則定陣屋、椎城、則定城を検索調査中に近くの大島陣屋をグーグルマップで発見、則定陣屋エリアの探訪を終えて探訪に向かう。
住所:愛知県豊田市東大島町林4ー5
駐車場:東大島町グラウンド・集会所(豊田市東大島町仏田)の駐車場を利用。
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
則定城、心月院探訪で駐めた三角路側帯エリアから北東に1.2km程を細い山道、中部電力変電所横を通り、駐車目的に定めていた東大島町グラウンド・集会所の駐車場へ、同駐車場を利用。
駐車場より徒歩で東に70m程降り逆ターンして西方向に降り道なりに、この辺りから田圃の先に石垣に在り屋敷が見える、道なりに200m程進むと石垣のある屋敷前の田圃辺りに着く、東前面の石垣、3基の石樋を望遠で撮影、同じく枡形虎口の様な石囲い、個人宅なのでゆっくり慎重に進む、正面の南側への登り坂、正面には横矢掛りの石垣が南側、北側に備わっている、東面北側の作業所で仕事されてる家人の方に陣屋を訪ねた旨を話、了解を頂く。少し話を伺った、先祖が陣屋屋敷を購入し元の陣屋主石川氏ではない、陣屋の奥に二段目の曲輪が在り前面にも石垣が良く残ってる、との事でした。
入口正面の植栽の中に小さな案内板がある、左方が一部欠損してる案内板ですが欠損部分を推測して次の様に「石川家陣屋跡 七千石の旗本石川家が、慶安四年(1651)から明治維新まで陣屋を置いたところで大島陣屋ともいいました。立派な石垣が残されています。」
余湖図コレクションの情報で、石川貞当によって慶安4年に築かれた陣屋、石川貞当は伊勢国亀山藩主石川忠総の4男であったと有ります。
私有地で個人宅なので内部までは入れませんが二段の曲輪が在りやや東に向き曲輪面々には立派な石垣が残り、コケや草が奇麗に整備されて花崗岩石が白く輝いて居ます、前面の石垣には3基の石樋が有り存在感を表しています。
今回の探訪で素晴らしい遺構を初体験、全国いろいろな所に思わぬ物がまだまだ残っていますね!
この後は松平城山城・松平郷廻りを終えて三河で唯一未踏の安城古城を目指します。
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