弘前城から西へ約5㎞にある青森県弘前市の大浦城です。1502年大浦(津軽)光信により築かれたとされます。15世紀初頭から安東氏が治めていた津軽を南部氏が侵略、安東氏の津軽奪還を防ぐため南部氏の命により大浦氏は日本海側の鯵ヶ沢町に種里城を築き1491年入部。その後、大浦氏が津軽平野に勢力を拡大する拠点として子の大浦盛信を大浦城に配しています。城は岩木山の南東の麓の後長根川右岸に本丸、二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、西ノ郭、南郭を配した平城として築かれ土塁と堀で囲まれ東西500m南北250mの規模と言われています。大浦氏5代為信が本拠を堀越城に移すと城代が置かれ、その後一国一城令により弘前城が築かれるとき大浦城の建物を弘前城に運び廃城となっています。その後、弘前城の詰城として本丸、二ノ丸、西ノ丸が残され、西ノ丸には火薬庫などが建てられたとされます。現在は、津軽中学校の敷地となっており遺構はほとんど残っておらず城址石碑と説明板により大浦城址とわかるのみです。
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