たかさきさんじょう

高崎山城

大分県大分市

別名 : 高崎城、詰城、竹崎城、高崎御要害
旧国名 : 豊後

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①	高崎山山頂(高崎山城本丸)
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トク

絶景を見たくて再び高崎山城へ (2025/11/10 訪問)

高崎山城は標高628mの高崎山の山頂にありました(写真①)。3年ぶり2度目の登城です。前回は公共交通機関で失敗しタクシーを使って後悔したので、今回は自分の車でギリギリ行けるところまで行く事にしました。

登城前にまた猿に慣れておこうと、まず麓(海岸の国道10号線沿い)にある「高崎山自然動物園」で、餌付けされた野生の猿を見る事にします。ちょうどB群584匹の群れが下りてきていました。前には水族館「うみたまご」もありますので、家族連れの方にはここは楽しめるのではないかと思います(写真⑧⑨⑩)。

東別府から急坂の県道を登りました。途中の銭瓶峠から登山ゲートまでは道がとても狭く、普通車ではタイヤがギリギリ、脱輪しないかとヒヤヒヤでした。よって運転に自信のない方は、銭瓶峠の駐車場(30台)に止めて、そこから歩かれた方がいいと思います。銭瓶峠からゲートまでは徒歩で20分、ゲートから山頂までさらに徒歩40分の登りです。

ゲートを自分で押して開くと7台ほどの駐車スペースと簡易トイレがありました。注意書きをよく読んで復習し(写真⑦)、さあここから登城開始です。でも結局今回も、山で猿には遭遇しませんでした(ガク!)。途中で3人の方とすれ違い挨拶しましたが、いずれもソロの女性でした。猿をも恐れず一人で登る姫たちには感心です。

登山道はセラピーロードとして整備されていたので登りやすかったです(写真⑤)。そして山頂からの景色は言葉にならないほど、まるで自分が鳥になって宙を舞っているような、そんな絶景です! 東は大分市から佐賀関と遠くは四国の佐田岬まで見え(写真②)、北には国東半島と日出・杵築(写真③)、西に由布・鶴見岳と別府市街が広がっていました(写真④)。

高崎山城は、大友氏が平地にある大友館の詰城として築いたものです。山頂には石垣や井戸、また登山道の途中には竪堀や堀切や大手門跡などが残っていました(写真⑥)。最後の城主で宗麟の子「大友義統」は島津家久に敗れ大友館を焼かれると、ここに逃げ込んだようです。

最近は日光などで、猿と人間のトラブルをよくニュースで聞きますが、高崎山の猿たちは、人間がちゃんと(写真⑦)のルールを守っていれば、その人間に襲いかかる事はありません。高崎山は日本で唯一の、人間と猿が共存できている場所なのかもしれませんね😊!
 

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dougen

2017.11.26登城 (2017/11/26 訪問)

別府湾を見下ろせるところに高崎山があり、高崎山城址となります。
今回は家族旅行で来ていたため、登城ではなく、中腹にある高崎山動物園の猿を見に行きました。
山頂付近に遺構が残っている様ですので、次回、機会があれば、登城してみたいところです。

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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第11回)高崎山城② (2022/09/24 訪問)


(高崎山城①からの続きです)

銭瓶峠でタクシーを降り、そこから登山口まで20分、登山口から山頂まではさらに40分でした。

まず登山口で注意事項をよく読みます(写真①②フムフム)。ここを訪れる時は、食べ物を食べながら歩いたりしないでください。ポケットに食べ物とか頂上でお弁当なども厳禁です(注意書きをよく守りましょう!)。というのもこの山は野生の猿の宝庫だからです。食べ物を持っているといつどこから猿に襲われるかわかりませんよ! 幸い今回私は襲われずに済みました(笑)。

