「歴史と民話の里」岩手県遠野市にある鍋倉城です。奥州藤原氏の攻めの功績により遠野地方を治めていた阿曽沼氏が、それまで居城としていた猿ケ石川右岸の横田城が、たびだび洪水の被害を受けたため、新たに猿ケ石川対岸の鍋倉山上に天正年間1573~1591年頃に築き居城とした城です。阿曽沼氏は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため、独立大名から南部氏配下とされます。1600年関ヶ原の戦いに南部軍として山形に遠野から出陣した時、一族の鱒沢氏が謀反を起こし鍋倉城を占領。鱒沢氏は南部家当主利直の妹を妻としており、南部氏の謀略とも言われています。阿曽沼氏はこのため、伊達政宗の支援を受け遠野を奪還しようとしますが、南部氏の加勢を受けた鱒沢氏が遠野を守り切り阿曽沼軍を撃退、阿曽沼氏は滅亡したとされます。その後、鱒沢氏も謀反の疑い有として南部氏に粛清され、南部氏は家臣を城代として遠野を治めましたが治安の乱れが続いたため、1627年一族の南部八戸氏を八戸根城から一万二千五百石で遠野に移封。以降、遠野南部氏として幕末まで続いています。遠野南部氏は御三家と呼ばれ、盛岡城に常勤したため鍋倉城には家老が城代として遠野を治めたとされます。城は遠野盆地の南方の標高340mの独立丘陵鍋倉山に築かれ、本丸に当主屋敷を置き、二ノ丸、三之丸に家臣の屋敷を配し、来内川を天然の内堀とし全体で東西350m南北450mの規模とされます。現在は、鍋倉公園として整備され、二ノ丸に遠野南部家墓所、三之丸に櫓を模した展望台があります。
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