暖かくなってきました。東京では桜が六輪咲いたとかで騒いでいますが、市場城周辺の桜はすでに3分咲きくらいです。とはいえ、この周辺の桜は四季桜なので、気温の変化に敏感なのかもしれません。
市場城は徳川家康に従った鱸(鈴木)氏の城で、江戸時代には使用されていなかったにも関わらず、石垣や竪堀群など見ごたえのある遺構の多い城です。また、ここは四季桜と紅葉が同時に見れる隠れスポットでもあります。
市場城の縄張りを幾つか見て思うことは、ここは一時期、本丸を仕切る土塁が有ったのではないかということです。有名なものに古宮城があり、岩略寺城にも似たようなものが有りました。加藤先生の講義でもありましたが、小牧・長久手の戦いの後、徳川家康と豊臣秀吉の間に緊張が走った時期があり、東海道上や徳川領内の城は徳川勢によって改修を受けている可能性が高いということです。
本丸内に郭を増やすということは、継戦時間を延ばすのみならず、早期の降伏を認めないということになるので、時間稼ぎが目的だと思います。東海道を迂回してくる敵を防ぐため、古宮城や松平城山城などは改修を受けている可能性があるので、市場城も同様に改修を受けている可能性も有るのではないかと思います。
であれば、櫓台や本丸の石垣、竪堀群(本丸内の土塁)はこの時期に加えられたのかもしれません。石垣も登城側に設けられ、攻め手を威嚇するように築かれています。実際、徳川旗下で豊臣の大軍が来るのに何の手も打たなかったということは無いと思うので、どれか一つは当たりがあるんじゃないだろうか??
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