公共交通のみで(東海&関西遠征)4日目:長島城
(2024/09/25 訪問)
近鉄長島駅から徒歩10分ちょうとで、蓮生寺大手門前(35.093779、136.701124)に着き、その後、長島中部小学校説明板前(35.092373、136.698899)に向かいました。
長島城の起源は、1245年(寛元3年)に藤原道家が館を築いたことにさかのぼるそうです。
その後、1482年(文明14年)北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。
1570年(元亀元年)一向宗・願証寺の住職・証意(蓮淳の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりました。
その後、織田信長によって攻略されたのちは、滝川一益の居城となりました。
「賤ヶ岳の戦い」後、織田信雄の居城となりますが、1586年(天正13年)の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、信雄は清洲城に移っています。
江戸時代に入ると、菅沼氏が20,000石で当地に封じられ、長島城を改修し藩庁として用いました。1621年(元和7年)菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となります。
1649年(慶安2年)久松松平家の松平康尚が那須藩より10,000石をもって入り、長島藩が再興されます。
1702年(元禄15年)には、4代将軍家綱の生母の弟増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より20,000石で移され、以後8代続き明治維新に至ります。この間に城郭は順次拡大されたが、天守は築かれませんでした。
1872年(明治5年)廃藩置県と共に廃城となりました。
蓮生寺の大手門、長島中部小学校で説明板を確認しました。
深行寺にある奥書院については、時間の都合で見学を諦めました。
攻城時間は移動も含め15分くらいでした。次の攻城先=願証寺には、ここから徒歩で向かいました。
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