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カズサン

北馬出より富士山遠望 (2025/01/10 訪問)

 島田市諏訪原城を令和7年登城始め駿府城の帰路約30km程の所、1号線BP島田より降りて旧1号線の現県道381号線を浜松方向約6km程で諏訪原城到着、駿府城に次いで諏訪原城も平成7年の登城始め。
 諏訪原城ビジターセンターで休憩、情報収集し散策開始、風も冷たく吹き荒む中でまず見所の二の曲輪中馬出へ、中程まで進むと諏訪原城の幟旗が三日月堀沿いに並び、遠く雪を被った富士山を遠望する事が出来る、今日は駿府城と同じく富士山が良く観える、スッキリした富士山を諏訪原城から見るのは久しぶり、また感激です。
 北馬出で更に大井川越しの富士山、北馬出薬医門越しの富士山、薬医門内に富士山を入れてといろいろの角度で眺めてまた撮影、北馬出で富士山を戯れ遊んでしまいました。寒さの中訪問者登城者は私だけの独占諏訪原城でした。

 次は寒いのでショートカットし外堀周遊して二の曲輪馬出散歩し東馬出からの富士山遠望を目指す。
  

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イオ

江濃境目の城 (2024/10/20 訪問)

織田信長の侵攻に備えて、浅井長政が近江・美濃国境の野瀬山に朝倉氏の支援を受けて築いた城で、堀秀村と樋口直房が守将となりましたが、竹中半兵衛の調略により開城しています。

朝イチで向かった八講師城への林道がまさかの車両通行止だったので、お城EXPO後に行く予定だった長比城に転戦しました。登城口の駐車場近くに備え置かれているリーフレットをもらって登城開始。リーフレットを補充しておられた野瀬山会の方の話では、神明神社の麓から東側に登って行くルートのほうが歩きやすいとのことだったので、そちらから20分弱登って東曲輪に到着。

長比城は東と西の二つの曲輪からなり、東曲輪のほうがひと回り大きく高い位置にあります。東曲輪の南端には浅い堀切があり、堀切の内側に内枡形状の虎口を設けています。東曲輪は土塁で囲まれていますが、東辺の土塁は特に分厚く高く、美濃側への防備が窺えます。北東隅には喰違い虎口が開口していて、北西辺の土塁上からは南に東山道(柏原宿)を見下ろし、北に伊吹山(上平寺城と弥高寺)、北西に小谷城を見渡し、要衝の地に築かれた城であることを実感します。東曲輪を一周すると西端の虎口を出て西曲輪へ。

西曲輪も周囲を分厚く高い土塁で囲み、東端には喰違い虎口が、南西部には平入りの虎口が開口しています。南西部の虎口を出たところには二条の竪堀が南方向と西方向に落ちていて、虎口への侵入ルートを制限しています。西方向への竪堀を越えて北側に下りて行くと、長比城の北曲輪ともいわれる須川山砦に至ります(続く)。
 

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赤い城

タイガースファンの聖地? (2024/12/30 訪問)

2024年の城納めで登城しました。
弘海寺跡が駐車場になっていてここから登ります。
竹の杖も置いてありました。
舗装された道をしばらく進むと登城口に。

険しいですが整備されていて歩きやすいです。
しばらく登ると石が転がっているエリアへ、その先に北尾根の曲輪がありました。
堀切も見られます。

さらに登っていきます。
三角点のある曲輪を経て進むと主郭下に。
ここから主郭までがかなり急、ロープも頼りにしながら登ります。
主郭には新宮大社が鎮座します。
もちろん眺望も良いですよ。
虎にちなんでなのか主郭の小屋の中には阪神タイガースの旗が飾られています。
かなり色褪せていますが・・・。

訪問ノートにサインし、南西側の尾根に降りていきます。
大きめの堀切が施されていてここも見どころ。
主郭に戻り南側に下りるとこちらは藪、浅くなった堀切は確認できました。

新鮮な空気を吸って下山しますが主郭下の畝状竪堀は見逃せません。

寒川氏が築城、その後安富氏が入りました。
その後十河存保が入り、土佐の長宗我部氏との攻防を繰り広げました。
十河氏撤退後は長宗我部氏により利用されたようで先述の畝状竪堀群はそれを示すものとなります。

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todo94

1月2日の攻城 その2 (2024/01/02 訪問)

