鳥取藩がつくった台場をまわりました。草に覆われていていましたが、土塁は確認できました。車は、東郷湖羽合臨海公園に停めました。
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2019/08/07 21:24
草に覆われていますが、土塁は確認できました。 (2019/08/07 訪問)
鳥取藩がつくった台場をまわりました。草に覆われていていましたが、土塁は確認できました。車は、東郷湖羽合臨海公園に停めました。
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2019/08/07 19:49
シルバーガイドさんがカッコいい (2019/08/07 訪問)
家族旅行で甲子園観戦の翌日、憧れの姫路城へ行きました!
大坂城で案内人の方にガイドお願いしてとても良かったので、今回もガイドしていただきました。大坂城ではお電話で予約して待ち合わせでしたが、入場券売り場近くにいらっしゃるので、その場で申し込み受付をすませるとすぐ一緒に回っていただけます。2時間二千円で、内堀内の門や天守閣、小天守、西の丸まで。うちはゆっくり見たいのと写真撮るなどして時間がかかり、西の丸の入り口までとなりましたが、西の丸の説明も入り口でしっかりしてくださいました。
シルバーガイドというだけに、年配の方々です。しかし細かな年号や数字もばっちりの抜群の記憶力、幅広い知識、関西の方らしいユーモアも取り混ぜた楽しいガイドに聴き入り、とても充実した時間となりました。ガイドさん、本当にありがとうございました。
ガイドさんとの時間が終わったあと、もう一度天守閣に入り、話を思い出しながら、一つ一つじっくり観て写真を撮ってきました。
石垣は江戸時代や明治時代の修理も含めると5期に分けられるが、築いたのは3期となり秀吉時代の野面積み、関ヶ原後の池田輝政時代の天守台などの打ち込みハギ、本多忠政による西の丸。大阪城や江戸城などの天下人による石垣のような派手さはないものの、それぞれに特徴があり面白く見応えがある。個人的には秀吉時代に築いた弧を描いたはの門東方(三国池の上方)の弧を描いた石垣が美しいと感じました。
他にも攻めてきた敵を惑わす曲がりながら続くたくさんの門にもわくわくさせられた。特ににの門は天井が低く甲冑を身につけ武器を持ってここを通るのは大変だったろう。
天守閣に入ると鉄筋作りにはない木の香りと湿気を含んだ独特の空気感と薄暗い内部にテンションはマックスに。所々に残るガサついた床材や角に丸みを帯びた階段板は築城以来残る物だとか。踏みしめると戦国時代の人々の息吹を感じるようで、ずっとそこにいたくなる。
各階にある武者隠しは上下二段になっており、下の段の銃眼は内向きになっている。その理由は城が敵に取られた時敵将が来たら撃つためとか。それまで狭く暑苦しい場所にじっと隠れ続ける、という戦略だそう。
他に火縄銃で応戦することを想定した煙抜きのための高窓、窓の太い格子は正八角形で、鉄砲の方向が斜めにも向けやすいためだそうです。
破風に取り付けられた懸魚の装飾や軒の瓦一枚一枚に家紋を付けるなど、細部への美的センスに細やかさを感じるお城です。
堀は江戸城と同じ螺旋になっており、その向きは江戸城とは反対向きなのだそう。
国宝のためか、内部にはお土産の販売所はなく入場券売り場の脇だけになり、狭く種類もさほど多くはないです。正式ガイドブックが販売されており、それをはじめに見てから回っても良かったかと思いました。
飲食は飴なども禁止で飲み物のみ許されています。お腹を空かせて行くとしんどくなるので、お気をつけください。
真夏のために暑さを心配しましたが、天守閣は西の丸の内部は木造のためなのかひんやりして、また風が気持ちよく通り抜け、想像したより涼しかったです。もちろん外はかなりの暑さでした。
夏の青い空の下、真っ白な壁の姫路城は凛としていて美しく、 人間に例えたらアジア系美女、と言った風情でしょうか。
歴史的展示物は西の丸に少し展示があるだけで、天守閣は基本当時の建築物を見るだけとなりますが、現存の天守閣はそれ自体が見どころ満載です。
堪能させていただきました。
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2019/08/07 11:30
2019/08/07 00:51
素晴らしき現役の城 (2019/06/18 訪問)
2ヶ月程前の6月2日(日)に城びとのイベント「萩原さちこさんとはじめての江戸城(皇居)ウォーク」に参加してきました。
外桜田門から二重橋、皇居前広場を抜け、大手門より本丸、天守台を目指すルートでしたが、天下人の城だけあり、城門や石垣のスケールが違います。その数や大きさもそうですが、精密さや化粧が施された見栄えの良さで荘厳さが増し、その威圧感は半端無く、圧倒的な感じを受けます。そうした見所、名所をマイスターの萩原氏より、その都度分かりやすい解説をいただきながら、廻るのでとても贅沢な至福の時間でした。
あまりに良かったので、2週間後の平日、午前中に再登城して来ました。外国の観光客が多かったです。工事業者の方も多く見られ、案外休日の方が、おすすめかもしれません。一般公開されている「皇居東御苑」ですが、月・金曜日は休園日です。
それ以前の詳細は、わかりませんが、1590年の徳川家康が入府以来、令和の現在までずっと使用されている現役のお城です。その時代の最先端の技術を駆使した石垣が残り、体感できる素晴らしいお城です。次回の城びとの企画も楽しみですね!
