宮城県柴田町の柴田城(船岡城)です。山本周五郎の伊達騒動を題材とした小説「樅の木は残った」で有名な原田甲斐の城で、現在、観光地として多くの人がおとずれる公園となっています。伊達騒動は史実では1660年伊達4代藩主に2歳の綱村が就任。叔父の一関藩主伊達宗勝が実権をにぎり藩政を専横。奉行の原田甲斐も加担。これを一族の伊達宗重が幕府に上訴。幕府大老酒井家で審問が行われた時、原田甲斐が宗重を斬殺。原田甲斐は大老家臣に斬り捨てられたとされます。このため、原田家は一族が処罰され断絶。一関藩宗勝は改易となっています。小説では、原田甲斐は伊達藩を幕府の改易から守った英雄として描かれています。城は、東北本線船岡駅から西南の丘陵北端に築かれ、72m四方の本丸、54m四方の二の丸、126m四方の三の丸が配されています。城の起源はあきらかではありませんが、1200年鎌倉幕府に背いたとして攻め落とされた芝田館が当城とされます。戦国時代にはいり、伊達氏家臣の四保定朝が城主となり四保館と称し、二代宗義の時、四保氏から柴田氏と改めています。1593年柴田氏は所替えとなり、屋代勘解由が一時城主となりますが、1617年原田宗資が城主となります。1671年原田家当主宗輔は伊達騒動により徳川幕府大老酒井忠清邸で斬死し、原田家は断絶。城は幕命によりすべての建物が壊され城地も深さ1mも掘り下げられ表土を捨てられたとされます。その後1684年柴田氏が城主となり三の丸に居館を建て、明治維新を迎えています。城は公園化され大変きれいですが、遺構はほとんど残っておらず残念です。
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