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くろもり

不思議な景観 (2013/12/29 訪問)

北の二ノ丸跡に大型複合商業施設のリバーウォーク北九州が建っている関係で、南側から天守を見ると赤い大きな建物や高いビルが後ろに見えて、何とも不思議な景観になります。

天守と周囲の景色の異質さは、築城主の細川忠興のイメージに合ってる様な気がしますが、城址を散策してみると、茶筅塚(ちゃせんづか)や筆塚や花塚等、細川氏の後に小倉城主となった小笠原氏由来の塚があり、小笠原氏の文化的な面を感じることができました。

土塁が好きな方には、小倉城の西側にある思栄中学校の西側に三ノ丸の土塁が残っていますが、高さは2mあるかないかくらいでした。

小倉城の北東の紫川に常盤橋が木で復元されていますが、往時より川幅が広げられているので、往時の姿と同じというわけにはいかないようです。常盤橋の詳細な説明を読むと、九州の各街道がこの橋に連なっていたので、九州における日本橋のような所だったとのことでした。また、伊能忠敬先生が九州の測量をこの常盤橋から開始したそうで、測量記念碑もありました。九州測定開始の時、伊能先生は御年64歳だったそうです。

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スミヤキ

過ぎたるものは二つあり… (2019/01/17 訪問)

 「過ぎたるもの」で有名なのは、徳川家康さんの「唐の頭に本多平八」と 石田三成さんの「島の左近と佐和山の城」でしょうか。
 茨城県の城下町土浦にも「土浦に過ぎたるものは二つあり、刻(とき)の太鼓に關(せき)の鉄砲」という里謡があったようです。
 関の鉄砲とは、藩士関家の関流砲術の事でもともとの久留里藩土屋宗家が改易後、分家の土浦藩土屋家に移り、明治維新そして今日までしっかり継承されています。土浦城に隣接されている土浦市立博物館に鉄砲が展示され、映像で見ることも出来ます。公開演武も在るようです。
 刻の太鼓とは、城内の櫓門の楼上で明六つ(午前6時)と暮六つ(午後6時)に太鼓を打って、城下に時刻を知らせていたと言われています。1656年に改築された櫓門(太鼓櫓)と1770年に制作された太鼓が揃って現存しています。その太鼓は、1998年に復元された東櫓で見ることが可能です。毎年、時の記念日に復活しているそうです。朝の目覚ましがわりに太鼓の音色、いかがですか!

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課長

高石垣 (2018/06/02 訪問)

伊賀上野城の代名詞だが撮影スポットが限られるのが惜しい!

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こるまろ

尼子十旗 白鹿城 (2019/01/24 訪問)

ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42443217/

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カルビン

入れませんでしたorz (2019/01/20 訪問)

名鉄線明智駅で2城見学して時間切れと思っていたら、もう1ヶ所訪問できる時間があったので、犬山に寄るかこの先に行くか・・・
電車が来る方にしようと思ったら先に進む御嵩行の電車が来たので、1つ先・隣の顔戸(ごうど)駅にある顔戸城に行ってみました。

解説石碑があるくらいとは聞いていたので、そんなに期待していなかったのですが・・・


駅から10分もしないで到着した顔戸城、実は居館タイプで外周を意外と深い堀で囲まれたお城でした。

残念ながら中心及び堀に面した場所の大部分が私有地だった為に、一部の外周からしか遺構が見る事が出来ませんでした。。。

唯一中心に入れそうだった土橋が竹が倒れていて塞がれていましたので(><;)

見れる範囲で確認できた遺構だけでも侮れなかったで、全貌が解らず残念でした・・・


頑張って整備すれば、廃線が危ぶまれている名鉄線広見線の新可児駅から御嵩駅間にも少しは乗客が増えるのではないでしょうか?

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まっく

雪中行軍の登城 (2019/01/25 訪問)

二の丸も本丸も真っ白。土産物屋も閉まっていました。

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todo94

続日本100名城スタンプ90個目 (2019/01/14 訪問)

新高山城攻略後、三原駅にて途中下車し、みはら歴史館にてスタンプをゲット。展示を拝見させていただいてから、裏手に回って本丸中門跡付近の石垣を見、小早川隆景像をチェックしてから、天守台へと進みました。これで、続日本100名城のスタンプも、残すところ、10個となりました。

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dougen

2018.12.29登城 (2018/12/29 訪問)

新城古城から東側にある新城小学校が新城城址となります。
宅地化や小学校が建設されており、遺構はほとんど残っていませんが、わずかに土塁や竪堀が確認できます。
土塁上に城址の石碑と解説板が設置されており、新城の地名発祥の地の石碑もあります。