奥平城からの転戦です。駐車場と登城口は城の南側にあります。赤い城さんの投稿を事前に拝見していなかったので、私は主郭には足を踏み込めていません。鉄塔方面に向かうには民家の前を通らねばならず、住人の方がいらっしゃったので躊躇してしまったということもあります。狼煙台跡あたりからの眺望は富岡市内や妙義山、クレヨンしんちゃんの作者が転落死してしまった荒船山などが望め、とても良かったです。主郭には踏み込めていませんが、とりあえず、西毛地域の城びと登録物件はこれでコンプリートとなりました。国峰城や松井田城など、再訪したい城はたくさんありますけれども。

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小城小次郎

若干古めかしい感はあるが (2024/04/27 訪問)

阿賀野市にも安田氏の安田城があるがこちらの安田城と安田氏はそっちの安田氏とはまるで無関係の越後毛利氏一族。使用年代を考えると若干古めかしい感のある城だが古めかしいのは鎌倉以来の名族だからかなとも思ったり。

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you

往く年の 朝に微かに 白化粧 纏ふ城山 耽美と言へり (2024/12/29 訪問)

“微かな白化粧”は雪でなく、城内の要所要所に霜が降りていたのを形容しています。

遅蒔きながら年末の関東名城巡りからひとつ、大名千葉氏の居城 本佐倉城。
年忘れ、初の千葉県上陸を果たしました。
東京に前泊し、早朝から特急に乗って佐倉市へ。
当日は天候にも恵まれ、都会の喧騒から離れた場所で悠々閑適な時間を過ごせました。

城郭内外合わせて10の郭から構成されており、その面積は県内最大級なんだとか。
すべてをまわることは叶いませんでしたが、Ⅴ郭の東山馬場とそこに設置された月星紋盾や
Ⅲ郭とⅦ郭を分かつ大きな堀切が特に見どころといったところでしょうか。

当方、生まれも育ちも関西で東日本の城はまだ殆ど訪れておりません。
関東は特に土造の城が多く遺っていますが、石垣マニアの自分は「土の城」にあまり精通しておりません、、
パッと見ただけではどこが主郭部分でどういう縄張でとかほとんどわかりません
(わかるのは堀切くらい?)。
ですが、ここと次に訪れた佐倉城は遺構の状態が非常に良好で、往時の息吹を感じることができました。
名城指定はされていませんが、関西だと楠木七城のひとつである烏帽子形城なんかも土塁や堀切、曲輪などその遺構規模から馥郁とした中世城郭の香気を漂わせています。

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しんちゃん

いろいろビックリ岡崎城! (2025/01/13 訪問)

リハビリとリア攻めを兼ねて岡崎城に寄って来ました。もう10回くらい来てる気がするなあ・・。まず最初にゲームのアプリで武将が一気に7人も見つかってビックリ! メジャーな武将が一気に網にかかって来た感じです。田中吉政さんと渡辺守綱さんは一万石ですか・・安くない? 先ほど通りすがりに加藤嘉明をゲットしたばかりですが、一気に家臣団充実です。 
あっ! シローさん、城びとの投稿も真面目にやりますので、ご容赦くださいませ。
夕暮れにさしかかって、がっつり城めぐりを楽しむ時間帯ではないですが、散歩するぶんには問題ないです。青海掘を眺めながら天守へ向かいます。この青海掘、岡崎城を築城した西郷頼嗣の号である「青海入道」から、その名が付けられたそうな。青海入道というと三好青海入道の名が浮かんできてしまう・・。
で、天守を見てビックリ。松が無くなってる! これまで天守の前にで~んと居座っていた二本の巨大な松が無くなっています。見晴らしは良くなったけど、なんか岡崎城じゃないみたい・・。今日はいろいろ驚かされた一日でした。

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しんちゃん

城めぐりびと(汗) (2024/01/13 訪問)

年末年始の城めぐりの最中は、ずっと風邪に悩まされていrて、この三連休はずっとダウンしていました。もったいない・・。
ちょっと回復して来たので、ニッポン城めぐりのリア攻めを兼ねて西尾城を訪問することに。遺構も結構残っているし、リハビリを兼ねて散歩するにはちょうど良い城です。今さらながらニッポン城めぐりにハマっているんですね。まあ、もともとスマホが古くてニッポン城めぐりのアプリがインストールできなかったので、しかたなく城びとを始めたというのが、なれ初めではありますが・・
あっ! 城びと編集部のシローさん・・冗談です!いまは「城びと」に関わることができて良かったと思ってますよ!
本当ですよ~(汗)

