続日本100名城登録前に訪城しました。この時は城跡もまだ静かで貸切状態でゆっくり見れ写真にも人が映りこむ心配もなく夢中でシャッターを切り気づいたらあっという間に2時間ほど経ってました。
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2019/02/28 20:46
2019/02/28 20:35
潜竜院とは (2018/06/10 訪問)
昨年続100名城スタンプを頂きに岩櫃城再訪致しました。
以前は無かった大きな駐車場と観光案内所・・・昔は観光案内所が車3台くらいだけ止められる駐車場だったんですけど・・・
なんか違う場所に来たみたいな印象でしたw
一度ガッツリ見学していたのでスタンプだけ入手して移動しようとしましたが、登城口から徒歩10分で主郭まで行けると書いてあったので、勢いで登る事に。
(以前凄く時間かかったイメージがあったんですが、そういえばその時は竪堀道が雪道になっていて苦労したのを思い出しましたw)
その竪堀の所が一番キツイところですが、実際10分で主郭に行く事が出来ます。。。山城とはいえ車で比高を稼げるので、登りがキツそうと言う事で回避されている方も多いかもしれませんが、そんなに大変ではないですよ(^ω^)v
さて、多くの方がお城紹介されているので、あえて写真半分は真田昌幸が武田勝頼を迎えようとした潜竜院の写真にしてみました。
岩櫃城から徒歩での移動は大変なので、潜竜院に行かれるのであれば、車で移動して一旦山を降り、南西側から回って行くのが良いと思います。
丁度岩櫃山登山者用との兼用の無料駐車場ありますので。
そこから歩いて10分程度で潜竜院には行く事が出来ます。
こちらには個人的に2015年に訪問したのですが・・・岩櫃山の絶壁が眼上に見える、絶景がそこにはありました(@Д@)
潜竜院が霞む程にw
潜竜院は石垣の土台まで造られてその状態で止まっており・・・皆様も現地で歴史を顧れば・・・なーんで勝頼君、岩殿行っちゃったかな~って思わずツッコミたくなるでしょうw
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2019/02/28 20:30
たくさん城のたくさんの看板。 (2019/02/17 訪問)
東京都町田市にある「沢山城」に行きました。「さわやま」ではなく「たくさん城」です。
沢谷戸自然公園の裏山がお城跡です。
いざ出陣です!
この山は私有地ですのでマナーに気をつけましょう。
土塁やら空堀が見事にあります。
写真を撮ろうと思ったら地元の方の「写真を写す時は民家を入れないように!」「団体の方はお戻りください!」「立ち入り禁止」等々の看板がたくさんありました。
もしかしたら、節度のないお城ファンが地元の方を不快にさせてしまったのかもしれませんね。
私は、写真を撮るのは諦めました。目に焼き付けます!
素晴らしいお城跡です。
地元の方や私有地を開放してくれている方々の迷惑にならないようなお城巡りしたいですね。
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2019/02/28 18:03
2019/02/28 17:06
砦
小牧、長久手の戦いの際の臨時の砦だったようですがナカナカの広さだったみたいです。
楽田城に本陣を置いた秀吉軍の右翼の砦だった事を思えば広くて当然かも。
徳川方、豊臣方の位置関係を確認するといかにも対峙している風で面白い。
遺構に石垣とありますがこの案内板の裏の民家の廻石が「石垣に使われていた」石のようです。
周りの用水路は堀だったのかも。
案内板の「河田砦」というのは北へ5キロほどの木曽川沿いに碑がありました。
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2019/02/28 16:07
冬とお城 山並みと高知城 (2017/11/20 訪問)
南国 高知は海のイメージがありませんか?実際には県内の7割程度が山だそうです。高知城の天守閣に立つと、長曾我部元親や山内一豊、坂本龍馬達もこの山並みを見て生きていたんだと感じます。高知城に登ると不思議な希望が湧いてきますよ!
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2019/02/28 14:05
2019/02/28 13:01
2019/02/28 07:49
㊗️ (2019/02/24 訪問)
todo94さん、3度目の日本100名城コンプリートおめでとうございます🎊
私には到底踏み込めない山奥の奥の奥の城址など、未知の世界の様子をいつもワクワクしたり驚いたりしながら拝見しております。
お祝いに小田原城天守と満開の河津桜の写真をどうぞ!
