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dougen

2017.11.28登城 (2017/11/28 訪問)

現在は周囲が埋め立てられていますが、往時は丹生島という干潮時のみ陸続きとなる天然の要害でした。
今でも城塁は急峻な崖となっており、島だったことが良くわかります。
また、遺構としては、石垣と空堀が残り、櫓も2基現存しています。

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dougen

2017.11.27登城 (2017/11/27 訪問)

本丸は日出小学校となっていますが、周辺には石垣や堀跡、移築現存している櫓が残っており、遺構散策が楽しめます。

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戦国roman

🏯山城攻略〜備前国 砥石城〜 戦国三梟雄ここに生誕す (2025/01/23 訪問)

この日最後は宇喜多秀家生誕の城へ
私は二枚目の写真の登山口のところの道路脇に駐車して攻城しました。

砥石城
築城年 大永年間(1521年〜1528年)
築城者 宇喜多能家
主な城主 宇喜多能家、浮田大和守、島村氏、宇喜多春家

案内板では登山口から15分とのことですが10分で本丸に到着しました。
それなりの山道なので靴は滑らないものをお勧めします。
途中小さいですが曲輪がいくつかありました。
本丸は木が刈られ整備されているので眺めはいいです。
少し見にくいですが本丸の野面積み石垣は見事です。
足元が狭いのでご注意ください。

御城印:少し離れた(約8km)長船刀剣博物館となりの物産館にて購入

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戦国roman

🏯山城攻略〜備前国 下津井城〜 戦国三梟雄の城 (2025/01/23 訪問)

戦国三梟雄と言えば
斎藤道三、松永久秀そして宇喜多秀家
そして毛利元就、尼子経久とともに中国三大謀将の
両方にノミネートされているいわゆる曲者ですね~。
私は聖人君子よりこういうタイプが好きです(笑)
その宇喜多秀家が築城した城の一つです。

こちらは児島半島の先端の下津井港を見下ろす高台に築かれた城で眺めは最高です。
写真の「下津井マップ」右の赤丸のところが瀬戸大橋架橋記念公園の駐車場で整備された数十台停めれる駐車場ですがそこから城域は少し歩きます。
港にある「むかし下津井廻船問屋」が資料館になっているのでとりあえず情報入手のため訪問したところ、左の赤丸のところから城域に入って石垣のすぐ前に駐車スペースがあり便利とのことです。

下津井城
築城年 文禄年間(1592年〜1596年)
築城者 宇喜多秀家
主な城主 宇喜多氏、池田氏

築城は宇喜多秀家ですがその後、江戸期に入って池田氏が大幅に整備され現在のような本格的な石垣の城となりました。
私は西の丸の自然の地形を生かした縄張りと瀬戸大橋と島々を望む眺望がすばらしいと思います。



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戦国roman

🏯城攻略〜備中国 庭瀬城〜 備中境目七城 (2025/01/23 訪問)

備中境目七城の一つ
戦国期に一体だった撫川城とは歩いても5分ほどの距離ですが城前に5台ほどの駐車スペースもあります。

庭瀬城
築城年 永禄2年(1559)
築城者 三村元親
主な城主 三村氏、戸川氏、板倉氏

周囲を堀で囲まれていますが当時泥沼地だったのでお手の物でしょうか?

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戦国roman

🏯城攻略〜備中国 撫川城〜 備中境目七城 (2025/01/23 訪問)

先日投稿した備中境目七城のうち撫川城・庭瀬城を攻城しました。
七城には庭瀬城しかノミネートされていませんが撫川城と庭瀬城は戦国期には一体の城でありました。

撫川城
築城年 永禄2年(1559)
築城者 三村家親
主な城主 戸川達安(2万9千石)、板倉勝喜(2万石)

周辺は住宅地になっていますが看板があるところが公園になっており、そこに数台駐車できるスペースとトイレがあります。
そこから堀を渡ると移築された現存の撫川陣屋総門があります。
堀には石垣や土塁もあります。
案内板によると西側の石垣の左側(北西部)に櫓台があるとのことです。