登山道はセラピーロードとして整備されており、木々に囲まれ小鳥のさえずりを聞きながら、落ち葉を踏みしめていく道は、確かに何か癒されている気持ちがして、とても楽しかったです(写真③)。途中、高崎山城の縄張りや竪堀跡やイメージ図などの説明板が登山道の随所にあり、かつての城の様子を想像しながら登る事ができました(写真④⑤⑥など)。登り石垣や畝状竪堀や横堀もあったようですが(説明板より)、木々におおわれどこに何があるのかよくわからず、へたに登山道から脇に行くと急斜面や落ち葉で滑って危険なので探すのを断念しました(写真とれずにすいません)。

しかし山頂(本丸)に着くと、そこから見る別府湾や由布鶴見の山々、国東半島と別府市街や大分市街など、360°眼下に見下ろす雄大な眺めは超絶景でした(杵築城や日出城、鶴賀城や大友館・府内城もかすかに見えました)。そして最初から最後まで誰にも会わず(猿にも会わず)、山と絶景を独り占めできたので、とても気持ちがよかったです(写真⑦⑧⑨)。

山を下りて今夜の宿は別府の湯。温泉で疲れた体を癒し、ホテルのベランダからビールを飲みながら今日登った高崎山を眺めて見ました(写真⑩)結構高い! よくぞ登ったと自分に乾杯!

高崎山城から脱出した大友義統ですが、島津家久は深追いせず義統の追撃をあきらめます。そしていよいよ残るはあと一つ、家久は大友宗麟が立て籠もる臼杵城を目指しました。

しかしその前に、家久の別働隊がその間に攻めた鶴崎城にておもしろい事件があったと大友館で聞いたので、私は臼杵に行く途中にある鶴崎に寄り道してから行く事にします。

では、次は「鶴崎城」を目指します。
 

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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第10回)高崎山城① (2022/09/24 訪問)

「大友館」からの続きです。

高崎山城は、古くは大友家2代目「大友義詮」により大友館の詰城として高崎山の山頂(標高628mの地)に築かれました。南北朝時代には菊池氏との合戦の舞台となったようです。

戸次川の合戦に敗れ大友館をも追われた宗麟の子「大友義統」は、いったんこの高崎山城へ逃げ込みます。そして、島津勢に囲まれますが、隙を見てさらに北の豊前院内の龍王城へ逃げました。豊前には、毛利輝元・黒田官兵衛を主力とする豊臣軍が南下中との知らせを受け、そこに助けを求めに行ったようです。

私は、高崎山城に登城しようと大分駅からバスに乗り「高崎山(うみたまご前)」のバス停で降りました。しかし垂直のように反り立った山頂を下から見上げて(写真①)、この崖のような急角度の斜面をいったいどこから登るのだろうか?(登れるかな?)と思いつつ案内所の人に聞いてみると、こちら側からは登れません。山の反対側の銭瓶峠(ぜにがめとうげ)に登山口があるので、そこから登って下さいとの事(ガ~ン! 山の反対側ですか?)。そしてそこまではバスはないとの事(さらにショック!! 私は泣く泣くタクシーを利用する事にしました。思わぬ出費 片道3,500円×2 )。

でもせっかくここまで来たので、その前に猿と仲良くなり慣れてから行く事にしました(写真②)。ここは野生の猿が自然と集まる「高崎山自然動物園」と水族館「うみたまご」があります。すごい猿の群れを間近で見る事ができました。私の股の下を平気で行ったり来たりする奴もいました(本当におまえは野生なのか? それとも私はなめられているのだろうか? でも食べ物を見ると人格(ではなく猿格)が変わるので要注意だそうです)。ボス猿は確かに恐いですが、子猿はとても可愛いですね!(写真③-⑦:よし!これで大丈夫!)

次は、銭瓶峠の登山口から高崎山城(山頂)を目指します。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 阿南推家
築城年 建久2年(1191)
主な改修者 大友氏時
主な城主 阿南氏、大友氏
廃城年 文禄2年(1593)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、竪堀
再建造物 説明板
住所 大分県大分市大字神崎
問い合わせ先 大分市商工農政部観光課
問い合わせ先電話番号 097-537-7043