=スタンプゲット中間報告=
現在、100名城78個、続100名城67個です。
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2019/02/28 06:40
3度目の日本100名城スタンプラリー・コンプリート (2019/02/24 訪問)
1度目は2008年5月17日、今はなき寝台特急はやぶさに乗って熊本城にてコンプリート。最も好きな城・熊本城で締めたかったのです。本丸御殿と飯田丸五階櫓にも初めて入りました。スタンプ帳は公式ガイドブックに附属のものでした。
2度目は2013年4月28日、自宅から最も近い現存十二天守の松本城にてコンプリート。冷え込みの厳しい日で天守最上階から槍ヶ岳がきれいに見えました。スタンプ帳は、無料で頂いた日本城郭協会のものでした。因みにこの2回目は、1回の旅で1個しかスタンプを捺さないという一翻縛りをかけていたので、スタンプラリーを開始してからコンプリートまで5年近くかかっています。
そして3度目の日本100名城スタンプラリー、今回の締めは世界遺産にして三大連立式平山城の姫路城しかないと心に決めていました。丁度、冬の特別公開小天守群開催期間に当たるという僥倖にも恵まれました。連立式天守の魅力を存分に味わうことのできる貴重な機会です。姫路城マラソンの日に重なってしまって、帰路は大変な大回りをさせられてしまいましたが、朝は開城50分前には並んで待ち始めたので、非常に快適に大天守や櫓群を楽しむことができました。3度目の日本100名城スタンプラリーを開始したきっかけは、第1回お城EXPOにて、「日本100名城に行こう」という公式スタンプ帳が付いた書籍を購入したことによります。2016年12月30日の鹿児島城からスタートして2年1ヶ月26日でのコンプリートとなりました。
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2019/02/27 23:52
土成 (2014/09/21 訪問)
関ヶ原の合戦後に、出羽国に転封となった佐竹氏が築いた土の近世城郭。石垣がある所でも膝上くらいしか高さがなく、徳川氏に遠慮していた姿勢を彷彿させますが、城自体は圧倒的です。うまく言葉にはできませんが、とにかく圧倒的。私では説明が不足しているので、小城小次郎さんの投稿を参考にされた方が城の凄さが伝わると思います。
佐竹氏の本城にして、近世最高の土の城(と自分では思っています)にふさわしい広大な城域と高低差に加えて、大きな水堀や表門や御隅櫓等も復元されており見所がたくさんです。また、城内にある秋田市立佐竹史料館では、佐竹義重公と義宣公の毛虫の前立てが有名な具足や義宣公の御旗等が見ることができるだけでも凄いのに、なんと写真撮影可でした。
御隅櫓にあった城のジオラマの出来も素晴らしく、ジオラマの写真だけで46枚程撮っていました。おそらく城のジオラマで一番写真を撮ったと思います。それほど素晴らしいジオラマでした。
後、城とは直接関係のない話になるのですが、城の東の三ノ丸近くの道路を歩いている時に、自転車を何度も乗り降りしている老紳士の方がいて、「自転車が故障したのかな?」と思い声をかけようと近づくと、いちいち自転車を降りてはポイ捨てのタバコを拾われていました。この時の衝撃と感動は久保田城と同じくらい強烈に私の心に残っています。
まだ暑い季節だったので、中土橋の所でおばあちゃんが「ババヘラアイス」なるものを売っており、綺麗な蓮の花の形に整えてくれました。秋田弁だったので所々会話が聞き取れませんでしたが、本物の秋田弁を聞けたのも今ではいい思い出です。
佐竹氏の久保田城築城を題材にした岩明均先生(寄生獣の著者)の「雪の峠」という漫画あるのですが、かなりおすすめです。久保田城や関ヶ原の合戦後の佐竹氏に興味のある方ならきっと読んで損はないかと思います。
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2019/02/27 23:51
世田谷吉良氏と後北条氏の空気が漂っていた。 (2019/02/22 訪問)
学生時代に近くに住んでいたことがあり、カルビンさんの投稿を拝見して懐かしくなり行って来ました。
私が住んでいた小杉陣屋町とは駅の反対側の商店街を進むと、大楽院にぶつかります。大楽院は日枝神社の神宮寺で、所蔵する釈迦如来坐像の胎内から武蔵世田谷と蒔田を領有した吉良氏朝(1543〜1603)の家臣名等を記した墨書銘が見つかったそうです。戦国時代の匂いがしてきました。
丸子城跡と伝わる日枝神社には目に見える城の遺構はありませんでしたが、北条氏直の発給文書二通と大久保長安らの連署奉書一通を所有していると解説板にありました。氏直の文書の一通は、多摩川の出水により流路が変わったために生じたこの地域の境界争いを裁決したもので、日付が天正18年3月16日とのこと。
秀吉が北条討伐のため聚楽第を出陣したのが天正18年3月1日。
山中城が落とされたのが3月29日。
