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しんちゃん

梶原景時 (2024/01/26 訪問)

梶原景時はかつて一宮を所領していて当地に館を築いたとされています。一之宮天満宮は館の一角とされ、そこに石碑が建っています。北側の宅地が土塁や堀跡の伝承地とされています。残存土塁が有ると案内板の地図に記載がありますが確認できていません。
源頼朝の死後、多くの家臣から反感を買っていた景時は正治元年(1199)11月、鎌倉を追放され、一族郎党を率い一宮館に引き揚げ、翌年正月20日午前二時ごろ秘かに館を出発したと案内板に記されています。景時一行はその日のうちに駿河国清見関近くで地元武士団と戦闘になり、生き残った者は山に引いて戦うも全滅したとのことです。
館の留守居役の家臣は翌年尾張に移ったとされますが、これは羽黒城に移ったということになるのでしょうか。

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赤い城

一部が公園に (2024/06/02 訪問)

帰省の際、少し時間があったので立ち寄り。
木次線に沿った県道24号線を少し入ったところに公園があります。
車でも登れますが公園はゲートボール場にもなっていました。
この日は利用者もいなかったので駐車させてもらいました。

公園から登る道が着いていて少し登ると侍屋敷跡の曲輪や物見櫓があります。
さらに少し登ると城櫓跡の削平地に。
説明板と佐世家の家系図が立っています。

どうやら主郭はこちらではないよう。
南西側にもう一つピークがありそちらのようです。
が、おそらく私有地で先に進むのは断念しました。

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しんちゃん

無印投稿  鬼ノ城 (2013/12/15 訪問)

鬼ノ城は鬼城山一帯に築かれた古代山城で、桃太郎伝説の原型とも言える「温羅伝説」の舞台にもなっているようです。7世紀前半に築かれたとされる、かなり古い山城で神籠石式山城の一つとされています。土塁や石塁が2.8kmも巡っていて、4か所の城門、角楼、6箇所の水門で構成されていたようです。西門や角楼が再現されており、鬼ノ城のシンボルともいえる西門の外観は唯一無二です。
これより東の古代山城は香川県坂出市の讃岐城山城と高松市の屋嶋城、兵庫県たつの市の播磨城山城、奈良・大阪にまたがる高安城などがあるようです。このうち八嶋城と高安城は文献に記載があることから朝鮮式山城に分類されています。

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モト

空堀、石垣と見どころありです。 (2024/06/15 訪問)

館跡まではかなり側まで車で行く事ができます。
側までは道に丁寧に案内があり迷わず館跡に辿り着けますよ。
館跡は入り口などもわかりやすく見学しやすく整備されてます。
さ、馬屋の入り口から館の跡へ。
入ってすぐに出現する馬や跡を確認しながら進むと奥に見事な石垣の虎口が見えてます。
この景色の雰囲気がかなり気に入りました。
実際に虎口を間近で見ると石垣に感動です。
これもまたお気に入りになりました。
虎口を通って建物の跡に行くと庭園跡があり当時の繁栄していた姿を想像します。
この庭園跡がまたなんとも良く、またお気に入りに加わります。
最後に館跡の奥の隈部氏の墓所を見学して帰りました。

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ぴーかる

飯島陣屋 (2024/04/20 訪問)

【飯島陣屋】
<駐車場他>飯島町営駐車場無料あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅8城目。現地で頂いたパンフレットによると飯島陣屋は1672年に飯島の地域が幕府直轄領となり1677年に片桐町から陣屋が飯島町に移されました。また資料館の方の説明によると飯島陣屋は幕府直轄領なので代官を置いていますが、本領に代官が来ることはほとんどなく、江戸にいたそうです。陣屋には重役人が3人居て主な運営はこの3人で政務をしていたそうです。
 入館締め切り5分前の16:25に到着し入らせてもらいました。閉館前にもかかわらず資料館の方が丁寧に再建陣屋の内部を説明していただきました。再建の陣屋建物は見事な造りで一見の価値はあります。遺構は横堀井戸が残っていて庭水に利用しています。残る遺構は少ないですが、資料館の方の温かい丁寧な対応が素晴らしかったので満足度はおまけして。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

関東の土の城の傑作 (2024/01/28 訪問)

