甲府城跡に行ってきました。
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2024/12/22 17:56
甲府城 (2024/12/22 訪問)
甲府城跡に行ってきました。
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2024/12/22 16:38
空城の計 (2024/12/14 訪問)
(HP)https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/
浜松駅からバスで10分…もしくは遠州鉄道で遠州病院下車そこから徒歩10-15分の場所にある浜松城🏯 城の面積はかなり広くて入口から天守まで辿り着くのにも10分ほどかかったかな🚶♂️
城を訪れる場合…優先すべきは御城印&(対象地なら)100名城スタンプ…それは本丸に設置されてることが多いので、どうしてもそこから巡ったほうが効率としては好ましい
なのでまず本丸の天守へ(1枚目)🏯 これは昭和中期に再建されたものであり、かつて建っていたものは、この1.5倍の大きさがあったそうです。今は三層からなる造り
入城してすぐの場所に三方ヶ原で奮戦するも惨敗して、命からがら逃げ出した家康の紹介(2枚目)がされてました。この時…30歳(数え歳で31)…実年齢以上の見た目を感じたのは気のせいでしょうか?😅
領内の城が次々と落とされ、浜松城にて戦々恐々と待ち構える徳川軍。しかし武田軍はそこを素通りして西進🐎 「領内を素通りする敵を黙って見過ごす臆病者と見做されては末代までの恥😡」と感じた家康は追撃して三方ヶ原で武田軍に遭遇
地形的に有利と踏んでここまで来た家康一行。しかし武田軍はそれを読んでおり万全の布陣で待ち構えていた…懸命に戦うも味方の武将が次々に討ち取られ命からがら撤退(その最中ウ◯コ漏らした説もある🏇💩🤣)
敵兵に迫られて絶体絶命…そこで家康はワザと城門を開けさせて…「一見すると攻めるには絶好の好機…けれどうますぎる…もしかしたら罠があるのではないか?😓」と敵に思わせるハッタリをおこなう
これは三國志において蜀軍が馬謖の作戦ミスにより大敗して、敗走中に追いつかれた時…諸葛亮がとった策(空城の計)。魏軍の司馬懿はそれを見て深読みしたがために手を出さずに撤退を命じ、蜀軍は九死に一生を得た…
諸葛亮と家康が生きた時代には1300年ほどのブランクがありますが、家康は吾妻鏡といった歴史書を愛読していたそうなので、おそらく古代中国の兵法書も読んでいて…空城の計も知っていたのでしょう
けれど「もしも相手が脳筋タイプでチャンスとばかりにそのまま攻めてきたら…」という不安が頭をよぎると、読みが外れた場合のリスクがデカすぎるので、そう簡単にこの作戦はとれません。もしもそうなっていたらここで家康は戦死…江戸幕府の設立も無かったのは濃厚なので、彼は強運の持ち主でもあった…と思えてきますね😮
2階に上がると、浜松城と周辺のジオラマ…城の変遷が映像で紹介されてました(3枚目)。それを見て初めて知ったのは…家康が城主の頃…三方ヶ原の戦いの時点での城の造りは…木造の館が幾つかあるだけの…地味な造りだったという事です🏠
その後秀吉の天下統一により家康が関東に移動させられると…次の城主は城を大改築。現在あるものより規模の大きい天守が誕生し、二の丸に櫓も整備されて現在のような敷地面積の大きい城になったそうです
2階にはその他にも…城から出土した茶碗や屋根の破片…脇差に火縄銃が展示されてました。そして昭和中期に天守が再建された時に関するものが順路の終わりに(4枚目)
再建の際には結成同盟会が作られてその活動の中心的存在に…設計図も多数寄せられておりそれも何枚か展示されてました。けれと数が多ければそれだけ設計図も多様になる…ボツになったものも多数あり、採用された設計図のもと今の天守が造られた🏯
ちなみにここにはかつて…ロープウェイや動物園が設けられていたそうです🚡🐘 当時のモノクロ写真にその時の様子が紹介されており…古き良き昭和の香りがしました。しかし時代の流れで両方とも現在は無い
3階は展望室になっており市内を一望することができました。そこにいたガイドが…「総工費は1400万円…そのうち900万が市民からの寄付金」「1400万と言っても昭和中頃の金額…今(令和6年)ならその金額では造れない😅」「ちなみに天守門(天守の手前にある門)が平成になって再建されてるが、その総工費が1億💸」と語ってました
門だけでも1億…なのですから、天守は(令和の金額にすると)10億ではないでしょうか?そして江戸期のより小さい現在の天守ですが…もしかしたら予算的にそのコンパクトサイズしか造れなかった?
