山梨県甲府市の百名城の一つ躑躅ケ埼館です。1519年甲斐を統一した武田信虎(信玄の父)が館を建て、1年後、背後の石水寺丸山に詰めの城要害山城を築城しています。1521年駿河の今川氏が甲斐に侵攻。信虎は臨月の妻を要害山城に避難させ、そこで信玄が生まれています。武田軍は世継ぎ誕生に決起し今川軍を打ち破ったとされます。以来、武田氏は滅亡まで外敵を一歩も甲斐に入れず、躑躅ケ埼館は、信虎・信玄・勝頼三代の居館となっています。館は一辺約200mの方形の主郭を中心に土塁と堀で囲み、その周りにいくつかの副郭が造られた平城です。館の周りには家臣の屋敷が建てられ格子状に整備された城下町があったとされ、正面には裏切りにより武田氏滅亡を早めたとされる御親類衆筆頭と言われた穴山信君の屋敷跡があります。現在、館跡は武田神社となり地元の人々の信仰の場となっています。
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