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チェブ

頑張ろう 東北。頑張ろう 日本。 (2024/05/05 訪問)

石碑を探すのに苦労した「下野郷館」です。
「若林城」がある仙台市から車で30分位で「下野郷館」近辺に到達しました。

『何もない所だなぁ。』
不快に思われると思いますが、この辺りの第一印象です。
写真⑤を見つけ、諦めようとすると東日本大震災の津波到達点のプレートがありました。
ショックでした。海は見えません。こんな所まで、津波の被害があったなんて、と呆然としました。
何もない、じゃなく、なくなってしまった場所です。
石碑を整備していただいたのだったら、絶対に「下野郷館」を探します。

『お城を探す』の「下野郷館」の近くに駐在所と消防団のポンプ置場があります。
その奥に集会所がありました。建物の左側に「矢野目足軽城」の石碑と「下野郷館」の標柱があります。

18人1組の10組で構成された足軽の方々。
足軽とはいえ、伊達家直参として政宗公の信望厚く、と石碑は語ってます。
「矢野目足軽城」、足軽の方々にとって誉れなお城です。

東日本大震災から13年経ちました。
忘れてはいけないと思っていたのに、忘れてました。
父は宮城県石巻市出身で、親戚が津波の被害にあい、泣いた日々があったにもかかわらずです。

石碑と標柱を整備してくれた地元の方々に感謝です。
東京の端っこは37℃予報です。籠城して、東北の頑張ってきた歴史を読んでみようと思います。

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しんちゃん

茶臼山城 (2018/01/03 訪問)

香川県さぬき市の富田茶臼山古墳は四国最大の前方後円墳で国の史跡に登録されているのですが、戦国時代には城郭として改造され、使用されています。石積みがいつの時代のものかは解りませんが、角度を変えてみると城郭にしか見えません。
城主は寒川右馬允とされ、築城時期は不明です。戦国時代の武将が古墳を何だと考えていたかは不明ですが、忍城攻めの際に石田三成が埼玉古墳群の一つを陣所として使用しています。古墳ファンには申し訳ないのですが、思わずニヤッとしてしまいますね。

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しんちゃん

高知城の御殿・天守閣 (2013/12/14 訪問)

現存天守である高知城の外壁には土佐漆喰と呼ばれる特殊な漆喰が使用されています。石灰石に塩を加えて焼いた地灰とネズサという発酵処理した藁スサを混ぜて水ごねしたもののとされています。キメが細かく厚塗りが可能で雨に強いという特徴があります。
土佐は台風の常襲地域とされ、土佐漆喰や水切り瓦を伝統的に使用しているようです。塗り立て直後はクリーム色ですが、時間経過と共に白色に落ち着いていくようです。天守閣そのものは、それほど大きくは有りませんが、高知城は平山城で高所に築かれているので、周囲の眺望は素晴らしいです。

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イオ

愛洲氏の里 (2024/05/04 訪問)

南北朝期に南朝方として活躍した愛洲氏が、北から西を五ヶ所川が流れる断崖上に築いた城で、室町中期には一之瀬城から五ヶ所城に居城を移しましたが、北畠信意(織田信雄)に攻められて愛洲氏は滅亡。五ヶ所城も廃城となりました。

西麓の愛洲の館の駐車場から登城開始。鍛錬の段と銘打った階段から主郭へ向かいましたが、比高30mの断崖を一気に登るため、急であるばかりか一段一段の奥行が狭く、足元に注意しつつ手すりを掴んで昇り降りするのが無難です。鍛錬の段を上り切ったところに主郭に南接する曲輪があり、南の曲輪を東に抜けて南側からの登城道に合流し、北に進むと主郭に至ります。

主郭は東辺から南辺にかけて横堀を二重にめぐらせ、それぞれ南辺は竹藪と化していますが、東辺は竹が刈られて見やすく整備されていました。主郭内には城趾碑と説明板に加えて、愛洲公顕彰碑、剣祖愛洲移香斎生誕之里の石碑が立てられています。主郭の南東辺や北辺には土塁がめぐり、北辺の土塁を越えて下りたところには堀切が北西方向への小尾根を断ち切っています。堀切の東側の主郭切岸には石積も見られました。

主郭に南接する曲輪は農地として改変されていて、西辺に土塁と堀らしきものが見られるくらいです。果樹園の中の登城道を南に下って行くと、西側に愛洲氏館と呼ばれる居館跡が広がっています。北辺から北西辺にかけて土塁をめぐらせ、南側に開口部があり、登城道から開口部へ続く道は堀切跡のようです。石積もあるようですが、草木が茂っていてよくわかりませんでした。愛洲氏館からさらに南に下って突き当りを東へ、そして案内表示に従って民家の間の路地を進むと塔頭と呼ばれる愛洲氏一族の墓所がありました。ひとつひとつは小さいものの20数基の五輪塔が建ち並ぶ様子には、この地に刻まれた愛洲氏の歴史を重みを感じました。そして最後に愛洲の館で五ヶ所城のジオラマや愛洲移香斎に関する展示を見学して…と思っていたんですが、閉館間際だったため断念…。最初に行っておくべきでした。