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2024/12/22 16:29
!!!!!!の1日。 (2024/12/21 訪問)
健康診断の結果が悪く、前週の金曜日に再検査。入院する用意をしてきてくださいと、看護師さんからの諸注意に、お城EXPOには行けないかも、意気消沈で過ごしてました。すぐに結果は大丈夫だと分かり、その瞬間からお城EXPOでカルタ大会のシュミレーション。城びとオールスターの方々にお会いしたら、あれを伝えよう、これも伝えようと、テンションが舞い上がってしまいました。
当日券を購入。12時30分に着陣。カルタの整理券には早かったので、グッズ売場でカルタを手にした時は感動しました。
1時になり整理券の列に並びました。(8番だと思っていましたが9番でした。)
整理券をもらったら一安心。ブースを周ります。私は『城の自由研究コンテスト』が好きで、研究発表を手に取り読ませていただきました。その後、ご逝去された 香川元太郎先生の本を購入しにグッズ売場へ。
カルタを忘れ、迷路絵本に引き込まれていました。(お城復元イラストじゃないんかーい。)
と、カルタ大会10分前になり会場へ。
朝田 辰兵衛さんとご挨拶ができ、言いたかった事が嬉しくて空回りしてしまいました。
加藤先生のカルタの解説は楽しく、会場が和やか。意外にも子供武将の方々が、お城に詳しくビックリしました。
さーカルタだと、席を移動すると、イオさんがお声がけしてくれて、嬉しいのなんの、声が大きくなってしまいました。
一晩経ち、先ほど『みんなの投稿』を見たら、にのまるさをんもいらっしゃっていたなんて。お話したかったです。
私、圧が強めだから、声もかけずらいですよね。
最後になりましたが、城びとスタッフの皆様、ありがとうございました。
お城を通じて、たくさんの方々と繋がれた事に、感謝しかありません。
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2024/12/22 14:24
中津城探訪 (2024/12/06 訪問)
日本三水城で有名な中津城を訪問しました。黒田氏が築城し細川氏、小笠原氏、奥平氏と城主が変遷しながら、明治を迎えたとのこと。
アクセスは自動車で、無料の中津城第一駐車場が城内にあります。
天守は5重5階の模擬天守で、内部は奥平家歴史資料館となっています。最上階からは眺望が良く、中津川、その奥に周防灘を臨むことができます。
天守北側の本丸石垣には黒田時代、細川時代の石垣を見ることができます。
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2024/12/22 12:14
2024/12/22 11:47
【遠江 気賀関所】静岡県浜松市 姫街道の関所 (2024/11/28 訪問)
気賀関所は東海道の三大関所の一つ、気賀を治めていた旗本近藤家が関守を拝命していた。平成元年(1989年)に復元再建された。
住所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀4577
駐車場:みをつくし文化センター駐車場他隣接の駐車場が有ります。
来年1月に開催の小和田先生講演会チケットを購入時、隣接の気賀関所にチョット寄りました、7年前のNHK大河ドラマ女城主直虎の放映時みをつくし文化センターでドラマ館が設けられ観覧した以来の気賀関所となります。
入所料は大人150円、70歳以上は無料。
東口に松並木が有り冠木門を通り、本番所、人形が置かれて当時の関所を表しています、向番所は女改めて、牢屋が設置、南東角に東見番所も有り二階建ての物見櫓、西口は町木戸門で気賀の宿場と接していた。
南に細江警察署、東にはみをつくし文化センター、旧細江町役場で現在は浜名区の行政センターが在ります。
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2024/12/22 07:25
2024/12/22 07:21
是非行ってください (2024/12/21 訪問)
今年初めてお城EXPOに行きました。小牧長久手の合戦、という一つのテーマをじっくり紐解いて行く試みが魅力的でした。最終的にナイトプログラムの中で四人の先生達によるディスカッションで、肩の力を抜いた楽しいトークでまとめ上げられました。先生方のお城に対する熱意が直接に伝わってきて、大いに刺激を受けました。横浜まで足を運んで本当に良かった!この時期は夜のイルミネーションも素敵です。行った事ないか方は来年是非行ってみてください。
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2024/12/22 00:01