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くろもり

上杉好きで歩くのが好きな方なら (2013/12/08 訪問)

米沢駅ではなく、西米沢駅で下車すると「米沢城」までの道中に「上杉家廟所」・「上杉家菩提寺の法音寺(ほうおんじ)」・「上杉家の御祈願所の善日山千勝院(ぜんにちさんせんしょういん)」を訪れることができます。

「上杉家廟所」は厳かな雰囲気に包まれ、ここだけ高野山の奥の院のような空間が広がっています。初代・謙信公から12代・斉定公までの立派な霊廟が建っており、戦国時代に関東甲信でしのぎを削った武田氏や後北条氏も、戦国時代を生き抜いていたらこのような廟所が存在したのだろうな等と考えてしまいました。

お城は縄張が簡素で、天守・石垣もなく、堀や土塁も手が加えられてしまっていますが、本丸跡にある上杉神社の稽照殿(けいしょうでん)では、上杉家に伝わる宝物を多数見ることができ(冬季は基本閉館しているので事前に確認した方が良いです)、伝国の社(博物館)では、謙信公が織田信長から送られた「洛中洛外図屏風」の複製を常設展示しており、国宝に指定されている原本も期間限定ですが、公開されています。

西米沢駅から米沢城まで徒歩で30分程、米沢城から米沢駅までも同じく30分程ですが、西米沢駅を走る米坂線は1時間に1本あるかないかくらいなので、利用する方は時刻表に留意ください。

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モト

公園に整備された空堀です。 (2018/12/20 訪問)

別名、実田要害とも言うらしいです。
城跡には天徳寺というお寺が建っています。
車はそのお寺の駐車場に停めて見学できます。
境内は少し小高い場所にあります。
そこから見下ろすと空堀がありました。
空堀は、皆さまの投稿では以前に訪れた時に工事が始まっていたとのことでしたが、
やっぱり今は公園になっていましたよ〜!
整備されているものの、空堀があったことはわかる造形がそこにはありました。
境内にある城跡の碑と案内板を見て、その城跡を後にしました。

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まーやん

関東からの観光客を連れて (2019/01/24 訪問)

本丸跡周りしか残っていないにしても、立派な濠、石垣は圧巻‼️周辺の整備をもっとされれば有難いが。
敷地内には稲葉神社がある。稲葉氏の治世が長かったからか。
今は雰囲気が感じられないが、淀は巨椋池に続く水運と陸上交通の要衝。幕末は鳥羽伏見の戦いに巻き込まれた地とか。
山城唯一の大名家の城。京阪電鉄にも近いので、もう少し力を入れて観光地化してほしい‼️

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朝田 辰兵衛

スズメバチの集団に威嚇され… (2018/04/21 訪問)

一曲輪~西上段曲輪群へは,近寄ることができませんでした。このエリアにはシンボルともなっている大堀切があるのですが,見れずじまいでした…<泣>。ただ,熊と蛇の気配は感じませんでした。

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まーやん

跡地は神社 (2019/01/24 訪問)

山城の国一揆で登場する名前らしいが、説明書では昔から神社だったようにも取れる内容が。現在は咋岡(くいおか)神社となっている。
敷地内に土塁が残っているとのことだが、あまり分からなかった。濠の内側全体が土塁なのかも。
あまり時間がなく駆け足で回ったから分からなかったんだろうか。

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再訪▪城廻りvol.5 駿府城 (1984/07/25 訪問)

駿府城の今と昔そして未来(昭和59年7月訪問、平成31年1月21日再訪)

本丸天守台発掘で、今注目の駿府城。
豊臣時代の天守台が発見されたというニュースを聞き、見に行ってきました。

豊臣の城を埋めて、その上に徳川の城を築いている様は、徳川大阪城の先駆けとなったように見えました。

余談ですが、今回の天守台の発掘の発端は、明治29年に当時の陸軍の駐屯により、天守台が壊され、本丸堀が埋められたあと、戦後の国体の為に建てられた駿府会館が昭和55年に壊され、その跡地に県立美術館を建てる計画が持ち上がりました。
その事前確認調査が行われたとき、天守台の一部や今川時代の遺構が発見され、その為この計画は中止になりました。この時のデータが今回の発掘の参考となっています。

ちょうどこの頃から都市や町にある城址を破壊して開発するのではなく、保存して有効活用しようという風潮が起こり始めていました。実際、ここ静岡市でも二の丸堀を一部埋める計画の反対運動が起こり、現在、二の丸堀は保存されています。

