みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

トク

今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(2/3)) (2024/12/20 訪問)

岩屋城の続き(2/3)です。大手門の前を過ぎるといよいよ登山道に入ります(写真①)。

登山道は落ち葉も少なく整備されているので比較的登りやすいです(写真②)。しかし三の丸から二の丸への道は、掘底の中を登るような道になっていました(写真③)。これは後で掘られた道ではなく、当時からこのような道だったのではないかと思います。わざと深くして敵から身を隠し移動できるよう、また敵がここを攻めてくれば矢や鉄砲を撃ち、また上から巨石を転がしたりして防いだのではないでしょうか。

そして虎口があったような跡がありました(写真④)。左側はすごい傾斜の切岸です。という事は🤔・・・敵は狭いこの間を通らないと上へは登れないという事? さらに登っていく途中にふと下を見ると、まださらに大きな竪堀と切岸が! これはすごい角度です(傾斜角70度はあります!)(写真⑤⑥)。これなら島津軍も容易には落とせなかったはずだと納得しました。私には足がガクガクする程のすごい迫力なのに、確かに写真にすると伝わりにくいですよね。私もうすうす思ってはいましたが、POYO君はそれをストレートに表現していたのでびっくりしました(NICE! )。でも市場城の写真よく撮れてますよ!

そして大手門から登ること30分、二の丸に着きました。二の丸には高橋紹運の墓があります(写真⑥)。紹運はここで討ち死にしたようです。首は島津忠長の本陣に届けられ、胴はここに埋められ、そこにお墓が立てられたそうです。

そして二の丸から舗装されている車道を横切って本丸への最後の階段を登りました(写真⑩)。車で本丸のみ見たい方は、大宰府駅前から浦之城橋を渡ってここまで来る事ができます。写真⑩の前の路肩に2台くらい停められるスペースがあるので、そこに路駐されたらいいと思います。その先は大野城までつながっています。車で来て下から私と同じ登山道を登りたい方は、大宰府政庁前に30台程の無料駐車場がありますのでそちらを利用されたらいいと思います。

次は(3/3)本丸へ続きます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

プロジェクションマッピング (2024/10/12 訪問)

今年2度目の遠征は福井県。岡山県に続いて日帰り圏内ですが、10月の三連休には丸岡城で「出張!お城EXPO in 坂井・丸岡城」と「丸岡古城まつり」、一乗谷で「一乗谷文化祭」、福井城で「越前若狭お城フェス」が開催されるため、城めぐりがてら各イベントをはしごしよう、ということで福井県に決定。ところが12日は丸岡城、13日は一乗谷、14日は福井城に行くつもりが、12日午後に外せない仕事が入ってしまい予定変更。せめて13日は朝イチから動けるようにと12日夜のうちに現地入りしました。

丸岡城では3年ほど前からNAKEDによるプロジェクションマッピングが実施されていて、せっかく泊まりで行くならぜひ観てみたいと思っていましたが、仕事を終え高速を飛ばして何とか2回目(21時~)の上映に間に合いました。10月からは特別篇「丸岡城が語る400年時代絵巻」と過去作品の二本立てで上映されていて、2回目の過去作品は「平和の祈り篇」でした。特別篇は丸岡城天守の破風を目に見立てて、天守が見守ってきた400年の歴史と四季が語られるという内容で、平和の祈り篇は戦災や福井地震、豪雪、豪雨から何度も復興を果たしてきた坂井市から、平和の祈りを復興の象徴であるフェニックスに乗せて世界に届けたい、という想いを込めたものなんだとか。上映前のカウントダウンには丸岡城ゆかりの武将たちも映し出されていました。

お天守マッピング上映後は、一筆啓上作品を施した行灯の灯された石段を下りてお天守前公園へ。公園の地面には人の動きに合わせて動くプロジェクションマッピングが上映されていました。そして、お天守前公園から天守を見上げて夜の丸岡城を後にしました。

