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小城小次郎

風格を感じる古志長尾氏の城 (2024/04/29 訪問)

蔵王堂城から移ってきた古志長尾氏の本拠地で、古志長尾氏出身の母を持つ上杉謙信はここで生まれたという説もある。長尾・上杉一門の城らしくどことなく風格に溢れた感もあるが主郭の裏側に行こうとしたら迂闊にも道に迷った。

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しんちゃん

アオーレ長岡&ラーメン (2025/02/16 訪問)

グーグルマップを改めて見てみると、長岡駅の近くには山本五十六記念館もあるようです。個人的に興味があるから今度寄った時に行ってみようかな。長岡城の本丸は長岡駅の中心部とされ、二の丸が有ったとされる場所にはアオーレ長岡という建物があり、地下駐車場には長岡城堀跡の土留杭の展示が有りました。しかし、長岡市はバスケ熱が高いですね。
久々に長岡駅の人気のラーメン屋に寄って来ましたが・・実際に食べてみると重い。コテコテ&ガッツリ系のラーメンは年齢的にもちょっとキツくなってきましたね。

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ぴーかる

鶴城 (2024/12/30 訪問)

【鶴城】
<駐車場他>登城口前のごみステーション広場<35.553707,134.826417>に駐車。
<交通手段>車

<見所>切岸・竪堀
<感想>縁起祈願、鶴亀楽々旅2城目。現地説明板によると鶴城は山名四天王のひとりに数えられた国人・田結庄氏の居城であり、伝承では永享年間(1429~1449年)に山名宗全が築城したとされます。1575年の野田合戦において垣屋豊継らに城を攻められ田結庄是義は自害して以降1580年まで垣屋豊継の城となったようです。
 縄張りは南の円山川を天然の堀として、西側に向かって鶴が翼を広げたような形になっています。北側は山続き、東の背後は崖になっています。攻め口はやはり西側から登っていくことになるのでしょう。
 城跡は河岸整備された登城口から登っていくと、愛宕妙見堂跡に入ります。かつての曲輪跡に建てられた御堂跡で側面に古い石垣が残ります。広い尾根上曲輪を通り、Ⅳ郭南の虎口に隅角部の残る石垣がありますが現地説明板にある1619年に建てられた宝城寺のものかと思われます。Ⅳ郭が城跡の中で一番広く、最高部のⅠ郭が物見程度の広さなので、私はⅣ郭が主郭とみました。Ⅳ郭の東側の腰曲輪との側面にも古い崩れた石垣が残っていて城跡遺構と思いたい雰囲気のある石垣跡があります。Ⅰ郭の北側は高低差のある堀切があり、その北側から小さな段曲輪が連なっています。主要部の東側の畝状竪堀群ですが、私が見たときには落ち葉の堆積が多いせいか、大竪堀が1条確認できましたが、畝と群は表面観察では見受けられませんでした。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

多聞櫓と梅 (2025/02/23 訪問)

三の丸スクエアの受付の方が言うには天守台の向こうの多聞櫓の広場の梅が満開だとのこと。天守台から足を延ばして寄ってみることにしました。確かに満開だ・・でも一本だけ。まあ綺麗だからいいかな。福岡城では今頃、梅が満開ではないでしょうか。
桜の咲く頃も綺麗なんでしょうな。これは地元の人の特権ですな。

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しんちゃん

高橋紹運 (2025/02/23 訪問)

岩屋城は立花宗茂の実父・高橋紹運が島津氏の大軍と戦い自害した城です。一説には立花道雪の跡を継いだ宗茂の守る立花山城の捨石になったとも言われています。立花宗茂や妻の誾千代にスポットが当たることが多いですが、どっちかというと私は養父の道雪のほうが好きですね。
「とーちゃんず」のもう一人・高橋紹運もけっこう好きです。友人に嫡男が気に入ったから婿養子にくれくれって言われて、しぶしぶ出すとか、いい関係性をしていると思います。車道沿いに本丸に続く道と、高橋紹運と将士たちの墓へ続く道があって、後者に進んでいくと墓所にたどり着きます。

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朝田 辰兵衛

恒例のクイズ返しを…

にのまるさん,赤い城さんにクイズ返しです。
東京都ではありません。
にのまるさん,赤い城さんの投稿はありませんでした。しかし,にのまるさんはかなり近くまで行っているようです(←これヒント)。
ほぼほぼ同様の画像投稿があります。

