大河が終わる前にということで、加賀前田家に次ぐ島津家77万石の居城ですが、周知のとおり、お城としては極めて質素です。日本最南端という地勢や外城制を重視したという島津氏の特徴もあり本城を要塞化する必要性がなかったらしいです。本丸、二の丸が連郭式に並ぶ非常に単純な縄張で、跡地はそれぞれ黎明館(県立歴史資料センター)、県立図書館が建ち遺構らしいものはありません。現在は御楼門が復元中ということで期待です。また近隣には西南戦争関係で私学校跡、また裏手の「城山」が西郷隆盛終焉の地として岩崎谷、西郷洞窟などの史跡があります。他にも幕末、維新関係の史跡は豊富で、特に加治屋町周辺は、かの歴史小説家の司馬遼太郎さんが「明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなもの」との評があるとおり、西郷、大久保、大山、東郷など薩摩出身の政治家、軍人の生誕地が密集しており、歴史の舞台にいることを体感できます。
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