NAKEDといえば二条城のプロジェクションマッピングで知られますが、丸岡城もさすがの美麗さでした。規模や上映時間が違うとはいえ、これほどのものが毎日無料で公開されているあたりに坂井市の力の入りようが窺えますね。2回目の上映中に背広姿の一団がやってきて、2回目終了後に3回目の上映があった(音声がお天守前公園まで聞こえました)のも、今にして思えば、お城EXPOや古城まつりに出展している姉妹都市・延岡市や現存天守のある自治体や観光協会の人たちに、丸岡城での取り組みを紹介していたんだろうな、と。城めぐりは基本的に日中のみなので、こういう夜の楽しみが他にも広がってくれると嬉しいな、とも思います。

…ということで、横浜に続いては2か月以上遡っての丸岡城です。考えてみれば、この時はお城よりも仕事を優先したんだから、横浜では仕事よりお城を優先しても罰はあたらないですよね、うん(自己正当化)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

鏡山公園 (2024/12/08 訪問)

城びとオールスターズの皆さん、EXPOのかるた大会レポートありがとうございます😊
転居後は参加も難しくなり、かるたも出遅れて未入手の状態なんですがレポートのお陰で参加した気に・・やっぱりならないか。
何よりも皆さんとお会いしたかった・・
次回があることを期待しつつ鏡山城のレポートです。

福山での忘年会翌朝、東広島まで足を伸ばしました。
鏡山公園に車を置き登城、公園の奥から登ります。
しばらく登ると直進が主郭への近道、左手に行くと散策路に。
散策路を選びました。
竪堀が多く施され、堅城であった事をしのばせます。

東側からの主郭方面への階段があり、これを登ります。
途中、左手にピンクリボンが、つい引き寄せられそちらに。
少し進むと沢のような堀?渡ってさらに東へと伸びる尾根道が。
進むと堀切や竪堀があり、奥に曲輪があります。

引き返し主郭へ、その前に南側の曲輪群を見学しました。
小ぶりで綺麗に並ぶ畝状竪堀を見上げます。
小ぶりでもやっぱりフォトにすると微妙です。

引き返してダバと呼ばれる曲輪を経て御殿場と呼ばれる主郭へ。
眺望はよく、紅葉で色づいた山波が映えていました。
帰りは北側から、こちらにも畝状竪堀がありますが大きくやはりフォト映えしないのが残念です。

大内氏が築いた城ですが、当時尼子方にあった毛利元就の攻撃により落城。
公園と思いなめてましたが本格的な山城、西側の藤の丸へ行かなかったのが悔やまれますが満足度の高い城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

沖縄県の城びと登録物件コンプリート (2024/12/23 訪問)

三重城から遠路、徒歩にてアプローチしました。この日の最高気温は23℃でかなり汗をかいてしまいました。長らく立ち入り禁止となっていた豊見城城。城址公園の整備工事は2025年2月27日までの予定ですが、主郭にあたる豊見瀬御嶽への迂回ルートの案内もあり立ち入り禁止にはなっていないようです。これにて漸く沖縄県の城びと登録物件のコンプリートを達成しました。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」に所収のグスクには未訪のグスクがまだまだ残っていますし、山頂を極めていない伊是名グスクなど、再訪を期したいグスクも多々あります。整備工事が完了した豊見城城も。避寒の沖縄行きは今後も計画していきたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

城熱の一歩が踏み出された気が…🐾 (2024/12/21 訪問)

にのまるさんへ…
もしかして,サタデーナイトプログラムに参加されてましたでしょうか…❓
私の着席時に(かるた2セットを詰め込んだ)リュックが,前席の方の背もたれに衝撃を与えました。その方が「ケルナ!」とこちらを振り向かれた時,私の中の「にのまるさんセンサー」が反応し,「えっ!」としか声が出ませんでした。「すみません」すら出てきませんでした。その場で尋ねるわけにもいかず…。
ちなみに,私の席は「H18」でした。
そうそう,かるた会場で,城びとスタッフに自己紹介していれば,引き合わせていただけたと思います。私とチェブさんも,スタッフから引き合わせていただきました。
お会いできなかったのは痛恨の極みでしたが,いずれどこかでお会いしましょう。

イオさんへ…
ビズモードで駆けつけてきてくださり,大変にありがとうございましたm(__)m
2024年のお城EXPOコンプリート,おめでとうございます❢
また,詳細にレポートしてくださり,感謝申し上げます。