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しんちゃん

六郷神社 (2024/12/22 訪問)

八幡塚砦は六郷神社の境内が砦跡になるようです。永禄12年(1569)に武田信玄が小田原北条氏を攻めた際に、行方弾正明連が砦を構えて戦ったとされています(諸説あり)。
境内は案外広いですが遺構は有りません。神社の由緒書きに「八幡塚」の名が記されているようです。

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Ninja

埼玉古墳群とセットで (2025/01/05 訪問)

埼玉県の城は初登城です。忍城と埼玉古墳群はずっと行きたかったところで、2025年、早々に願いがかないました。資料館の絵図や模型で難攻不落の忍城の位置を確認して、水攻めをイメージして城を巡りました。その後、古墳群に行くと、水攻めの際の三成の陣の古墳と堤跡がありました。円墳上からは、忍城付近がよく見渡せました。

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Ninja

戦国時代以前の原型を残す山城 (2025/01/03 訪問)

2025年初登城となります。整備がしっかりされ、堀、土塁、建物跡がよく分かります。木や草がきれいに伐採されていて主な曲輪の広さや高さ、位置が見渡せるところがすばらしいです。東曲輪の五重の堀切が見事です。進んでいる途中、滑って転びそうになりました。登城口には、駐車場とトイレ、説明板、リーフレットもあり、親切です。

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mae

激藪でした😅 (2025/01/12 訪問)

棘混じりの藪を掻き分け、なんとか石積と堀切に辿り着けました。なかなかに難易度高くなってます。
夏場はやめたほうがよいかも。

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とばつびしゃもん

資料館が建つ城 (2024/11/05 訪問)

大可島城から歩いて10分、鞆の浦歴史民俗資料館が建つ本丸へ到着。資料館は祝日の翌日のため閉館。
下城後、福山城から商店に移設されたとされる長屋門と坂本龍馬ゆかりのいろは丸展示館を見学して鞆の浦を離れる。

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足助重範 (2025/01/13 訪問)

 鎌倉時代から南北朝時代に足助氏が居城した城で巴川が足助川と合流する地点の南東にある飯盛山が城址です。足助氏が衰退した後は鈴木氏の支配となりました。主郭は南北30m、東西15mほどで、その下に曲輪を配置しています。山の中腹にも削平地が見られ曲輪の跡と思われます。麓にある香積寺が居館跡で土塁の一部が残っています。主郭からは足助城(真弓山城)の高櫓が見えました。
 香嵐渓バス停から徒歩5分くらいで登城口、主郭までは登城口から約15分くらいでしょうか。駐車場近くから登城し、香積寺へ下りて来ました。登城路は整備されていて歩きやすかったですね。前回、時間の都合で主郭まで行けなかったので、ぶらりと行って来ました。

 しんちゃんさんが投稿されていたように、この城のある香嵐渓は紅葉で有名な場所でシーズンには多くの観光客が訪れます。東海地方では秋の紅葉シーズンになると、どこの局も必ずTV中継しています。夜間ライトアップもあり車はかなり渋滞しますが、それだけの価値はあると思います。冬季の今は葉は落ちて紅葉は楽しめませんが、観光客も少なく車の渋滞もなくゆっくり散策できます。

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とばつびしゃもん

南北朝合戦の舞台となった城 (2024/11/05 訪問)

鞆の浦福山市営渡船場隣接の有料駐車場に車を駐車。そこから数分歩くと円福寺がありここが城跡。遺構らしきものは確認できないが、穏やかな瀬戸内海の景色を見渡し心も穏やか。

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しんちゃん

河崎基家 (2024/12/22 訪問)

年末年始と車中泊で関東・東北の城をざっくり回って来ましたが、この三連休は風邪でダウンしています。インフル・コロナ以外の風邪でも今年のはしつこいので、皆様ご養生くださいませ。
河崎氏館は平安時代の後期に桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族・河崎基家(平武綱)が当地に築いた館とされています。河崎氏館は、もとは平武綱・秩父武綱とも名乗っていて、前九年の役・後三年の役では源頼義・義家父子に従い、仙北金沢の柵で清原武衡らを滅ぼしたとされています。
河崎氏館は現在、稲毛神社になっていて、多くの参拝者が訪れていました。
境内には第六天大明神の社も有ります。第六天魔王と同じ扱いになるのでしょうか? 第六天ははじめは釈迦を惑わす悪魔だったようです。釈迦に誘惑を仕掛けますが、通じず降伏し、やがて仏法を守護する神になったということです(成願寺サイトより)。
つまり織田信長は厳密には仏敵ではなく、守護をする対場でもあったわけですか(ただし逆らうと容赦しない)。

