岐阜県中津川市の苗木城です。恵那峡の木曽川右岸の標高432mの城山にある苗木城は、岩村城の遠山氏の同族、遠山景村が1334年頃築いたとされます。戦国時代、東美濃は武田氏と織田氏の境目にあり武田信玄が中信濃を勢力下に置くと武田氏に従い、織田信長が美濃を攻略すると織田氏に従っています。1574年武田勝頼が東美濃に侵攻、岩村城周辺の苗木城・明智城などを攻略。しかし、1575年長篠の戦で武田氏が大敗すると織田氏は東美濃攻略に動き岩村城は落城、苗木城も支配下に置かれます。1582年本能寺の変で信長が亡くなると、各地の豪族が蜂起するなど混乱状態となり、越後攻めを行っていた信長家臣森長可が旧領美濃へ撤退し東美濃を押さえるべく攻撃を開始。苗木城も落城し城主遠山友政は徳川家康を頼って落ち延びたとされます。その後、森氏は信濃へ転封となり、苗木城は豊臣秀吉の家臣川尻直次に与えられます。しかし直次が1600年関ヶ原の戦いで西軍方になると、家康の元に居た遠山友政が城を奪還、苗木城は再び友政に与えられ苗木藩1万5百石として明治維新まで続いています。明治維新により城の建物はすべて破却されましたが石垣だけが山中に残り往時を偲ばせます。城は本丸、二の丸、三の丸が石垣造りで自然の巨石が利用され、山にそびえる絶景は天空の城と呼ばれています。三の丸風吹門跡の手前に無料パンフレット箱がありますので、訪れた方は利用ください。また、城跡の麓には苗木遠山資料館があります。
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