みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

しんしんちゃん

史跡 五色塚古墳 (2023/08/12 訪問)

兵庫県神戸市にある五色塚古墳は古墳が作られた
当時の姿が見られる野外博物館として、1965年から
10年の歳月をかけて発掘調査と復元整備が行われました。
全長194m、後円部の高さ18.8mで兵庫県では最大の
前方後円墳です。建造は4世紀後半ごろと見られ
周囲を鰭付(ひれつき)円筒埴輪や鰭付顔型埴輪で
飾り立てています。
とにかく眺望がすばらしく、明石海峡や明石海峡大橋が良く見えます。
淡路島も良く見え、テンションが上がります。
近くに舞子台場もありますので、その前に訪問してみては
いかがでしょうか?この地域にしては珍しく
立派な駐車場がありますよ。

五色塚古墳 専用駐車場
兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目12

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

京街道の押えでもあった先進的な台場 (2023/08/11 訪問)

国史跡 楠葉台場は淀川の東岸に築かれています。
設計の責任者は勝海舟で、なかなか鋭角的で先進的な
デザインで、淀川を北上してくる夷敵を打ち払うために
砲台が三台、南西側を向いていたのですが、
新政府軍に寝返った津藩の連中に北西の高浜台場から砲撃を受け
応戦はしたものの退路を断たれることを恐れ、大阪に落ち延びたそうです。
台場でありながら、関所の役割も果たしており、北と南に
虎口を設け番所を設置、京街道のルートを曲げて
ここを通過させていたようです。陣所の役割も果たしていたようで
台場としてはちょっと欲張り過ぎたのでは?と感じました‥。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ACRO

初今治城 (2023/08/22 訪問)

久々にお城を巡ってきました。
100名城 32個目のスタンプ。
掘りと石垣が素晴らしいですね。

+ 続きを読む

しんしんちゃん

超お手軽に山城の魅力を満喫 (2023/08/11 訪問)

木津城は城址近くの展望台まで車で行くことが出来て
城址へのアクセスも非常に素晴らしく
すぐに南側の堀切に到達できます。
箱型の郭の南、北東、北西の三方に土橋がかかり
大きな堀切がかかります。主郭には東西南に土塁が
良く残り、北西側の土塁は、櫓のような建造物を築けるほどの
広さがあります。規模こそ大きくないものの
これほどお手軽に、土塁、堀切、土橋と言った山城の遺構を
満喫できる城は、なかなかないです。
おすすめの城跡ですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

小口城 (2023/07/22 訪問)

【小口城】
<駐車場他>小口城址公園駐車場二十数台分あり
<交通手段>車

<見所>土塁・礎石・石組井戸
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾3城目。現地説明板によると小口城は1459年に織田広近によって築城されたとされます。織田広近は尾張守護代織田敏広の弟で小口城を拠点に木ノ下城を築城します。その後小口城は犬山城の支城として残りますが、永禄年間(1558~1569年)に織田信長に攻められて廃城となります。小牧長久手の合戦時には羽柴秀吉方の基地として使われたようです。
 当時の城域はかなり広かったようで2重の堀と土塁で囲んでいたそうですが現在は中心部の小丘部分が残るのみになっています。城跡は公園化されて模擬土塀・門・櫓が建っています。小丘の最上部に石組井戸・礎石建物跡が残されています。最上部の帯曲輪に土塁が残され模擬櫓は資料館になっていますが早朝だったため閉館してました。模擬門の前面が空堀遺構で現在は水が入っています。遺構と模擬建造物が混然としていましたがまあまあ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

町門跡(祠)めぐり (2023/08/12 訪問)

塚口城は正玄寺を中心にした寺内町で、荒木村重が織田信長に
反乱を起こした時は、有岡城の出城として機能したとあります。
北西の北町門→北東の清水町門→東の東町門のあった箇所に祠が
あるので、それらを回りながら散歩です。
北町門の祠の裏にある土盛‥ あるサイトには土塁の名残と
あったのですが、そうなのでしょうか?
清水町門の近くには従是南尼崎領の石碑があります。
小松城にもありました。(東でしたが)
周囲にはあつての堀にそって暗渠や水路が残っています。
いまでも雰囲気はなかなか残っています。

