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しんちゃん

伊予松山城の天守閣 (2013/12/13 訪問)

現在目にすることが出来る伊予松山城は慶長7年(1602)関ヶ原の合戦の功で20万石に加増された加藤嘉明によって築かれたとされています。創建当時は五重の天守だったようですが寛永12年(1635)に松平定行が15万石で入り、寛永19年(1642)に三重の天守に改築したようです。天明4年(1784)には天守を含む本壇(天守曲輪みたいなもんか)の主な建物が焼失し、今の天守や本壇の建造物は安政元年(1854)に再建されたものになります。幕末の建造物で、天守としてはだいぶ新しいものになりますね。当時は避雷針などないので、山上の櫓や天守は雷にとっては格好の標的になるみたいですね。落雷による天守の焼失は結構多いですね。

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しんちゃん

むじるし徳島城の阿波青石 (2013/12/10 訪問)

徳島城は至徳2年(1385)に細川頼之によって築かれたとされ、家臣の三島外記が守ったとされています。天正10年(1582)には長宗我部元親が阿波を平定しますが、豊臣秀吉の四国征伐により蜂須賀家政が18万6千石で入り、平山城として改修を受けたようです。
石垣には眉山の三波川変成岩が使われているようです。表御殿庭園には阿波青石(緑泥片岩)が多く使われています。青石を繋いだ見事な石橋はこの庭園の最大の見どころだと思います。青石にもいろいろあるようで、紀州青石や伊予青石は緑色片岩とされ産地によって材質や名称が異なるようです。
紀州青石は和歌山城に多く使われ加太の城ヶ崎周辺や雑賀崎で採取されるものを使用しています。

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朝田 辰兵衛

ここの砦跡は遠望で…👀 (2024/04/29 訪問)

墓地裏の高所が砦跡のようですが,進入経路が見当たらず。こんなところでウロウロしたりキョロキョロしたりしていると,間違いなく不審者扱いされるので,遠望をパシャリ📷して撤退しました。

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しんちゃん

伊勢宗瑞も攻めあぐねた堅城 (2024/01/26 訪問)

岡崎城は前期と後期に分かれ、前期は岡崎義実によって岡崎神社を中心としたあたりに築かれたとされています。後期(戦国時代)は無量寺を中心とした大規模な範囲に築かれていたようです。後期の城は三浦氏の持ち城とされ、養父の三浦時高を滅ぼした(!)三浦道寸(義同)が居城としたとされます。小田原城を奪い相模平定を狙う伊勢宗瑞に狙われますが、堅固な岡崎城を攻めあぐね17年もの間にらみあいが続いたそうです。その岡崎城も永正9年(1512)ついに落城し、道寸は逃れますが、永正13年に新井城にて一族とともに滅びたそうです。位置的に無量寺が主郭と見られ、背後(西側)に堀切が見られます。西側から南に曲輪が続いているようですが、一度寺から出て、北側から細い道を回り込んでいきます。細い道から折り返すように上に道が続いているので、登っていくと堀道の右手に扁平地がいくつかあ有りました。これらが曲輪跡と見られ、一部は畑になっているようです。これらの曲輪は進入禁止になっているので、ひとしきり確認した後は、堀を登って無量寺に戻りました。

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零汰

城びと登録本土最北端 (2024/05/19 訪問)

昨日の投稿に引き続きこちらも岬上がチャシ跡です。写真3.4では薄っすらとそれらしく見えますが、近くではっきり認識出来ない(写真8)濠で区画されてはいます。規模はだいぶ小さいです。

昨日思い付きで書いた四極云々、本土城びと登録に限れば最東端はポイモイチャシ、最西端は長崎県の籠手田城、最北端はこちらのチャシとしれっとリーチ、残るは最南端鹿児島か・・・。そう気が付いて一人で盛り上がっていた自分が俗物で恥ずかしいです。

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ぴーかる

上野上村城 (2024/05/11 訪問)

【上野上村城】
<駐車場他>上郷区民会館駐車場
<交通手段>車

<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅1城目。豊田市の公式観光サイトによると上野上村城は1467年頃、伊勢貞親の被官であった戸田宗光による築城(ちょうど応仁の乱の頃です。足利義政とのつながりの深かった伊勢貞親の命で築城したかもしれません)と伝えられています。宗光が渥美半島に移った後は、阿部氏が治めていましたが、1493年に井田野の戦いに勝利した松平家の居城となりました。松平家の内乱後は、酒井忠尚が城主になりましたが、1563年に忠尚が三河一向一揆の総大将として蜂起したため徳川家康に攻め落とされました。榊原康政はここより300m南にある会下城が生誕の地ともされています。
 現地は区民会館と上郷護国神社になっていて、大鳥居の奥の平場が主郭であったようです。周囲より1段高くなっているので名残があります。また現地説明板によると、区民会館奥の城山稲荷社の部分が櫓台地土塁の一部が残されているようです。現地で知って、区民会館にて御城印が販売されいるようですが、朝6:00着でしたので買えませんでした。