…ということで、周辺の史跡も含めてひとめぐりしたものの、愛洲の館だけでなく古井戸も見落とすなど、どうも要領の悪いルートでした。主郭だけしか行かないというのでなければ鍛錬の段なんぞ通らずに、愛洲の館(見学) → 塔頭 → 愛洲氏館 → 主郭 → 古井戸 → 愛洲の館とめぐったほうが良かったように思います。ともあれ、二重横堀や堀切などの遺構はなかなか見応えがありました。
 

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しんちゃん

後楽園 (2013/12/15 訪問)

岡山城に隣接する後楽園は岡山藩主・池田綱政が貞享4年(1687)から14年の歳月をかけて造築させた大名庭園で、日本三名園に数えられています。とはいえ栗林公園などもありますので、本州三名園のほうが正しいのかもしれません。
訪問時は12月の寒気だったので正直地味ですね。良い庭園ではありますが、訪問時のお勧めは田んぼに水の張った5月ごろや井田に稲穂が実った秋ごろが良いのかもしれません。

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しんちゃん

神島- 弐 (2022/10/30 訪問)

灯台を訪問した次は小説のクライマックスの舞台になる監的哨跡を訪問します。太平洋戦争中の遺構になりますが、コンクリート造りの建物は案外しっかりしていて中を散策しても問題は有りません。島の南部はカルスト地形で周囲に石灰岩がむき出しになっています。
この周辺は小説の中でもニワの浜として登場しています。ヒロインの初江さんが海女さんなので、子の浜でアワビとり競争を行った描写が有るようです。

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しんちゃん

神島 (2022/10/30 訪問)

三重県鳥羽市の神島は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となったことで有名になりました。周囲は3.9km 基本移動は徒歩になりますので高低差などを含めると結構な距離ではあります。映画化も5回行われており、ロケも神島で行われています。観光客以外にも釣り人にも人気の島のようで、往復3000円の観光船は訪問客でいっぱいです。
鳥羽市になりますが愛知県田原市の方が近く、観光船なら15分で到着です。東周りに周遊するコースで、まずは小説にも登場する神島灯台を訪問します。

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西光寺 (2024/07/06 訪問)

 葛西清重が出家し居館があった場所に創設したのが、西光寺と伝わっています。山門横の塀から説明板が顔を出していました。

京成本線四ツ木駅から徒歩5分くらいです。

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葛西城址公園および御殿山公園 (2024/07/06 訪問)

 葛西城址公園および御殿山公園として整備されています。遺構はないようですが、御殿山公園に説明板や石碑などがありました。

京成本線青砥駅より徒歩15分くらいです。

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多聞寺 (2024/07/06 訪問)

 多聞寺北側の台地付近が城址と伝わりますが、遺構はないようです。多聞寺山門周辺を見て退却しました。
京成本線東中山駅から徒歩約5分で城址とされる多聞寺へ行くことができます。

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馬加康胤 (2024/07/06 訪問)

 実籾城から徒歩にて登城しました。20分くらいです。遺構はないようなので赤い城さん投稿の「例のマンション」の写真を撮影して退却しました。
 帰りは京成幕張駅まで歩きました。約15分です。

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妙見社 (2024/07/06 訪問)

 妙見社を目指して行きました。宅地になっていてあまり散策できないので、付近を歩いて来ました。

京成本線実籾駅から徒歩15分くらいです。

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しんちゃん

阿坂城の「附(つけたり)」 (2024/02/17 訪問)

枳城は標高180mの尾根の頂部に築かれています。阿坂城の出城とされ、「附」として国の史跡に指定されています。林道が近くまで続いていますが、状態が悪く車が大事な人は歩いてきた方が無難です。主郭は頂部に築かれ、東西に堀切が配されています。北側には帯郭が配されており、南側の通路も帯状の平坦地とされています。主郭には案内板が設置されており、仏像が一体据え置かれ、訪問者を出迎えてくれます。

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しんちゃん

山科本願寺南殿 (2024/02/10 訪問)

延徳元年(1489)75歳になった蓮如は、本願寺の東800mあたりの土地に隠居寺を造り、居住したとされています。跡を継いだ息子の実如が住まう北殿に対し南殿と称され、一辺200mほどの方形をした居館で周囲を堀と土塁で囲まれていたとされ、いまでも土塁が残っています。見学には光照寺の許可が必要ですが、インターホンで確認をとれば特に問題無く見学することが可能です。

山科本願寺南殿跡‥光照寺 京都市山科区音羽伊勢宿町

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ぴーかる

吉川城 (2024/05/11 訪問)

【吉川城】
<駐車場他>駐車場はなし。どんどん庵大府宮内町店で食事し駐車しました。北にある吉川熊野神社に駐車できるようです。
<交通手段>車

<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅7城目。吉川城は1397年、吉加波入道によって築城されたとされます。戦国時代には花井氏の居城となったそうです。1580年に花井氏は寺本城に居城を移したため廃城となったようです。
 現地に遺構は残されておらず、城跡碑と城内にあったと伝わる弁財天が祀られています。同時期に創建された吉川熊野神社には寄りませんでした。