チェブさんへ…
あんなに会話が弾むとは思いませんでした…<笑>。
おかげで,イオさんとのアプローチにつながったと思いますので,ムダではなかったです。
そうそう,一点聞けなかったのがあります。足の爪は完治しましたか❓

しんちゃんさんへ…
12:30から並んで,約30分を退屈せずに済みました。2番の整理券をお持ちのハズ。かるた会場ではお見かけしなかったような…。

城びとスタッフのみなさまへ…
発売に向けて大変な苦労があったかと推察します。今回のEXPOでどのぐらい売り上げたのか,後日発表していただければと思います。CFの時の数をを軽く超えているのではないかと感じました。
他の方の投稿でも見られるように,明らかに「城熱の一歩が踏み出された」と確信します。
大変にありがとうございましたm(__)m

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

履いてる? (2024/12/24 訪問)

蕨城は和楽備神社の南にある蕨城址公園の周辺が城址とされ、渋川氏歴代の居城とされています。渋川氏は足利氏一門の名門で長禄元年(1457)渋川左衛門佐義鏡は将軍足利義政より関東探題に任じられ蕨城に入りました。
渋川氏は後に小田原北条氏の勢力下に入りますが、北条氏綱に追われた上杉朝興に攻められ蕨城は落城します。渋川氏は北条氏の力を借りて蕨城を奪還しますが、永禄10年(1567)安房里見氏の三船城攻めの際に討死したそうです。蕨城の跡地は徳川家康によって鷹場御殿として利用されたようです。
現在はかつての水彫りである池や、土塁が残っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

移築復原御殿書院完成し公開開始 (2024/12/24 訪問)

 令和4年4月より令和6年11月の工事期間を終えて国道52号線沿いに公民館として使用されていた元小島陣屋御殿書院が陣屋主郭の元在った場所に移築復原されました。
 12月20日に移築完成式典が春風亭昇太師匠を迎えて行われて、ニュース、YouTubeなどで放映されていました、何時か完成と頭に入っていたのですが細かくチェックして無く、昨日YouTubeニュースで確認して早速本日小島陣屋を訪ねました。
 静岡市HPでは12月20日完成、12月21日から土日祝に開館、年末年始は12月28日~1月5日まで閉館、早くて1月11日土曜日が開館日。
 中に入らなくても外から御殿書院を見学出来ればいいとの思いで訪ね、新しき出来た駐車場に車を駐めて搦手裏門跡から入城、すると
雨戸が空き放されて居るではないか?SBS静岡放送局の撮影クルーが撮影に入ったばかりの状態。
 書院の建物の周囲を観察撮影、主郭下に降りて建物と主郭石垣を入れて撮影。
 大手門跡、大手枡形、馬場跡、陣屋の東5段石垣側へ雨の災害で石垣が崩落しており青シートが懸かり崩落防止、一部北側は石垣の構築下準備中、石垣の下馬場跡側の民家は石垣崩落での撤去なのか5、6軒無くなっており、崩落した状態ですが5段石垣の姿が良く観えるようになりました。以前は民家と民家の間の隙間から覗くのみでした。

 移築復原御殿書院に戻るとSBSクルーと静岡市文化財課の方が2名アテンドでいらっしゃり、開館日で無い日の見学を厚かましくお願いした処、クルーの仕事が終わったら良いですよと了解いただき、来年の1月11日に再訪かなと思っていましたが願いが叶って書院内部を見学観察する事が出来ました。完成となりやっと見学が叶いました、感謝感謝です。
 静岡市文化財課の担当の方々にお礼を申し上げます、ありがとうございました。

 駐車場:搦手裏門跡から北東道沿いに約50m程の所(35°57'07"N 138°30'41"E h=60m)小型車4台軽1台の舗装駐車場
 トイレ、ガイダンス掲示:駐車場の西隣に建設予定、場は整備中で近日出来上がる予定?

