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夏の雪だるま

津軽氏の出世城 (2015/10/11 訪問)

弘前城から西へ約5㎞にある青森県弘前市の大浦城です。1502年大浦(津軽)光信により築かれたとされます。15世紀初頭から安東氏が治めていた津軽を南部氏が侵略、安東氏の津軽奪還を防ぐため南部氏の命により大浦氏は日本海側の鯵ヶ沢町に種里城を築き1491年入部。その後、大浦氏が津軽平野に勢力を拡大する拠点として子の大浦盛信を大浦城に配しています。城は岩木山の南東の麓の後長根川右岸に本丸、二ノ丸、三ノ丸、西ノ丸、西ノ郭、南郭を配した平城として築かれ土塁と堀で囲まれ東西500m南北250mの規模と言われています。大浦氏5代為信が本拠を堀越城に移すと城代が置かれ、その後一国一城令により弘前城が築かれるとき大浦城の建物を弘前城に運び廃城となっています。その後、弘前城の詰城として本丸、二ノ丸、西ノ丸が残され、西ノ丸には火薬庫などが建てられたとされます。現在は、津軽中学校の敷地となっており遺構はほとんど残っておらず城址石碑と説明板により大浦城址とわかるのみです。

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三河のかづ

形原城 (2019/01/14 訪問)

入り口は案内板がありわかりやすいです。三河湾を臨むことができます。稲荷社があり周りはきれいに保たれています。

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todo94

吉野ヶ里歴史公園開園前に (2019/01/13 訪問)

吉野ヶ里歴史公園開園前に時間調整のため立ち寄りました。堤土塁跡歴史公園として整備されていますが、灌漑施設説、太宰府などの防衛施設説、古代道路説などがあり結論は出ていないとのこと。ここを攻城数としてカウントして良いものかどうか、悩むところです。

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まっつん

中世の高松! (2019/01/14 訪問)

高松城→屋島城と巡って、まだ日暮れまでに時間があったので十河城跡へ行こうと思い立ち、下調べも何もせずに突撃しました!
十河城は現在は称念寺というお寺になっていました。
説明板によれば、寺があるのは本丸跡で、西に池、東は断崖、南に大手があったとのこと。
確かに西側には池があります。堀の跡なんでしょうね。
南側の大手はよくわかりませんでしたが、本丸が小高い丘の上に築かれていたのはよくわかりました。
東側には駐車させてもらったスペースがあり、断崖といわれてみれば確かに段差がある地形です。そこから高松の街並みも見渡せました。
北側だけ確認せずに帰りましたが、後で知ったのですが、本丸の北側に堀や土橋の跡があったり十河氏のお墓があったりするそうで、あぁ失敗したな・・・と思いました。
まぁ、また徳島城に訪れる時なんかに改めて立ち寄ってみようと思います。
城主は「鬼十河」と恐れられ戦場で活躍した猛将・十河一存や、その跡を継いで土佐の長宗我部元親と激闘を繰り広げた十河存保が有名。今は小高い丘陵の上にお寺と田畑がある場所なのですが、1582(天正10)年の十河城の戦いでは、長宗我部元親軍3万6000に取り囲まれながらも持ち堪えて一度は退かせたというのだから、ここを一体どうやって守り切ったんだろうかと思いました。すごいなぁ。

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まっつん

古代の高松! (2019/01/14 訪問)

せっかく高松まで来たので、源平合戦の古戦場である屋島を見てみようと思ってテッペンまで車で登っていくと、古代の天智天皇の時代に大和朝廷によって築かれた屋嶋城(やしまのき)があるじゃないかということで行ってみました!
朝鮮式山城というやつを初めて見ました。
この石で築かれた城門は、懸門というつくりになっていて、敵が攻めてきたらハシゴを撤去して城門に入れないようにして、上から迎撃するという構造のようです。
石垣の城といえば織豊系城郭だと思っていたのですが、古代にもこれだけの石垣を築く技術があったんだなぁ、すごいなぁと勉強になりました!

