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ぴーかる

今城 (2024/12/28 訪問)

【今城】
<駐車場他>今公民館に駐車できます。
<交通手段>車

<見所>曲輪・横堀・切岸
<感想>日帰り小里城攻め旅6城目。現地案内板によると今城の築城は天文年間(1532~1555年)にこの地の豪族である小池家継が築城したとされます。1562年に中濃を平定した織田信長は森可成を金山城主として東濃支配の旗頭としました。小池氏もこれに従い織田傘下
に入ります。本能寺の変で信長が討たれると東濃の武将たちと小池氏も反旗を翻しますが、森長可によって鎮圧されます。小池氏は今城の立ち退きを要求され帰農したといわれています。
 城跡は南北に伸びた丘陵地の先端に築造されて比高はあまりなく丘城といった感じです。主郭はあまり広くなく、西面以外は土塁で囲んでいます。南北に虎口を設けて空堀で仕切っています。主郭西側は下段の3郭との切岸が高く見応えがあります。こぢんまりとした城跡ですが大変よく整備されていて遺構の輪郭がはっきり分かるいい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

天秤櫓 (2025/02/09 訪問)

天守と太鼓門櫓を堪能した後は、先ほどスルーした天秤櫓へ。ここも是非訪問してほしいです。雪で足がぬれて靴の脱ぎ履きがシンドイ。またこの靴に足を通すと考えると気が滅入りますが、スリッパに履き替えて進みます。
鐘の丸から廊下橋がかかっている城門に天秤櫓は築かれています。慶長8年(1603)~11年(1606)にかけて築かれたとされ長浜城の大手門を移築されたとも考えられています。何度か修理が行われていて、嘉永7年(1784)の修復が最も大規模なもので、中央より西側は石垣の積み方も含めて大きく造り変えられています。この天秤櫓からは廊下橋を渡ってくる敵を狙い放題です。

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半布里コミッティ

にっぽん城まつり2025 に加治田城ブース出展します!

にっぽん城まつり2025 に加治田城ブース出展します!(1日・2日両日共)

今回の出展にあたり、新たな御城印を2種類ご用意いたしました!
全貌は会場にて。

また、富加町の文化財をデザインしたイラスト入りのポケットティッシュケースと
ティッシュボックスケースをコミッティメンバーで制作しました。
ひとつひとつ心を込めて作りましたので、お楽しみに!

当日はお城のスペシャリストによるお城話や武将隊による演武など
盛り沢山のイベントが予定されています。

開催日時 : 令和7年3月1日(土)・2日(日) 10:00~17:00

会場   : 名古屋市中小企業振興会館 吹上ホール

多くの方のご来場をお待ちしております。

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トク

⑦【護佐丸と沖縄6城】(4)勝連城(1/2) (2025/02/06 訪問)

4城目は、護佐丸の最大のライバル阿麻和利が居城とした「勝連城」です。

県庁北口から沖縄バス[52]慶名BT行に乗り130分(含遅着30分)、勝連城前で下車し、まず城を見上げました(写真①)。そして道路を渡らず左後ろにある「あまわりパーク」で入城券を購入し、城の歴史や発掘品や阿麻和利を解説するシアターをまず見ました。とても迫力があり、よくできているな~と感心。続100名城スタンプをその外のインフォメーションセンターで押し(写真②)、いざ道路を渡ると四の曲輪までカートに乗せてもらい、ここから登城開始です(写真④)。

勝連城は標高98mの台地に石灰岩の曲線的な石垣に囲まれ、階段状の5つの曲輪を構えた曲線がとても美しい城でした。また南北の海、東西の半島に囲まれた景色は抜群で、とても気持ちよかったです。

まず四の曲輪から階段を登ります(写真⑤)。四の曲輪にはわずかに外郭の石垣が残っていました(写真⑥)。階段を登った先には城門跡があり、ここからが内郭であったようです。城門跡から三の曲輪に入ります。三の曲輪はおそらく普段は儀式などに使われ、戦の時は兵士が集まり按司を守った場所ではないでしょうか? 

そこから二の曲輪に上がると居館跡の礎石がありました(写真⑧)。ここに阿麻和利の居館があったものと思われます。そしてここから三の曲輪を見下ろし、三の曲輪に整列した兵士に向かって訓示をしたり儀式を行ったりしていたのではないかと想像しました(写真⑦)。

ここで突然頭上からものすごい爆音が! 普天間基地へ向かう米軍のオスプレイでした。地元の人々にとっては、本当にいい迷惑ですね(写真⑩)。

次は(2/2)、一の曲輪へ続きます。
 

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todo94

初投稿、戴きました (2025/02/10 訪問)

高原城からの転戦です。「九州の名城を歩く」に載っていないし、どなたの投稿もなかったので、さほど、期待せずに登城しましたが、想定外に素晴らしい城でした。グーグルマップにも載っている井戸跡に縄張り図付きの説明板が建っています。そこから道に沿って進むと城郭入口の標柱があります。土橋辺りまでは普通に進めますが、その後の登城路はよくわかりません。三郭の標柱を発見しましたが、縄張り図の3は県道の向こう側の本城に位置しています。今回、本城には足を伸ばしませんでしたが、新城だけでもなかなか見どころが多い城でした。とりあえず、虎口の標柱を見つけ、その上の郭には足を踏み入れることができたので十分に満足しています。