 先ずは建物写真投稿し、久しぶり探訪の主郭石垣、枡形、大手門跡、5段石垣へと投稿を続けます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/12/06 訪問)

岡豊城跡とともに登城
日本百名城、続日本百名城の最後の訪問個所は高知県。今回で計200城制覇しました

現存する天守はもちろん本丸に御殿が残っているのは高知城だけ。それらをじっくり見るだけでなく、石垣、門、櫓など見どころたくさんの城です。何度目かの高知城ですが、今回訪問時はライトアップならぬシャドーアップ(影を天守や石垣に当てて楽しむ)イベントが開催されていました。高知市内泊だったので、昼と夜(夜は天守や本丸御殿は入れません)ともに楽しめました

※今回の行程は以下の通り

7:30羽田(航空機)、9:00高知空港
9:05高知空港(リムジンバス)、9:37,9:44高知駅バスターミナル(路線バス)、10:09学校分岐
 (徒歩10分)歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-16:30)+岡豊城跡散策
12:42学校分岐(路線バス)、13:18高知城前
 (徒歩5分)高知城(9:00-16:30)+高知城歴史博物館(セット券有)
 泊:高知市内

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/12/06 訪問)

高知城とともに登城
日本百名城、続日本百名城の最後の訪問個所は高知県。今回で計200城制覇しました

岡豊城は、四国の覇者長宗我部元親の城、天守や櫓などの建造物や壮大な石垣は残っていないが、当時の山城の縄張りを楽しめる城跡でした。曲輪、堀切や土塁が多くあり、山城の比高もさほど高くないのでハイキング感覚で回ることができます
歴史民俗博物館では、丁度長宗我部氏関連の展示もあり事前勉強になり、一緒の見学をお勧めします。歴史民俗資料館から城跡への向かう際に四国の地図の上に立つ元親の銅像が立派でした

※今回の行程は以下の通り

7:30羽田(航空機)、9:00高知空港
9:05高知空港(リムジンバス)、9:37,9:44高知駅バスターミナル(路線バス)、10:09学校分岐
 (徒歩10分)歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-16:30)+岡豊城跡散策
12:42学校分岐(路線バス)、13:18高知城前
 (徒歩5分)高知城(9:00-16:30)+高知城歴史博物館(セット券有)
 泊:高知市内

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「伏見城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
伏見城は豊臣秀吉の隠居城とするために築かれた。慶長伏見地震によって倒壊、関ヶ原の戦いの前哨戦となり落城。徳川家康が再建するも一国一城令に伴い廃城となる。現在は「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地になっており、模擬天守などが遺されている。

<アクセス>
JR桃山駅 徒歩15分

+ 続きを読む

トク

今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(1/3)) (2024/12/20 訪問)

お城EXPOずいぶん盛り上がったようですね。城びとスタッフの皆様お疲れさまでした。1度は行ってみたいと思いつつも横浜はやはり遠い🤔。でも皆さんの満喫したレポートで楽しませて頂きました😊。

先月11月イノシシ出没のため自然遊歩道からの登城を断念した岩屋城。何か今年やり残した感じがあり、イノシシもやっと冬眠したようなので、リベンジで登城してきました。最近は膝に少し不安があったので、今回はじっくりゆっくり登ってみました。すると今まで気づかなかった新たな発見もあり新鮮な気分で登れました。なのですいませんが3回に分けて投稿させていただきます。

今回も西鉄都府楼駅から大宰府政庁までの「さいふまいり」の道を歩き(15分)、政庁前のコンビニでおにぎりとお茶を買ってからスタートです(写真①②)。

大宰府市民の森から入り、最初は舗装されていますが意外とここは傾斜のある道です。案内板が新しくなっていました(写真③)。春の森(桜が多い)と秋の森(紅葉が多い)と道が二つあります。そこに何と前回お伝えした、小弐経資・景資の父「小弐資能」の墓があると書いてあるのを見つけ、初めて知ったのでまずちょっと寄道して、それから秋の森を20分程歩きました(写真④)。おそらくこの墓の場所にかつては館があり、元寇当時の太宰小弐であった父の資能は、ここで元の大軍が来た事を知らされたのではないでしょうか?(写真⑤⑥⑦)。

そして市民の森のいちばん上(登山口)までたどり着くと、また新たな発見が! ここには石垣と建物跡のような空間がありました。おそらくこれは大手門(番所)があったのではないでしょうか。ちょうど政庁から大手道へ入る場所なので、城に出入りする者をここでチェックしていたと思われます(城へ登る家臣の休憩所も兼ねていたのかもしれません)。

ではここから登山道に入ります(2/3へ続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天守無しがアツい

元城町東照宮 (2024/12/14 訪問)

