大垣城への帰りに寄り道でしゅ
やっぱり中には入れないでしゅが
瓢箪から出る出世の泉を飲ませてもらったでしゅよ
出世できましゅかね?
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検索結果・・・「」を含む投稿
2024/03/31 19:02
駐車場がせまいけど (2024/01/06 訪問)
大垣城への帰りに寄り道でしゅ
やっぱり中には入れないでしゅが
瓢箪から出る出世の泉を飲ませてもらったでしゅよ
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2024/03/31 19:02
飛山城散策1/2(ライトライン) (2024/02/23 訪問)
小川城より転戦。上毛高原駅より高崎駅まで上越新幹線。高崎駅から両毛線で横スラして小山駅。小山駅から北上して宇都宮駅。
宇都宮駅東口に降り立ったら長蛇の列が…。そろそろサービス開始時のほとぼりが冷めたかな,と思っていたのですが…。
交通系IC決済の場合は,先頭車両に並ばなくても良いです。現金決済の方のみ,整理券を取って先頭車両へ。
車両の内部はまだ新車の匂いがプンプンしていました。「なんとか旬に間に合ったな…」と安堵しました。
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2024/03/31 18:47
2024/03/31 18:27
2024/03/31 18:13
風が気持ちよく景色も (2023/09/23 訪問)
下僕は汗だくになってたでしゅ
ベンチは多くあって何回も休憩したでしゅ
もちろん中には入れなかったでしゅが
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2024/03/31 18:03
2024/03/31 17:55
2024/03/31 17:14
2024/03/31 17:09
2024/03/31 15:23
緩やかな坂を上ると、、、。 (2024/02/10 訪問)
佐谷 実幹さんが築城した「笠松城」。
当時は「佐谷城」と呼ばれてました。
道路沿いに『市指定文化財 笠松城跡→』の案内板を見つけました。矢印の先は、緩やかな坂上に向いています。
上って行く感じが、なんとなく前に投稿した「志筑城」に雰囲気が似ていました。
が、どんつきには民家があり、立入禁止のプレートがあります。右手前に説明板があり、その向こうに広い場所、郭跡のようです。
こちらに車を停めて、説明板に戻り写真を写しました。説明板には、防犯カメラ作動中とあります。
郭をぐるっと歩きたかったのですが、ソーラーパネルが並んでいて、躊躇してしまいました。
足元にある石が、石垣の一部に見えてきて欲しいと願う「笠松城」攻めでした。
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2024/03/31 14:46
2024/03/31 14:41
江戸城探訪ー春季皇居乾通り一般公開 (2024/03/27 訪問)
春季皇居乾通り一般公開に行きました。春の乾通りのコースは桜を観賞するものですが、残念ながら、桜はまだ開花前のものが多かったようです。一方、お城好きには江戸城内で普段近くで見られなかったり、建物等を別の角度から見ることができるため、別の楽しみがあります。
散策コースは南側の坂下門から入り蓮池濠、乾濠に沿って歩き、北側の乾門に抜けるものです。途中に右手に富士見櫓、富士見多聞、西桔橋が、左手に局門、門長屋を見ることができました。
機会があれば、是非一般公開に行くことをお勧めしますよ。
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2024/03/30 22:53
江尾十七夜と天守台 (2023/06/17 訪問)
この地で滅んだ蜂塚一族を悼む祭りが「江尾十七夜」として現代にも伝わる。城跡自体は蜂塚氏の後の吉川氏・中村氏による織豊系の色が濃く、主郭虎口の脇に多量の瓦を残す櫓台は・・まあ天守台だわなという風情を湛えている。
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2024/03/30 22:28
2024/03/30 22:21
2024/03/30 22:15
赤松則祐 (2024/03/30 訪問)
南北朝期に赤松円心の三男則祐によって築かれた城です。 戦国期には織田方の播磨侵攻の際、城主であった宇野政頼・祐清父子は、当初は織田方についたようですが、第二次上月合戦の際に毛利方に寝返り、その後、羽柴秀吉の軍勢によって落城したと伝わっています。
長水山に築かれた城で、山頂部に主郭を置き、東西約200m、南北約500mの尾根沿いに複数の曲輪を配置していたようです。五十波方面より山の中腹まで車で行ける道があり、そこから徒歩約35分で主郭に行くことができました。途中には井戸があり、今でも水を湛えています。山頂近くには後世のものではないかと思っていますが、登り石垣がありました。主郭にも石垣がありましたが、説明板には大部分は後世に積みなおされたものと考えるとありました。三の丸方面まで散策すると堀切や曲輪の跡などがあります。「西播磨の山城」というサイトの縄張りと見ると水源と記載された場所が二の丸から三の丸へ行く途中に2カ所ありました。周辺を散策してみましたが、探し方に気合が入っていなかったこともありわかりませんでした。
以前から主郭に石垣がある城址で気になっていました。登城路は歩きにくい場所もありますが、概ね整備されています。眺望はよいのですが、黄砂のためかもやっていました。数年前までは山頂の家に人が住んでみえたようですが、地元の人の話では現在は無人とのことです。
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2024/03/30 21:03
対馬藩政務の拠点の城 (2024/03/09 訪問)
桟原城
宗氏3代目藩主義真が築いた城。遺構とされる桟原幼稚園に移築された城門を見てから、案内板に従い城址へ進むとそこは陸自の施設。もちろん中に入って登城開始とはいかず、周辺の石垣を見て回り攻城終了。翌日の金田城攻めに備えて宿営。
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2024/03/30 20:36
石塁で囲われた城 (2024/03/09 訪問)
対馬博物館の横を通り、案内板に従い入城口へ。一の丸へは2つルートがあり、三の丸、二の丸を通るルートを選択して登城開始。
5分程登ると三の丸。三の丸、二の丸、一の丸が直線状に並ぶ連郭式の山城で、曲輪間も石塁で囲われている。文禄・慶長の役の際に築城されたそうだが、とにかく残された石垣・石塁のたたずまいに感動。所々に横矢桝形という設備や虎口が見られる。
入城口から50分ほどで一の丸到達。一の丸では二の丸側の食い違い虎口も見事だが、北西側の虎口もきれいな姿が見られました。
登るに連れ、曲輪からの眺望が変わるのも楽しく、ゆっくり攻城して2時間弱。
下城後、対馬藩お船江を見学。対馬バーガー(うまし)で小腹を満たし、桟原城へ向かう。
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2024/03/30 14:49
地形を生かした攻めづらい総構え (2024/03/30 訪問)
虎伏城とも呼ばれるほどの縄張りで奥に進むと急峻な地形が待ち構え本丸までの行手を阻む
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2024/03/30 14:42
現存の風格 (2024/03/29 訪問)
柿渋塗りの黒塀が江戸時代築城なのに戦闘的な構えです
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