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しんちゃん

堀も凍る、新発田城 (2025/02/15 訪問)

朝田さんの投稿が印象に残っていたので、新発田城にも寄って来ました。上田城も新発田城も冬季は櫓は訪問できないようですが、いずれも以前訪問した際に鑑賞しているので、それほど残念ではありません。
特異の形状をしている三階櫓は自衛隊の敷地内にあるので、通年鑑賞は出来ません。一度入って見たいなと思いますが、まあ仕方がないですね。この辺はさすがに雪が多いです。

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しんちゃん

どこから見ても美しい天守。 (2025/01/15 訪問)

松本城にも来ています。天守は最近登ったので、周囲から見るだけで・・とはいえ松本城で美しいのはここなんですね。堀を廻りながら、さまざまなアングルから天守を鑑賞。本当に美しい城です。
城に雪は有りませんが、遠くに見える日本アルプスもキレイです。あと、ここにはいつも白鳥がいますね。住んでいるのかな?城の前をスイスイ泳ぐ白鳥との組み合わせも優美です。最近、国宝の城をけっこうハシゴしています。

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しんちゃん

もっちん (2025/02/16 訪問)

長岡市に来ています。人口は多いですが、けっこうな豪雪地帯です。何でここに来ているかというと、某アプリの廻国異能の者「望月千代女」が栃尾城にいるという情報が有ったわけです。市内はどこもかしこも雪ですが、除雪がされているのでなんとか進めます。
で・・栃尾城に付いてみると、居ません。千代女さんはお留守のようでした。すでにどこかに出発してしまったようです。某アプリでは一番気に入っている女性キャラなのでダメージが大きい・・まあ、なんというか「鼻から牛乳」です・・リア攻めも出来ないし・・
会ったことはありませんが、イオさんの笑顔が目に浮かんでくるようです。
アプリの月間ランキングでは現在1位ですが、2位の足音がすぐ近くまできています。やばいです。
あと、異能の皆さん、もう少しゆっくり滞在してくださいな・・あと、豪雪地帯の山城に出現するのはやめてくれ。

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しんちゃん

諏訪湖 (2025/02/15 訪問)

眞田親子を求めて信州に来ています。寒波が過ぎ去ったあとですが、長野県で雪を見ることはほぼ有りませんでした。諏訪湖も凍っていません。これは当面「御神渡り」を見ることはなさそうですね。
縄文時代の頃は、この周辺に黒曜石を求めて各地から人が集まって来ていたのでしょうか。諏訪湖はいつの時代もキレイなんでしょうね。

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カズサン

天守曲輪石垣群ー2/4 (2025/02/17 訪問)

 日本庭園の散策探訪、紅梅も愛でて日本庭園南門より出ると、花見の頃には賑やかな西端城曲輪へ、埋門辺り北側の樹木が密集してる辺りの伐採作業をしており、天守曲輪埋門は通行止め、車と作業者、庭師が大勢で作業中。
 天守櫓門から入る様にと天守曲輪石垣を西、南、北と廻る、鉢巻石垣の土塁部分は草が刈られて奇麗に整備されて冬枯れのこの時期はベストの状態、埋門辺りも奇麗に伐採、草刈されて石垣が良く見える、埋門の間から天守台西端の八幡台石垣も良く見える、西側の屛風折れ鉢巻石垣、南側の鉢巻石垣、南東角には本丸を囲んでいたい石垣・土塁の付根が残って居る、東側の出隅櫓台?石垣、天守櫓門より天守曲輪へ進入、京都からの観光バスで天守閣入場者が一杯に成って居ました。
 最強の寒波第二波が始まり強風が吹いていました。
 

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dougen

2016.12.24登城 (2016/12/24 訪問)

2016年~2019年に登城しました。
2020年以降は、コロナで足が遠のいてしまいました・・・

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dougen

2019.4.22登城 (2019/04/22 訪問)

相鉄いずみ野線弥生台駅から、徒歩15分ぐらいのとろこにある、岡津中学校、岡津小学校、三嶋神社が岡津城があった場所とされています。
岡津中学校の校庭が主郭で、三嶋神社に土塁が確認できますが、遺構かどうかは不明です。

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カズサン

日本庭園はメンテナンス中ー1/4 (2025/02/17 訪問)

 浜松城の日本庭園はメンテナンス中で大滝、中池、大池の水が抜かれて、水の無い池を偶然にも見る事が出来ました。
 今回の散策探訪は丁度2ヶ月振り、確定申告書を所轄の税務署に提出した帰りに寄りました、冬枯れの浜松城、日本庭園の梅の咲き具合は如何かなと期待を寄せながらの入園、おや⁉池の水が抜かれてる、池底の清掃もしたらしい、メンテナンスの案内告知板が有り作業中の様子、期待の梅は紅梅が1本満開、白梅は蕾状態、東門から入って池を廻り擬宝珠橋を渡り南門から出ましたが、南門のハート石の確認、日本庭園案内板の確認して終了。
 埋門辺りからの樹木伐採電動のこぎりの音が響きわたって庭師、専門業者の車が数台駐車居ている、天守閣、天守曲輪へ向かいます。
 