かるた大会 (2024/12/21 訪問)
本日、予定通り横浜に行ってきました。
最大の心配ごとであったかるたワークショップの整理券を無事ゲット、15:30の開始時間までは主に1Fのブースをまわりました。それぞれのお城の最新情報を直接いただけ、とてもありがたかったです。
15:30からのワークショップは加藤理文先生の解説のあと、グループに分かれてかるた大会。ついにこの日を迎えることができたと感慨深かったです。
読み札、絵札、商品化への進捗をずっと追ってきたものの、事前購入をしていなかったので現物を見るのは初めて。本気モードで戦いに挑みましたが、自信を持って答えられるものは少なく、まだまだだなーと思った次第です。
でもすごく楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。遊び方もくふう次第でいろいろできそうですし、お城の知識も得られて、完成にこぎつけていただいたスタッフの方々には心から感謝申し上げます。
そして、同じグループで遊んでくださったみなさま、ありがとうございました。
会場にいらしたはずの城びとのみなさま、どなたがどなたなのか知るすべもなく、小心者ゆえ勘でお声かけする勇気もなくて、ご挨拶できずに失礼いたしました。
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2024/12/21 22:48
2024/12/21 22:32
冬の外堀散歩 (2024/12/21 訪問)
外堀通りを歩いて外堀を観て来ました。この外堀の風景は好きで、時間があれば散策しています。夏に来た時より冬の方が、葉が落ちたりしているためよく観えます。石垣や土塁も一部残っています。前に投稿したときも書きましたが、昔は名鉄瀬戸線が堀の中を走っていました。その名残も観ることができます。
昼食は地下鉄名古屋城駅から徒歩約5分の場所にある鰻木屋さんでうな重(竹)をいただきました。
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2024/12/21 22:11
冬の名古屋城散歩 (2024/12/21 訪問)
今年だけで3回目の登城です。地理的にも登城しやすい場所にあり、最近では機会があれば散歩に来るようになりました。天候は曇りでしたが、思ったより寒くはなくそれなりに冬の名古屋城を楽しく散策してきました。今回は地下鉄名古屋城駅から有料の本丸、二の丸、西の丸、御深井丸を散策した後、西北の水堀周囲をぐるりと回り、東大手から外堀通りへ出て、西の堀川近くを北に進み、金シャチ横丁エリア義直ゾーン北を通り大手二之門からドルフィンズアリーナ近くを抜けて名古屋城駅に帰って来ました。見学には葉も落ちて建造物や遺構が見やすい今がいいと思っています。土曜日でしたが、朝早かったこともあり見学者も少なかったので、久しぶりに本丸御殿も見学しました。ただ時間と共に観光客は増えてきました。
公儀普請の城だけあって石垣、堀は見応えがあります。東南隅櫓(辰巳櫓)、西南隅櫓(未申櫓)、西北隅櫓(戌亥櫓・清州櫓)が現存しています。昭和の初期には本丸には東北隅櫓もあったようですが、空襲で焼失しました。土台の石垣が残っています。
今回は堀の中に2頭の鹿を確認できました。母と娘ですね。もう高齢だと思いますが、元気でいるところを見るとほっこりします。
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2024/12/21 18:24
2024/12/21 17:48
2024/12/21 16:49
大分府内城探訪 (2024/12/05 訪問)
大分市内の府内城を訪問しました。築城は戦国時代に福原氏が、その後竹中氏が引き継いだとのこと。当時は天守をはじめ23の櫓と5つの門がありましたが、残念ながら現存する櫓は宗門櫓と人質櫓の2基だそうです。
現在は大分城址公園としていくつかの櫓や大手門や廊下橋が再建・整備され、見どころの多いお城です。大分駅からも近いのが嬉しいです。
内堀を挟んでまず目に入るのは土塀と櫓の数々です。次に大手門を入ると奥に天守台及び本丸櫓台が見えます。天守台跡は登ることができ、上からは全体を見渡せることができます。近代建築の建物とお城の櫓類の対比が市街地のお城らしさを表していますね。
なお、廊下橋から出た松栄神社の敷地内に築城時の慶長期の石垣の遺構を見ることできます。櫓や石垣を見ながら城外を一周しても小一時間で散策できますよ。
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2024/12/21 15:30