年貢に関わってくるから大事なことだとは思うけれど、まもなく小田原城が包囲され、滅亡へのカウントダウンが始まるこの時期に及んでも領国内の揉め事の処理に奔走していたとは。
後北条最後の日々を思いがけず辿り偲ぶこととなりました。
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2019/02/27 23:10
2019/02/27 22:07
周りを囲む空堀と土塁 (2019/01/29 訪問)
本郭を囲む土塁と空堀が見れました。
工場地帯の中にある御前原城は一見、こんな所に城址があるのかと思う立地ですが、どうでしょうちゃんと残ってました。
周りの道に一旦、車を停めて虎口から中に入ります。
本郭は空堀、土塁に囲まれていました。
空堀、土塁と雰囲気があります。
当時の空堀、土塁はもっと深くて高いものだったんであろうことも容易に想像できます。
本郭の中は井戸跡や神社の祠が建っておりましたが、ほとんどは広場になっておりました。
ですが、これだけの遺構が残っていれば、十分に城址の雰囲気を感じることができます。
空堀、土塁の感じは、居館タイプの遺構としては良い城址ではないかと思いました。
皆さまの投稿にもありましたが、工場を作る際に壊さずよくぞ残してくれましたです。
その感想に、ほんとうに同感です。
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2019/02/27 21:27
冬とお城 (2013/01/23 訪問)
6年前の1月に訪れました。
日帰りの予定が雪に閉ざされ、公共交通機関がストップ。
止む得ず東山温泉に一泊、翌日も平常には戻らず高速バスだけが運行していたので帰りは高速バスで帰路に着きました。
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2019/02/27 21:09
節操が無い信玄 (2015/05/09 訪問)
三国同盟を組んで、北条が関東を。。。というのに、さりげなく北関東も狙って信玄が築城したお城。
女癖といい、領土欲といい、節操無いな、信玄w
烏川を挟んで周辺にはお城が乱立してます(北東側に高崎城・倉賀野城等、南西側に根小屋城の他に山名城、茶臼山城、寺尾中城等)
特に南西側のお城はそれぞれ遺構がしっかりしていて、全城オススメで御座います。
根小屋城と山名城は隣なので、おそらく皆さん歩いて同時攻略されていると思いますが、個人的には根小屋城の方に軍配が上がります。
自分はこの日高崎経由で上信電鉄線にて高崎商科大学前駅から根小屋城→山名城→高崎商科大学前駅・・・と攻略しました。
一段高くなった主郭を囲う様に切岸・横堀・土塁が走り、その周辺に土橋、虎口、深堀などが見られました。
5月初旬にして結構草が高く生え、写真映えしない状態になってしまっていたので、出来れば冬の時期に見学するのが良いでしょう。
根小屋城を訪問する1年前の同じ時期に同じ群馬県の山上城で年度初の蚊に刺されましたが、根小屋城でも初被弾しまして・・・群馬県の山中は蚊の発生が早い模様。。。攻略時には要注意です(痒)
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2019/02/27 20:45
晴れたらリフトで松山城 (2017/12/29 訪問)
ゴンドラとリフトが選べるので、寒い日はゴンドラ、晴れたらリフトで城下をみなから快適に^ ^城内は軽い運動にちょうど良い感じ!ハイヒールはやめましょう^_^脚と靴とお城のために!
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2019/02/27 20:35
石戸城と一夜堤。 (2019/02/24 訪問)
扇谷上杉氏の家臣 藤田氏の居城「石戸城」に行きました。
まず車で埼玉県自然学習センターに向かいました。
広大な自然観察公園の中に城跡があります。
しかし「石戸城」の場所が自然学習センターから離れているので荒川の河川敷にある天神公園の駐車場に車を止めて自然観察公園の端から攻めました。
ちょうど「一夜堤口」でした。
ずっと湿地帯が続き、案内板を見つけました。
北条 氏邦さんが土橋を一夜にして築き一気に攻め勝利したそうです。
現在、一夜堤遊歩道として使用してます。
予習もしないで歩いて来た道は氏邦さんの勝利への「一夜堤」だったんですね。
少々、反省。
帰りは戦国に思いを馳せて歩きました。
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2019/02/27 18:45
冬とお城 (2019/01/13 訪問)
真田絡みの山城は雪の中の石垣が見物です。
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2019/02/27 18:35
冬とお城 (2018/01/14 訪問)
石垣にまとわりつく雪が良い景色となっています。
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