2017シーズンの小谷城は,マダニが大量発生していました。“マダニのオダニ”とまで警戒されていました。しかし,紅葉の時期は短かったものの,その美しさは格別でした。
戦国ガイドステーションから徒歩約60分かけて山王丸跡まで登山。桜馬場からの眺めはとても良いです。この日は大広間跡の紅葉がサイコー!当初は全く期待していなかった,本丸跡と中丸虎口間の大堀切にも圧倒されました。
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2019/01/09 22:52
本丸から眺める大広間の紅葉絶景に癒されました。 (2017/11/27 訪問)
2017シーズンの小谷城は,マダニが大量発生していました。“マダニのオダニ”とまで警戒されていました。しかし,紅葉の時期は短かったものの,その美しさは格別でした。
戦国ガイドステーションから徒歩約60分かけて山王丸跡まで登山。桜馬場からの眺めはとても良いです。この日は大広間跡の紅葉がサイコー!当初は全く期待していなかった,本丸跡と中丸虎口間の大堀切にも圧倒されました。
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2019/01/09 22:23
❄️2回目の登城は雪の中❄️ (2019/01/03 訪問)
僕にとっての新年初城は山形県の上山城でした。
この前、北陸に行ってきたのですが、雪がぜんぜん降ってなくガッカリしたので「今度こそ!」と雪が降っているであろう山形県に行きました。
やはり降ってました。自分も福島県に住んでいますがそれでもビックリする程でした。
そんな中、かみのやま温泉駅に着き、そこから10分程度歩きます。すると瓦に雪を積もらせた天守閣が現れます。雪の城は今年度初めて見たので超感動しました(泣)
さらに1回目の登城の時に足湯に入った思い出があるので足湯に向かいました。そしたらなんと!お湯が半分以下しか溜まってませんでした。でも入る気満々だったので「足首だけでも」と、足首湯をしてきました(笑笑)
時間がないのと2回目なので天守閣には入りません。なんかスミマセン🙅
雪の城、なかなか良かったので次行くお城も雪の中行きたいです!
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2019/01/09 20:40
利神の城から’93…その他諸々。
家に帰って何気なく古いフォトアルバムを開いたら、利神城の本丸跡を映した写真が4点あったので、投稿いたします。
撮影時期はおそらく1993年頃でしょうか。中学生の頃ですねぇ。
どの角度から撮影したのか、今となってはもう覚えてませんが…今どうなっているんでしょうか。かなり崩れかかってたり歪んでたりで、かなり危険な状態だそうですが…。
あと、ついでに先日訪れた平福の街並みや利神城の画像も投稿しときます。
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2019/01/09 20:23
斎藤さんだぞ? (2019/01/02 訪問)
寄居駅を後にし、JR八高線で次にやって来たのは越生(おごせ)駅。
ここでこの日3ヶ所目の山城を登って(「城びと」には登録されていない越生高取城)ヘロヘロになったところで同駅から東武線にて更に2駅先の東毛呂駅へ。
ここから徒歩10分くらいの場所にある、斎藤氏館にオマケ程度で行ってきました。
斎藤氏館って6年くらいお城巡りしてきたけど、聞いた事無かった(「城びと」で初めて知った)ので、どうせ何もないんじゃ?とタカを括ってましたw
すると解説や石碑は無かったものの、明らかに土塁と解る土盛が広範囲に走っていたのには良い意味で期待を裏切ってくれました。
流石、斎藤さんは侮れなかった(^ω^;)
しかし明らかに私有地を跨いで縫うように走る土塁、おそらく迂闊に敷地内に入るのは不法侵入の危険があった為、公道から、しかも出来るだけ家や庭が映らないように撮影致しました(汗)
新たな史跡を見つけられた事はラッキーでしたが、これほど遺構の撮影に気使ったのは初めてですw
ま、そんなに大きなお城(というか居館跡ですが)ではなく、ここをメインで訪問する程の場所では無いので、何かのバーター的に見学すれば宜しいかとw
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2019/01/09 20:02
緑ではなく黒!黒ですよ! (2019/01/05 訪問)
「八王子城」の出城として北条 氏照の家臣、小田野氏が「小田野城」を築城しました。
2回目の城攻めです。
1回目は案内板すら見つける事ができませんでした。
「小田野城」は観栖寺公園にあります。駐車場はありませんが、みなさん路駐していました。
公園に着くと緑色の金網フェンスがあり、その中が少し高くなっています。
私は、この緑フェンスの中が城跡だと思ってしまいました。ちなみに緑フェンスはがっちり鍵がかかってます。
公園の周りは黒いフェンスです。
フェンスの向こうは広くゆるく下ってます。
案内板を見つけました!
