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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり③ (2024/07/27 訪問)

この日の攻城の締め。名鉄津島線・佐屋駅から2km余りの道のりを徒歩にてアプローチしました。現地の表記は「古木江城」でした。小さな鎮守の杜があったのでわずかでも土塁なんかが残っていないかと期待したのですが、遺構はなさそうです。道の駅周辺整備事業の工事中で蓮見の会は中止とのことでした。このあとは関西本線経由で大阪へと向かい大阪にて泊をとりました。

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しろりん

360°の眺望が素晴らしい (2024/07/28 訪問)

1394年、木村頼直によって高山川と八坂川の河口にあたる台山に築城しました。これが杵築城(木村城)のはじまりです。1615年に幕府の一国一城令によって破却されました。1970年(昭和45年)に市内外の多数有志の協賛によってコンクリート造りの模擬天守が建てられました。館内は資料館になっていてお城関係のもの以外に、地元出身の名士関連の資料も展示されています。天守閣展望台からは360度の展望が素晴らしかったです。入館料大人400円、無料駐車場があります。

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赤い城

滝の宮公園 (2024/07/15 訪問)

滝の宮公園の駐車場に車を置き登城します。
すぐに「天正之陣滝の宮口」の石碑がありました。
そう、四国の役の一部である天正の陣の舞台でもあります。
小早川隆景の攻めにより落城しました。

舗装された道路を登って上の駐車場から藤棚をくぐると主郭部となります。
石碑が立っていますが遺構は無さそうです。
主郭には展望台があり、瀬戸内海を望むことができます。
展望台の先を下ると段になった曲輪のような地形もあったのですが遺構かどうかは不明です。

下山し、金子氏館跡の慈眼寺へ。
なかなかのお寺で山門横に慈眼寺の歴史が書かれた説明板があり、金子氏館跡に慈眼寺が建った経緯がわかります。
枯山水や庭園も整備、金子氏の墓所もあり金子山城とセットで訪問するのが良いと思います。

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しんちゃん

宮脇城① 平成14年に発見された城‥らしいのだが (2024/07/14 訪問)

youさん、日本城郭検定3級・2級合格おめでとうございます。おいらも来年あたりからトライしてみようかな‥
まずは3級といいたいけど、年齢的に最近記憶力が‥。百歩歩くと忘れる カァ~(トリ頭か)
城びとの城ではありませんが 宮脇城の投稿です。静岡県沼津市内浦三津にある城跡で静岡古城研究会によって平成14年に発見された詳細不明の城とされています。
ネットで先人の投稿を見ると墓地の西側の丘陵の先端に築かれているようです。これなら楽勝と思って車をポリに捕縛されない場所に置いて、墓地から分け入ります。正直、すぐ攻略できると思って、ストックや水を持って行きませんでした。
後でしまったと思うことになるのですが‥腰郭が幾つかあって、それにつられるように登っていくと東の尾根上に行き当たります。
そこまでの行程はとても険しく、先日の雨も手伝って足元が滑ります。引き返すことも考えたのですが、けっこう進めてしまうので、行けるところまで行くつもりで山上を目指します。比高100mほども登ると扁平地にたどり着きました。
なんとなく城址の雰囲気はありますが、遺構はまだ見当たらない。進んでいくと謎の石がごろごろしてます。加工して城の防御の強化に使ったりしたのだろうか? 水を持たずに来たので喉が渇く。木々の葉に雨水がしたたっているので口に含むと少し気が楽になります。そのまま先に進む。引き際は気を付けつつも行けるところまで行くことにしました。

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you

第24回日本城郭検定の結果が返ってきました。

結果は、、、

3級・2級合格!!うれしすぎるので書き殴ります。
結構前から検定は受けたいと思っていたのですが、なかなか勉強を始めず、、、
気づいたら8年くらい経ってました。
4級が廃止された事すら知らなかったというところからのスタートです。
当初は3級のみの挑戦を考えていましたが、城好きとして2級は欲しいところと思い、併願を申し込みました。
対策中の手ごたえとしては、2級がなかなか伸びが悪かったです。
過去問で十分に対策ができるという声をよく耳にしていましたが、2級に関しては本番で足元を掬われるだろうと感じていました。