滝山城の経緯は諸説ありますが永禄10年(1567)までには改修、もしくは新たに築城されたかのいずれかで北条氏照の居城になっています。永禄12年(1569)には小田原攻撃に向かう武田信玄の軍勢の攻撃を受け、何らかの被害を受けているようです(これも諸説あり)。天正15年(1587)前後に氏照は、より守りの強固な八王子城に本拠を写しますが、豊臣秀吉が小田原征伐の際に作成した城と軍勢にかかわる覚書の中に、北条氏照の管轄する6つの城の中の一つ(竹中の城)として記載が有るようで、この頃までは城郭として機能していたようです。
広大な城域と技巧的な縄張りを持っており、私は関東でも屈指の土の城だと思います。土塁や堀切はもちろん馬出しや、横矢のかかる屈折した土橋もあり、本丸には桝形も備えていて、土の城の要素がすべて詰まっているといっても過言ではないと思います。自然の豊かな八王子市とはいえ、これほどの名城が東京に残っていることに感心しきりであります。

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しんちゃん

長崎デジマックス (2014/01/08 訪問)

タイトルは意味不明ですが、長崎の出島の投稿です。寛永11年(1634)に幕府が外国との交易とのために築造した人工の島で面積は3969坪、約15000平方メートルでそんなに広くはないようです。だいたい150m×100mの城館と同じくらいの広さです。
明治以降周辺の開発が行われ、かつて長崎港の南西に面していた出島は、北は中島川で区切られ、東西と南は埋立地に囲まれています。戦後、出島の復元整備事業が行われ商館長宅である「カピタン部屋」や水門、商館長次席が住んだ「ヘトル部屋」など様々な建造物が復元され、限られた出島のスペースの中にひしめき合っています。2016年には明治時代の建造物である「旧出島神学校」や「長崎内外倶楽部」も復元されています。
また復元作業の際に、南側の131mの石垣の修復も行われています。

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チェブ

お城Expoの約束。 (2024/05/04 訪問)

安寧を願い、724年に「多賀城」は創建されました。
陸奥国府が置かれます。
賀(よろこ)び多き城、「多賀城」です。

昨年のお城Expoで、「多賀城」のブースの方に、『お正月に行っても、100名城スタンプは押せますか?』
の質問に、『大丈夫。でも、雪が、、、。』とのお返事。
多賀城市の積雪量は少ないそうですが、東京の端っこからだと、途中が危ないかもとの事です。
名城スタンプは、お正月に押せないパターンが多いので、確認しました。
あとはGWしかないと思い、この「多賀城」をゴールに進軍して来ました。

100名城スタンプを押す為に管理事務所に向かいます。「多賀城」のスタンプは屋外にあり、いつでもスタンバイしていてくれてます。
夕焼けの「多賀城」、四角く識別してある政庁を歩きます。
戦いで、取った取られたのお城ではなく、「多賀城」では厳かな気持ちになります。途中で見えた朱い門が、国府の風格を伝えてくれます。朱を見慣れてなかったからかもしれません。

お城Expoでの会話から、「多賀城」までやって来ました。お城のブースの方の熱量が高かったですが、その熱さに納得した「多賀城」攻めでした。

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零汰

再始動:川曲城(宮崎県五ヶ瀬町) (2024/05/25 訪問)

1年以上封印して開く事の無かった城関係サイトを4月から閲覧するようになりました。城びとサイトで真っ先に探したのはいんげん丸虫さんの投稿。1年余りの投稿を一気見しました。毎回渋くてコアな城跡をチョイスして、決して多くない文章と写真が私の好奇心をそそられます。相変わらずの破壊力は健在でした。最近お見掛けしておりませんが再開される事をひっそりとお待ちしています。

こちらは三方が川に囲まれた舌状地形で北側にはうのこの滝があります。東西に200m超・南北に広いところで50m程の範囲が城域のようですが当時は舌状地形全体を使用していたと思います。主郭北側に段曲輪が幾つかあり、4か所の堀切で各所を分断しています。
うろこの滝の景観がよいので滝だけで見るのも良いかもしれません。

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しんちゃん

無印投稿  岡山城 (2013/12/15 訪問)

古くは南北朝時代に名和氏の一族の上神高直が築いたとされています。天正元年(1573)この地方に勢力を伸ばしてきた宇喜多直家石山城(岡山城)に入り、城を改築したそうです。その後、さらに勢力を広げ備前、美作、播磨、備中の一部まで支配する地域を広げたそうです。宇喜多秀家の時代にさらに城の改修が進み、城も岡山城と呼ばれるようになったそうです。
関ヶ原の合戦の後は小早川秀秋が入りますが、嫡子も無いまま、すぐに亡くなってしまったので池田輝政の次男・忠継(当時5歳)が入ります。忠継も慶長20年(1615)に亡くなってしまったので、忠継の弟・忠雄が31万5千石で入ります。小早川、池田の時代にも城は改修され続けようやく縄張りの完成を見たようです。
このインパクトのある天守も太平洋戦争の岡山大空襲で焼失し、鉄筋コンクリートで再建されています。その際に瓦に桐の紋を入れるなど宇喜多秀家の意匠も取り入れているようです。

