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ぴーかる

沓掛城 (2024/05/11 訪問)

【沓掛城】
<駐車場他>沓掛城址公園駐車場 北に8台、南に2台分あり。公園にトイレと自販機あり。
<交通手段>車

<見所>堀
<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅3城目。現地説明板によると沓掛城は14世紀頃、近藤宗光が初代城主としてこの地を治め、室町時代を通して近藤氏が城主としていました。9代目の近藤景春は今川方に属し桶狭間の戦い直前には今川義元はこの城に入城し軍評定を行い出立します。その後、桶狭間にて今川義元が討死すると城主の近藤景春は沓掛城に戻りますが織田勢の攻撃を受け落城、討死します。織田方の城となってからは簗田政綱に城を与えられ⇒織田信照⇒川口宗勝は関ケ原の戦いで西軍に付いたため、戦後城は接収され廃城となりました。
 現地は主郭部分が明瞭に残っており、主郭と主郭を囲む堀と北西部にある土塁と曲輪が見られます。現地説明板にある古城絵図には二の丸内部に馬出しが描かれていますが、現在はその遺構は見られません。堀が深くなかなか見応えありました。

<満足度>◆◆◇

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yoda 1253

天守も石垣もなし (2024/06/05 訪問)

25万点の遺跡の発掘は価値大
保存されていて良かった

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カズサン

方形主郭がよく残ってる (2024/06/07 訪問)

 宇都宮の孫の行事が終わった翌日に、昨年11月甲斐源氏発祥の地、武田館を訪ねた折りパンフレットに紹介されていた多良埼城を探訪したいと一日多良埼城から水戸北部の未踏の城探訪を企画し、高速道の都合上、北関東道茨城西町ICを降りて南に約3km程の飯沼城を初登城。

 駐車場:福性寺南東裏の参拝者駐車場(36°17'20"N 140°22'59"E h=20m)、トイレ不明。
 参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 駐車場から堀跡道へ進み福性寺側にも土塁が残っており、東側に飯沼城主郭土塁、と東側の虎口、主郭は約50m四方で周囲に土塁が廻り堀で囲まれていた、南郭は現在墓場、北側は北東側に墓場、北側は北郭の跡形が判らないが北郭主郭南郭に堀が廻った連郭式城郭。

 案内板によると
 南北朝時代は南朝方に属し、戦国時代の城主として桜園氏の名が知られてる、文明年間(1500年)頃には江戸氏の影響下に入り、天正18年(1590年)佐竹氏に滅ぼされた。
 
 主郭の土塁、切岸土塁、堀跡も残り駐車場も有り大変探訪しやすい、春の桜、秋の紅葉と季節ごとに美しい景観に染まる事でしょう、季節外れでも十分楽しませてくれます。
 

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たぬぬ

正蓮寺 (2024/06/28 訪問)

渋川駅から徒歩で20分で城跡の正蓮寺に至ります。目立った遺構はありませんが、堀跡が一部残るなど城郭の雰囲気はあります。
境内に古い城址がありました。

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しんちゃん

山城国一揆最後の戦場 (2024/04/19 訪問)

稲八妻城は南稲八妻跨道橋を越えた先の竹林の丘が城址のようです。バーが有るので跨いで入って登っていくと曲輪らしき扁平地がありました。頂部あたりに主郭があり土塁が比較的良く残ります。ここまでの比高はそれほど高くないです。丘城になりますが、山城のように南と西の尾根に曲輪が配されています。
山城国一揆で蜂起した一揆勢が最後に寄った城とされています。守護代として入ってきた古市澄胤の軍との戦いは激しく双方の戦死者は200にも及んだそうです。抵抗むなしく稲八妻城は陥落、山城国一揆は終焉となりました。

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しんちゃん

謎の城主・白井織部是房 (2024/01/27 訪問)

白井織部是房館跡と書かれた石碑があります。是房は座間七村の地頭を務めていた人物のようですが在城していた時期などはっきりしません。戦国時代の人物ではあるようです。とりあえず周囲の高台などもぶらぶらしてみました。城も城主も謎が多いです。