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2019/08/06 22:49
2019/08/06 22:30
2019/08/06 21:56
兼六園と一緒に (2018/11/03 訪問)
公園が、広くて、ゆっくりお城を見る事が出来ます。
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2019/08/06 21:11
大溝城 (2019/07/15 訪問)
【大溝城】
<駐車場他>高島駅前コインP・市民病院有料
<交通手段>車
<見所>天守台石垣・陣屋惣門
<感想>日帰り浅井三姉妹お初ゆかりの城攻めの旅1城目。ご存じの通り織田信長が琵琶湖の水運拠点の為織田信澄に与えた地だが、秀吉の治世時に京極高次に与えた地でもある。1万石に加増後にお初が正室として大溝城の高次に嫁いだところ。関ヶ原後は分部家が2万石として陣屋を築いた。陣屋の惣門が現存している。惣門は写真の通り窓や扉が付けられたりして改造されていた。
城跡は分部神社正面の左横に老人養護施設があり、その左脇に案内板があるのでそこの細い道を入っていきます。または市民病院をつっきって行っても行けます。遺構は写真の通り天守台石垣しか残っていませんでしたが雰囲気あってよかったです。駅前に城跡の説明板があります。
<満足度>◆◆◇
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2019/08/06 20:44
夏は遺構が良く分かりません (2019/08/04 訪問)
予定より2便早く国道九四フェリー(三崎→佐賀関)で九州へ渡れたので
フェリーの中で「お城を探す」と佐賀関港近くに烏帽子岳城を見つける。
サイトを調べると山城、猛暑日なのでパスしようとするが、信頼している
古城盛衰記には「山頂南側までクルマで登れ、完備された駐車場から北へ
約300mで頂上(主郭)に着く」とあり、登城決定する。
ワイルドな林道で駐車場(20台)<33.232126,131.860417>に着くが、
登城口は夏草に隠れている。奥は明るいので約300mで頂上を信じて突入、
木段が残る登城路で約10分、頂上(主郭)に着きました!周辺に土塁・
空堀跡が確認できるが、草木で写らない。
頂上から四国の佐田岬半島まで見える眺望は素晴らしいが、北の細長い
郭にある四阿はロープが張られて立入禁止、その先の遺構を探すつもり
だったが、夏草に阻まれて撤退です。
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2019/08/06 20:20
2019/08/06 20:11
日影が無い(;;;`・ω・´;;;) (2019/07/27 訪問)
吉野ヶ里からは予定通りJR線で鳥栖を経由して二日市駅下車・徒歩で西鉄線紫駅移動し、そこから都府楼前駅で下車。
都府楼前駅からはもうこの遠征何度目か解らないくらいの猛暑復活orz
たった1kmの距離にも関わらず日影がほとんど無かったのも災いして、かなりバテながら大宰府政庁跡に到着。
大宰府政庁跡地も日影が無く、あまりの暑さに隅々まで歩いて見学をしないで、あえてポイントポイントを引きで見周りました。
お城系の遺構はほぼ無く、○○跡という建造物跡がほとんどを占めてました。
