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イオ

とことん江戸城(外濠プロジェクションマッピング) (2024/05/30 訪問)

5月30日から6月2日までの4日間、牛込濠の南西部法面にプロジェクションマッピングの上映が実施されるとのことで、折しも出張で東京に来ていることでもあり、これはぜひ観て帰らねば、と仕事と夕食を終えた後、外濠公園に向かいました。

会場周辺は北東側からの一方通行になっていて、思いのほか多くの人が集まっています。牛込濠の南西部まで来ると、対岸の法面に何やら投影されているのが見え、音楽も流れているようですが、あいにくの雨に加えて帰りの時間も迫る中、傘をさしながら腰を据えて観ることができなかったこともあり、結局 内容はよくわからないまま外濠公園を後にしました。

都知事選で話題になった都庁のプロジェクションマッピングも小池知事再選で引き続き実施されるでしょうし、この企画も外濠浄化プロジェクトの一環として外濠への興味・関心を持ってもらうため、とのことなので、今後また実施されることもあるかもしれませんが、いろいろと改善できる余地はありそうです。
 

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赤い城

四国の役で長宗我部元親が拠点とした城 (2024/07/15 訪問)

国道319号線から少し登ったところに宿泊施設があり、この周辺が城趾です。
バス停の名前も白地城址、しかし地形以外にはその影も無さそうですが、ホテル駐車場に説明板が立っています。

一段下がったところには老人ホームと大西神社があります。
ここも曲輪跡、神社の横に石碑が設置されています。
その背後には土塁の塹壕があり、遺構と言えるのはこれくらいかな。

皆さんのレポートにもあるようにここはまさしく四国の中心。
伊予、讃岐、阿波の三国にも街道がつながる要所と言えます。
一度ここにも泊まってみたいです。
リーズナブルな城泊かな?

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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり① (2024/07/27 訪問)

一番の目的は名古屋駅近くのイオンモールにあるフォレスト献血ルームでの献血でした。体温越えの猛暑ですので無理して城めぐりをすることもなかったのでしょうが、蟹江駅から徒歩にてアプローチしてしまいました。蟹江駅の改札前にA41枚のリーフレットがあり、ありがたく戴いてきました。あまりの高温に買ったばかりのミラーレス一眼レフの動作に異変が生じていましたが、無事に撮影出来ていてほっとしています。小城小次郎さんが「奇跡的に」と表現されている井戸、本当にその通りだと思います。車が通れないような細い道とはいえ、路上にでんと井戸が鎮座しているのですから。撤去されなかったのはまさに奇跡と思えます。公園の一角に建てられている「伝えよう!蟹江城址 子々孫々」の一句にも好感が持てました。

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HKISD

大阪城散策#2 (2024/07/05 訪問)

大阪城2度目の散策でした。やはり風格の違いを感じました。

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HKISD

岸和田城散策 (2024/07/04 訪問)

駅から近くとても味があって良い城でした。
七夕が飾ってあり1週しました。

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HKISD

滝山城散策 (2024/05/25 訪問)

歩くにはとても気持ちよいコースで散策出来ました。

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HKISD

八王子城散策 (2024/05/25 訪問)

八王子城に登りました。上から見た関東平野は最高でした。
鳥の写真を撮る人が多くそれに一番ビックリしました。

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零汰

城びと登録本土四極城跡訪問達成 (2024/07/28 訪問)

俗っぽいですが、最西端長崎県の籠手田城、最北端北海道ヤムワッカチャシ、最東端同じく北海道ポンモイチャシの3つは訪問済。そして残った一つの最南端鹿児島の勝尾城に行きました。城びと本土四極城跡訪問の達成です。因みに離島城跡についてはタイパが悪いので還暦過ぎてから行く予定、それまで動けるうちに時間をやりくりして山城に行きたいです。今回城びと登録本土鹿児島に2か所残っていたのでその2か所とチラホラ別城跡を訪問しました。

鹿児島の城跡を400城以上行っているのですがこちらはTOP10に入るほどの過酷な城跡です。主郭迄5・600m程の距離なのですが倒竹の為に1時間を超えました。入って5分で帰りたくなりましたが地元の城なので主郭迄は行き着きたいと進みました。地元なのでバッシングしますが鹿児島は城跡の訪問や保存等に馴染みが薄くこんな城跡が数多くあります。中には整備したらきっと負けない城跡になるんだけどなと思う城跡があるのですが。唯一救いなのは模擬天守などが全く無い事くらいでしょうか。鹿児島城にも天守が無かったそうなので不思議ではないですが。

