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ブラタヌシ

真田ゆかりの城 (2018/09/17 訪問)

軽いトレッキングのつもりで出かけましたが、本丸から山頂を目指すも、かなりの登山となりました。

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チャンミー

台風21号の影響で… (2018/09/16 訪問)

残念ながらロープが張ってあり入れず。入れるようになったらまた来ます。上の方は大丈夫かな?

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小城小次郎

掛川城

全国でも数少ない御殿建築に、平成再建の木造天守が色を添える。小藩ながら井伊、北条、太田等戦国の有名どころが代々藩主を務めたことはあまり知られていない事実かも。

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とふん

早良の風雲児、鍛冶屋甚五兵衛の居城 (2018/08/30 訪問)

 福岡から三瀬方面に向かう途中、曲淵ダムのすぐ脇にあるこんもりとした小山にある城跡です。
10世紀初めに建立された山神社がダム建設で水没するのでこの地に移設されたとのこと。
そして、この山神社の境内が曲淵城の本丸跡のようです。
 城主・曲淵氏は元は一介の鍬作り・鍛冶屋甚五兵衛で、戦国の風雲に乗じこの城を建て、城主となり、早良11カ所を領し、武威を示したとのことです。
 ちなみに鳥居の扁額「山神社」の文字は『落日燃ゆ』で有名な広田弘毅氏によるものです。

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にのまる

御館の乱 (2018/09/15 訪問)

ホントはこんなもんじゃない広さのはずですが、現在は隅っこに石碑や解説板があるだけの小さな公園でした。
石碑の前で、景勝のお姉さんが景虎の妻で、景虎の妹は勝頼くんの妻で、勝頼くんの妹は景勝の妻になって…というめんどくさい婚姻関係を頭に描きながら、景虎をポイしなかったら北条に攻められることもなかったかもしれないけどそんなの時間の問題かもしれないし…とどっぷり勝頼くんワールドに浸っていたら、後ろに人の気配。慌てて立ち退きました。遊んでいる子供はいなかったけれど、別の目的で来る大人がいる公園でした。

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オダリン

軍師 官兵衛 (2014/03/11 訪問)

大河ドラマの放送の年に行ったのは初めてで姫路地区は結構人が多かった。姫路市役所東支所が城跡で支所の建物が城らしい建物だった。石橋の天川橋のしたに濠跡が残っている。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー80城目 (2018/09/17 訪問)

3連休の締めは佐賀城。かなり立派な鍋島直正の銅像ができていた。佐賀城本丸歴史館の展示も鍋島直正の先進性をクローズアップしている。三重津海軍所が世界遺産になったのは大きいと思う。現在、肥前さが幕末維新博覧会を開催中。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー79城目 (2018/09/17 訪問)

3連休の最終日、朝駆けで攻めてきました。東出丸、三ノ丸、本丸だけでなく、山里口にも回ったし、水手曲輪から遊撃丸、二ノ丸、弾正丸にもしっかり脚を伸ばしました。無料の名護屋城博物館ですが、志として500円を払い陣跡めぐりマップを頂きました。いつか、じっくりと陣跡を回ってみたいと思います。

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ヒロケン

縞栗鼠発見! (2016/09/16 訪問)

桐原城は信濃守護小笠原氏の家臣桐原氏の主城であった。桐原氏は小笠原氏の庶流犬甘氏から一族。武田晴信の攻撃により小笠原氏の林城と共に落城した。

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カルビン

長い道のりを経て (2015/03/20 訪問)

登城口となる日吉神社の階段脇を抜けて広場を過ぎ、横山ハイキング道に出たところからがお城への道のスタートとなります。
ここから1kmの強弱のある登り坂を進む・・・

心が折れそうになる単調な道を進むと、残り100m手前あたりでようやく解説付きの遺構がちらほら出てきます。

本丸は木々が無くなって周囲が見渡せる絶景になっていて、そこに標柱・解説版があります。

ざっとの見学でしたが、駐車場のある石田三成一族墓・陣屋辺りから往復で90分くらい掛かりました。

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ヒロケン

朝鮮出兵の本拠地 (2018/04/30 訪問)

太閤豊臣秀吉が文録の役を始める前に築かせた城郭です。現在、国の特別史跡に指定されており、日本100名城にも指定されています。

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カルビン

探してみるもんです (2015/11/27 訪問)

福知山城を見学した後、次の日にそなえてここで1泊する計画でした。
思っていたより他の史跡見学が早く終わった為、中途半端に時間が余った為に駅前の地図を物色してたら猪崎城というお城があったので向かう事に。

駅から徒歩で30分程かけて到着した
 猪崎城、意外と素晴らしかった(^∀^)b
続100名城の杉山城をコンパクトにした代わりに高低差が付いたような感じでした。

残念だったのは日没間際だった事と、この日の行軍でデジカメのバッテリーがギリギリだった事。
もう少し時間あればもっとゆっくり見学出来たんですが。。。ちょっと残念。


次の日始発で兵庫県に向かったのですが。。。この時期で早くも刺すような寒さでした(痛)

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チェブ

あかべこ君、聞いてくれっ! (2015/05/04 訪問)