ざっくり見学した後は涼を求めて大宰府展示館へ。。。流石に有料ではありましたが、館内の撮影を特に規制していることも無く、取りたい写真も撮らせて頂けました(・ω< )b
ここ大宰府を防御する為に基肄城・大野城・水城を設けたのに、結局朝鮮半島からの侵略は無かったわけで・・・こういう施設もオリンピック用施設も、本来の使用目的とは別に転用できなければ・・・ただの無駄遣いになっちゃいますね(悩)
ちなみにここもやはり電車・バスで訪問される方はおらず、結構な人数いらっしゃいましたがみんな車での訪問でしたねw
大宰府前、対向1車線でしたが・・・道路工事を行っていた事もあり、大渋滞してました。。。車での訪問も考え物です(それなりに大きな駐車場はあります)
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2019/08/06 19:34
叛鬼。 (2019/06/23 訪問)
少し前に伊東 潤さんの「叛鬼」を読みました。
長尾 景春の乱が題材です。
なぜ「叛鬼」を選んだかと言うと本の最初に、登場するお城の位置の分かる地図がかかれてます。
ほとんどが行った事があるお城でした。
で、単純に「丸子城」は行っていないので、という理由で行きました。
「日枝神社」がお城跡です。
遺構など「丸子城」の手掛かりは見つけられません。
こちらの「日枝神社」の神様の使いはお猿さんです。
「猿神」=まさる=「勝る、魔が去る」です。
古い稲荷神社や伐採されてしまってますが根元が安置されている「山王さんの大杉」等々あります。
関東のお城巡りに予習として「叛鬼」、いかがでしょうか?
「丸子城」がどんな登場だったか、ぜんぜん覚えいない私は復習が必要ですが!!!
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2019/08/06 17:46
空から
福岡行きの便から名古屋城を過ぎてその次に姫路城です。
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2019/08/06 17:30
2019/08/06 17:26
2019/08/06 10:05
見事な堀、土塁、そして大規模な遺構は続名城百選に恥じない城跡です! (2019/03/05 訪問)
空堀から土塁、この城跡に見られる遺構たちはダイナミックで、さすが続名城百選でした!
車を停めてすぐに長い堀が見えます。
その堀に土盛りの出っ張った2つの出構です。
きっとここから迫り来る敵を迎撃するんだろうななんて想像しながら進みます。
もうテンションが上がりまくりです。
乾門の枡形虎口が見えてきます。
ここから登城です。
ここに到達するまでに、先程の出構ももちろんですが、高い土塁や空堀などすでに見所は満載です。
井戸跡などを見ながら広い本丸跡には武田の家臣たちの塔婆のような物がありました。
武田の名将たちの名前を確認しましたが、それだけでも武田好きではなくても心が踊ります。
西三の丸跡を見ながら大手門の方にまわりますと三日月堀も見ることができました。
雰囲気満点の遺構たちに大満足でした。
三日月堀をみると武田〜って感じもするのは私だけでしょうか。
駐車場も広く停めやすく、整備されすぎもなく所々にある案内板も見やすいので見学しやすい城跡でした。
なにより遺構は見応え十分です。
今更私が言うまでもなく、かなりオススメの城跡です!