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カズサン

【三河 酒呑城】愛知県豊田市 鈴木氏の居城 (2025/03/01 訪問)

 後に酒呑陣屋を築いた鈴木氏の居城、江戸期には旗本として一時断絶したが鈴木政房が300石で陣屋を復活し明治まで治政した。
 
 住所:愛知県豊田市幸海町城ノ腰 比高60m程
 駐車場:皆福寺(豊田市幸海町神田9)の山門西駐車エリアを利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 酒呑陣屋を終えて来た道を約500m程戻ると皆福寺への案内指示板があり東に細い山道を約600m程登ると皆福寺山門西の駐車エリアに着く、駐車させて頂く、お寺はお東さんの浄土真宗寺院、三河は一向一揆も有ったくらいの浄土真宗が盛んな土地柄です。
 取り敢えずは登城口辺りでも確認できたらと、城郭放浪記さん余湖図コレクションの情報、写真を目当てに皆福寺南下の道を南東に田圃道を進む。
 丁度昼時間で畑仕事を終えて帰り支度の老ご婦人に登城口情報をお聞きする、突き当たって奥の害獣除けゲートを開閉して右手辺りの道を?。以前には山頂に祠が有り毎年正月に登ってお祀りをしたとの事、最近は不便で祠を山裾の先端部に祠を二基祀り都度に参拝してるとの事、丁度お話を伺った所の小さな尾根に祠が二基鎮座して居ました。
 お礼をして突き当りの害獣除けゲートを確認、覗き込んで周囲を見るが右手は茂みで藪状態、右手奥に登城路らしき坂道と城域稜線を確認するが良く分からない、ゲート手前右の山道は城郭放浪記さん最後の写真下城の山道らしきところ?かと。しかし害獣除けゲートが塞ぎ進入困難。
 まぁまぁ近くで酒呑城(シャチノミジョウ)登城口辺りを眺めて皆福寺辺りからも酒呑城辺りを眺めて終わりとしました。

 鈴木氏はこの地方の豪族で徳川氏に与力し江戸時代1120石の旗本の様です、嗣子なく断絶するも300石を拝領して先の酒呑陣屋を復活した。これから訪ねる則定陣屋、則定城、椎城の鈴木氏と同族なのでしょうか?

 皆福寺駐車エリアに戻り昼時、持参した携帯食、パン、ジュースとお茶で昼飯を車の中で頂く。穏やかないい天気でした。
 
 
 

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カズサン

【三河 酒呑陣屋】愛知県豊田市 石垣が二段残る鈴木氏の陣屋 (2025/03/01 訪問)

 松平城山城、梟ヶ城を終えて尾根筋谷筋一本北へ約2~3km程の酒呑陣屋(シャチノミジンヤ)を目指す。
 
 住所:愛知県豊田市幸海町池杁12-3
 駐車場:幸海町集会所(豊田市幸海町関屋45)の裏駐車場を利用
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る

 近いとは言え谷筋が違い尾根山稜を越えるために西の巴川に架かる松平橋を渡って、足助街道一本北の脇道県道487号線を北東方向へ進行、酒呑陣屋手前約1km程の道路沿い北側に乃木大将像と殉国戦士之碑が有り像前に駐車エリアが有りお参り見学する、グーグルマップにマーク表示されています。
 程なく道沿いに幸海町集会所に着き裏手の駐車場を利用。
 駐車場から左手に鈴木氏の菩提寺祐源寺、葉は今の時期落ちていますが東手に大木が聳えてる、祐源寺南側にも二段の石垣で川筋より立ち上がってる、本堂に参拝し周辺撮影、駐車場から真っ直ぐ北に伸びる道を登って行くと上段奥に個人宅の私有地、上段が個人宅で曲輪1、南面下に石垣が残ってる上部土塁の腰巻石垣が南面を廻っている、曲輪2は作業小屋で南面を石垣が奇麗に残って居る。周辺を撮影して終了。
 酒呑陣屋に関する案内板などは現地に有りませんでした。
 
 9年前に大給城を探訪の折、大給城の周辺を城郭放浪記さん余湖図コレクションさん情報検索し大田城(松平城山城)酒呑城は認知して居たのですが今回に成りました。その時点には大田城が松平城山城とは認識して居ませんでした、三河の国未踏の城が残り2城となり、未踏のマークが気に成り慌てて調べて今回の城廻りです。
 