よっしゃー!と思って黒フェンスの扉を開けようと思ったら「イノシシ対策実施中」とあり、フェンスはゴムバンドをかけるようにと注意書きしてあります。
2019年初城攻めはイノシシを恐れ遠くから眺めました。
「小田野城」は今年の干支がイノシシでも許しません!
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2019/01/09 13:15
2018年12月終盤の松代城 (2018/12/30 訪問)
この時期松代城は寒く、お堀の水が凍ってました。
観光客も少なく、寂しい印象があります。
城の目の前にある旧松代駅の駅舎が昔の繁栄を偲ばせる町の象徴であり、静かに時を刻んでいました。
当時は駅から歩いて3分のこのお城も、今ではマイカーか、路線バスでアクセスするが他ありません。
城ファンとして、間単に落とせない城にり、敵は違えど本来の城の目的(落としにくい)には近づいたのかもしれません。
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2019/01/09 08:22
麓の御殿屋敷跡を探索。 (2019/01/06 訪問)
智頭急行で智頭宿(鳥取県)と宮本武蔵生誕地(岡山)をしっかり観光したついでといいますか、平福宿(兵庫県)を訪れてみました。
といっても、もうすでに夕方。時間がかなり限られた中での散策となってしまいました。
なので、宿場町散策もそこそこに、今回は利神城の麓の御殿屋敷跡にスポットを当ててみます。
山の上はいまだ例によって入山禁止ですし…。
智頭急行平福駅を出てすぐに、発掘調査で出土した石垣の石材が2個置いてあります。そしてその隣に詳細な説明版が設置してありますので必見です。
佐用川より山側、平福駅の北側一帯が御殿屋敷跡及び家臣屋敷跡となります。
なので、駅を出てすぐの細い道を右に進み(この道の両側に家臣の屋敷が並んでいたようで、それらしき石垣を見ることができます)、そのまま真っ直ぐ進むとすぐ目の前に立派な石垣が横たわっています。ここが大手門とのこと。
石垣がしっかり残っているのは道を挟んで山側のみ。それも智頭急行線の建設の際に一部破壊されております。
川側は畑地開発の際に削平されており、畑の水路の石垣として根元部分が辛うじて残っています。
道は少し右に折れ曲がっていて、往時は右枡形になっていたことがわかります。
大手門跡を通り抜け、そのまま真っ直ぐ進む(この道の両側にも家臣の屋敷があったようです)と『うわがみ門』跡。しかしここは本来の虎口ではなく川に面した方向に虎口があります。
ここも畑地開発や智頭急行線建設により一部破壊されておりますが、巨大な枡形を形成していたことがよくわかります。この内側(山側)一体が城主の居館跡となります。
なおこの『うわがみ門』を山側に進むと一段高い曲輪があり、そこから旧登城道が山頂の城郭につながっていたそうです。
ちなみに、南北を流れる佐用川ですが、やはり堀として機能していたようですね。
先の水害の件もあって、当時より川幅が広がってしまったようですが…。
大部分が畑地となり、智頭急行線によって分断されてしまったりで見学にかなりの制限が出てしまいますが、十分に城跡として楽しめるのではないでしょうか。
なお、宿場町の因幡街道沿いにある光勝寺の山門は利神城の城門と伝えられています。
また、利神城廃城後に役割を受け継いだ代官所(陣屋)跡には表門が残り、道の駅平福の北隣にある正覚寺には代官所の玄関が移築されたものと伝えられています。
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2019/01/09 08:09
2019/01/09 07:15
2019/01/09 06:38
14年ぶりの攻城 (2019/01/04 訪問)
台風が多発した2004年10月、台風の間隙をついて訪れることができて以来の再訪です。その当時と殆ど変わらない佇まいでしたが、国史跡指定を目指す横断幕が張られているところが以前との大きな違いです。遺構の一部が残るだけで城地の殆どは小学校となっているとのこと。果たして、国史跡指定はなるのかどうか。
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2019/01/09 01:56
立入禁止のロープは,商業戦略でないことを信じます…。 (2017/11/26 訪問)
安土周辺の入山料というローカル制度にホトホト嫌気が…。事前にダウンロードしてプリントしておいた縄張図を眺めると,近江風土記の丘から登城できるハズと判断。この日は順調にスケジュールをこなしていることから,無料で登城できるハズの近江風土記の丘ルートをトライすることに(↼たぶん,にのまるさんとくろもりさんが下山されたルート)。安土城考古博物館にレンタサイクルを置き,徒歩で近江風土記の丘経由で繖山の山頂へと。ところどころ倒木や落石が散見され,滑落注意を促すロープが!約45分をかけ,なんとか三角点到達。しかし,観音寺城(観音正寺)へと向かうと思われるであろうルートには,立入禁止のロープが張られてました。単独登山というリスクも考慮しつつ,無理はせず。繖山の登山ということで,割り切りました。眺めはサイコーです。