三連休、初めてのスマホの機種変。まとめてあった写真がバラバラに!資料と照らし合わせていると、奥羽越列藩同盟の日、と会津若松城の100名城スタンプのノートに走り書き。
私が訪ねた5月は会津をみんなで助けようと一丸になった頃だったんだなと思い出しました。
ライトアップも、もちろんですが月がキレイでお城に籠城していた、みなさんはこんなふうに眺めていたんだろうなと悲しくなりました。
「こりゃ大変だ!」と新しい携帯と戦っている ボヤキをあかべこ君は黙って聞いてくれてます。

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ぽんたっく土佐守

久しぶりの天守 (2018/09/17 訪問)

この日はお町(高知の人は、高知市中心部のことを「お町」と言います)で飲み会。
開始まで少し時間があったので
高知城に登ってきました。
最近、山城ばかり巡っていたので
久しぶりに見る天守にテンションが上がりました。
他の天守にはない南国土佐らしさが随所に見られます。
どこかへ行く途中に立ち寄ることが困難な高知県ですが、
わざわざ来る価値のあるところです。
みなさんもぜひ一度と言わず、二度・三度と
お越しください。
これからの季節は脂ののった「戻り鰹のたたき」が絶品ですよ♪
次の三連休は安来におじゃまします。

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mrkm144

佐倉市志津城跡 (2014/02/05 訪問)

解明されていないかもね
未知の城跡歩きました

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三河のかづ

細川城山城跡 (2018/09/17 訪問)

岡崎方面より国道248号線細川の信号を右折10分弱で到着します。山の上部は農地となっています。

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にのまる

天下普請、輪郭式の平城 (2018/09/15 訪問)

東洋一といわれている堀一面の蓮。さすがにほぼ蜂の巣状態でしたが、一輪だけ、きれいな花を咲かせてくれていました。
土塁の上の三重櫓は築25年でまだピカピカです。
スタンプは7月から上越市歴史博物館(高田公園内)と三重櫓管理棟受付(櫓の入場券を売っているところ)になりました。
歴史博物館はオープンしたばかりで、きれいで気持ちよかったです。榊原康政展をやっていました。

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dougen

2010.9.4登城 (2010/09/04 訪問)

JR水戸線笠間駅から、レンタサイクルを借りて15分ほどの佐白山山麓公園(笠間藩主下屋敷跡)に自転車を置き、そこから佐白山登山道(登城道)で笠間城址へ。

登山道は、かなり大きな堀切の様な道で、登城道だった名残を実感できます。
こちらの登城道は裏口だった様で、登りきるとちょうど、本丸の宍ヶ崎櫓付近となります。
門の跡もあるのですが、案内板にある絵図に書かれているものの名称が無く、ちょっと残念です。

本丸は高い土塁があり、宍ヶ崎櫓と八幡台櫓二つの櫓があったとのこと。
八幡台櫓は、なんと城下の真浄寺に移築現存しており、立派な二重櫓が現在でも見ることができ必見です。

本丸の奥が天守曲輪となり、関東では数少ない石段、石垣のある城址となっています。
山城のため、かなり良好な状態で石垣や土塁が残っているので、往時の姿の建築物の復元をして欲しい
と思える城址でした。

麓にある佐白山山麓公園が笠間藩主下屋敷跡となります。
屋敷跡と言っても、建物が残っている訳では無く、石碑と屋敷のあった曲輪が残っている程度です。
かなり広い敷地のため、旧笠間市立美術館の建物や時鐘楼が建っていたりもします。
また、赤穂浪士の主家である浅野家が江戸初期に笠間藩主であり大石内蔵助の先祖も笠間に住んでいた
ことから、下屋敷近くに大石邸跡が残っています。
なお、山麓公園に大石内蔵助の像があるのですが、こちらは無理矢理感があります。

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dougen

2010.6.13登城 (2010/06/13 訪問)

JR常磐線土浦駅から徒歩15分程度のところにある亀城公園が土浦城址になります。
駅から真っ直ぐ進めば良いので、迷うことは無いでしょう。

土浦城は、水濠あり、現存の門があり、復元された櫓がありと見所はたくさんありました。
同じ茨城県で100名城に認定されている水戸城より個人的には、土浦城の方が楽しめました。(汗)

往時の土浦城下は、霞ヶ浦から引いた水濠に囲まれた城だった様ですが、都市化の波にのまれて、
埋められてしまった様で、非常に残念。

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dougen

2018.9.16登城 (2018/09/16 訪問)

土浦城の北東、徒歩で20分ぐらいの常磐線の線路沿いに木田余城址があります。
線路の西側に城主の墓があり、線路の東側に解説板があります。
遺構は特にありませんが、周辺が蓮根畑になっていることから、忍城や備中高松城の様に沼地に囲まれた平城だったことが想像できます。
また、解説板に記載されているとおり、地下道を通るとJRの敷地ですが、立入禁止エリアの外から城址の石碑を見学することができます。(※)

※帰宅してから気づきましたが、地下道を通る自体が立入禁止であるとJRに確認したサイトがありました。解説板を設置した教育委員会と調整ができていない(?)のかもしれません。であれば城址の石碑の設置場所を変えることを検討して欲しいところです。

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