塚口城 北町門跡の祠
 兵庫県尼崎市塚口本町2丁目7

塚口城 清水町門跡の祠
 兵庫県尼崎市塚口本町2丁目24−22

塚口城 東町門跡の祠
 兵庫県尼崎市塚口本町1丁目31

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

平重盛の居館跡 (2023/08/12 訪問)

呼び名は小松城ですが、平重盛の居館跡ですね。
現状は西宮神社で境内には小松内府平重盛供養塔が立っています。
左右の大きな搭の中央に小さい搭があります。
どっちが本体なんだろう。
他にも境内には城址碑や従是東尼崎領
(これよりひがしあまがさきりょう)の石碑があります。
この石碑、塚口城のエリアにもありますよ。
要チェックです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

明禅寺城散策2/2(点字ブロック発祥の地を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

明禅寺城散策1/2(北側登城ルートにて明禅寺城を) (2023/06/12 訪問)

岡山駅9番乗り場から,岡電高屋行き(8番系統)路線バスにて,原東・東郵便局前バス停下車。140円。バス進行方向へ約100m進むと,変則五差路の「原尾島交差点」となります。この「原尾島交差点」は「点字ブロック発祥の地」。モニュメントが設置されています。個人的にここが目的地。岡山盲学校が2番目の目的地。明禅寺城はバーター扱い…<笑>。

明禅寺城は,この交差点を約100m南に進んだら左折。そのまま東へ約800m進むと,右手に山の方へと登る登城道が見えてきます。近くに宗教施設があり,石積みも見られますが,後世のものと言われています。明禅寺城は後世,この宗教施設の石切り場となったとされています。したがって,主郭部,登城道に巨石が散乱しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

92

竜宮城みたいな城 (2023/08/22 訪問)

石垣が美しい

+ 続きを読む

92

岸和田城 (2023/08/23 訪問)

続100名城〜残り2

+ 続きを読む

ランフランコ

#29 喜春城 (2023/08/20 訪問)

真夏の明石城はガラガラでした。天気良かったのでいい写真になりました。

+ 続きを読む

kao

備中高松城 (2023/08/01 訪問)

水攻めにあったお城跡。清水宗治公に思いを馳せて周囲を散策。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

kao

高崎城 (2023/08/19 訪問)

高崎城

+ 続きを読む

todo94

ツアー宿泊地の近く (2023/07/22 訪問)

大人の休日俱楽部の東北エモーション往復乗車ツアーに参加。本八戸駅からホテルに向かって歩く途次に角御殿表門の写真は撮影しました。ホテルにチェックイン後、夕食前に三八城公園はしっかりと散策してまいりました。初めて訪れたのは大学3年の春休み、1984年3月。東北ワイド周遊券(学割)を使っての思い出の地です。当時はカメラなぞ、所有しておらず旅先で写真撮影をする趣味は持ち合わせていなかったのですけれども。絵葉書蒐集の趣味は持ち合わせていましたが。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

① 13年前に掠めていました。 (2023/06/23 訪問)

2010年8月、初めて一人で東北新幹線に乗って出かけたのが花巻でした。
当時書いていたブログは消してしまい写真も残っていないので断片的な記憶を繋げてみると、新花巻で宮沢賢治童話村に行き、バスで花巻に移動してイギリス海岸を散歩。花巻駅前のグランシェール花巻に宿泊して、翌日、宮沢賢治生家跡、産湯の井戸、賢治自耕の地(下の畑)から花巻農業高校(羅須地人協会)まで歩きました。当時はまだガラケーで羅須地人協会がこんなにも遠いとは知らず(賢治自耕の地から8.7㎞)、花巻駅の観光案内所かホテルのフロントでいただいた手描きの地図を頼りにひたすら歩いたのでした。
(今回「花巻に空港があるんだ~!」と新鮮に感じてしまったのですが、実は13年前に空港沿いを黙々と歩き、花巻空港駅も利用していました^^;)

「花巻城以外行った」という感じの13年前ですが、花巻は自由なひとり旅の楽しさに目覚めてしまった思い出の地。
当時は全く知らなかった(関心もなかった)花巻城のおかげで再び行く機会を得られて懐かしさと楽しみでいっぱいです。
といっても下調べなしで突入したのですが!!
<つづく>

※ただの思い出なので【周辺観光】カテゴリーにしました。

+ 続きを読む

しんしんちゃん

堀と土塁、郭も散策してみて (2023/08/13 訪問)