「龍野城」 (2024/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★☆
龍野城は戦国時代には名門・赤松氏の支配にあった。羽柴秀吉が入ってからは羽柴家子飼いの武将や池田・本多・小笠原・京極と次々に領主が変わり、1672年に脇阪氏が入り廃藩置県まで治める。現在、石垣が遺されている。
<アクセス>
JR本竜野駅 徒歩25分
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2024/12/21 15:01
【遠江 堀川城】静岡県浜松市 家康唯一の撫で切りの城 (2024/11/28 訪問)
来年令和7年1月19日浜松市細江町「みをつくし文化センター」で小和田哲男教授の「堀川城の戦い ~家康には珍しい皆殺し作戦~」と題して講演が有り、チケット販売も開始されたので、みをつくし文化センターへ出向き購入、近くでも在り久しぶりに寄って来ました。
住所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀、近くの細江警察署南西に約400m程
駐車場:堀川城址小公園前に縦列幅寄せ2台は可能、私はみをつくし文化センター駐車場利用で徒歩
先のNHK大河ドラマ「女城主直虎」でも放映されていました堀川城合戦、チョット悲惨ですが家康唯一の撫で切りの戦として伝わっています、城址は浜名湖、都田川の湖岸河岸でしたので跡地は良く分からず「伝堀川城址・古戦場」として小公園整備されて石碑、首塚、伝堀川城跡解説板、堀川城の戦い解説板が建立設置されています。周りは干拓された田圃で囲まれています。
歴史は投稿の写真でご確認ください。
近くには気賀関所、うなぎで有名な清水家があります(気賀関所より東に600m程)。
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2024/12/21 08:05
2024/12/20 22:14
明日,パシフィコ横浜に向かいます🚊 (2024/11/04 訪問)
⛄越後は明日8:00台から冬型の予報です…。なるべく早く家を出る予定ですが,公共交通が乱れると13:00に間に合わなくなる可能性があります。先着40名は,秒で埋まったりして…。城びとブースがないということは,先着40名に入らないと「日本100名城かるた」は購入できないということかな…❓
昨年ぶりに城びとスタッフのみなさんにもお会いしたいし,城びとオールスターの方々ともお会いできるのを楽しみにしております。
そして,サタデーナイトプログラムのチケットも取れましたので,お祭り気分を満喫したいです。
投稿を拝見すると,にのまるさんとお会いできる可能性が高いですネ。以前より「勝負だ!」と言われていたのを忘れておりません。勝負パンツを履いていきたいと思います…<爆笑>。
赤い城さん,POYO58さん,畝状竪堀撮影のレス,ありがとうございましたm(__)m
ホント,城それぞれに規模が違いますので,難渋します。さらに,浄福寺城もそうでしたが,逆光を避けるため,撮影方向が限定されます。あまりに喜び過ぎて接写することが多かったので,浄福寺城では引き気味で撮ってみたのですが,迫力に欠けてしまいました…。
その点,POYO58さんの市場城は,絶妙だったと思います。
さて,小田野城ですが,小田野トンネルの真上です。最寄りのバス停は,タウン入口。観栖寺台公園にパネルがあり,進入できます。また,南側の団地からも進入経路がありました。お好きなほうでどうぞ。
これで,東京都のお城の残りは全て23区内に限られました。
また,攻城数が「664城」となり,にのまるさんに並んでEXPOを迎えることとなりました。
「勝負だ!」
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2024/12/20 22:12
御免那須って (2024/09/18 訪問)
神田城は天治2年(1125)に那須氏の祖、藤原資家(須藤貞信)によって築かれ、以後4代に渡って須藤氏(那須氏)の居城として使われたようです。屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗隆は嘉応元年(1169)に那須資隆の11男として、この地で生まれたとされています。主郭は畑地になっており、土塁の上にある社に続く道から眺めるだけです。普段は史跡保護のため郭から土塁を眺めているので(登るときもある)あべこべで、ちょっと面白い。正門は南辺中央に設けられ、大手門は東辺に付いているようです。
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