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イタさん

市民憩いの城址公園 (2024/06/22 訪問)

散歩する人、据え付けの遊具で遊ぶ親子、芝生広場で遊ぶ人たちが多い。桜、バラ、藤など季節の花が楽しめるようだ。

藤沢市関連のHPに、平安時代、付近を領有した大庭氏が築いたものと伝えられ、太田道灌(どうかん)が修築し、15世紀末から16世紀初頭には、道灌の主たる扇谷上杉定正・朝良の父子が相継いで居城したが、永正9(1512)年北条早雲の攻略するところとなり、廃城したものと言われる。この城を北条軍が攻撃し、この付近が戦場になったという記録はないが、城址の右端にある舟地蔵には大庭城にからんだ伝説が伝えられている。掘立柱建物址の表示板に、大庭状は台地上を東西に横断する三本の空堀により、一の郭から四の郭に分かれています。東斜面には腰郭、西斜面には二重の空堀と帯状の腰郭が残っています、と記載あり。

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小城小次郎

フットプリント (2023/12/10 訪問)

後藤(武雄鍋島)家が天正~慶長期に一時本拠としたとされるお城でシンプルながら重厚な土塁と堀、それに鉢巻状の石積みが見事。お城近くの石塔群はたぶん後藤家のものだろう。可愛いフットプリントも隠れた見どころ?(笑)

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トク

大野城でキャンプ(そこで私トクが見たものは?) (2024/06/18 訪問)

お城に全く関係ない話ですいません。

以前、佐土原城で「イノシシ注意!」の看板を見た時、私は大野城のキャンプ城でイノシシの子(うり坊)を見た事がありますよという話をお伝えしました。先週天気がよかったので1年ぶりにまた、その大野城のキャンプ場でキャンプをしてきました。福岡市中心部からも近く、私の自宅から車で30分くらいの所にあり、市営なので安く(テント持参なら2000円以下で)泊まれる所です。

よって土日や連休や夏休みなどは満員で人気の場所なのですが、この日は6月の平日だったせいか、うっそうとした深い山の中で宿泊者は私一人だけ(😱~!)。またイノシシが現れたらと思い、万全の対策(対決準備)をして行ったのですが、残念ながら今回は現れませんでした。イノシシはやっぱり秋に活動するようですね。そもそもここのトレードマークが「ババリイ」というイノシシのイメージキャラクター(写真③)なので、管理人さんに聞くと、よく現れるキャンプ場のようです。

朝の5時頃、小鳥のさえずりで目がさめ、いい感じでゆっくりコーヒーを飲んでいて、ふと目の前を見ると、なな何とキツネがいました!! 九州に野生のキツネがいるとは初耳です(最初はイタチかと思い、目を疑いましたがキツネでした!)。しかし写真を撮ろうとスマホを探している内に逃げられてしまいました(残念!)。ネットで調べたら、最近近くにも現れたらしいです。目撃者もいたので、間違えないと思います(そのネット上の写真①:こいつかも?)。また30分後には、ふとまた私の前には野生のうさぎも現れました(かわいいな!)(写真②)。

いや~、何かとても癒されたキャンプでした。自然はいいですね!
零汰さんもイノシシに会いたくなったら是非秋には大野城でキャンプを!(笑)
モトさんや、小城小次郎さんも訪れた、一ノ岳城や三瀬城などがある那珂川町からも車ならすぐ近くですよ!
 

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T-Shionoya

大給城で謎の石垣巡り (2024/03/01 訪問)

翌週の千田先生の講演に備え訪れた愛知県豊田市の大給城。

三河の山間部の巨岩が露出した標高204mの山に築かれた城。
西側を流れる巴川沿いの九久平は、小さな平地ながら足助街道と新城街道が交差するポイント。

1470年頃に長坂新左衛門の城を松平信光が攻略し、その孫と伝わる乗元から大給松平氏6代が居城とした城。
1584年頃に細川へ移住した以降は記録がないが、今見られる石垣はそれ以後に築かれたと考えられるとのこと。