天守を見学後、まず天守門の手前まで行って浜松城の100名城をスタンプ帳に押印。それからコンビニのイートインスペースにて昼飯…昼休憩の最中…「家康がボロ負けした三方ヶ原の古戦場に行こうと予定してたけど…天守門に東照宮という存在をここに来てから知った」

熟考した結果…「三方ヶ原は止めよう。ここから少し離れてるし城から現地まで直通のバスがあるかも分からないし」「その代わりこの城見学に専念。天守以外の施設を可能な限り抑える。その方が安定した1日を過ごせるだろう」

という方向性に…🚶‍♂️ 天守門は中に入ると思ったより規模は小さく、石落とし(1枚目)がありました。敵が攻めてきた時にこの床板を開けて石を落とすなどして迎撃🪨

ビデオ上映があり、この天守門を再建した際の作業工程が紹介されてました。椅子が何個か置いてあったのでそこで小休憩も兼ねて視聴

天守門の瓦(2枚目)…この辺りを発掘した際に出土した瓦も展示されてました。天守門の屋根には鯱瓦や軒瓦などの瓦が使用されており、建物は解体されても…その残骸までは徹底して撤去されないみたいで、当時の様子が伺える品々が地中に埋まって残るものなんですね

城の記念メダル販売機…こういう天守の存在する規模の大きな城ではありがちかとは思うのですが(小田原城、広島城などにもある)、気分的に買いたくなったので1枚購入🪙 刻印機で名前と日付も彫ってもらいました

天守門を訪れる前に…昼飯直後に元城町東照宮を参拝⛩️ 東照宮がここにもある事は…何とこの日初めて知りました。城内の案内板に「元城前東照宮◯m」という表示があり、「ここにもあるのか東照宮!ならば後で行ってみよう🫢」という気分になったから

少し迷いましたが何とか到着🚶‍♂️ まず(3枚目の)本堂で参拝しました。賽銭箱に投げたお金が弾かれて外に落ちてしまい、手を伸ばして今度はそっと投入…すると今度はちゃんと箱内に入りました。他にも外に落ちてるお金が何枚かあったので…全部入れてあげました🪙

境内には秀吉(右)と家康(左)の銅像(4枚目)がありました。この東照宮はかつて引間城というものがあった場所。天文二十年(1551年)に尾張を出た農民の秀吉が今川の居城であるこの城を訪れて松下氏に仕えた…という案内板のエピソードを読んで…

「そう言えば秀吉の偉人マンガ読んだ時そんな話あったわ…秀吉は気が利くというか主が求めてるものを瞬時に察知する…場の空気を読める能力に長けていたので松下氏からたいそう気に入られたが、それが他の家来の反発を招き「今度あいつ(若き秀吉)を懲らしめてやろう」と陰口叩いてるのを耳にした松下氏は…「あいつばかり贔屓しすぎたか…」と考えて、秀吉に金だけ渡して「ここを去れ…これ以上は何も聞くな😌」と告げる」

「秀吉は瞬時に「ああ俺…他の家来から妬まれてるのね…それで殿は大事に至らないうちに俺を逃がそうと…今までお世話になりました…このご恩は一生忘れません😭」と呟いて城を去る。その後天下人になった秀吉は松下氏を探し出して笑顔で彼をもてなし、恩返しをする事ができた…という心温まる話

他方で元亀元年(1570年)に今川から独立した家康は遠江を平定した際にこの地に住み、(引間(引く馬)というニュアンスの名前は縁起が悪いので)浜松に地名を変更したそう。そういう話の関係で2人が銅像になって祀られてる

銅像見てもう一つ思った事は…「秀吉幼くね?数え年で16歳…今の年齢で中学3年としても…これでは10歳くらいにしか見えない🧒」「絶対これ製作者のミスでしょ🤣」「いくら昔の人間は栄養が不足しがち…中でも秀吉は身長が140cmほどしかなかったそう…とは言ってもこれはねえ😅」「期待に胸膨らませてる天真爛漫な少年…という感じはするけどさ」ですね

東照宮は御朱印こそ存在するものの受付日が限定されており、残念ながらこの日は対象外でした…境内を後にして坂を下ると偶然…引間城の御城印受付所を見つけました。2種類あり、「徳川家康公ゆかりの地」を選びました(5枚目右)