6月23日。いざ、迎えた本番!
まず3級からの受験、過去問と比べて難易度が大幅に上昇していましたね。
この検定では3級が初級、2級が中級とされているのですがね、、、
どんな試験でも、回を重ねるごとに対策がされるので難易度が上がるのは自然なことですがそれにしてもねぇといったような。
解答中、自信がない問題には?マークを付していましたが、その数が3割を超えてしまい一気に不安になりました(得点率7割で合格)。
終了後も、2級に向けた最終チェックも十分にできないまま1つ目の戦いは幕を閉じました。

午後からは2級の試験がスタート。
多くは語りませんが、3級と同様いやもっとひどい、、、
自信がない問題は約半分を占めていました。

公式解答が発表されてから合否が分かるまでの約1か月。
3級に関しては自己採点で合格ラインを超えていたのですが、2級に関しては得点調整が入るのを願う毎日でした。
とても長い1ヶ月でしたね。結果発送予定1週間前後は家のポストを逐一確認していました。
今回私が受験した3級と2級はいずれも得点調整が入っており、ボーダーラインが大幅に下がっていました。
どちらも難化していると言って差し支えない。
何はともあれ、1発で合格できたのがめちゃめちゃうれしいです!

最後に、近年の城郭検定は初級の3級ですら過去問を解くだけでは対策しきれないと断言できます。
繰り返し出題されている問題もありますが、それだけで合格点に辿り着けるような構成には当然なっていません。その年の時事問題なども出題されます。
参考書を眺めるのも手ですが、観光・旅行等で現地に赴いた方が城の外観や歴史が思い出とともに自然と記憶に残るので、無理に頭を使わずに知識をつけることができます。
是非、勉強がてら足を運んでみましょう。
今回受験した2級の問題にも、私の地元のお城に関する問題が1題ありました。
参考書で勉強しているときには一度も目にしませんでしたが、何度か訪れたことがある城だったので、本番ですんなりと答えることができました。
これから受検をされる方にとってこの駄文が少しでも参考になれば幸いです。

長々と書き殴りましたが、目の前には準1級の文字がかすかに見えています。
知の天守閣へ、いざ。

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トク

元気をもらいに熊本へGO! (2024/07/31 訪問)

あまりにも暑い日が続き、もう夏バテ気味だったので、ここは元気をもらおうと熊本城へ行ってきました。

まずは私の好きな加藤神社からのアングルです(写真①)。そしてそこから間近に見える「宇土櫓」です。素屋根がおしゃれになっていました(写真②)。中の様子はわかりませんが、この余裕から工事は順調に進んでいると思われます。そして、この工事中に新たな事実が! 宇土櫓下の石垣の高さは堀底から21mとされてきましたが、さらに堀底の下には土が堆積されていて実際は25mある事が新たに分かったそうです(写真③)。

奇跡の一本足「飯田丸五階櫓」は、石垣の積み直しも終わり、足場や重機も撤去されていました(写真④)。そして気になっていたビスのような金属は、やはり積み直した石垣の隙間にセメントが注入され、固まるまでの補強に使われているようです。最終的に撤去するのかどうかはわかりませんが、この後いよいよこの上に、解体保存されている櫓の建物を組み上げていく作業に入ると思うので、引き続き注目して行こうと思います。

そしてまた、くまモンスクエアへ寄ってきました。夏休みなので子供達がとても多かったです。でもこんな事くらいで・・・トクおじさんは負けません! たとえ火の中ガキの中、あえてその輪の中へ突入し、そしてハイタッチに成功! これで元気をもらいました~!(写真⑤⑥⑦)。

最後に、スクエア横の「味千」で熊本ラーメン食べて帰りました。こってりとした黒胡麻入りにんにく醤油とんこつでさらに元気をつけ、路面電車で熊本駅へ向かい帰りました(写真⑨⑩)。


ここでくまモンからの伝言を、お伝えします。

熊本城へお越しの際は
くまモンスクエアへもぜひ
「遊びにきてはいよ~!」
「待っとるけんね~!」

との事です (え!それ本当ですか😱?)
 