しかし,他サイトで1週間もしないうちに,このルートでの登城記録がありました。強行突破か,それとも…。
いずれにせよ,リベンジの機会を伺っております。にのまるさんとくろもりさん,無事の登城,お疲れさまでした。
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2019/01/09 00:50
いの一番に亥鼻! (2019/01/04 訪問)
2019年亥年。飛躍を祈念して・・・
いの一番は、千葉開府の地にしました。
別名「亥鼻城」「猪鼻城」、現在は「亥鼻公園」。
真っ先に迎えてくれるのが、飛躍の像です。モデルは、千葉家中興の祖とされる千葉常胤殿。桓武平氏の流れをくみ⁉️ 源頼朝の挙兵を助け、その信任厚く、御家人筆頭の地位まで登りつめた御仁。
また、父の常重殿が1126年にこの地に居館を構えたと言われています。
この千葉一族の足跡を分かりやすく紹介しているのが、千葉市立郷土博物館です。4層5階建の模擬天守ですが、雄大で格好いいです。眺望も良く、遠く南西に富士山、北に筑波山を拝めます。城下を眺めても、北に都川が流れ、断崖をなし、東京湾に注いでいます。
当時の海岸線ももっと台地近くにあったと想像できます。
少し先の話ですが2026年には、千葉開府900年を迎えます。千葉氏のおかげですね。
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2019/01/09 00:37
2019/01/09 00:20
尾張生駒氏(生駒氏宗家)の城 (2019/01/04 訪問)
小折城ですが、生駒屋敷跡と言った方が地元の方には通じるかもしれません。
生駒氏(いこまし・奈良県の生駒が本拠だったそうです)と言えば、豊臣政権下の三中老の一人で、香川県にある高松城の築城と丸亀城を改修した生駒親正(いこまちかまさ)が有名なので、ここの城主は若き日の生駒親正かと思っていたのですが、生駒親正は生駒氏の分家である土田生駒氏(どたいこまし)だったそうなので、ここの城主ではなく、宗家の生駒利豊(いこまとしとよ)さんが城主でした。利豊さんなんと96歳まで生きたそうで、晩年は平和な江戸時代なので、戦国時代の実体験記を聞きたい若武者に囲まれながら若い頃の戦物語なんかをしていたのでしょうか。
小折城址に遺構は残念ながら見当たらないのですが、生駒氏の菩提寺である久昌寺(きゅうしょうじ)に生駒宗家の墓と織田信長の側室・吉乃の墓があります。
城址の西にある龍神社(吉乃の次男・織田信雄(おだのぶかつ)の守護神だそうです)に埴原(はいばら)塚があり、埴原て珍しい苗字何かの本で見たなと思ったら、織田信長の家臣の埴原加賀守常安の屋敷跡がこの近くにあり、その埴原常安の葬地だったそうです。龍神社の前には吉乃御殿跡もあり、所々に往時を偲ぶことができました。
城址からは少し離れますが、カルビンさんの投稿の通り、布袋駅の北西の広間医院に生駒屋敷の中門が移築されています。広間家は生駒家のお医者さんだったそうです。場所が分からない場合は「広間医院」さんを目指して行けば、大丈夫だと思います。
小折城址は久昌寺とその北側の公園に計10台程の駐車場があるので、車で訪問される方はそちらに止めて久昌寺にお参りしてから小折城址碑のある保育園等、周辺の散策をしたらよいと思います。移築門がある広間医院さんの近くは道も狭く、駐車場もないので、車での訪問の場合は布袋駅前のパーキングを利用した方がいいかもしれません。
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2019/01/08 23:26
諏訪の浮き城?! (2018/04/16 訪問)
まず、はじめにお断りするとこの二つ名に期待して諏訪湖岸に優雅に建つ天守を想像すると、アレ?となります。諏訪湖岸は遥かかなたで住宅街の中に忽然と出現します。説明を見ても諏訪湖の干拓(?)により江戸時代の古絵図時点でさえ既に湖岸ではない場所に描かれているという怪しさ。まあ、細かいことぁいいんだよ!ということで天守に向かいます。独特の色合いの天守は古写真を元にした外観復元です。屋根は寒冷地対策で瓦でなく、杮(こけら)葺きだったそうで、風合いが似ている銅板でそれを再現しています。また壁も板張りに見える部分など全てコンクリート製で茶色に塗ってあるだけなど、まるで映画セットのようですが、遠目に見ればそれなりに見え、限られた予算で外観を近づけようという再建当時の担当者のこだわりは感じます。内側に回ると写真のように明らか観光客用の天守アプローチ大階段など、ツッコミどころはありますが、天守、城門、櫓、堀という一般人向けのパッケージは整っているので、ご家族、友人あるいは恋人などと諏訪観光する際でもコースに組み込んで大丈夫だとは思います(笑)。
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2019/01/08 23:14
2019/01/08 21:43
松江武者行列参加者募集 今なら殿になれる!