<満足度>◆◇◇

<追記>しんしんちゃんさん、ちょこ城は別にちょこ城®ではないのでご自由にお使い下さいませ(笑)。私の造語を使ってくれてありがたく、また逆に広まるといいなあ。なんて思っとります。私も夏季この日からちょこ城巡りにスイッチしました。土塁が1畝だけ、堀が少し残ってる、移築城門がある城跡はちょこ城の自分の識別をどうしようかなあ?なんてつぶやき楽しみながら巡っております。

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しんちゃん

名護屋城の空は青かった (2014/01/07 訪問)

名護屋城は何度か訪問しています。周囲の陣所を見て回るだけでも相当なボリュームになるんですね。城びとの城は陣所とかが少ないんですよ。かつては周辺に陣所がひしめき合って、城下町も築かれ壮観な眺めであったと思います。
島原の乱の後、一揆の拠点となるのを防ぐため石垣は、要所要所が破壊されています。これらは安土城や美濃金山城などと同じようです。
遺構も人心も諸行無常の感はありますが、空は変わらず青いですな。

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しんちゃん

小さいオジサン天守なのだ (2018/01/03 訪問)

タイトルだけだと意味不明ですが、丸亀城の天守の投稿です。現存で最も小さい天守は備中松山城の二重二階の天守です。実際には石垣の中に地下階があり、角度を変えて見ると三重の天守に見えなくもないですけど。まあ最小天守の座は松山城に譲るとして、三重三階の天守では最も小さい天守は丸亀城だと思います。日本屈指の高さを誇る壮大な石垣の上に小さい天守がちょこんと乗っかっている絵面はいささかシュールでもあります。ちょっとバカボンのお巡りさんの下の歯にも似てますね。
もうちょっと本丸周辺に城壁や櫓を残しておいてほしかったのだけど、まったく明治のヤツらときたら(プンスカ)。
でも石垣と天守や大手門が残っただけでも御の字としますか。天守だけあって、唐破風とか付いているんだけど、建物が小さいからか、なんとなくオジサンのヒゲみたいに見えるんですよ。下から天守を見上げると、小さいオジサンがこっちを見てるような気がします。
よっ元気か? なんて声が聞こえてくるような気がしませんか?

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カズサン

多賀城創建1300年外郭南門復元竣工を待ってます (2024/05/24 訪問)

 松森城跡初探訪を終えて東へ約6km程に在る多賀城外郭南門復元工事の進捗は如何にと訪ねました。

 駐車場:多賀城跡あやめ園駐車場を利用、トイレ有。
 参考資料:グーグルマップに依る。

 今回の東北城探訪の企画時に多賀城市のHPより問い合わせして、まだ工事足場が掛った状態なのは承知済みでしたが、昨年の9月18日にも訪ねてからの進捗は状況はと気になり訪ねました。
 多賀城市教育委員会事務局からの回答は
 「令和6年11月の多賀城創建1300年記念行事式典を行う際、一時的に開放しますが式典後も引き続き工事を行うため封鎖する形となり、一般公開の時期については令和7年4月を見込んでおります。」・・と言う事でした。
 チャンスが有ったら11月の1300年記念式典頃、来年の4月以降の竣工後に訪ねれたらありがたい。

 状況は昨年と変わりませんでしたが南門の南側の整備が進んでおり、北の階段、モルタル道の整備は進んでいるようです。

 折角、あやめ園駐車場に駐めたので、あやめ園、まだ早くあやめは数本咲いている程度、外郭何辺の復元築地塀、あやめ園門辺り、解説板を観察探訪しました。

 今回の東北城探訪6泊6日、三内丸山遺跡、安倍安藤氏の城を主目的に青森県岩手県秋田県宮城県で遺跡と城館で35ヶ所を廻り往復2550kmの車旅でした。多賀城からは帰路約600kmの高速道です。
 長々と投稿ご覧頂きありがとうございました。
   

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まさお

横浜市 小机城 (2024/06/27 訪問)

品川台場から新橋駅に戻り、東海道線・横浜線経由で小机駅に到着しました。
日産スタジアム最寄り駅と行くことで素晴らしく立派な駅舎でしたが、乗降客は
ほとんどいませんでした。駅に隣接する「城郷小机地区センター」でスタンプをもらい
小机城址に向いました。
住宅街を抜け、横浜線の線路沿いに進み右折した先が根古谷という地区で、見事な孟宗竹の
竹林を進むと、本丸・二の丸広場となっていまっす。周りは櫓跡と土塁空堀に囲まれています。
印象としては、以前お邪魔した滝山城の小型版といった印象でした。
小机駅にに戻る途中に、小机城の用地は19人の方の私有地という掲示があり驚きました。

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カズサン

鶴ヶ城公園に成っている (2024/05/24 訪問)