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零汰

北の大地最終日:道南一周 (2024/05/23 訪問)

最終日は函館を起点に半時計周りで道南一周しながら城跡訪問しました。

北海道14・15泊目は函館内のホテルに宿泊しました。函館入りの日にテント装備は宅配便で鹿児島に送り装備重量はマイナス20kgとなりました。終始頭は鮮明でしたが、毎日350~500km走行していると装備重量40kgはだんだんと重くなってきていました。10日目辺りからどことなく身体には疲労が溜まっていた様で運転がへたっぴになって来てました。本来の生物学的な人間の寿命は現在の私の年齢程度らしいので無理もありません。

朝4時半にスタートし夕方6時にホテルに到着。約13時間かけて道南一周しながらの城跡訪問でした。

1.弁天台場跡・・・・写真1
2.南部陣屋・・・・・写真2
3.志苔館・・・・・・写真3
4.四稜郭・・・・・・写真4
5.館城
6.洲崎館
7.花沢館
8.勝山館・・・・・・写真5
9.比石館・・・・・・投稿済
10.原口館
11.松前城・・・・・・写真6
12.徳山館
13.隠内館・・・・・・写真7
14.脇本館・・・・・・投稿済
15.茂別館
16.五稜郭・・・・・・写真8
番外:津軽藩シャリ陣屋・・・写真9、南部砂原陣屋・・・写真10

写真付きはダイジェストです。それ以外を個別投稿予定です。

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しんちゃん

春の久能山 (2015/03/28 訪問)

春の東照宮です。山城でなくて久能山東照宮としての投稿ですね。日本平からロープウェーで渡るわけですが、日本平に向かう途中の橋の上から清水港と富士山が良く見えるスポットが有るんですわ。
知る人ぞ知る富士山撮影スポットですが、港町と富士山の組み合わせもなかなか乙なものです。東照宮のしだれ桜もキレイでした。展示してあるプラモデルもじわじわ増えていますね。では、赤猫ヤマト発進ニャ(火事?)。

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しんちゃん

日進月歩 (2021/11/20 訪問)

富樫館跡は加賀国守護・富樫氏の居館跡で建武2年(1335)富樫高家以来代々、守護を継承してきました。令和6年4月からの発掘調査で堀の一部が発見され「和鏡」が発掘されています。最近なんですね、正確な位置が解ったのは。
自分が訪問した時は石碑を確認して、近くの山川館跡を散策し、周辺をあたりをつけてうろついてます。外れたかな~‥。

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たか

鶴丸城と夏蔭城 (2024/07/19 訪問)

「鹿児島城へ」とタクシー運転手に言ったら「鶴丸城」だねと言われて、鹿児島城ですと再度言ったら「鶴丸城だね」と…
なんだかモヤモヤした気持ちで到着。
立派な御楼門に思わず感嘆の声が…
この御楼門を復元させた方々の苦労を見てさらに感激。

御楼門をくぐりいきなり石垣に無数の弾痕。
西南戦争のすさまじさを感じました。

一通り見学が終わりせっかくなので本丸跡に行こうと思い、近くのご城印を売っている案内所で話をしていると、夏蔭城というところが夏蔭公園にあるとの情報。
さっそく車で城山展望台近くをパンフレットを片手に散策するも全くわからず…
困っていたところ城山霊園管理事務所におられた非常に親切な女性に詳しく場所を教えてもらい移動。
場所的にはそこからはかなり離れており、草牟田小学校の南側の小高い場所でした。

