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織田晃司

夜の勝竜寺城 (2017/11/04 訪問)

細川忠興とガラシャ(玉)所縁の城。

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織田晃司

暮れなずむ水口城 (2017/11/04 訪問)

現在は僅かな敷地になってますが、築城当時はかなり大きな城だったという。

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〇〇落し (2013/12/07 訪問)

 JR菊川駅よりバスに乗り、横地小学校前にて降車、徒歩にて横地城跡へ向かいました。入口が少しわかりにくかったが、帰りに見ると大きな看板がありました。三光寺跡から藤丸館跡、斯波武衛館跡を抜けて横地城跡へ。茶畑があり、道は舗装されていて歩きやすい山城址です。最初に詰城跡へ行き、引き返して千畳敷へ向かいました。途中、この城の名物〇〇落しの谷を見る。〇〇とは本当の名、金と玉を入力しようとしたら不適切用語となり出来なかったため〇〇と入れました。本丸近くには井戸跡もあり、各曲輪、堀切などは比較的残っています。公園として整備され歩くのには全く苦労しません。

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織田晃司

二段構えの土塁? (2017/11/04 訪問)

甲賀地方独特の造りで、土塁の高さに目を引かれる。

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織田晃司

土塁 (2017/11/04 訪問)

かなりの高さの土塁に圧倒されます。

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織田晃司

石垣と櫓 (2017/11/04 訪問)

櫓は下板張りから白漆喰に復原(元に戻す)したそうです。

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焼き蛤 (2013/05/24 訪問)

 揖斐川の河岸にある城ですが、今は九華公園となっています。

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織田晃司

模擬三重櫓 (2017/11/04 訪問)

藤堂高虎の石垣の特徴である反りのない直線的な高石垣が見所です。

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織田晃司

蒲生氏郷の城 (2017/11/04 訪問)

きたい丸の石垣。
見事な石垣の城です。

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九鬼嘉隆の城 (2015/08/29 訪問)

 水軍で有名な九鬼嘉隆の城です。

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todo94

続日本100名城 (2014/12/20 訪問)

模擬天守が売りに出されるほど人気のない城。軍師官兵衛の舞台となり、続日本100名城に選定されたことで少しは持ち直したのであろうか。黒田官兵衛資料館を楽しみに来てみたのだが、内容は今ひとつであった。資料館は入場無料なので文句は言えないけど。中津城内で殺害された宇都宮鎮房を祀る城井神社を確認できたのは収穫であった。黒田時代の石垣の方に回ってみると黒田二十四騎の名前がずらりと並べられていた。

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todo94

亀山公園 (2014/12/20 訪問)

亀山公園として整備されている。めぼしい遺構は大手門桝形石垣くらいで主郭には日隈神社が鎮座しているが、それなりに城の雰囲気は楽しめる。

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todo94

月隈公園 (2014/12/20 訪問)

別名・月隈城。天守台のように聳える石垣をめがけて石段を登っていくと、後背の石垣が現われる。静岡県掛川市の横須賀城ほど派手ではないが、この城の石垣にも川原の丸石がたくさん使われていることが特徴となっている。江戸時代には天領となる日田代官所(日田陣屋)の遺構はなく、永山布政所跡の標柱が建っているのみ。

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todo94

黒田六端城 (2014/12/20 訪問)

最南端に位置する黒田六端城。他の六端城が細川領の豊前との境に築かれているのに対し、麻底良城は唯一、豊後との境に築かれた城である。城主は大河ドラマ・軍師官兵衛で濱田岳が演じていて存在感があった栗山善助利安。善助が建立した円清寺に栗山善助利安の墓がある。

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織田晃司

七段壁 (2017/11/04 訪問)

海から見ると高石垣に見える

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にのまる

天守台発掘現場見学会 (2018/02/24 訪問)

現場を見学しながら調査員さんのお話が聞けるとのことで、行ってきました。
さすが大御所。スケールが違います。西にはまだ豊臣がいたし、江戸城よりもデカイのが欲しかった。そして実はまだまだ戦う気もあった。
今川館の遺構はこのたびの発掘では出ていないそうですがまだ期待してもいいかも⁉︎

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岐阜駅(JR)からぶらぶらと (2016/07/16 訪問)

JR岐阜駅から徒歩に登城しました。本丸の石垣はそれなりには残っていて公園となっています。県庁所在地の平城の悲哀を感じます。

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加藤貞泰の城 (2016/07/16 訪問)

 岐阜駅からバスで行きました。加藤貞泰によって築かれたが、すぐに転封となり短い間しか使われなかったらしい。本丸土塁と周囲の堀の一部しか遺構はありません。

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堀底道をぶらぶら (2017/04/22 訪問)

 JR石岡駅から水戸行バスに乗り新小幡で降りました。そここら歩いて15分くらいで城址に到着します。堀底道を歩いて散策しますが、空堀の深いことに感動しました。多くの方が高い評価をしていることは納得できます。

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神皇正統記 (2018/02/17 訪問)

 つくバスを利用して登城しました。
中世の城であるにもかかわらず平城なのは興味深い所です。
北畠親房が「神皇正統記」と執筆したことで知られている城。平城ですが、最終的には、堀は3重~5重の堀、堀の幅は30~50m程度もあり、場所によっては、畝堀や障子堀もあったと考えられています。「総構え」の城であったらしい。小田城は、霞ヶ浦に注がれている桜川の水を堀に利用していたと考えられ、霞ヶ浦へ出る水運も機能していたようだと記載されていました。

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