浜松城のは天守で既に購入していたのでその隣に…御城印帳におさめました(5枚目左)。城公園には他にも大河ドラマ館跡…日本庭園…美術館もあり、それらはついでにざっと眺める程度に見学しました

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

お城EXPO2024翌日の攻城 (2024/12/23 訪問)

12月22日にお城EXPOに参戦した後、羽田から沖縄へと飛びました。目的は城びと登録の沖縄物件のコンプリートと城カードのゲットですが、まずはオードブルとして三重城へ。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」では御物グスク、屋良座森グスクとセットで掲載されています。とはいっても御物グスク、屋良座森グスクとも米軍基地の敷地内なので遠望するしかありません。屋良座森グスクは米軍の軍港建設で完全に破壊されてしまっていますが、御物グスクはかろうじてその姿をとどめています。国場川に架かる明治橋の上から御物グスクを望んでみました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

塩津城 (2024/12/01 訪問)

【塩津城】
<駐車場他>道の駅あぢかまの里に駐車しました。城跡東側の道路<35.523677, 136.166036>に退避所2台分があります。
<交通手段>車

<見所>空堀・曲輪
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅1城目。塩津城は鎌倉時代に熊谷直高が築城したとされます。現地の城跡を見て遺構の感じから鎌倉時代に打ち捨てられているのではなく、戦国期に改変、使われていたように思いました。
 城跡は上記の道路から皆が入ったために金網が下がっている場所から簡単に入れます。上記の道路がかつての堀切だったようで、東側からの山脈の突き出た尾根に堀切を設けて全体を城としたようです。東側以外の方向に段曲輪を無数に設けて麓から全体に高い切岸で削っているので麓から山に取り付くのは難しい。また現在は周囲は畑になっていますが、かつては湿地帯だったようにも感じました。
 山頂の主要部は主郭の東側に南北に大きい空堀が縦断しています。空堀の東側が副郭になっています。主郭は中程度の広さで、東の空堀側に沿って土塁が南北に真っすぐあります。多聞櫓でも建ってたような雰囲気があります。主郭から西側へ向かっては綺麗に曲輪が3段連段となって落ちています。城跡の南側一帯が竹の倒竹で散策があまりできないですが、丘陵地全体の曲輪がよく残っていて見応えがありました。

<満足度>◆◆◇
<周辺観光>朝7時前の夜明け頃に高島市のマキノ町メタセコイア並木をみてから登城しました。ここから一番近いのは城びと登録城の田屋城ですが昨年田屋城に行った時、今年行こうと思っていました。朝早くにもかかわらず車は満車ぎみでした。日中国道303号まで渋滞でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

棚倉城築城400周年 (2024/12/23 訪問)

手打らーめんきせんで温かいラーメンを食べてから棚倉城を訪れました。雪が少し散らつく気候でしたがお城一周して歩いたらとても身体が暖まりましたね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【遠江 初山宝林寺】静岡県浜松市 近藤家菩提寺 (2024/11/28 訪問)

 細江町みをつくし文化センター、堀川城、気賀関所を往復の国道362号線沿いに気賀・金指近藤家の菩提寺「初山宝林寺」が在り、丁度特別公開展示中の案内で帰路久しぶりに寄りました。

 住所:静岡県浜松市浜名区細江町中川65-2
 駐車場:宝林寺東麓にアスファルト参拝者舗装駐車場有り、トイレは拝観料(400円)受付所に在り。

 宝林寺は井伊谷三人衆の一人近藤家の菩提寺(金指近藤家、気賀近藤家)です、家康公遠州に侵攻の折り協力した近藤家、井伊直政配下に成りましたが独立して大名に取立て、江戸初期には数家に分かれて交代寄合旗本として気賀、金指を治めていました。寛文4年(1664年)旗本金指近藤家2代目当主貞用の招きで、黄檗宗の祖隠元禅師と共に明国より来日した独湛禅師によって開創された黄檗宗の寺院です。
 中心に国指定重要文化財の仏殿、釈迦三尊像・24天善神立像が祀られている。その裏に石垣と白土塀・内門に守られて国指定重要文化財の方丈が在ります、今回の特別展は方丈で有りました。仏殿の東に報恩堂が在り宗祖隠元禅師、開祖近藤貞用の報徳の堂、近藤家代々の位牌安置されてる。方丈の裏手は山裾を利用した庭園、石仏五如来、西隣には金運上昇のご利益があるという?金鳴石と阿弥陀三石仏像が在ります。
 山門は県指定文化財で国道362号線北側石階段を登った所に在ります。