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まっつん

近世の高松! (2019/01/14 訪問)

このところ山の上の土の城を重点的に巡っていますが、水堀に石垣、その上に白壁の櫓という近世城郭の成分が欲しくなったので補給しに行きました!
高松城は、1587(天正15)年、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正によって築城され、その後も生駒氏が城主を務めていましたが、お家騒動で改易され、1642(寛永19)年に松平頼重が東讃12万石で入城し、以後、松平氏が城主となって明治を迎えたそうです。
今では埋め立てによって海から少し離れていますが、築城当時は瀬戸内海に面して築かれ、その名残として堀の水は今でも海水が引き込まれているそうです。
建造物は、北の丸の月見櫓、水手御門、渡櫓、旧東の丸艮櫓が現存しています。駐車場は城の南側にあり、無料で駐車できます。城跡は玉藻公園として整備されていて、大人は200円で見学できます。
城の西側には琴電高松築港駅があり、石垣のすぐそばを電車が行き来していたり、反対側の城の東側には香川県立ミュージアムが建っていますが可能な限り石垣は残された状態で建設されているようで、城と街の共存を一生懸命模索された結果なんだろうなぁと思いました。
果たして、天守台の石垣の上に天守は再建されるのでしょうか。個人的にはあの石垣の上に天守がそびえ立っているのを見てみたいかな(^^)

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まっつん

どっちが本丸?どっちが二の丸? (2019/01/13 訪問)

1221(承久3)年の承久の乱で戦功を挙げ、安芸国大朝荘の地頭となった吉川氏は、1313(正和2)年に駿河国から大朝へ移住。
駿河丸城はその際に吉川経高が築城したといわれています。
その後、南北朝時代末期に吉川氏は小倉山城へと本拠地を移していくこととなります。
城跡は比高30mほどの丘に築かれていて、主に2つの曲輪がありますが、城跡の入り口以外には特に案内板がなかったので、どっちがどうなのかちょっとわかりにくかったです(^^;)
城跡には堀切や土塁といった遺構が残っています。小さな城跡なのですぐに見て回れます!
車で行けば、写真2枚目の位置に駐車できます。

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くろもり

学んで・見て・体験できる城 (2013/10/19 訪問)

関東では、杉山城や滝山城がよく土の城の教科書と言われていますが、ここ飛山城もその一角に加えて頂きたい城です。
城址の入口にある「とびやま歴史体験館」は無料(写真撮影可でした)ですが、宇都宮氏や芳賀(はが)氏、飛山城についての詳しい解説があり、飛山城のジオラマ・縄張り図・城郭用語の解説がかなり丁寧で分かりやすかったです。特に大手周辺の模型は、中世の城攻めをイメージしやすく(攻城兵と守備兵がわちゃわちゃしてます)、城址に入るとすぐ模型で見た景色が広がるので、本当にイメージしやすいです。

整備で分かりやすく復元してあるので、「あぁ、これが薬研堀。こっちが箱堀ね。あのでっかい土手が櫓台なんだ。」といった感じです。歴史体験館で学んだことが、すぐ城址で見ることができます。

体験については、北東の土塁は上からロープが垂らしてあり、ロープを伝って土塁の上に登ることができます。傾斜はゆるくしてあるそうですが、5m程の土塁に自由に登れる機会はそうないので、お勧めです。土塁に登る為には堀底に下りないといけないのですが、その階段が子供用なのか幅がすごく狭いので、足元に注意してください。

南側の堀(5号堀と6号堀)はそこまで手入れされておらず、人工的過ぎる復元が苦手な方はこちらの方が見応えがあるかもしれません。ただ、一番南の6号堀は民家のすぐ横なので、散策には気を使った方がいいかもしれません。私がお会いした住人の方は笑顔で挨拶してくれましたが。

kucucuさんの投稿と同じく私の時も崖崩落の為、主郭が立入禁止でした。直前の台風の影響かと思っていたのですが、後日、東日本大震災での崩落だったと分かりました。震災後2年半経っていたのですが、爪痕はまだ残っていました。現在は主郭に立ち入れるようなので、またいつの日か再訪したい城です。

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まっつん

山城が初めての方にオススメ! (2019/01/13 訪問)

安芸吉川氏は、南北朝時代後期に同じ大朝荘の駿河丸城から小倉山城を築いて本拠地を移し、その後、吉川興経が1546(天文15)年に日野山城を築城するまで安芸吉川氏の本拠地でした(その後、毛利元就の次男・吉川元春が家督を継ぎ、日野山城を改修して本格的に小倉山城に代わる本拠地として整備したようです)。
城跡は国指定の史跡で、本当に綺麗に丁寧に整備されていて、広い駐車場はあるし、案内板は各所に設置されているし、本丸や二の丸、三の丸、御座所などの曲輪も堀切も土塁も掘立柱建物の跡もわかりやすくしてあって非常に見やすいです!
さらに、僕はじっくり見て回ったので1時間程度滞在していましたが、ササッと見て回るなら30分程度時間があればいけるんじゃないかというぐらいのお手軽な感じで、しかも比高80m程度の丘陵に築かれた城郭なのでほとんど疲れません。
山城に初めて行ってみようという人にオススメしたいと思いましたし、僕がおじいちゃんになって足腰が弱ってきても、ここなら山城を楽しめるなと思いました!笑