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とばつびしゃもん

琉球国王の城 (2024/12/31 訪問)

14年ぶりの登城。予約した8時15分~ガイドツアーで登城開始。
首里杜館からスタート。守礼門、木曳門を通って下之御庭へ。毎朝の御開門式を見学して、奉神門から復元中の正殿を覆う建物内部に入り素屋根見学エリアや木材倉庫・加工場を見学。復元中の正殿を目前で見学できるのは今だけ。
世誇殿の前で1時間のツアーは終了。ガイドさんはとてもわかりやすい解説で、守礼門の額は台風が近づくと取り外すことや、復元作業の人材の多くは県外から来ていて年末年始は地元へ戻るため作業は中止中とか教えてくれました。
その後、東のアザナ、淑順門、継世門などを見て回って首里杜館へ戻る。
2時間かけて攻城。再建の際には朱色に輝く正殿を見に再登城したい。

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チェブ

武者塚慰霊之塔 (2025/01/04 訪問)

皆さんの投稿を参考に、駒形神社と栄町立栄中学校を目指します。
駒形神社の駐車場をお借りしました。と言っても車が停めてあったので、木を避けて並んで駐車した、が正解です。
今、来た道を下り駒形神社の参道から「大台城」攻めを開始しました。
1月4日お昼過ぎの神社は、ひっそりとしていました。
「大台城」攻めよりも、初詣でご挨拶しに来た感覚です。
中学校の正門を写して退陣です。
後々、神社と中学校の写真で「大台城」を思い出せるか心配だったので、【大台】の文字を探しました。
「大台城」の石碑や説明板はありません。
とりあえず、『駒形神社』の石碑を写そうと近くにあった『武者塚慰霊之塔』をパチッ。
、、、武者塚って、何かの戦いがあったのかな?
塔には天正二年や1556年の文字が刻まれていました。
天正二年は、長島一向一揆が起こったり、信長さんが香木 蘭奢待を切り取っちゃったりした年です。
1556年は、長良川に戦いで斎藤 道三さんが亡くなってます。
うーん「大台城」で何があったんだろ?
初詣の感覚から、いきなり戦国の世に戻されて、ますます眉間のシワが深くなった「大台城」攻めでした。

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BUGTI

武田・徳川戦いの城 (2025/02/15 訪問)

よくありがちな模擬天守と、本格的な三重堀とが対照的な城です。まわりを崖に囲まれている上に、唯一の弱点と思われる西側は三重の堀を造っているので、守るに堅い縄張です。

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姫りん

圧巻❗️さすが世界遺産&国宝🏯 (2025/02/10 訪問)

どんな苦しい時代にも、存在し続けた姫路城。
400年の重みに魅了されました。

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赤い城

先に城びと見ておけばよかった💧 (2025/02/08 訪問)

雪を避けての淡路島でしたが雲行きが怪しくなり雪が舞う天候になってきました。
この日のメイン、炬口城を攻めようと炬口八幡神社に行ってしまいました。
神社左手の案内板から登城路に沿って登りました。
倒木はあるものの整備されているな、と思っていると道が塞がれているところに。
が、ピンクリボンがあったのでそちらに行ってしまいます。

案の定迷いました。
ここでも迷ったら上に、の格言に沿って進んでいきました
幾多の山城で鍛えた感と運で南側の削平地に、さらに堀切もありました。
堀切を進むと西側には畝状竪堀、素晴らしいのですがやはりフォトでは伝わりません。

本丸には土塁が付いていて櫓台も残っていました。
その先にも素敵な堀切、来て良かったと思える城でした。
先に進むと戎神社への案内板、ここから降りれそうですがとりあえず引き返します。
正規のルート上には幾つかの案内板も立っていて、車を停めた八幡神社には楽に降りることが出来ました。