 奥浜名湖 湖北五山として
 ①初山宝林寺、近藤家菩提寺
 ②龍潭寺、井伊家菩提寺
 ③方広寺
 ④摩訶耶寺
 ⑤大福寺
 が有名です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

日本100名城かるたワークショップ (2024/12/21 訪問)

お城EXPO 2024に参城しました。お目当てはもちろん日本100名城かるたワークショップです。当日は仕事が入っていたので、行きたいのは山々だけどやっぱり無理かな…と半ば諦めていましたが、3日前に城びと編集部の「皆さまと一緒に、かるた晴れの舞台を喜び合いたいです」の言葉で心に火が点きました。かるた大会は来年以降も開催されるとしても、かるたの発売を喜び合うのは今年しかない! 絵札も読み札も思いのほかたくさん採用いただいていながら、晴れの舞台を知らんぷりするわけにはいきません!!

…ということで、朝イチで仕事先に顔だけは出して、どうしても外せない用件(かるたです(笑))が…と早々に抜け出して新幹線で横浜へ。これでワークショップの整理券が取れなかったらシャレにならんぞ、との懸念もありましたが、無事7番を確保。ひと安心したところで、まずは腹ごしらえにアネックスホールで昼食(横浜といえば崎陽軒のシウマイ弁当)を摂り、ワークショップの時間まで9年目にして初登城のお城EXPOを観て回りました。関西での出張版や特別版には参城していますが、さすがは本家本元、規模が圧倒的ですね。入念に下調べしても時間の使い方に頭を悩ますところでしょうが、前日まで休む分の仕事の穴埋めに追われていたので、全く下調べなしのぶっつけ本番、実に効率の悪い回り方になってしまいました。

城めぐり観光情報ゾーンでは、関西でのイベントでは見かけない関東の城のブースが多い(当たり前)のが印象的でした。遠征先ではどうしても(続)100名城メインになってしまいますが、いつか行ける日のために資料だけはたくさんいただきました。福山城天守北面鉄板や九鬼嘉隆の鉄甲船の模型など興味深い展示も多く、時間があればじっくり見て回りたいところですが…。定番の(続)100名城パネル展はアネックスホールでしたが、観光情報ゾーンではヨーロッパ100名城のパネルが展示されていました。興味はあるものの、(続)100名城もまだまだなのにヨーロッパなんてとても考えられないな…。公式お城グッズ売場では香川元太郎先生を偲んで特設コーナーが設けられていました。観光情報ゾーンの展示にも受け取る資料にもいたるところに香川先生のイラストが用いられていて、改めて香川先生の足跡の偉大さと失われたものの巨大さに呆然とさせられます…。日本100名城かるたのコーナーも設けられていて、幾人もの人がサンプルを眺めているのを見かけました(買って~)。

2Fに上がるとニッポン城めぐりブースの手裏剣で亀寿を射止め、3Fでは「城の自由研究コンテスト」優秀作品のレベルの高さに驚愕し(年少ながらもいっぱしの研究者だ…)、フォトコンテストには城びとでお見掛けする名前があったり、企画展示「城郭からみる日本遺産」では行ったことのある城(土丸・雨山城)の展示などもあってなかなか興味深い内容でした。4Fの城ラマ展は長篠の戦いや上田城の戦いなど「籠城戦を戦い抜いた城」の展示、「自選余湖図30選」では余湖さんが受付に座っていたので、「いつも参考にさせてもらってます」と一言お礼を言いたいところでしたが、他の方とお話中だったため断念して次へ。シン・忍者展では忍び足体験(早々に御用だ!)や手裏剣投げ(まずまずの的中率)、奪口クイズ(全問正解!)などの忍術修行を体験しました。