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まっつん

番犬注意! (2019/01/13 訪問)

吉川元春館の目と鼻の先にある屋敷跡で、元春の奥さんがお住まいだったのだとか。
この近辺の吉川元春館や万徳院跡 と同じ「石つきの者ども」という石工集団が築いたという特徴的な石の積み方がここでも見られます。
すけきよ堂さんが書かれているように、石垣の端っこに元気な番犬がいるので、よく吠える犬が苦手な方はご注意ください(^^;)

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じんじゃー

在地領主の城から福与城支城へ (2019/01/04 訪問)

箕輪町の養泰寺の裏山が主郭部分にあたる。現在主郭内部は墓地で、台地の崖を除く三方向を空堀と土塁で固めている。もしかしたら堀の外部分も郭であったのかもしれないが、現在はわからない。
天竜川の河岸段丘を利用した伊那地方にはよくあるタイプのお城です。

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にのまる

初日の出のかわりに (2019/01/02 訪問)

1月2日の日の入り。

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刑部

佐竹氏を追い出した城 (2019/01/13 訪問)

数十年ぶりに攻城、弘道館の駐車場を利用 弘道館を見学後 三の丸から本丸へ連郭式の縄張りを探索。 昔とはだいぶ違いますね!

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カルビン

再訪拒否5本指に入る (2014/05/12 訪問)

岩殿城は一度途中まで登ったものの、体調不良もあって断念してまして(稚児落としの分かれ道までしか行けなかったorz)...
GW明けに調子整えて再度挑戦して来ました。

しっかり準備したハズなのに、登りの大変さ以上に高さに対する怖さで肉体的精神的に削られて行き・・・
しかしちゃんと作ってきたコンディションでリタイアする訳にはいかない(これで登れなければ一生登れないw)ので・・・


ようやく揚城戸跡に到着した時にはホッとしました(;´Д`)=3
が、なんか上の方から子供達の声が聞こえるんですよ・・・(・`ω´・;)???
揚城戸跡に感動するのをすっかり忘れてしまいましたw

ここからは崖っぷちではなく少し中に入るので、高さの恐怖は一気に緩和されますし、ここまでくればほぼ登り切った同然なので、ゆっくり遺構を確認。

番所を経て岩殿山の石碑がある場所に来て絶句・・・なんと遠足で来たと思われる幼稚園児が沢山
∑(゚Д゚;)
そうか、あの声はこれだったんだ。。。良く皆登ってきたなwww
(子供には厳しい段差の階段もあったんですが(汗))

更に先に進み、2つの井戸を経て最高点の本丸跡へ(井戸は見応え十分も、本丸は残念な風景にw)
更に先には堀切もありましたが、堀切の横に真下が見えて高所の恐怖が再燃(ーωーlll)


・・・正直、高所の恐怖が大きすぎて、お城の印象があまり残っておりませんw
再訪拒否5本指に入るお城となりましたorz

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チェブ

サザエさんのオープニング。 (2018/12/30 訪問)

日曜日にテレビで「サザエさん」久しぶりに見ました。
静岡県の観光名所をサザエさんが紹介します。
なんと「掛川城」で忍者サザエさんが手裏剣投げてました。
今川氏が重臣の朝比奈氏に命じ「掛川城」を築城しました。
誰が撮っても絵になる美しいお城です。
サザエさん、静岡県は掛川城だけじゃなく良いお城、たくさんありますよっ。と教えてあげたくなりました。

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朝田 辰兵衛

こんなとこ,来とうはなかったけど… (2019/01/13 訪問)

本与板城から約2kmなので頑張って登城しました。下山された方とすれ違ったので,安心して行けました。千人溜まりはイイ雰囲気でした。
標高104m,比高85m。登城口は,八坂神社となります。

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にのまる

🐗 (2019/01/02 訪問)

イノシシの親子がいたよ。

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ブラタヌシ

この時期はやめるべき山城❗️😁 (2019/01/13 訪問)

真田が上田城を築く前の城とか、昌幸の父幸隆が築城したとか、情報が色々有りますが急峻な山中に、信濃の特有の牛蒡積み石垣が有ります。
また、更に上には遠見番所という見張り場も有り、山城好きにはたまらない所でした❗️😁
でも、筋肉痛に悩まされてます。

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バリィ

月山富田城 (2018/06/07 訪問)

七曲の上に残されている遺構は素晴らしいです。

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刑部

堅倉長塁 (2019/01/13 訪問)

だいぶ低い土塁です、昔はもっと高くなっていたのでしょう。

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