久しぶりの岡山城です。2022年11月3日に天守閣がリニューアルオープンしてからは初めての登城となります。天守閣内は岡山市出身の磯田道史先生が監修された展示となっていていました。最近登城したと思っていたのですが、記録を見ると前回の登城は平成の頃でした。
旭川の西の丘陵地にあり、南北朝時代には石山城と呼ばれていた砦が存在していました。戦国時代には金光宗高の居城となっていましたが、1570年(元亀1)これを宇喜多直家が滅ぼし居城としています。息子の秀家が豊臣秀吉の全面的協力のもと新城の築城と城下町を整備しました。天守の石垣や1階の平面が不等辺五角形をしているという興味深い設計となっていますが、土台になった岡山の丘の地盤にあわせたためといわれています。戦災で焼失したのは残念ですが、外観は戦前のとおりに復元されています。梟雄として有名な宇喜多直家ですが、没落した身からのし上がった器量は尋常ではなく経済の重要性も理解した人物であったと思っています。宇喜多直家、秀家父子を大河ドラマにしようという運動もあるようです。
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