現在は松平氏遺跡の1つとして整備された国の史跡。
実際に訪れてみると、乗元の墓を経て案内板の"現在地"に到着。そこは城の東門で、土橋状部分の北面にも石垣が存在。その虎口に入らず北へ進むと、石垣を擁した堀。
戻って東門から曲輪2の南を通り、館跡と推定される曲輪3へ向かうと、この北側にも隠れた石垣が点在。
土塁に囲まれた曲輪2から北へ下ると、大給城最大級の石垣であり謎でもある2段の水手曲輪DとE。
最後に頂上の曲輪へ上がると、北側虎口は枡形タイプ。また石塁で東と西に仕切られており、その石塁は南側で西側主郭の虎口も形成。

期待以上の城跡で、滞在時間は3時間。
見どころ満載の石垣の山城が、私の城郭巡りの176城目となりました。

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しんちゃん

二条城  蛍の光じゃ外 人さんは帰りませんよ (2024/04/19 訪問)

やはり二条城は良い城です。天守閣こそありませんが、見所が多く写真が山ほど溜っていきます。あまり撮りすぎるとデジカメが爆発‥はしないので大丈夫。さっきから「蛍のひかり」がず~っと流れているのですが、外 人さんたち帰りません。そもそも外国には音楽で帰りをうながすという文化は無いみたい。じゃあどうやっているんだろう。
まあ二の丸おでんはじっくり鑑賞したし、天守台にも登ったし、石垣を見ながらゆっくり帰ろう。この日は外 人さんにくっついて入ってきたので彼らのペースに合わせます。彼らが城内に居る限り、中に閉じ込められることは無い。ふふふふ‥

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零汰

城跡・テント:再始動 (2024/04/24 訪問)

一昨年末より仕事やらなにやらで城廻りは中断、時間が出来始めた矢先にバイク事故で歩く事さえ出来もしない。いい加減免許を返上して欲しいです。違和感無く歩けるようになったのが今年3月、無駄な時間に約5ヶ月費やしてしまっていました。2泊3日のテント泊は一日中城跡を歩き回って足の具合を確かめるのがもう一つの目的でした。

仲山城(高千穂町)を拠点に城びと登録2か所を含む、日之影町、五ヶ瀬町の城跡を宮崎県城郭報告書を元に訪問しました。直登は避けたかったので簡単な縄張図が有り、なるべく高低差が少ないであろう城跡をチョイスしました。約1年半年ぶりの城跡巡り再始動、2日間で12城、1か所当りの訪問時間は5分~1時間。さほど規模は大きくなくても遺構を見る事が出来て満足しました。

1日目:1.揚城①~2.鞍岡折立城②~3.荒谷城③~4.仲山城
2日目:5.坂本城④~6.原城⑤~7.川曲城⑥~8.樺木岳城⑦~9.桑野内の囲~10.大野原城(城びと登録)⑧~11.竹脇城⑨~12.中崎城(城びと登録)⑩  〇内は写真番号。 今後幾つかの城跡を個別で投稿するかもしれません。

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しんちゃん

二条城  二の丸・本丸 (2024/04/19 訪問)

二条城の二の丸御殿は城内で最も有名な建造物で国宝に指定されています。写真撮影NGなのが残念な限り。
本丸御殿は桂宮家が御所の北に建てた御殿の主要部を明治27年に明治天皇の意向で移築されたものです。徳川慶喜が建てた本来の御殿は明治14年に壊されていて、明治時代は二条城が天皇の離宮として使用されていたためのようです。
本丸に入ってすぐ目にするのが「御常御殿」で重厚さより、生活する上での快適さを求めた構造のようです。内部は意匠を凝らした贅沢な造りのようですが、二階は眺望に優れた数寄屋風の座敷になっています。その他は「玄関」「御書院」「台所及び雁の間」で構成されていて、天守台より全容を拝むことが出来ます。できれば公開してほしいですね。

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まさお

群馬 箕輪城 (2024/06/20 訪問)

岩櫃城から「原町の大ケヤキ」の脇をとおり、上信自動車道経由で1時間半くらいで到着しました。
登城スタンプは箕輪支所の2階の地域振興課という窓口でもらいました。
その際には「どこから来ましたか?」との質問があり、ちょっと驚きました。
箕輪城は支所から5分くらいの小学校の裏山でした。
規模の大きなすごい城跡でした。本丸跡は緑豊かなサッカーグランドのようでした。
大堀切もすごい迫力で圧倒されました。
私の勝手な印象ですが、先月お邪魔した新田金山城と箕輪城は群馬の城跡の双璧かなと思います。

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コウマくん

歴史民俗博物館と (2024/06/23 訪問)

土塁のお城、空堀が良くわかる。公園としてとても整備され清潔感があり心地よい。

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コウマくん

城山散策 (2024/06/23 訪問)

千葉氏の居城。近くに貝塚もあり、20万年前は海だったことも納得。

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