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にのまる

おめでとうクイズ

朝田さん、赤い城さん、トクさん。
動物クイズ、探してくださりありがとうございます。
ストレス満載のお祝いになってしまい申し訳ありませんでした。
正解は朝田さんのご推察どおり、ネコ🐈‍⬛でした。
赤丸のところにいました。拡大写真も添付します。
城といえばネコ!
九州では特に遭遇率が高かったです。

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うら

灯台もおすすめ (2025/03/01 訪問)

波切城近くにある「大王崎灯台」と北東へ20分程車で移動した所にある「安乗崎灯台」はそれぞれ登れて景色も楽しめます。またそれぞれで御朱印も貰えて頭文字を足すと「大安」となり縁起もいい場所です。

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トク

⑫【護佐丸と沖縄6城】(6)中城城(2/3) (2025/02/06 訪問)

6城目中城城の続き(2/3)です。護佐丸の代名詞であるアーチ門がありました(写真①)。ここをくぐり一の郭に入ります。ここが最も高い場所です。ここから見下ろすと、中城城は予想以上に大きい城だったのには驚きました。首里城とほぼ同じくらいの大きさではないでしょうか。

一の郭には正殿の跡がありました。という事は、護佐丸はここで暮らし、そして最後はここで亡くなったという事になります(写真②③④)。一の郭の東隅には月見櫓(物見櫓)のような跡もあり、三段の段築で積み上げ、まるで東の阿麻和利をいかにも牽制するような風貌です(写真⑤)。また石垣は座喜味の時よりさらに進化していました。一の郭の石垣は、下段は相方積みで上段は布積みと崩れにくい強固な造りになっています。さらに石垣の内側全てに武者走りが追加されていました(写真⑥⑦)。これは鉄壁の防御です! にもかかわらず・・・

一の郭から二の郭、二の郭から三の郭に下る途中にも、それぞれアーチ門がありました。これらの郭には多くの兵が待機できる、まさに護佐丸を守る最後の砦であった事がわかります(写真⑧)。途中にはウブガー(井戸)もあり、籠城にも耐えられるようになっていました(写真⑨)。でも皆さん、このあたり夏は気をつけて散策して下さいね(笑)(写真⑩)。

1458年尚泰久から護佐丸討伐を命じられた阿麻和利は、護佐丸が月見の宴を開き油断していた夜、突然中城城を奇襲します。この一の郭で宴は開かれていたと思われます。しかし護佐丸は、なぜか反撃しませんでした。そして阿麻和利が持つ国王軍の旗を見た護佐丸は、何も抵抗せず、そのまま妻子とともにここで自害したそうです。

これだけの鉄壁な防御に加え、兵の数など戦えば護佐丸の方が有利だったと思われます。にもかかわらず、護佐丸はなぜ戦わなかったのでしょうか?  

次は、最終回(3/3)へ続きます。
 

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トク

にのまるさんクイズ

これですか? 猫?(もぐら?うさぎ?たぬき?)
小さすぎてよくわかりませんでした。
これではずれならギブアップです。

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朝田 辰兵衛

赤い城さんクイズ,正解で安堵しました…

赤い城さんクイズ,正解で安堵しました。
特別に中に入れていただけるって,ラッキーでしたね!
私なら,即時通報されるかもしれません…<笑>。

にのまるさんクイズですが,大分府内城なら猫かも…。
私の散策時,塀の狭間の中で昼寝していたりしてたので。
もしかして,石垣の隙間から尻尾が見えているだけかも…。
けど,こんな太いかな…?
それらしいのが見えるような気が…。

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赤い城

朝田さん、正解です✨

やはり最近の登城でもあり瞬殺でしたね。
狛犬の奥の八幡塚は今でも立入禁止だと思います。
登城時に柵の向こうを眺めていたところ、関係者の方に声かけられました。
隣が幼稚園なので安全を考えて非公開にしている、と。
子供を狙った物騒な事件も多いのでやむなしですかね。

周囲に誰もいないこともあり、少しだけということで特別に入れてもらいました。
登城時のレポートで写真出そうか迷いましたが思いとどまりました。
大分時間も経ったのでいいかな?と。

にのまるさんのクイズ2枚目、拡大してもわかりません💦
石垣登る動物って何なのでしょう。

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スミヤキ

東の高尾山・西の金剛山 (2025/01/31 訪問)