毎年恒例の松江武者行列
甲冑武者や着物を着た姫様や侍女
勇壮なそして可憐な行列は総勢200人と
圧巻で、当日は各地から
たくさんのお客様で賑わいます。
そんな行列に
な、なんとまだ募集を追加した役柄が!
中には殿様
堀尾吉晴公役も
松江観光協会のホームページをご確認あれ!
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2019/01/08 20:21
ポコポコポコポコポコポコポコ。 (2018/12/30 訪問)
家康さんが「高天神城」奪還を狙う為に大須賀 康高さんに築城させたお城です。
最初「横須賀城」は神奈川の横須賀にあると思っていました。
港のヨーコ、横浜 横須賀~♪の横須賀ではありません。(若い方、すいません。昔の歌です)場所は掛川です。
実は「横須賀城」の前に「高天神城」攻めをしてきました。鋭利な雰囲気の高天神城奪還の為の「横須賀城」!
いざいざーと城跡に足を入れると、ポコポコポコ。
まーるい石垣でした。
天竜川の石を集めて作ったそうです。
石垣ばかり見てしまいましたが二つの大手門跡や掘りもあるそうです。(それくらい石垣ポコポコが圧巻です)
家康さんの奪還は成功しました。ポコポコパワー侮れません。
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2019/01/08 18:00
確かに道間違えやすいかも (2019/01/02 訪問)
花園城の跡はもちろんすぐ近くにある花園御岳城へ登城。
花園城は悪路ではあったものの、実はそれ程比高がある訳では無いので、息切れする程ではありませんでした。
(珍しくアップダウン繰り返し粘って見学した分、スタミナは結構奪われましたけど(汗))
それに引き換え花園御岳城は少林寺から一気の登りとなる為、むしろこちらの方が息切れしました
(;ーдー)=3
よく間違えて円良田湖方向に行ってしまう方多いと聞きましたが、確かに道案内が一旦円良田湖方面の表示方向に進んで、その後表示のない方向へまっすぐ進む・・・っていうのは如何にも解り辛いw
男坂・女坂の合流地点から、ひたすら西に進む。。。と覚えておきましょう。
道が明らかに人があまり通っていないところになりますが、ひたすら進み、最後に急坂を少し登った先に御岳山金剛神社の鳥居が見えてきます。
この階段を上った先が花園御岳城の主郭となり、鳥居の場所からぐるっと見事な横堀が巻かれてます。
ただし遺構はこれと、ちょっと手前に土塁かな?っていう土山があるくらいで、城を示す解説や城碑はありません。
その代わり主郭には神や霊を祀った石碑がぎっしりと(ー人ー;)
城域は狭いので、登りもゆっくり登れば簡単に見学できる部類のお城です。
金剛神社の参道を下って行くと老保に出るようですが、ここからだと秩父鉄道波久礼駅へ1kmちょっとでたどり着けます。
(寄居駅までは3kmくらいあるので、電車の本数と合わせて考え処です(悩))
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2019/01/08 16:18
今は石碑だけ。
大阪夏の陣で戦死した大野治長の祖父の城。
今は桜の名所の公園の一角に碑があるだけですが、渡し船跡の碑があり、城跡から木杭や石垣が出土したことがある処から
この辺りの川筋はそれほど変わらなかったと思われます。
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