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しんちゃん

扇谷上杉家 (2024/01/27 訪問)

七沢城は七沢リハビリテーション病院脳血管センターのあたりに築かれていたようです。扇谷上杉家の城で、山内上杉顕定が攻めてきた際に、扇谷上杉定正が少数の兵で川越より一昼夜で駆けつけ、敵を破ったそうです。
ここ以外にも見城山なる遺構が存在する? マジっすか。

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赤い城

篠原神社と真観寺 (2024/06/16 訪問)

城北高校の北側、住宅地の中にある篠原神社と真観寺一帯が城域となります。
駐車場は無く、短時間なので真観寺に停めさせていただきました。
篠原神社が主郭のようで一段高くなっています。
真観寺の門に旧今切城址の文字が入っていました。

三好氏配下の篠原長秀の居城でしたが細川氏に攻められ落城しました。

徳島と言えば徳島ラーメンですがこの日は寄れず、またの機会に食べたいな。

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モト

水門の石、神籠石 (2024/06/11 訪問)

古代山城シリーズです。
第一水門に今も水が流れてました。
また、ここにある神籠石は一部、唐津城の石垣に使用されたそうです。
歴史的な列石を石垣に使用するというのはすごい。
はたしてその当時に神籠石の歴史的な価値を分かった上で使用したのか、それとも石の形が石垣にピッタリだからとう単純な理由だったのか。
いずれにしてもかつて日本をを守る為に使用された石が再び城の石垣としてその領地を守る為に使用されるという事に、なんとも言えないロマンのようなものを感じてしまいました。

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しんちゃん

咋岡神社一帯が城址 (2024/04/19 訪問)

咋岡神社周辺が城址となっているようですが、うっすらと土塁が見える以外は、特に遺構を見つけることは出来ませんでした。
応仁の乱の後、畠山氏の跡目争いの舞台になり、文明14年(1482)畠山政長勢のこもる草路城を畠山義就勢が攻撃し、草路城は落城、数十人が切腹させられたとのことです。両畠山氏の争いは山城国の国一揆を招き、両畠山氏は山城国から撤退するも、明応2年(1493)一揆勢力内の対立に乗じて古市澄胤が抵抗する勢力を破って一揆は終結したとのことです。

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イタさん

塚越城・埼玉県坂戸市塚越 (2024/06/25 訪問)

西光寺さんに駐車させて貰う。西光寺の北東に城跡は標示されている。詳細は分からないが、小島氏の居館跡らしい。堀跡の一部は墓地になり、他の堀は歩きづらく、土塁・その他は藪化している。城跡の東に会社があり、一角は高い土塁を思わせるが、分からない。時間に余裕があれば、西光寺の南西に大宮住吉神社、神社南に弁天池があり、寄ってみるのも良い。

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イタさん

往事を偲ぶ板石塔婆 (2024/06/25 訪問)

館跡は台地の端にあり、南には九十九川、越辺川が流れる低地が広がる。館跡に青蓮寺が建ち、墓地が寺域の半分は占めているだろうか。館の遺構は消滅しているのか、うまく探せなかった。弘安四年銘の板石塔婆が保存されいる。脇の説明板に、小代氏四代・重俊の人徳を慕って、また祖先供養のため、小代氏一族関係者が建立した。小代氏は武蔵七党・児玉党の入西資行の次男・遠弘が移り住み、小代を名乗る。その後、肥後国野原庄(現・熊本県荒尾市)の地頭職に任じられ・・・。青蓮寺のほぼ東隣に正代御霊神社が建ち、古くはないが市指定民俗文化財の「正代の祭りばやし」が載っている。青蓮寺山門前、神社社殿前からは、意外に高低差がある風景が眺められる。

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豊臣秀長 (2024/06/29 訪問)

 久しぶりの大和郡山城です。筒井順慶が居城としたこともある城ですが、豊臣秀長が入城したときに大規模な城郭に改築が行われ、現在見られる城郭の基本的な骨格が形成されたとされています。この城の魅力は高石垣と堀と思っています。ただ冬季に来ると遺構もより楽しめると思うにですが、その時期には来たことがありません。今回も葉が繁り石垣など見にくいところもありましたが、それでも十分楽しませてくれる城址です。