遺構としてはまともに見えませんが曲輪があり、1か所土橋があります(写真2)この土橋を見つけられなかったので先の曲輪に進む事が出来ませんでした。ですが荒れていてもやはり城跡です、東から主郭に辿り着く迄に4つの堀切を降りては登りを繰り返しました。おかげで両腕は擦り傷だらけ、倒竹を潜るときに背中にも擦り傷。おまけにタオルを何処かの枝に奪われ、腰からぶら下げていたペットボトルを紛失し主郭に辿り着くころにはグロッキー気味でした。まぁ好きで行っているので仕方ないのですケド。

地元の人間としてこちらの城跡はお勧めしません。ケガしますよ。
入口の神社とか全体の山の外観を撮る事で訪問完了とした方が良いでしょう。



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しんちゃん

主に三つの曲輪から成る。 (2024/07/14 訪問)

暑いっすね~。皆さん暑い中お疲れ様です。2週間前も暑かったけど、ここんとこの暑さは常軌を逸してますわ。まさにブッ壊れ猛暑です。
丸山城は出城と本城と詰の城で構築されており、出丸の東側は元々は入江になっていて、出丸は海に突き出した監視用の砦の様な役目を果たしていたようです。元々は土肥を本拠にして西伊豆地方に勢力を誇っていた富永氏の出城で、富永氏は伊勢宗端の軍門に下って、以降北条氏重臣の海賊衆(水軍)として、西伊豆沿岸警備の役目を負っていたようなので、丸山城は山城でありながら、水軍の海城としての性質を持っていたようです。
出城から詰の城まで周辺に段状に曲輪を配しているようなのですが、それぞれの中心となる曲輪を訪問するに留まっています。本丸にある「おこり石」は粗末に扱うと、怪我や病気などの災いをもたらすという言い伝えがあるようです。

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しんちゃん

ブーメラン♪ ブーメラン ♪ (2024/07/16 訪問)

ブーメランフック! ブーメランスクエア! ブーメランテリオス!
なんのこっちゃ‥
50代以上の方ならお分かりかもしれませんが、元ネタは「リ〇グにかけろ」です(大丈夫?)。
深沢城は城郭としては諏訪原城の下位互換くらいと書きましたが、三の丸の三日月堀は素晴らしいと思います。三の丸は道路によって西側が分断されているのですが、その部分の外側が三日月掘になっていて、きれいなカーブを描いています。
やや西寄りの南側1kmあたりにある大雲院には深沢城の大手門が移築されていて、大雲院自体にも土塁が付いています。元ネタは「城郭放浪記」さんからです。それではオーバー・ザッ・レインボッ!

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零汰

変則横濠 (2024/05/20 訪問)

こちらは変則的な濠となっていました。
hを逆さまにしたような濠の配置です。
東側は崖迄続くチャシには珍しい幅広の横濠があります
西側は自然地形なのか加工されたのか判断付き兼ねる崖迄続く横濠があり南に延びています。
その東西の横濠をお互い繋げるように横濠が入っています。
目視ではその繋げる横濠を確認出来たのですが写真では分かりかねます。
その写真は先輩の投稿に有りますので参照されると助かります。

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たか

休暇の空いた時間に (2024/07/28 訪問)

酷暑の中、家族も出かけているため行きやすいお城は無いかと調べて行ってきました。
ご城印も石浜神社の売店で購入できるということで一石二鳥。
なんて喜んでいたのも最初だけ…とにかく暑い!
南千住駅を出てJR貨物の基地を迂回しながら隅田川を目指しました。

遺構は無く説明書きがあるだけで、確認するといくつかの候補地の中で有力なのが石浜神社という事でした。
神社も立派で参拝もでき有意義な休暇でした。

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モト

これこれ、見たかったのはこんな城跡です! (2024/07/28 訪問)

城の間取りがわかる縄張り、そこにある虎口、残る石垣、素晴らしい遺構たちでした。
城跡のある山頂付近まで車で行け、そこからは5分で三の丸に入ります。
石垣がかろうじて残る三の丸や本丸にある虎口。
またそれぞれの曲輪を守る石垣はどれも雰囲気のある見所あるものばかりでした!
ここは説明するより、まずはみなさんにぜひ行っていただきたいです!
建物はなくとも残る石垣が好きや、縄張りを把握して歩くのが良い方には絶対おすすめです。

訪問した日は神事を執り行う日でした。
毎年7月28日にやっているとの事です。
城跡を皆さんで守ってくれているんですね。
感謝です。

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肉球

伊達氏一門・大條氏居城 (2024/07/13 訪問)

本丸は坂元神社
二の丸は小学校
堀跡も確認しやすいお城です。
大手門と茶室が現存していますが
茶室は現在修築中でした。2024年8月末まで
大手門脇や坂元神社の下に駐車場有。
本丸の南側の森の中には歴代城主の墓所があります。
サンドイッチマン伊達さんの御先祖様が城主のようです。

