みやざきじょう

宮崎城

富山県下新川郡

別名 : 荒山城、泊城、境城、堺城、境の要害、南城
旧国名 : 越中

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本丸
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ぴーかる

宮崎城 (2026/05/10 訪問)

【宮崎城】
<駐車場他>城山駐車場でも上ノ山駐車場どちらでもよい。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅ラスト24城目。現地説明板によると1182年、宮崎城はこの地の豪族である城主宮崎太郎康長が北陸宮(以仁王の第一王子)を迎え御所を造営されたのがはじまりとされます。戦国時代には上杉氏、佐々氏、前田家の家臣などが城主となります。江戸時代には国境の関所が設けられ廃城となります。
 城山駐車場に駐車し登城しました。こちらから行くと本丸の手前の曲輪は陸軍が造ったもので、そこの公園から本丸に直結で行けます。本丸は広い帯曲輪が取り巻いています。本丸から段々に二の丸・三の丸と降りて行って、切り通し道をかなり降った所に上ノ山出丸跡があります。上ノ山出丸跡がちょうど上ノ山駐車場になっています。各々の曲輪は堀切で仕切っています。二の丸の法面石垣は古いもののように感じました。
 これにてこの旅終了、山城シーズンも終わり、ちょこ城を荒稼ぎできる地域を地図を眺めて、千里浜も行きたかったし、この地域に決定しました。千里浜はドライブウェイ出来ませんでしたが、またの機会として登城は計画通り遂行できました。

<旅を終えて>富山県はまだまだ山城の登城が残っていて語るには少し足りないですが、高岡市周辺の平城跡は一向宗、富山市の平城跡は地方豪族、東に行くにしたがって上杉氏の影響力が出てきて椎名氏などの上杉氏に従属する豪族の城が出てくるように感じました。加賀の大聖寺城に行ってからの、この越中国の石碑や土塁の一部しか残っていない城跡だけれども戦国時代、一向宗の影響力がこの辺りまであった事がよくわかった旅でした。
走行距離1045㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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ヒロケン

越中宮崎城 (2026/05/02 訪問)

宮崎城は日本海に臨む標高248mの城山に築城された山城です。山頂部に本丸を置き、そこから西に向かって階段状に二の丸・三の丸が配置されています。

平安時代末期に木曽義仲公が北陸宮(後白河法皇の孫)を迎え御所を造営、この御所が宮崎城の始まりとされています。
中越国境にある城で、戦国時代には重要な役割を果たしました。松倉城主・椎名氏が武田方についたため、上杉謙信公は越中に侵攻し宮崎城を攻略、しばらくは上杉領でしたが、1583年佐々成政公により宮崎城は落城。佐々氏の家臣が宮崎城を守りましたが、翌年の1584年には上杉景勝公が再び宮崎城に侵攻。佐々氏の守備兵300人が奮戦しましたが、9割方が上杉方に打ち取られ落城。
その後、時代の変遷後前田氏の家臣が配置されましたが、江戸時代に入り廃城となっています。

この日、お孫ちゃんに会いに石川入りするため、夜中24時に車で豊橋を出発。(石川動物園に9時待ち合わせ)5時過ぎに無料の城山駐車場(無料・トイレあり)に着き散策。旧陸軍が造った削平地や土橋があり、(土橋がある場所が堀切跡のためこの削平地も城域であったと思われます。)土橋を渡った先が、宮崎城の本丸になります。
この城の見どころは、三の丸の石塁跡と七曲堀ではないかと思います。七曲堀は7番目の画像でご覧の通り残念な状態となっていますが、雑木の隙間から垣間見る堀は、中々の規模で深さもあるように思います。そして何と言っても、この城から見る眺望は、最高の見どころでもあります。

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朝田 辰兵衛

上洛前の体力確認で… (2026/03/07 訪問)

栃木で体力に不安が残ったので,上洛前に自身のポテンシャル確認のためにやってきました。越後県境付近でちょうどいい城を残しておいて正解でした。
宮崎城は,三の丸石塁や二の丸石垣などを比較的手ごろに散策できます。雪解け途中だったので,(三の丸よりさらに奥の)中の丸は残雪で踏み込めませんでした。
晴れていたのですが,北風が強く,気温が5℃くらいだったので,誰とも遭遇しませんでした。

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カズサン

国境の城、眺望抜群 (2020/09/21 訪問)

 金沢城の復元鼠多門を初見学探訪の後、以前から気に成っていて中々行けなかった国境の山城、富山県朝日町に在る宮崎城を初登城。
 金沢からは北陸道を約120km程の朝日ICを降りて国道8号線を新潟県方向へ、国道8号線の横尾西交差点を東に入る県道103号線を東へ、トンネルを抜け北陸道の高架下を潜って少し行った所に案内道標左上に登る、約2kmと有る、細い舗装の道を、所々離合可能の幅在り不安になりながら登ると広い駐車場に至る、そこより徒歩で5~10分ほどで本丸に至る。(情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさん古城盛衰記さんによる)
 
 歴史的には源平のころ木曽義仲の下、在地豪族宮崎氏によって築かれ以仁王の皇子北陸宮を迎え入れ御所を造り侵攻の拠点へ、戦国期は越後上杉氏、越中椎名氏の国境抗争地、戦国末期は織田軍が越中を制圧し佐々成政が入り後前田氏の領国へ江戸期、境関所が設けられ宮崎城は廃城へ。
 戦時中陸軍電波技術研究所が設置される際、本丸と東側が削平、堀の埋め戻し、土橋が造られ、登城道も作られた。

 本丸に土壇、周りの石垣は後世の物とか、当日地元の古老の方が偶然居ましたので聞く事が出来ました、北西に二の丸、三の丸へ、足の疲れで上り下りが辛く下を眺めるのみ、本丸北陸宮御所跡からの眺めは絶景、少し曇って日本海の蒼さは少し感じられませんでしたが親不知方向の海と山の稜線が素晴らしい。

 山城では一人っきりが多いのですが当日は先の古老の男性、若い男女、と会い会話をしました、その他に人に触れませんでしたが車が
2台めったにない事です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 宮崎長康?
築城年 寿永2年(1183)?
主な城主 宮崎氏、椎名氏、上杉氏、佐々氏、前田氏
廃城年 慶長19年(1614)以前?
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(宮崎城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 富山県下新川郡朝日町宮崎字城山(あさひ城山公園)
問い合わせ先 朝日町役場教育委員会
問い合わせ先電話番号 0765-83-1100