行ってみると石碑と説明板しかありません。
説明板によるともともと鶴丸城の裏手の見張り場所で砦などは無かったけれど、大きな楠などがあった高涼地で夏蔭と呼ばれていて、いつしか夏蔭城と言われるようになったと記載されていました。

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しんちゃん

史跡広場 春日山城の総構 東城砦 (2023/09/13 訪問)

春日山城は約2km四方に遺構が分布していて非常に広い城域を誇っています。山城の東裾野に監物堀と呼ばれる総構があり水堀も配されていたようです(案内板より)。総構の北端に春日山城史跡広場があり周囲に土塁や水堀が再現されています。
そこからすぐ近くに東城砦があり総構の一角を成し、周囲に土塁等が復元されているようです。堀秀政の従妹で掘家家老の堀監物直政が監物堀の由来だそうで総構は堀氏の時代に築かれたようです。監物堀や東城砦は城郭放浪記さんから情報をいただいています。
上杉謙信公の像は春日山城の登城道にもありますが、写真の騎馬像は上越市埋蔵文化財センターの広場に設置してあるものです。上越市には上杉謙信公の像が10体以上もあるらしく、今でも地元で根強い人気を誇っていることが伺えます。
歴史の転換期に上杉氏は会津に移封となりますが、やはり上杉は越後とは切っても切れない繋がりがあるような気がします。

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たか

熱い思いについ感涙 (2024/07/17 訪問)

なかなか行けなかった熊本城へ行ってきました。
震災の傷跡は未だに残っており、それを多くの工事関係者が着実に復旧作業を続けていました。
わたしの会社関係にこの復興に携わっている方がいます。
その方の言葉が重く、いかに熊本城が象徴であるのかを教えてもらいました。
そうしてひとつひとつ見学していると込み上げてくる思いがあり思わず感涙してしまいました。

安全には留意してもらい、一刻も早く象徴の復旧をできるべく祈っております。
宇土櫓が現在見れなくなっており残念ではありましたが、いずれ公開された際には再度訪問したいと思います。

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しんちゃん

春日山城 ひと昔 (2013/08/23 訪問)

七尾城の写真をがさごそしてたらか春日山城も一緒に出てきました。城めぐり初めて2年あまりで百名城と後の続百名城はたいがい周っているので、いくらでも出てくるんですわ。
七尾城と並んで日本の代表的な山城です。春日山の山頂から周辺一帯に築かれていて、広い城域を持っています。為景、晴景、謙信、景勝の長尾2代(3代)、上杉2代の計4代に渡って居城として使われました。上杉景勝の会津移封の後、越後に入った堀氏は福島城を新たに築いて入り、春日山城はその役目を終えています。すこし古い写真になりますが、春日山城自体はほとんど変わっていないと思います。
悠久の永い時間を越えて存在して来た城址で、これからもその姿を留め続けてほしいものです。

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しんちゃん

がさごそ (2013/08/23 訪問)

三浦の晃ちゃんさんの情報では本丸に入れないそうです。今年の1月1日の能登半島地震の影響ですね。被災地の復興を願うとともに、できるだけ早い復旧を願います。がさごそ‥
ふむふむ‥駐車場から調度丸までの区間は復旧しているようですね。ちなみに本丸駐車場のトイレは使えないようです。
七尾城は能登国守護・畠山氏が16世紀前半に築いた山城で石動山系一帯に城域が広がっています。天正5年(1577)上杉謙信によって落城させられ、上杉方の城になりますが天正9年(1581)に前田利家が入っています。利家が拠点を小丸山城に移したあとは、子の利政が入りますが天正17年(1589)に廃城になりました。

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todo94

青春18きっぷ・猛暑下の城めぐり② (2024/07/27 訪問)

蟹江城から蟹江駅には戻らず、直接徒歩にてアプローチしました。体温越えの高温の中を延々と歩いたため大層な発汗量となりました。尾張には常滑市にも大野城がありそちらの方が有名かなとは思います。こちらは蟹江城の支城です。