 長命館を終えて東北城探訪5日目宮城県3城目東へ約5km程の松森城を初登城。

 駐車場:南麓中腹に公園駐車場(38°18'38"N 140°55'08"E h=70m)18台可能、トイレ無。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 駐車場への導入路が狭く少し悩みましたが急な登り坂を登り詰めると舗装された立派な駐車場、駐車場に案内板、コンクリート階段を登って行き、踊り場辺りに本丸巡り看板、人踏道が有るが草が生え選択せず、コンクリート道を更に登り、堀切を通ると、2の丸、草も生えて居りコンクリート遊歩道から奥を眺める、逆ターンして馬出?、本丸へ入口近くに松森城跡標柱、本丸内は更に草深く茂り藪手前。
 
 案内板には
 戦国時代に国分盛顕がこの地に移り住み、最後の城主17代国分盛重が天正の頃まで居住、盛重は伊達15代晴宗の5男で政宗の叔父にあたり、慶長元年(1596年)に没落しました。
 江戸時代には仙台藩の正月行事である「野初」(狩猟・軍事訓練)の舞台となりました。

 駐車場、遊歩道まではいいのですが草が茂り過ぎて踏み出せず駆け足での探訪と成りました。

 この後、城廻企画時に近くの笹森城も検討したのですが、笹森城跡が仙台市教育センター、東北電力鶴ケ谷変電所敷地内に成っており、城郭放浪記さんの写真が1枚、ゲート前の写真のみでしたので探訪は諦めました。

 この後は多賀城外郭南門工事進捗状況の確認へ。
  

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シャンシャン

現存天守11城目! (2024/06/23 訪問)

念願の犬山城訪問!これで国宝5城は制覇!
やっぱり現存天守の雰囲気は最高。急な階段や木のにおいが堪らない。
あまり天気は良くなかったけど、最上階から見える景色は絶景!
ちょっと怖いけど、ぐるっと回ることができる廻縁も面白い。
城まで続く参道も古い町並みが残り、食べ歩きしながら進むのも楽しい。

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まさお

品川台場とお台場海浜公園 (2024/06/27 訪問)

東京駅を後にして新橋駅から「ゆりかもめ」でお台場海浜公園に行きました。
アメリカの飛行場にあるような自動運転の電車でした。
マリンセンターでスタンプをもらった後、対岸の第三台場までビーチ沿いに
歩いて行きました。黒船来航に備えて砲台・陣屋・火薬庫などの施設が台場内に
あったとのことですが、現在は緑豊かな海浜公園になっているそうです。

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栃木西方城

西方城 (2024/06/28 訪問)

栃木県栃木市西方町にある山城(標高約221メートル)「西方城跡」
一帯に築かれた戦国時代の山城を国の史跡に指定するよう栃木市では令和6(2024)年6月24日に開催しました国の文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、文部科学大臣に答申しました。

いよいよ国指定史跡までラストスパートです…
城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった方
今後ともご声援の程よろしくお願いしますm( * _ _)m

ぜひ現地の西方城跡にも訪れてみてくださいね!
お待ちしております。

アクセス方法
★東武日光線「東武金崎駅」から徒歩約30分
★北関東自動車道「都賀IC」から車で約15分
★東北自動車道「都賀西方スマートインターチェンジ」から車で約5分
※お車でお越しの方は長徳寺東側見学者用専用駐車場をご利用ください

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シャンシャン

小牧・長久手の戦いの舞台 (2024/06/24 訪問)

信長が居城し、後に尾張徳川家の所領となったお城。
まだ絶賛発掘中ながら、信長が初めて築いたという武骨な野面積みは見どころ満載!
天主から見える景色もいい。

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まさお

江戸城とドクターイエロー見学 (2024/06/27 訪問)

江戸城の見学とあわせて東京駅新幹線ホームで引退が発表されたドクターイエローを
見に行ってきました。

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シャンシャン

信長由来のお城 (2024/06/23 訪問)

模擬天守ながら、赤い橋・赤い欄干があり、けっこう映えのいいお城。
中はコンクリむき出しではなく、木造チックさがあり好感が持てる。
城内はリアルな映像資料も多く、近くにある売店もお土産が豊富で、力を入れているのが伝わる。
100名城、続100名城に入らなかったのがなぜなのか謎。

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シャンシャン

尾張名古屋は城で持つ (2024/06/22 訪問)

近代城郭の最高峰と言われる名古屋城。
議論はいろいろあるけれど、是非とも木造で再建して欲しい!
今では数が少なくなってしまった鹿も見ることができてラッキー!

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シャンシャン

初の木造復元天守 (2024/06/17 訪問)

復元とはいえ木造天守はやっぱり雰囲気がいい!
現存している御殿も、ほとんどすべての部屋を見ることができて見どころ満載。

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シャンシャン

武骨な石垣 (2024/06/17 訪問)

家康由来のお城。
こんなに武骨な野面積みの石垣は初めて見た!
天主はおまけのようなもので、この石垣だけでも見に行く価値がある。

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