑市のやきものは六古窯の一つに数えられ、中世には織田信長の経済力の基盤となり、尾張徳川藩の庇護の下、繁栄を取り戻しました。
阿寺の七滝は阿寺川にかかっており、合計の落差が62mに達する、七段の優美な滝によって構成されています。国の名勝と天然記念物に指定されており、日本の滝100選にも選ばれています。安倍晴明は若いころに修行したという伝説も残っているようです。
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2024/06/29 22:12
東市小学校 (2024/06/29 訪問)
大和の有力な国人であった古市氏の城です。奈良市立東市小学校付近が主郭であったと伝わっています。グランドの片隅に城址碑がありました。フェンス越しに写真を撮って退散しました。
近鉄奈良駅よりバスに乗り南古市バス停下車。近くの坂を上ると小学校ですが、城址碑を撮影するために土手を少し登りました。
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2024/06/29 21:34
ららぽーと横浜の鬼門除け…? (2024/04/29 訪問)
JR鴨居駅から,ららぽーと横浜をスルーして向かいました。駅で降りた人の群れは,8割以上がららぽーと横浜に吸い込まれて行きました。その,ららぽーと横浜の北東に位置するのが池辺陣屋(宗忠寺)です。
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2024/06/29 18:41
井田城 (2024/05/11 訪問)
【井田城】
<駐車場他>井田公園駐車場
<交通手段>車
<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅2城目。井田城の築城年代・築城主は定かではないが、松平氏・徳川氏の始祖とされる松平親氏の子とされる酒井広親の子の氏忠から忠次の5代まで酒井氏の居城であったとされます。酒井忠次は1527年にこの地で生誕しました。
井田公園の東側にある城址から少し高台になっていて、城址箇所が主郭であったようです。現地は公園と城山稲荷があり主な遺構は残っていません。西側の法面が当時の土塁であったかどうかといったところ。
<満足度>◆◇◇
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2024/06/29 18:39
トンネル貫通している岬上 (2024/05/21 訪問)
こちらのチャシも岬上で下をトンネルが貫通しています。平面上は細く長く海へ突き出ています。チャシ上から見る海岸線は美しいです。
木製の遊歩道を進むと橋を渡ります。橋から堀切を眺めるとそこには春先で成長著しい若き雑草がすくすくと育っていました。
次の日に向かう予定だった神威岬はこちらを見た為に当日中止しました。これまで多くの岬を見て来たため飽きてきていたからです。今はチャシの投稿が続きそろそろ飽きてきそうです。
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2024/06/29 17:22
まさに難攻不落のお城。 (2024/05/05 訪問)
「若林城」は1628年に、伊達 政宗さんが隠居する為に築城されたました。
もともと、国分氏のお城があった場所のようです。
この日は「若林城」の近くにある『仙臺だんご いち福』という お団子屋さんを楽しみにしていました。
開店前に、ちょっと城攻めしようと、進軍して驚きました。
「若林城」は『宮城刑務所』でした。
「若林城」の石碑と説明板が駐車場のフェンス外にありました。『刑務所作業製品展示場』の駐車場です。
展示場は開店してません。路駐で写真を写し退陣しました。
土塁の上に赤い煉瓦の塀があり、いろんな意味で絶対に入ってはいけません。
朝田 辰兵衛さん風
『ココもフェンス越しに覗き見、、。』です。
この後のお団子屋さんは、長蛇の列。辛抱の足りない私は、またしても退陣です。
伊達 政宗さんの防御が、こんなかたちで役立っていたのか?と、感心した「若林城」攻めでした。
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2024/06/29 11:51
【下野 畠山陣屋】栃木県栃木市 陣屋門、連子窓土塀が見所 (2024/06/05 訪問)
城郭放浪記さんの毎日、毎月の閲覧件数トップ10を毎日チェックして居りますが、以前畠山陣屋が気に掛かり、何時か探訪をと思っていました、今回宇都宮の孫の所へ家内と出掛けましたので、リニューアルした佐野SAで昼食、佐野ラーメンを頂き、栃木ICを降りて畠山陣屋初探訪。
住所:栃木県栃木市嘉右衛門町1-12
駐車場:嘉右衛門町地区無料駐車場(栃木市小平町3-2)、陣屋北隣接地も陣屋専用駐車場有り、トイレは約400m南の蔵の街広場にトイレ有。
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。
開館日:金曜・土曜・日曜・祝日の午前9:30~午後5:00まで、平日は予約のみ開館。
嘉右衛門町地区無料駐車場よりぶらぶら歩いて約100m超、角の神明神社を南へ旧例幣使街道を歩いていくと、城郭放浪記さんの写真で見慣れた陣屋の連子窓の付いた瓦屋根付土塀、畠山陣屋と刻まれた立派な石碑、と正面門、南隣の岡田記念館、代官屋敷城門、此処で当日水曜日は公開日で無い事を認識し、外観、土塀の連子窓から書院式台を見て撮影、当然翁島別館も休館、玄関先の石橋、枡形、遠く別館を覗き撮影、旧例幣使街道沿いの町屋は伝統的建物群保存地区に成っており街並み町屋の風情が江戸明治期を彷彿させます、良い感じです。蔵の街遊覧で有名な乗船場は約1km程南なので諦め、蔵の街広場でトイレ休憩、案内板、解説板を観て孫の処へ。
代官屋敷城門の前にパンフレットが置いてありましたので頂きました。
畠山陣屋は元禄元年(1688年)高家畠山基玄によって築かれた。(城郭放浪記さん情報)
畠山陣屋は岡田嘉右衛門屋敷に置かれて、岡田嘉右衛門が代々、代官を勤めたようです、岡田氏は武士より帰農し荒れ地を開墾し嘉右衛門新田を開発し町名も嘉右衛門さんからとり名主も務める。
内部を見学できませんでしたが、外側から見学、例幣使街道建物群の見学と大変楽しませていただきました。
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2024/06/29 08:45
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