日本城郭大系によると、城主矢野駿河守国村は、讃岐大川郡の
虎丸城主を兼ねたが、天正7年(1579)脇城外で討ち死にしたと
有ります。城跡は比高30mの小高い丘の上にあり
主郭には城山神社が建っています。周囲には石碑がいっぱいあります。
主郭から南の堀切に降りる道があり、東側に土塁が続き
堀に沿って西側へ進むと、左手側、南西の方向に郭があります。
一度城跡から出て、西側の道を南に進むと、東に続くあぜ道があり
そこから南西の郭にアクセスすることが出来ます。
郭は意外と広く土塁も一部残っているようです。
縄張り図の練習をしたかったので、自分の確認した遺構を
絵にかいてみました。余湖クンさんの縄張り図も書き方の参考に
させていただいています。感謝いたします。
自分の書いた縄張りと城郭大系の縄張りを比べてみると
まだまだ城域は広そうです。新しい情報をもとに再度
縄張りを書き直してみましたが、城山神社より東は
ヤブやガケが危険そうです。私は散策していない個所を
推奨できませんので、あらかじめそうお断りさせていただきます。
遺構の残っている城で100%安全な城は無いと思いますが
より長く城めぐりを楽しむために無事帰るを心がけています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

羽黒城 (2023/07/22 訪問)

【羽黒城】
<駐車場他>興禅寺駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾2城目。現地説明板によると羽黒城は1201年、鎌倉時代初期に梶原景時の変の際に難を逃れた景時の孫の豊丸(のちの梶原景親)がこの地に定住し築いたとされます。以降約380年間梶原氏の居城として栄えてきました。戦国時代17代当主梶原景義は織田信長に仕え羽黒3000石の領主となります。景義は本能寺の変の時に本能寺に入っていたとされ討死したようで後裔がいなかった為にその後廃城となったようです。小牧長久手合戦の前哨戦の羽黒の戦いで城跡一帯が焼け落ちたようで、その後羽柴秀吉方の基地として修復しますが戦後再び廃城となったようです。
 梶原氏の平素の居館跡が現在の興禅寺だったようで先達方に倣ってまず興禅寺境内にある梶原氏供養五輪塔にお参りして城跡地に行きました。当時の城は前方後円墳を改造した砦のような感じだったと思われます。墳丘の頂上に石碑があり北側に堀跡である直線状の窪地があります。窪地のさらに北側は削平地が広がっています。その更に北側、磨墨塚との道路の境目は少し土塁状になっています。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

タック

(2023/08/20 訪問)

本丸北の不開門が復元されたものです
枡形虎口にもなっているのはいいです

+ 続きを読む

カズサン

仮設展望と中馬出 (2023/08/21 訪問)

 宗春さん投稿(8/18登城、8/20投稿)で諏訪原城に仮設の展望スタンドが出来た事を察知、早速諏訪原城築城450年記念イベントをネットで検索し、状況を確認するが仮設展望スタンドの事は島田博物館のHPでは確認できず、では登城しかないと、月曜日でビジターセンター休館日、島田博物館も休館日でしたが、山越えと1号線バイパス約40km程1時間掛けて登城しました。
 
 昨年の仮設展望スタンドの体験を逃していましたので今年な是非にと二の曲輪中馬出へ、中馬出三日月堀南西隅に仮設展望スタンドが設置されています。
 設置期限は諏訪原城築城450年記念イベントの期間でおよそ7月初めから9月4日、9月4日には撤去するとの事、ビジターセンターの休館日は仮設展望スタンドも閉鎖で立入禁止。
 島田博物館では前期7月1日~8月13日、後期8月15日~9月24日で第91回企画展「築城450年記念 諏訪原城」が開催されています。
 その一環として今年も期間限定で諏訪原城中馬出に仮設展望スタンド設置された模様。
 
 月曜で閉鎖されていましたが鉄骨、周囲、基礎の安全を確認して申し訳ございませんが虎ロープを潜って登り景観を観察、2m程の高さですが中馬出と三日月堀の草は刈られてさらに良く観察できます。早めにお越しください。
 宗春さん投稿ありがとうございます。

 夏の暑い午前10時頃の蝉しぐれ、登城者は私一人でした1時間ほど草の刈られた順路を回りビジターセンター近くで登城者一人と遭遇。
 今回は超広角レンズで撮影しました中馬出をご覧ください。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ186