千葉県君津市の久留里城です。城は室町時代に真里谷城を本拠とした上総武田氏により1456年築かれたとされます。戦国時代に入ると武田氏の内紛により弱体化した機に乗じて里見氏が久留里城を攻略。その後、1564年国府台の戦いで里見氏は北条氏に敗れ一時久留里城を奪われるも、二年後里見氏が奪還しています。1590年の豊臣秀吉の北条征伐時、里見氏は秀吉の命に従わず怒りを買い上総を没収され、久留里城は松平氏が3万石で城主となり、城下町を整備しています。1601年松平氏に替わり土屋氏が2万石で入城、土屋氏に仕えていた新井白石も青年期久留里で過ごしたとされます。しかし1679年土屋氏は改易となり一時廃城となりますが、1742年黒田氏が3万石で入城、3年の歳月をかけ城を再建し、明治維新まで続いています。城は、標高145mの山頂本丸に二層二階建の天守が建ち、本丸の周囲に弥陀曲輪・波多野曲輪・天神曲輪が配され、本丸の西側の一段下がった尾根に二の丸・薬師曲輪・波多野曲輪、二の丸から北西に続く尾根に幅10m程の空堀と郭が幾重にも設けられ、山麓の御屋敷と呼ばれる三の丸で構成され、東西700m南北500mの規模とされます。現在城は、本丸に模擬天守が建てられ展望台として利用され、二の丸に資料館が建ち、土塁や堀切、井戸などが残っていますが、三の丸は水田などになっています。
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