東の高尾山に対し、西の金剛山と呼ばれ、年間登山者数100万人超と関西随一の人気を誇る金剛山の中腹に千早城は、あります。

登山口になる金剛山「山の豆腐」の駐車場を利用、百名城スタンプをゲット(99城目)。登城ルートを聞いて、ご褒美の
おから豆乳ドーナツ、豆乳パンを購入して、出発します。
金剛山登山道を進み、途中千早神社の裏参道ルートに入ると15分程で千早神社(千早城二の丸)に着きます。神社、霊山など聖域特有の静寂で張りつめた空気を強く感じ、聖地巡礼と言った方がしっくりします。平日のお昼頃だったのですが、登山道では多くの人達に遭遇しましたが、境内に入ると本当に静かで人が訪れた気配が無く、前日か朝方の降雪がうっすらまだ残っていて、そのコントラストにとても驚きました。

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しんちゃん

天守台 (2025/02/23 訪問)

久々に福岡城にやって来ました。ここ数日、せわしなく走って来ましたが、少し余裕が出てきたので幾つか城攻めが出来るようになりました。せっかく九州まで来たのだから熊本城に行く前に福岡城にも寄りたい・・
11年ぶりに来た福岡城はやはり広いです。でも祈念櫓が無くなってしまったので本丸周辺が少し寂しい。とか言ってると天守台になにやらありますね。ミニ天守? いや、足場にパイプを組みつけた天守風の仮設工作物です。ライトアップして花見でもするのかな・・? 現在は天守台の中には入れないので周囲から足場をパチリ。
やっぱり天守閣が欲しいんだろうな・・CGで見る復元天守はかなりカッコいいんだけどな・・。

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しんちゃん

祈念櫓 (2014/01/06 訪問)

写真は11年前のものです。いささか古い写真になりますが、この頃はまだ本丸に祈念櫓があったんですよ・・現在は石垣補修工事に伴い解体されています。かつては本丸東北部の鬼門を守っていたんですよ。
福岡城はとにかく大きな城で、まさしく巨城という言葉が良く似合います。でも主要な建物が無いので、縄張りがわかっていないと、どこに向かっていいのか分からない。福岡市や市民の方が天守を欲しがる気持ちは良くわかりますが、どうなることやら。

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しんちゃん

見事な堀・石垣 大大名にふさわしい城郭 (2025/02/22 訪問)

久々の岡山城です。この日の前日は某アプリで一日に209城攻略して「独眼竜」の異名をゲットしています。攻略時間は23時間とちょっと・・ほとんど休んでいません。かなり手ごわい相手がいたので、ここまでする必要がありました・・負けるの大嫌いなんですよ。
0時を回って瀬戸大橋を越え岡山のパーキングでしばらく休憩・・岡山城攻略に向かいます。
街中を市電が走っています。私の地元・豊橋にもいるし、広島でも走っています。けっこう市電が現役の街は多いです。すこし嬉しくなります。線路わきの西丸西手櫓の脇を市電が通過していくのでパチリ。信号待ちの間に良い写真が撮れました。
岡山城は旭川沿いに築かれ立派な堀と石垣を備えています。宇喜多・小早川・池田の歴代城主により整備され、最大57万石の格式に相応しい城郭となっています。アプリを見ると宇喜多秀家・小早川秀秋ほか数名が見つかっています。秀秋のステータスは・・低い・・低すぎて使い道がない・・これが世間一般の評価なんだよな・・。

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しんちゃん

足守陣屋 (2025/02/22 訪問)

岡山市北区足守にある足守陣屋は城びとの城ではありませんが、城下町(陣屋町?)を含めてなかなか風情のあるところです。
足守藩祖・木下家貞は北政所「ねね」さんの兄君で、元は杉原姓を名乗っていましたが、妹婿の秀吉の出世に伴い木下姓を名乗るようになりました。小早川秀秋の実の父君でもあります。
関ヶ原の合戦の際 家貞は中立を保ち、妹である北政所の警備に努め、家康により足守2万5千石に左遷されました。家貞は領地には入らず出家して京都に居住したそうです。一時幕府により所領を没収されますが大阪夏の陣の後、木下利房が再び足守藩主に任じられ明治維新まで続きました。
陣屋跡には堀と石垣が残り,公園として往時の雰囲気を残しています。

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dougen

2019.7.20登城 (2019/07/20 訪問)

住宅地の一角に加納城址があります。
市の史跡に指定されており、石碑や案内板が設置されており、
遺構としては、土塁や空堀がわずかながら確認できます。
周辺は宅地化されていますので、残っていることが奇跡的かもしれません。

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