が、帰ってtodo94さんの最近のレポートを見て後悔。
洲本市HPのパンフレットをみると「炬口八幡神社からは行けません」(行ったけど)と書いてある。
読んだはずなのに・・・。
最新の情報と城びとレポートの重要性を再認識した炬口城でした。

淡路の水軍を率いた安宅氏の城で安宅八家衆の城の一つです。
淡路島といえば洲本城ですが、近いのでセットで訪問するのが良いと思います。
(個人的にはこっちのほうが好き)


【見どころ】
 ・本丸南側の堀切
 ・本丸西側に落ちる畝状竪堀
 ・本丸の土塁と櫓台
 ・本丸北側の堀切

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ヒロケン

鷹屋曲輪・馬屋曲輪 (2025/02/01 訪問)

周山城主郭の南側に伸びる斜面には、鷹屋・馬屋と表示されている曲輪があるとの事で、11年前は主郭と小姓曲輪周辺の石垣・井戸・石段等に満足してしまい行っていなかったため、今回見学してきました。(今回の目的は、主郭南斜面の鷹屋・馬屋及び西の城・北斜面に伸びる曲輪の見学です)鷹屋はほぼ石垣に囲まれた、主郭の三分の一ほどの広さの曲輪で、虎口が設けられています。鷹屋から急斜面を下った所に馬屋があり、広さは鷹屋の倍ほどの広さがあります。この鷹屋から馬屋に通じる登城路が急斜面の上、落ち葉と小石で滑るすべる(;^ω^)ですが、登り石垣であろう石垣や、石垣で造られたスロープ?があり恰好が良い(・∀・)イイ!!何度も転びそうになりながらでも、行った甲斐が
あり、行かれていない方はお勧めだと思います。

今回は、西の城には行けたのですが、主郭の北斜面に通じる入口が見当たらない😞どなたか行かれた方は是非ご投稿くださりませ🥺

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戦国roman

備中境目七城 (2025/01/23 訪問)

隣県、岡山にも数々の歴史ストーリーとともに城があります。
中には残念ながら遺構がほとんど残っていないところもありますがめげずに制覇したいと思います。
過去(2022年12月15日)に続日本100名城の備中高松城は攻城済みですが今回は庭瀬城を攻城します。

岡山市公式HP
https://www.city.okayama.jp/0000056574.html

おかやまレキタビ
https://rekitabi.jp/story/story-400

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todo94

陰陽石の近く (2024/02/10 訪問)

須木城からの転戦です。標柱のすぐ後ろに二重堀切があります。ここから城内に分け入っていきましたが、登城ルートが整備されている訳ではありませんでした。それでも美しい堀切を楽しむことができて満足です。この城の近くには陰陽石があります。せっかくなので立ち寄ってきました。女石の方は有料区域に入らないと拝めないようですけれども。

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しんちゃん

六文銭 (2025/02/02 訪問)

名胡桃城に行ってきました。最強寒波の影響で、今はすごい雪のようですね。この日、箕輪城は雨でしたが沼田城と名胡桃城には雪が積もっていました。長岡市に行きたいですが、正直たどりつけるかわかりません。
「真田丸」の影響で続百名城に選ばれたイメージが有りましたが、再び訪れてみると堀などの遺構の残存度(再現度?)には脅かされます。通常は国道沿いで訪問もしやすいので、是非訪れていただきたいと思います。

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しんちゃん

カツオのたたきも良いけれど。 (2025/01/25 訪問)

以前、朝田さんにクイズで出題していただいた南蛮たたきを見てきました。二の丸の御殿北御庭の北端に連なる練塀の遺構です。「南蛮たたき」とは小石や砂利などを石灰や油などで固めた独特のコンクリートのようなものらしいです。私も見るのは初めてで、以前クイズに答えることが出来たのはネットなどで見た情報が頭の隅に残っていたからです。
塀の屋根などは風化して、だいぶ小さくなってしまっていますが、なかなか珍しい遺構です。カツオは叩くと大きくなりますが、南蛮たたきも大きくならないかな?