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藪であることは変わらねど (2025/02/11 訪問)

 城びと投稿の最新は2022年2月のイオさん。藪で気力を削がれたとのこと。現在も城域の藪状態は変わらねど、道表示が追加されたような。本丸に入る道も埋もれてないで、道らしく維持されてました。
 イオさんレポートに従い、入山公民館に駐車して、登城開始。南北に伸びる尾根の南端に本丸、北の高まりに城山があります。公民館から登るとすぐに三宝寺があり、この裏の平坦な道を城山に向かっていきます。冬枯れでも結構な草ぼうぼう。夏場は難渋かも。
 城山に取り付いてすぐに、大きくて四角の切り立った穴があり、なんだこれは?と思いましたが、解説にある、防空壕なんですかね。
 三宝寺裏から本丸に行く道沿いに平削地や石積が続くので、もう本丸かと思いましたが、後世のものなんですね。本丸では、キンヤさんレポートの石積を見られました。虎口のスロープ側面の石積に見入りました。
 亀山城、入山城、本之脇城と同じルートで城巡りしてた滋賀県大津市のご同好の士の投稿を楽しみにしています。

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赤い城

堀の水を抜いたら (2025/02/08 訪問)

炬口城の後白巣城を考えていましたが雪がちらついていたので山は自重、志知城に向かいました。
西淡三原インターから近く、スーパーマルナカの向かいに手作りの案内板があります。

主郭と副郭から成る城で周囲に水堀があります。
池の水全部抜く大作戦で取り上げられたことがあるようで、その際に発見された石垣の石が展示されていました。

主郭は竹藪ですが散策路が設けられ、中央には石積を伴う窪みがありました。
主郭の入口には石碑と説明板、また秀吉が腰掛けたと云われる太閤石も置いてありました。
一段低くなっている曲輪が二郭です。

野口氏の居城でしたが秀吉の淡路攻略で開城、黒田孝高が一時預かった後加藤嘉明が入城しました。
瀬戸内海へ出る淡路水軍の重要拠点でもありました。

【見どころ】
・水堀
・竹藪となっている主郭

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todo94

城山墓地 (2025/02/10 訪問)

三ツ山城からの転戦です。吉川弘文館の「九州の名城を歩く~宮崎鹿児島編」によると、城山墓地が主郭にあたるとのこと。他の郭は、城郭放浪記さんも断念されたように登城ルートが確保されていませんので私も踏み込むことはしませんでした。県道29号線沿いには大手門の説明板があり、そこから城内に踏み込めるかと少しは期待していたのですが、こちらも急峻な谷底に続く道はすぐに途切れてしまっていました。

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宗春

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその37 神崎城 (2025/02/16 訪問)

千葉の城を攻めて御城印を頂こうシリーズその37

妻のリクエストで茨城県の大杉神社に参詣した帰りに、近くの神崎(こうざき)城を攻めてきました。
神崎城は「西の城」「中の城」「東の城」の3つの城域からなっていて、全てを回ってきました。東の城に行こうとした際に道に迷って私有地に入ってしまい、住人のご婦人に声をかけられてしまいました。幸い親切な方で、東の城の事を調べて頂き、登城口(遊歩道の入口)を教えて頂きました。感謝。

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ほにゃにゃら

勝間田城址見学会・榛原高校書道部揮毫版御城印販売

2025年4月6日(城の日)
城郭研究者と一緒に森林ウォーキングしよう(13時~15時)
榛原高校書道部揮毫版御城印販売(1部300円1000枚限定)(9時~15時)
高校生による御城印日付入れ(9時~11時)
御城印交流ブース(9時~11時)
地場産品販売(9時~15時)

ぜひお城に遊びに来てね

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FOX

堀と伊木山、鵜沼 (2024/08/19 訪問)

堀を見た時に感激した。
伊木山城と鵜沼城も見えた。

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ぴーかる

根本城 (2024/12/28 訪問)

【根本城】
<駐車場他>登城口前に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り小里城攻め旅5城目。根本城は天文年間後期から天正年間初期にかけて若尾氏によって築城されたとされます。若尾氏は甲斐武田氏の一族で武田氏が東美濃侵攻によって前線拠点としたようです。
 登城口は<35.356469, 137.074913>で登城口にある現地案内板にはビニールシートが掛けられていました。私有地を抜けていくようで、南に大きく迂回してから登り始めます。途中にある旗揚げの松などは樹齢500年もなさそうなので、ご愛嬌でしょう。城跡は超小ぶりで、主郭と下段の腰曲輪、主郭背後の副郭の3つで構成されています。主郭背後の堀切は大きく尾根を彫り込んでいます。土橋も明瞭に残っていました。天候がいまいちでしたが、眺望もなかなかでした。

<満足度>◆◆◇

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