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しんちゃん

駿府城  いろいろ (2024/07/13 訪問)

駿府城の残りの写真です。何気に駿府城から富士山が見えるんですよ。私は家康公が頻繁に天守閣に上がっていたんじゃないかな?と思います。家康公、富士山大好きですからね。駿府城の模型にも欄干が付いているしねえ。何気にいいトレーニングになりますし、階段は最高のトレーニング器具です。
今川義元公の下での人質時代も後の天下人への基礎を養うのには最適だったようです。巽櫓には臨済寺の竹千代手習いの間が再現されています。ここで竹千代(後の家康公)は今川家軍師の雪斎和尚から学問を学んだとされています。元々義元公は竹千代を人質として骨抜きにするために「酷く育てよ」と言っていたそうです。酷くとは甘やかせという意味なんですね。
でも酷く育てるはずの竹千代に英才教育を施したということは、竹千代に氏真の右腕としての役割を期待していたのではないでしょうか。義元公も後の家康公の非凡すぎる才能に気が付いたということでしょう。でも桶狭間の合戦で義元が討ち取られると、元康は今川を見限る決断をします。そのため多くの三河武士の人質が串刺しにされてしまうのですが、家康公は普段は温厚で慈愛に満ちていても、いざとなると容赦なく決断を下し、いかなる犠牲をも受け入れる二面性を持っているように見えます。
なんというか非常に闇が深いですね。信長公にしろ、秀吉公にしろ天下統一を志す、もしくは成し遂げた人物は皆、底知れない闇を抱えていますが、家康公は別格な気がします。

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小城小次郎

西に向いた意識は誰が誰を意識したものか (2024/01/27 訪問)

静岡平野に突き出す細長い丘陵は乱流していた安倍・藁科川とともに駿府の守りの要。西に向けた強い意識は今川が狩野に向けたものか武田が徳川に向けたものか徳川が豊臣に向けたものなのか。これを突き止められたら面白いぞ。

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しんちゃん

阿尾城 ついでに投稿 (2015/10/24 訪問)

鳥越城の写真と一緒に阿尾城の写真も出てきちゃったので、ついでに投稿します。案内板には天正・文禄年間(1573~1596)ごろに菊池右衛門入道・十六郎父子が居城したとされています。菊池氏は佐々成政に従いますが、後に前田利家に寝返り、子孫は加賀藩士になったそうです。阿尾城は富山湾に面した、独立丘陵の上に築かれ、東から伝本丸、白峰社旧知、伝二の丸、伝三の丸と続き、伝本丸には櫓があったとされています。
伝本丸の周囲はものすごい崖で、しばらく立ち入り禁止だったようですが2023春より入れるようになったようです。

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しんちゃん

通行止めらしいけど (2015/10/24 訪問)

鳥越城登城道は2022年8月4日の大雨により土砂崩れが起き通行止めになっているようです。一刻も早い復旧を祈ります。
ガサゴソ‥というわけで昔の写真を持ってきてしまいました。
鳥越城は車道が城址のすぐ近くまで来ており、駐車場も用意されています。西側から南に回り込むと本丸の南に枡形虎口が再現されており、そこから本丸に入ります。枡形にかかる枡形門と本丸門が再現されており、土塁などの遺構も非常に良く再現されているようです。枡形門の周囲は石垣で固めてあり眺望もすばらしく、一向一揆の白山麓門徒の城を十分に堪能させていただきました。

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零汰

遺構が鮮明 (2024/05/10 訪問)

こちらは春採湖に突き出た半島?にあるチャシです。
入口の二重の濠、南側の濠などの配置等から砦が主だったと思われます。
書面にはしかりとした土橋も残っています。
半島の付け根に堀切あるかもと探しましたがそれは無かったです。
こちら遺構が鮮明ですのでお勧めです。

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