最初に訪れた35年前は、石垣と水堀に囲まれた広大なエリアに、グランドあり、テニスコートあり、児童会館ありで、大きな総合スポーツ公園のような感じで、水堀では大勢の人達が魚釣りを楽しみ、当時も市民の憩いの場になっていました。

現在では、平成元年に巽櫓が木造で最初に復元され、平成3年に策定された駿府公園整備計画により、東御門が平成8年に、坤櫓が平成26年に復元されています。
今は計画の約40%が完了しています。

今後も二の丸では清水櫓、清水御門やその他。本丸では御天守下御門及び同御門橋など三ヶ所の門と橋。土盛りによる御天守台広場。本丸堀全周の発掘整備。などの復元整備が計画されています…………………が

今回の発掘調査の一連の発見によって、歴史的価値が飛躍的に高まったため、市では天守台の整備の仕方の見直しを示しています。
時間もお金もかかりますが、秀吉時代の天守台も徳川の天守台も両方とも残せるような妙案が出てくることを期待せずにはいられません。

さらに、巽櫓の水堀を隔てた所には現在、歴史文化設備が建設中です。ここの完成も待ち遠しいですね。

これから先、どういう風に変わっていくのか目を離せない駿府城の再訪でした。

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まーやん

蟹満寺参詣のついでに (2019/01/24 訪問)

木津川駅から程近い新興住宅地用に開発された地域(木津川左岸)の小高い山(城山)にある。
浄水場らしき施設に向かって道を上がり駐車場からすぐの所にある。
方形の曲輪は雑木が切り倒され確認しやすくなっている。堀切(空堀)も確認できる。
なかなか景色のいい場所であり、京都ー奈良間を行き交う人や船を見下ろしていたとか。なるほど。

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まーやん

公園になってました (2019/01/24 訪問)

宇治市槇島町にお城があったなんて知らなかった。
足利将軍の家臣真木島氏の居城で、信長に攻められ開城し室町幕府終焉の地となったらしい。(槇島合戦)
本来の場所よりやや北にある公園内に石碑があるとのこと。

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尾張三成

学校

城主は織田信長の実弟織田信治。
当時としては大規模な縄張りだったそうですが。今は小学校に碑があるだけです。
近くのお寺の山門は部材を使用したようです。

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チェブ

最後の砦巡り。 (2018/12/29 訪問)

桶狭間の戦いに関連した城跡、砦跡を巡りました。
かわいい公園になってしまっている所が多く、私、テンションが上らず、最後の砦跡と決め向かいました。
(私の想像力不足です。名前が残っている事、感謝です。)
「中島砦」は今川氏方の大高城、鳴海城に対して築かれた砦です。
扇川と手越川の合流する場所にあったようです。
遺構は分かりませんでした。石碑があるようです。でも私有地の中にあるようなので探しませんでした。

写真にある史跡散策路、鳴海宿コースには桶狭間の戦いには必ず出てくる「中島砦」「善照寺砦」「鳴海城」が含まれます。

土地の高低差、けっこう ありました。
私はイケイケの信長さんに従うのは足手まといになるので清洲城で待ってようと思いました。

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小城小次郎

河後森城

立地(伊予・土佐国境を守る城)で見ても、山容(U字型の尾根いっぱいに広がる曲輪群)で見ても、堅城と呼ぶに相応しい。堀切に直交しない城門遺構の検出も貴重なのでは。

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todo94

続日本100名城スタンプ89個目 (2019/01/14 訪問)

本郷駅で途中下車するために、広島ー福山間だけ山陽本線を経由する片道乗車券を前日に博多駅にて調達しておきました。西日本豪雨災害から復旧した山陽本線ですが、徐行運転区間もあり災害復旧の臨時ダイヤにて運行されています。JR西日本のホームページに載っている写真を見ると路盤が大きくえぐれ、上下線合わせて4本のレールが宙づりになっているほどの災害でしたから、良く復旧していただいたという感謝の念でいっぱいです。しかし、私は古い駅すぱあとのデータを見ていたので、広島駅にて乗るべき列車を見送ってしまって、58分で本郷駅を出て本郷駅に戻ってこなくてはならない状況に追い込まれてしまいました。本郷駅から新高山城大手口まで徒歩27分の表示がありましたが、そんなにかかるはずがないと敢然と新高山城本丸にアタック。スタンプ捺印も含めて何とか58分に収めることができました。特に帰路は新高山城詰丸から本郷駅ホームまで25分の所要。ずっと走って下山したのでブレーキをかけるためかなりの筋力を必要とし大腿部に筋肉痛が生じてしまいました。駆足での攻城でしたが、9年前に新高山城は隈無く見て回っているので悔いはありません。新高山城の登城路の復旧も含めて大いに感謝した次第であります。

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