(4城目)は金田城です。
白村江の戦い(663年)に敗れた天智天皇は、唐・新羅の反抗を恐れ、翌年大宰府に大野城・基肄城・水城の強大な防衛ラインと各地に鬼ノ城などの古代山城を築きます。さらにその3年後には、対馬の浅芽湾と黒瀬湾の間の半島の先にある標高276mの城山に、金田城を築いて防人を配置しました。その後の金田城は、幕末は異国船監視所として、また明治時代はロシア艦隊を迎え撃つための砲台として使われていたようです。日本の古代山城はほとんどが版築土塁ですが、ここ金田城は総延長2.2km高さ6.7mにも及ぶ壮大な石塁です。それがまるで万里の長城を思わせるように斜面をぐるりと取り囲んでいます。百済の技術で築かれますが、それでも今から1350年も前に造られたものです。とても信じられない光景でした。
私はこれまで公共交通機関にこだわってきたので、ここも何とか行けないかバスを調べましたが、どうもここは無理なようです。よって前日に清水山城などに登城した後、厳原に宿泊し、翌朝レンタカーを借りて行きました。厳原からは(15km)30分で城山登山口に到着です。県道24号から登山口までの最後の2kmは、とても道が狭く砂利もあるので注意して下さい(なので借りるなら軽がオススメです)(写真①)。観光タクシーを利用するという方法もありますが、金田城周辺は携帯がつながりにくい場所もあるので、連絡手段等には注意して下さい。レンタサイクルではアップダウンがかなり多く危険な道なので無理しない方がいいと思います。登山口駐車場は3台分しかなく満車でしたが、100m奥に3~4台分のスペースが空いていてトイレカーもあったので、私はそこに止めました。
登山口からは2m幅の整備された道が続きます。これは明治時代に作られた軍道です(写真③)。この上に砲台を設置するために、重い大砲の部品を馬に積んで運ぶために作られた馬車道だと思われます。20分程登ると黒瀬湾が見える絶景ポイント(写真④)に着きました。いや~いい眺めです。さらに登ると黒瀬湾に向かって伸びる登り石垣のようなものが見えました(写真⑤⑥)。東南角石塁です。下から見上げるとすごい迫力なので、ここはぜひ下からも見て下さい。私はしばらく見とれてしまいました(すでにここで満足😊)。モトさんが見られたらおそらく泣いて喜びそうな石塁ではないかと思います(写真⑦⑧⑨⑩笑)。
でもまだ登り始めたばかり、いつまでも見とれている暇はありません。この先へ進むため、さらに登って行きます。
(2/4)へ続きます。
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