市街地の住宅に囲まれた中に花崎城山公園として遺構が残ります。公園名は城山ですが平城です。堀は水堀と空堀が混在しますが関東の中世城郭に水堀を用いている所はあまりないので当時は全て空堀だったのでしょうか。空堀の部分は堀底も浅く埋没していると思われます。公園として整備されているので全体の遺構は確認し易いです。
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2019/02/04 21:50
2019/02/04 21:22
水攻めで有名な城 (2019/02/02 訪問)
秀吉の水攻めといえばこの城です。でも城址にはあまり遺構はのこっておらず残念。周辺には築堤の跡や清水宗治公自刃の地などがあります。少し山を登りますが石井山の秀吉本陣跡や太閤岩も訪れてみてはどうでしょう。城址の資料館には水害であのあたりが浸水した時の写真があり、水攻めがで実際どのようになるかがよくわかります。
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2019/02/04 20:43
せめて中には入りたかった・・・ (2015/03/20 訪問)
千早城と高取城を見る為に車で東京から遠征してきた時、1日目最後に立ち寄ったのが水口城。
到着した時は既に18時に近かった為、もちろん門は閉じておりましたorz
実はこの前にすぐ近くにある水口岡山城を先に見学しようとしていたのですが、車を停める場所が見つけられず、暗くなる前に水口城に移動してきたんです。
そのロスタイムで日没を迎えてしまい、見学出来たのは正味15分程度orz
写真ではまだ明るそうにみえますが、ここから日の落ちるの早い事w
なんとか虎口門とそこにかかる橋、外周の水堀と石垣だけはきっちり見学できました。
水口城のサイズは城主だった長束正家と同じく、そんなに大きくは無かった(少なくとものぼうの城で演じられた長束正家は小さい人物だったw)ので、手軽に見学できると思います。
外観だけでも無理やり立ち寄っただけの価値もありましたので。
4月以降にこちらの方面に行く予定があるので、うまくいけば水口城と水口岡山城のリベンジに向かいたいですなぁ(願)
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2019/02/04 20:20
2019/02/04 20:19
いやでござんす(1853)ペリーさん。 (2019/02/03 訪問)
ペリーさんが浦賀に現れたのが1853年。
黒船が江戸に近づく事を恐れて11基の台場を設置しようとしました。
翌年5基、完成したそうです。
は、早い!
幕府も慌てたんでしょうね。残りは資金不足で完成しなかったり、着工しなかったそうです。
台場公園になっている「第三台場」に行きました。
火薬庫やかまどの跡がリアルに残っています。
この火薬庫等が台場の回りを土塁(と言う表現かは??)で囲み低い場所にあります。
船のペリーさんからは台場の内部は分からないでしょうね。
入口に案内板があり、よく見てから下ると良いと思います。
この日、東京は暖かったです。
たくさんの方がノンビリしました。
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2019/02/04 10:45
木造復元された三重櫓と石垣は圧巻 (2019/02/02 訪問)
東北の玄関口・白河にあるお城。丹羽長重が現在の形に整備し、歴代藩主には寛政の改革で有名な松平定信などがいます。
当時の建物はすべて戊辰戦争(白河口の戦い)で焼失してしまいましたが、平成になって日本ではじめての天守相当建築物の木造復元がされました。また、東日本大震災では石垣が崩落しましたが修理が進み、今は震災前に近い形で見学が可能です。
戊辰戦争、木造復元、震災からの復興など色々な側面から見ることができるお城で特に好きなお城の一つです。
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2019/02/04 08:10
広大な平山城 (2019/02/02 訪問)
埼玉県比企郡嵐山町の杉山城跡❗️平山城です。
先日の忍城について、続100名城のガイドブックを見てましたら、次のページに有りました。
山城好きなので、攻城しました。
この城跡、土塁、空堀が好きな人にはたまらない城ですね😀
城主は山内上杉氏で扇谷上杉氏に対抗して築城したとの事。国指定の史跡です。
そして、この比企郡には多くの城跡が有り、これから攻め方を考えなくてはと思うと、うれしい悲鳴ですかね(笑)
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2019/02/04 06:21
山城サミット加盟 (2019/01/20 訪問)
新規の山城サミット加盟城郭を攻略するのは何年ぶりになるでしょうか。麓の成田山不動尊から尾根伝いに曲輪が連なっていますが、途中、大きくえぐり取られてしまっている部分があります。森将軍塚古墳の整備に際しての破壊だったようです。土取された部分の先にも曲輪が連なり、堀切から竪堀が尾根の両側に落ち込んでいるという典型的な戦国山城の佇まい。城主の屋代氏は荒砥城に移っていき後世の改変を受けていない貴重な山城遺構であるとのこと。主郭には土留めの石積みも見られます。
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2019/02/04 02:25
水堀 (2018/08/21 訪問)
周囲を囲む水堀と櫓門、土塀が良い雰囲気を醸していると思います(^^)
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2019/02/04 02:14
街中の城跡 (2018/01/05 訪問)
交野郵便局周辺の南から東側にかけて遺構が点在しています。開発されず残っているのが奇跡的(^^)
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2019/02/04 00:03
武士の内職 (2019/01/22 訪問)
房総丘陵の標高145m 尾根上に構築された本丸と西方に約150m離れた二の丸を中心に四方に広がった尾根に設けられた空堀と主な郭によって構成されている連郭式山城です。別名:雨城。
戦国時代から続いたこの城も1679年に土屋氏が改易後に廃城になります。1742年に上州沼田から3万石で譜代の黒田氏が移封され、幕府から5千両を拝領し、3年の歳月をかけ修復、再建しました。現在の遺構のほとんどがこの時の普請のものだそうです。
駐車場から、二の丸跡の資料館や本丸跡の模擬天守に向かう途中に自由に借りれる、野趣あふれる天然木の登城用の杖が非常に役立ちます。こういった心遣いが嬉しいです。
この久留里の地は、付近の山に自生する黒文字の木を材料に江戸時代から、藩士たちの内職として爪楊枝が作られていたそうです。廃藩後も俸禄を失った士族が収入を得る為に製造が続けられ、明治末期から大正期に細工楊枝とした工芸品的要素が強まり、一躍有名になります。
現在、雨城楊枝として千葉県伝統工芸品に指定されています。久留里にお越しの際には、登城の記念にお土産に如何ですか!