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肉球

本郭まで🚗で行けます (2024/07/13 訪問)

北の伊達氏の備えとして相馬氏によって築かれたようです。
郭や穂空堀は地元の方々によって大切に管理され
春にはチューリップ畑に様変わりするようです。
お城の中枢部以外にも遺構があるようですが
この時期は確認できません。

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イオ

とことん江戸城・番外編(旧芝離宮) (2024/05/30 訪問)

楽寿園は江戸前期に老中・大久保忠朝が上屋敷に作庭した大名庭園で、その後数氏を経て幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治には有栖川宮家から宮内省が買い上げて芝離宮としました。昭和天皇の御成婚を記念して東京市に下賜されると、旧芝離宮恩賜庭園として一般に公開されて現在に至ります。

昨年に浜離宮(浜御殿)を訪れた際に、旧芝離宮とのセット券を買っていながら来ることができず、さすがに期限切れだよなぁ…と思いつつ調べてみると、有効期限なしとのことで、幸か不幸か増上寺を再訪することになったことでもあり、浜松町駅からまずは旧芝離宮を訪れました。

楽寿園(旧芝離宮)は大泉水と呼ばれる潮入の池を中心とした回遊式庭園で、州浜や砂浜を設けて潮の干満による景観の変化を楽しめるように造られていましたが、周辺の埋め立てと工業化により現在では水位の変化のない淡水の池になっていて、海水取入口跡の石垣と水門に潮入の名残が見られるのみです。大泉水には中島、大島、浮島など大小いくつかの島が配され、中央の蓬莱山に見立てた石組の中島へは西湖の堤を模した石造の堤が続き(反対側の八ツ橋は工事中でした)、最大の大島にはたい焼きを思わせる形の鯛橋が架けられていました。

勇壮な石組も特徴で、大久保忠朝の領国である小田原から運び込んだ火山岩による根府川山、山峡を流れ落ちる滝を石組で表現した枯滝、枯滝を越えて大山に続いていたとされる臥龍橋も鯛橋と同じく根府川石だったと思われます。後北条氏に仕えた松田憲秀旧邸の門柱も小田原から運び込まれて、上屋敷の茶室の柱としたと云われています。

…う~ん、浜御殿(浜離宮)や小石川後楽園はまだしも江戸城と関係がありましたが、楽寿園(旧芝離宮)に至っては江戸の大名庭園ではあっても江戸城とは全く無関係ですね。ともあれ、お天気も良く純粋に庭園散策として楽しませていただきました。
 

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しんちゃん

唐人お吉記念館 宝福寺・下田市1丁目 (2024/07/15 訪問)

宝福寺には「唐人お吉」こと「斎藤きち」さんのお墓があり唐人お吉資料館が併設されています。お吉さんは初代駐日アメリカ合衆国総領事タウンゼント・ハリス氏のお妾さんのイメージが強いですが、後世の創作の部分も多いようで、実際のところは良くわかっていません。ただハリスの秘書兼通訳のヒュースケンは強硬に自分とハリスに「女性」の介護人を要求しており、これを幕府側が妾を要求していると思い込んだ節があるようです。このヒュースケン、なかなかの曲者でわざわざ混浴を見物に行ってたりします。
なんとなく、ハリスより好き者の感じがしますが(若いし)、それは置いておいて‥
史料館の中には土佐藩主・山内容堂と勝海舟が謁見したという部屋が残されています。ここで勝海舟は弟子・龍馬の脱藩の罪の免除を願い、酒の飲めない海舟が大杯を飲み干したことで、喜んだ容堂が龍馬の罪を許したという逸話が残っています。
たまたま宝福寺に宿泊していた容堂を、天候の悪化で下田に避難してきた勝海舟が訪ねて来たわけで、偶然のもたらした結果といえますが、龍馬を縛る鎖が無くなったことで幕末の世に少なからず影響があったと思います。
この時、龍馬は勝海舟と共に下田に来ており、住吉楼という遊郭で謁見の結果を待っていたとされています。

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ぴんぴん

米子城に行きました (2024/07/26 訪問)

初めての訪問、石垣が美しかったです。
天守台からの眺めも素晴らしい。

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ぴんぴん

松江城訪問 (2024/07/24 訪問)

初めて松江城に行きました。
重厚感と醸し出すオーラを感じました。
さすが国宝ですね。

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三浦の晃ちゃん

休憩所に資料あり (2024/07/28 訪問)

公園全体が城趾です。
駐車場から、すぐのところに、休憩所があり、資料があります。

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