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2019/08/05 22:55
奇襲厳島 (2019/07/29 訪問)
宮島のフェリー乗り場の広場から厳島神社へ向かう途中、左手にごつい丘があり、そこを登って行くと宮尾城跡です(スニーカーで大丈夫です)。特に遺構は見当たらず、小さな曲輪跡のような平坦地があるものの、城というよりは高台から周囲を見渡すことができる砦のような印象でした。
厳島神社近くの、五重の塔と千畳閣(豊臣秀吉の命で、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]が建立。秀吉の死により未完成)のある『塔の岡』と呼ばれる所は、陶軍の総大将・陶晴賢公が本陣を構えていた場所で、毛利方の宮尾城が良く見え、陶軍との距離が非常に近いことに驚かされました。※宮尾城跡から塔の岡も良く見えます
現在も見ることができる厳島神社の大鳥居の足が6本になったのは、天文16年(1547年)に周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた大内義隆公が建てたものからと資料から確認できるそうで、厳島神社の宝物館に義隆公が奉納した厳島神社の『木製銅字扁額』(扁額=鳥居の真ん中上に文字が書いてあるもの)を見ることができ、往時の物にとても感動しました。
厳島神社境内の出口付近に重要文化財の『反橋』があり、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたものとの説明がありましたので、毛利好きの方はお見逃しなく。
大河ドラマ『毛利元就』の厳島の戦いの回で、合戦に敗れた陣内孝則さん演じる陶晴賢が浜辺で力尽きるシーンはとても印象に残っています。晴賢公は島の西へ逃れ、観光客等誰も訪れないような広島大学の植物実験所のさらに奥の森で亡くなったと推測されているようで、碑もあるようです。いつの日かお参りに行きたいですが、いつになるやら・・・
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2019/08/05 22:21
八木土城(兵庫県養父市) (2019/07/07 訪問)
【八木土城】
<感想>昨日の投稿八木城のつづきの八木土城です。八木土城は八木城から北西に200m程登ったところにある。この200mは結構な登りなので、トレッキングシューズは必要です。城はおおよそ南北の尾根状に15の曲輪が連続していて各曲輪の面積は比較的小さめ。曲輪の片方だけに土塁がある所もある。主郭の一つ手前の曲輪には外枡形虎口の遺構が見られる。主郭部が最高所でさらに北側の搦め手方向は2・3程の曲輪しかなく、堀切となっている。パンフレットに戦国時代は八木城と八木土城が一連となった城郭であり、後に八木城に石垣を築いて独立したため、2城に分離したという説があるそうです。また外枡形の遺構などは別所重棟による改築という説があるそうです。
曲輪は小さいが、15もの連続した連郭式の城跡は珍しいし、1つの城跡として十分見応えあった。築城年代も違うみたいだし、八木城と分けてもいいかと私は思います。登城~下山まで約3時間2城分攻めて今日の目的を果たし十分満足した1日でした。満足度も八木土城を個別に。
<満足度>◆◆◆
<写真の説明>写真の曲輪の番号は5番が主郭のすぐ一つ下の曲輪、あと数字がいくほど更に南方向の末端の曲輪になります。
<温泉>八鹿氷ノ山ICの近くに「とがやま温泉天女の湯」という日帰り温泉があります。わずかに白濁した俗にいう美人の湯です。食堂もあり、地鶏のから揚げ定食をいただきました。
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2019/08/05 21:17
2019/08/05 20:47
d(゚Д゚)b<ヒミコサマー! (2019/07/27 訪問)
吉野ヶ里公園駅から一面田んぼだらけの道を10分程進むと、吉野ヶ里遺跡公園にたどり着けます。
猛暑一転、見るからに雨雲に覆われ、正面から冷たい風が吹いてくるという。。。ヤバイ、これ積乱雲じゃ・・・
ゲリラ豪雨になりそうな空模様にちょっと身構えながら、無事吉野ヶ里遺跡公園の入口の屋根付きゲートに到着したところで、豪雨まではいかないものの結構な雨が降り出し。。。
遺跡公園内は基本屋外なので、小さい折り畳み傘では荷物が濡れてしまう。。。と思っていたら、返金式のコインロッカーがあり、更に無料の貸し出し傘を準備して下さったおかげで、雨の中とはいえ身軽な散策が出来ました。
お城とは一味違う、本当に弥生時代に来た感覚で、先日の疲労も朝の体調不良も忘れる程楽しかったですε=( ^Д^)/
そして帰る頃には飽きる程、昔の建造物が分譲住宅じゃね?ってくらい・・・更に古墳も数えるの諦めた程沢山ありました。
勿論基本レプリカですが、現存史跡を固めて現存保護している所も多かったと思われます。
土曜日と言う事も重なり、来場客もかなりおりましたし。。。駅から歩いてここまで来る際には1人しかすれ違わなかったのに。。。
ほとんどの方は車で来られていたんでしょうね。
公園内はかなり広く、見学には結構な距離歩きまして。。。散策中は雨強く降ったり止んだりしてましたが、戻ってきた頃には雨も一段落しました。
そして荷物を取りだした辺りで忘れてた疲労もぶり返してしまった為、入口にあった休憩所で20分くらい休んでから移動再開しました。
無事佐賀県の元祖・続100名城全部回れましたが・・・本当に田んぼ多かったな~
(「佐賀県」の歌、場所によっては大げさでは無かったと知るw)
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