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2019/02/04 00:02
建設中 (2019/01/19 訪問)
ガイド館建設中でした。
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2019/02/03 21:55
古戦場 (2019/01/20 訪問)
「戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北条早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。合戦は上杉方の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり北条氏による関東支配が始まった。」
以上、現地説明板丸写しです。
上田蔵人の寝返り籠城に対し、反目しあっていた山内・扇谷上杉が結託して向かってきたため、早雲が権現山城に援軍を出すも敗れてしまったとのことです。
遺構は…この小山全体です。今は線路で分断されていますが、当時は青木城と尾根続きだったようです。
その後の上田蔵人ですが、戦死したかもしれないし、逃げのびたかもしれないということです。
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2019/02/03 21:52
津城公園 (2019/01/26 訪問)
藤堂高虎の城。
最寄駅から徒歩10分程度、国道23号の少し北側にある。
周りには内堀。
東側の堀は比較的広く見えたが、これでもかなり埋め立てているよう。
堀が全て残っていれば藤堂高虎らしい曲輪を満喫できそうではあるが、さすがに都市開発には邪魔になったようで。
東側には櫓が…しかしながら見るからにコンクリート模擬櫓。
位置も元々東鉄門があった場所のようで。
場所の選定は国道23号から見やすい位置ということらしい。
しかしながら下の石垣は立派だった。算木積みの横幅がすごい。
丑寅櫓があった側の石垣はさすがに立派。藤堂高虎を味わえる。
一方で天守台の石垣は見るからに古い。味のある石垣であった。
一部江戸の修復を感じさせる部分もあったがどうなのだろうか。
個人的に残念だったところは東・西鉄門の桝形が取り払われてるところと堀の大部分が埋まっているところかな。
あと石垣に囲まれており、市民に愛されている公園になっているが、文化財保護的観点で見ればあまり良い状態ではない気がした。
それでも良いものはたくさん残ってるし、ガイドの方もいて、城を大切にしようという気持ちは伝わってきたので、このまま良い状態を保ってほしい。
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2019/02/03 21:21
2019/02/03 20:51
摂丹街道の要衝 (2019/02/03 訪問)
摂丹街道を北上し能勢町で田にベロのように突き出している山が丸山城だ。
古くは源頼光の子頼国がこの地に城を築き能勢氏を名乗ったのが始まりとか。
コンパクトな土地に色々な遺構があり、天王丸方向から見上げても竪堀がよく分かる。
比高は約50mらしいが、また晴れの日に登ってみたいf(^_^;)
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2019/02/03 20:07
志村後ろ! (2014/04/11 訪問)
お城巡りを始めて半年くらい、丁度本格的に巡り始めた頃に訪問。
当時やっと堀とか土塁とか、ちょっとした遺構の区別が付いてきた時期だったので、今思うとどうか?と思う場所もありますがw
一応熊野神社の鳥居から本殿に向かって左にあった林道が、凄く浅くなって区別つかないくらいになっていた堀底道だったのは間違いないかと。
あと同じく堀底道に沿った場所にあった土盛が土塁かどうか。。。ってところでしょうか、志村城の遺構としては。
北にある志村城址公園も怪しいんですが・・・コチラには遺構は見られなかったです。
雰囲気はそれっぽかったんですけど。
最初城碑と解説を完全に見逃していて、鳥居から外に出て帰ろうとしてました。
恐らく熊野神社の神様に「志村後ろ!」って言われて気付いたに違いないwww
駅(都営三田線・志村三丁目)から近いので、お城の規模も考えて、電東京都心の遺構の無いに等しいお城巡りの際にでも電車で訪れるのが宜しいかと。
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2019/02/03 20:05
【冬とお城】長岡城の散策ポイントは3ヶ所。時間があれば河合継之助記念館も…。 (2019/02/02 訪問)
JR長岡駅が長岡城本丸の位置した場所です。本丸跡碑があります。そして,アオーレ長岡が二の丸の位置した場所です。二の丸跡碑と長岡城址碑があります。そして,JR長岡駅建設工事中に発掘された長岡城の礎石が,悠久山公園内にあるモギテン(郷土資料館)に転用されています。雪が深くて礎石転用部分には近づけませんでしたが,モギテン全景画像は撮影しました。
なお,時間があれば河合継之助記念館に行くのもワクワクすると思います。長岡藩旗やガトリング砲の複製が展示されてます。
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2019/02/03 19:22
長命寺 (2019/02/03 訪問)
ときわ台駅もしくは中板橋駅から徒歩で10分。
長命寺周辺にあったと推定されています。
豊島氏の分家である板橋氏の居館とされます。
遺構はありません。
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