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しんちゃん

遺構が残っているらしい。 (2024/12/22 訪問)

篠原城は正覚院の裏手の山が城址になるようです。小田原北条氏家臣の一人として「小田原衆所領役帳」に名の見える、金子出雲が城主を務めていたそうです。
現在立ち入り禁止になっているようですが、墓地の裏手から一か所だけ入れる所がありました。ガードの切れ間に崩しがあって、そこを降ると堀切らしい場所に至ります。そこで引き返してくるわけですが、はたから見るとただの怪しい人なので、訪問には十分注意を払いたいと思う今日このごろです。

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カズサン

清水御門発掘現場と天守台発掘現場 (2025/01/10 訪問)

 令和7年登城始めの駿府城、坤櫓からの雪を被った富士山の遠望眺望を体験楽しみ、二の丸堀に廻って坤櫓ビューポイントへ、現在はライトアップ工事中、南西から西に廻り西門より入城、西門は元清水御門跡、年末に城びと駿府城公式投稿されいた清水御門跡の発掘調査現場説明会が12月14日に有りました。
 報告会当時の説明会資料が発掘情報館きゃっしるに有るのでは?との予測にて「きゃっしる」に立寄り、展示資料、遺物を見学閲覧、するとパネル2枚で清水御門発掘と本丸北面発掘の現地写真と解説がなされていました。
 同パネルの現地説明会資料を頂きたく係りの方に尋ねると、ここに有りますと資料ラック棚にA3両面印刷三つ折りの資料が多くあり、1枚「駿府城跡発掘調査現場説明会資料R6.12.14」を頂きました。
 きゃっしるの東前に今回の発掘現場である清水御門・仕切石垣根石部の露出部を見る事が出来ました、この場所は清水御門北の仕切石垣は南北に有り西喰違御門と成っており、北側の石垣を発掘調査されたものです。
 投稿写真①~④清水御門発掘現場と展示パネル、⑤は清水御門立看板、⑥~⑩は天守台発掘現場です。
 
 清水御門発掘調査現場説明会資料もゲットし、坤櫓からの富士山の眺望も良く観えて、令和7年登城始めは約1時間半寒い中でしたが楽しい時間を過ごさせてもらいました。
  
 ※ 福岡のトクさんへ 福岡城復元三の丸潮見櫓の完成まじか写真投稿拝見しました、以前より竣工公開したら是非訪ねたいと思っており今春の予定公開後、大刀洗平和記念館の震電と合わせてと思っております。写真投稿ありがとうございました。
 

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)

【城域2:曲輪群[2-2]】
<登城路>大山祇神社から比叡山に至る旧道をひたすら進みます。道は倒木はありますがハイキングコースで谷の底部を進むので比較的楽に行けます。城域2の手前数百mに土橋に上がって京都一周トレイル東山60番を東方向(向かって右手)の比叡山へ進みます。明らかに城跡の虎口みたいな枡形と土塁があるゾーンに入った所が城域2になります。「北白川消防分団18」の赤札が木に掛けてある南側の尾根一帯が曲輪群[2-2]になります。

<感想>尾根に沿って小さな曲輪群が連なった城塞で北東隅の登り口付近の斜面に土塁遺構が良く残ります。最頂部付近は逆に灌木が多く生えて少し散策しづらい、最頂部の東下段にコの状の土塁が残っています。曲輪群[2-2]と[2-3]の東側に緩やかな谷の斜面が広がっていて土砂が堆積したか、当時は武者溜まりだったか判別がつかない場所になっています。このゾーン、編集時のトラブルで写真が消えてしまったのであまりいいのが生き残っていません。次の投稿は曲輪群[2-3]です。

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todo94

1月2日の攻城 その1 (2025/01/02 訪問)

年末年始の帰省を終え、帰着するにあたり、少しだけ回り道をして立ち寄りました。現在は高崎市になっていますが、合併前は吉井町だった地に、あの奥平氏のルーツがあったとは、全く知りませんでした。城びと登録の城を巡っているとこういうことがたくさんあってとても勉強になります。

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