 近鉄郡山駅より徒歩10分くらいで行くことができます。

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小城小次郎

鬼の頭と波多氏の思い (2023/12/10 訪問)

鬼の頭みたいな形をした山城は寺沢氏によって石垣造りのエリアに縮小されたが、波多氏時代には広大な城域を有していた。この地域で営まれていた小さな安穏を文禄慶長の役と名護屋城でぶっ壊された波多氏の思いはいかばかりか。

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しんちゃん

岡城の遺構・中川覚左衛門屋敷跡 (2014/01/13 訪問)

現在残っている岡城の石垣は、文禄3年(1594)に豊臣秀吉の命で入った中川秀成によって3年がかりで築かれたとされています。広い城域を総石垣で覆い、その眺めは実に壮観です。本来、石垣だけだと寂しい感じがするのですが、岡城や竹田城のような名城は、むしろすがすがしささえ感じられます。石垣の芸術を見ているようで、建造物が無い分、余計に石垣の存在感が増しているように思えます。
城内の北西端には家老の中川覚左衛門の屋敷跡があります。古田織部の弟の子孫とされ、岡藩の中で2300石を取る身分であったようです。ちなみに赤穂浅野家筆頭家老の大石内蔵助良雄が1500石ですので、結構な高給取りだったのではないでしょうか。

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織田小学校 (2024/06/29 訪問)

 芝村藩は織田信長の弟である織田有楽斎の四男織田長政が開いたことに始まる藩です。以前は戒重に陣屋がありましたが1745年、第7代藩主織田輔宜の時に芝へと陣屋を移しました。桜井市立織田小学校周辺が跡地です。校門の脇に説明板があります。小学校から徒歩10分くらいの場所にある慶田寺に移築門があります。

 JR巻向駅より徒歩で箸墓古墳の横を通り約15分で行くことができます。

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牛頭天王社 (2024/06/29 訪問)

 窪城氏が築城したと伝わっています。方形の東郭と西郭が残っています。東郭には牛頭天王社(八坂神社)があり土塁、周囲には空堀が残っています。西郭は藪となっていて侵入していません。西郭に北側にはいい空堀が残っていますが、倒竹が多く行く手を阻んでいました。東郭と西郭の間と東郭北側の空堀は何とか散策できます。

 JR帯解駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

愛知県の観光地 常滑市・登窯 新城市・阿寺の七瀧 (2021/05/30 訪問)

中世の遺構では無いのですが、常滑市のやきもの散歩道には登窯(陶榮窯)があります。明治20年頃に築かれ昭和39年まで使用されました。17度の傾斜角を持ち、8つの焼成窯と10本の煙突を備えています。常滑市のやきものは六古窯の一つに数えられ、中世には織田信長の経済力の基盤となり、尾張徳川藩の庇護の下、繁栄を取り戻しました。
阿寺の七滝は阿寺川にかかっており、合計の落差が62mに達する、七段の優美な滝によって構成されています。国の名勝と天然記念物に指定されており、日本の滝100選にも選ばれています。安倍晴明は若いころに修行したという伝説も残っているようです。

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東市小学校 (2024/06/29 訪問)

 大和の有力な国人であった古市氏の城です。奈良市立東市小学校付近が主郭であったと伝わっています。グランドの片隅に城址碑がありました。フェンス越しに写真を撮って退散しました。

 近鉄奈良駅よりバスに乗り南古市バス停下車。近くの坂を上ると小学校ですが、城址碑を撮影するために土手を少し登りました。

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朝田 辰兵衛

ららぽーと横浜の鬼門除け…? (2024/04/29 訪問)

JR鴨居駅から,ららぽーと横浜をスルーして向かいました。駅で降りた人の群れは,8割以上がららぽーと横浜に吸い込まれて行きました。その,ららぽーと横浜の北東に位置するのが池辺陣屋(宗忠寺)です。

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