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しんちゃん

姫路城  (2024/04/20 訪問)

なんだかんだ言っても姫路城は凄い城です。本当はこれ以上に凄い城がいくつもあったはずなのですが・・。名古屋城の天守が戦争で燃えてしまったのは本当に残念。国が起こした戦争で、名城が幾つも失われたのだから、国に責任とって木造で再建して欲しいぐらいです。坂本城のように、せっかくすごい石垣が出てきてもすぐ埋めちゃうし、今の文化庁のやり方には不満がありますね。
多くの遺構を残す姫路城も26年3月に入場料を2500円に値上げする予定らしいです。年3回訪問するとすれば、年間パスポート5000円を購入する方がお得ですね。これは本気で購入を検討しなくてはいけませんかな。

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しんちゃん

案外広い天守閣。 (2025/02/09 訪問)

彦根城はいい感じに雪でしたね。文化財への負担は気になりますが雪景色がきれいです。そういえば姫路城の入場料は姫路市民以外は2500円に値上げするようですね。ちょっと行きづらくなるなあ。正直、国の税金もだいぶ投入されているはずなので税金を払っている国民として、不満はあります。
地元の政治家の人気取りに使われているようで嫌ですね。彦根城や犬山城はなんとか据え置きでお願いしたいです。年に2~3回は行きたいですからね。

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しんちゃん

三方原古戦場 (2025/01/26 訪問)

私の地元・豊橋の近くには古戦場がたくさんあります。ありがたいですな~。桶狭間、小牧・長久手、関ヶ原、三方原、長篠、少し足を延ばせば川中島。やはり三英傑の地元だけありますわ。
浜松市北区を井伊谷に向かっていると、三方原古戦場の石碑があったので寄りました。近くには犀ヶ崖古戦場や一言坂古戦場もあります。元亀3年(1572)10月3日に2万5千の大軍を率いて甲府を出発した武田軍と、1万1千の徳川軍(織田の援軍含む)が同年・12月22日にここで激突しました。ちなみに某アプリではここで井伊直政をゲットすることができました。

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戦国roman

🏯城攻略〜土佐国 安芸城〜 近世 土佐藩家老の居館編 (2025/01/08 訪問)

下記縄張り図の一番下、追手門・枡形の前にある駐車場に停めて入城します。
ちなみに追手門のゲートをのけてクルマで入り中にも駐車場がありますが段差の部分のスロープの幅が狭いので小型車でないと脱輪しそうなので私は堀の外の駐車場(無料)に停めました。

「安芸城は安芸氏代々の居城でしたが、永禄12年(1569)長宗我部元親の攻撃に敗れ、その後は長宗我部氏が約30年間支配した。
慶長6年(1601)土佐へ入国した山内一豊は、佐川、宿毛、窪川、本山、安芸の5ヶ所の城に重臣を配置した。安芸城を預けられた五藤氏は、ここに屋敷を構え、城の入口に櫓門と枡形を設け、東西の土塁上には石垣を練塀を築いた。」
(現地案内板より)

域内には下記の施設があります。

◆五藤家安芸屋敷
こちらは入場できるようでしたが私は江戸期のものはあまり興味がないので割愛しました。

◆歴史民俗資料館
館内は写真撮影不可かつ残念ながら城に関する展示はほとんどありませんでした。
ただ写真のパンフレット・縄張り図を頂いたのでそれにもとに裏山の詰めの城を攻城しました。

◆書道美術館
城ちっくな建物ではありますがさすがにこちらは有料かつ興味がなかったのでパスしました。

◆藤崎神社
土佐藩家老五藤家の先祖をまつる神社
詳細は添付写真をご覧ください。

水堀と土塁、そして追手門・枡形があり、かつ詰めの城である山城もありなかなか雰囲気のある城でした。

攻城時間:45分(山城、資料館含め)

駐車場:複数あり(無料)

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