<満足度>◆◇◇

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零汰

佐野鞍懸城(大分県豊後高田市):ひっそりと石垣 (2019/07/27 訪問)

最狂長岩城や一ツ戸城その他大分県は石の城が多いイメージがあります。地元がほぼ土の城一択なので余計にそう感じるのかもしれません。
こちらは一ツ戸城と同じく樹木の生える山頂にひっそりと佇んでいます。違いは破壊が少なく石垣の体を保っている場所が見受けられる事です。標高は100m程度、小規模な城ですが石積ではなく石垣を見られるので国東半島に行かれる際には訪れたら如何でしょう。

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カズサン

源範頼館跡と伝わる (2024/06/08 訪問)

 孫の行事参加も終わり浜松への帰路、以前より高坂氏館の堀・土塁を観たいと、行って見たい城に登録しており周辺未踏の4城を探訪へ、先ずは経路上、源範頼館へ初登城。

 駐車場:館跡の息障院の南駐車用利用。
 参考資料:余湖図コレクショングーグルマップに依る。

 圏央道川島ICから北上し県道345号線と県道271号線の交差点を鋭角に南入、傍の用水が堀跡の様子、吉見幼稚園を東入りすると駐車場が有り、息障院の白壁が北に、山門の西に皆さん投稿されてる堀跡が良く分かります、石碑と息障院由緒が有る、参道の南に門柱前に源範頼館跡の石碑、山門に戻り西側の堀跡の確認、山門を潜り本殿に参拝、本堂の前の松が二本、一本は昇龍の様な姿、素晴らしい松の造りです。
 北側東側西側は詳しくは探訪して居ません、樹木が茂っていますので堀跡水堀跡土塁が残って居るようです。
 

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しんちゃん

坂本城周辺の写真 滋賀県 (2024/02/10 訪問)

坂本城周辺の写真です。石垣公開だけではなく周辺も散策して来ました。本丸石垣はお約束として、西教寺の総門は坂本城を移築したと伝わっています。昭和59年に老朽化が進み修理が加えられ、往時の姿で復元されているようです。明智塚のある場所も城域とされ、落城の際に光秀の脇差・郷義弘を埋めた跡ともされていますが、どうなんでしょう。
安土城の石垣を築いたのは近江の別の石工集団とされていますが、坂本城の石垣は穴太衆によるものではないかと考えられています。実際、坂本は穴太衆の地元なので有り得る話です。これまでは本丸石垣しかなかったので、いささかショボい感じでしたが、三の丸の石垣が見つかったことで国の史跡登録に向けての動きがあるようです。周山城も同様で、これから明智光秀の築城名人としての側面が脚光を浴びてくるのではないかと思います。

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しんちゃん

うどん(香川)県 田村神社 (2018/01/03 訪問)

日本三大うどんといえば、一に「さぬきうどん」でしょう。これに異を唱える人は少ないと思います。なにせ自分たちで「うどん県」といってるぐらいですから。朝にうどんを食べ、昼にもうどんを食べにくる方もいるようです。ひょっとして夜もうどんを食べているのではないでしょうか。写真は、ごく普通のセルフのうどんですが、メチャクチャおいしいです。香川のうどんは日本一でしょう。
二番はやはり稲庭うどんじゃないでしょうか。冷を勧められ「いぶりがっこ」で食べましたが、冷の方がうどんの味が良くわかって美味しいとのことでした。
三番目は、いつの間にか水沢うどんということになりつつありますが、おそらくマスコミと群馬県民がそう言っているだけなので、あまり真に受けない方が良いと思います。他にも氷見うどんとか五島うどんとかいろいろあります。
田村神社は讃岐国の一宮です。祭神は五柱いて、田村大神と呼ばれているのですが、そのうちの一柱が倭迹迹日百襲姫命 で第七代孝霊天皇の皇女で箸墓古墳に葬られているとされ、卑弥呼と同一視する説もあるようです。
境内にはいろいろけったいな像が多いですが、倭迹迹日百襲姫命とモモタロウが並んでどこかを指さしている不思議な像があります。ご利益がありそうなら、なんでもぶち込んでいる感があり、なかなかカオスな空間に仕上がっています。

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しんちゃん

広いのだ。 (2024/01/28 訪問)

関東の北条氏の土の城はダイナミックで見ごたえのある城が多いですが、滝山城もその一つです。緑キラキラ八王子と言いますが、八王子とて東京都でけっこう開けているんですね。よくぞ残ってくれました。
中の丸から橋を経て本丸に至りますが、この橋のかかっている下が堀切道になっていてかなりの深さが有ります。本丸には東と南に虎口があり、それぞれ枡形が付いています。本丸の雷社のある場所が高地になっていて周囲には土塁が残っています。とにかく城域が広くて、本丸や二の丸に相当する曲輪が複数ある感じです。このまま周囲を水堀で囲い近世城郭に改修をしてもかなりの堅城になったのではないかと思います。

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