そうこうするうちに時間になったので、いよいよ本題の日本100名城かるたワークショップへ。この中に城びと常連の皆さんもいるんだろうけど、全員初対面だからなぁ…などと考えていると、スタッフと挨拶を交わす男性の姿が。朝田 辰兵衛さん? と思いながら様子を窺っていると隣席の女性と談笑しています。にのまるさん? チェブさん? 加藤理文先生の解説が始まり、画面に表示された城名をその男性が答えた時に「私の投稿なので」との発言があり、やっぱり朝田さんだ! と確信。解説に続いてお試しかるた取りに移る際にお声がけすると、はたして朝田さんであり、隣席の女性はチェブさんでした。チェブさん、ちょうど一年前にはかるた絡みでとち狂ったことを口走ってしまい大変失礼いたしました。

そしてお二人と同じグループでかるた取り開始。飛騨高山ツアーでのかるた大会に向けて絵札・読み札ともに二回ずつチェックしてあった私に対し、お二人を含む他の方は初見だったようですが、結果は朝田さんが10枚獲得で1位、私は6枚で2位でした。完敗です…。でも、勝ち負けよりも、城好き同士でわいわいとかるたをするのは想像通り、いや想像以上に楽しく、城びとでのレポート用に「かるたに興じる参加者」の写真を撮るつもりが、撮るのを忘れるほど私自身がかるたに興じてしまいました(それでもせめて一枚くらい撮っておけよ…)。

日本100名城かるたの企画が立ち上がった時から、これは面白そうだ、ぜひ欲しいと思って投稿もすれば応援もしてきましたが、こうしてめでたく商品化され、お試しとはいえかるた大会にも参加できて、まさに感無量です! その上、この機会に朝田さんとチェブさんにお目にかかることができましたし、行かずに後悔するくらいなら行って後悔するほうが良い、という思いで横浜行きを決めましたが、後悔どころか大満足のお城EXPOでした。うだうだと迷っていた背中を押して下さった城びと編集部の投稿には感謝しかありません。ありがとうございました。ワークショップに参加されていたにのまるさんにご挨拶できなかったのは残念ですが、来年のお城EXPOでは日本城郭協会主催でかるた大会が開催されるようですし、またの機会を楽しみにしております。そして、来年はどういう口実で仕事を休んだものか考えつつ、新幹線で帰途につきました。ああ、楽しかった…。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

旅立ち前の参戦 (2024/12/22 訪問)

今年は仕事納めが異様に早かったため、お城EXPOに参戦してから旅立つという年末の予定となりました。荷物になってしまうので100名城かるたは送料を支払って事前に購入しましたし、いつも無節操にもらいまくるパンフレット類もかなりセーブしたつもりです。厳選プログラムは昇太師匠と加藤先生のトーク。もやもやがキーワードでしたが、城びと未登録のチャシが数多く登場して大変そそられる内容でした。来年のトークも今から楽しみです。

+ 続きを読む

T-Shionoya

弾痕が歴史を伝える鹿児島城 (2024/11/08 訪問)

11月の屋久島観光の際に訪問した鹿児島県鹿児島市の鹿児島城。

鹿児島港を擁する鹿児島湾西岸。
稲荷川と甲突川の河口部の標高107mの城山とその東麓に築かれた城。

南北朝時代の上山氏の山城をもとに、1600年の関ヶ原の後に島津義弘から家督を継いだ家久が築城。
幕末までの島津氏12代の居城となりました。

現在、堀と石垣が残る本丸は歴史の展示・研究施設となり、2020年に御楼門を復元。二之丸には図書館や美術館などが建ち、御厩は病院に、城山はホテルと公園に変貌。

実際に訪れると、本丸と御厩南東面の石垣は一直線で壮観。
枡形の御楼門以外は非常にシンプルな城ですが、石垣に残る弾痕は西南戦争の歴史を伝えるもの。図書館と美術館の石垣にも似た凹みがありましたが、これも当時のものでしょうか。
大手口から登った城山も要塞感は薄いものの、二之丸曲輪の3面に分厚い土塁が存在。

周辺観光や休息を挟みつつ、滞在時間は約4時間。
薩摩藩77万石の鹿児島城が、私の城郭巡りの188城目となりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しげ

躑躅ヶ崎館 (2024/12/22 訪問)

躑躅ヶ崎館跡に行ってきました。

+ 続きを読む

ページ188