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dougen

2016.8.23登城 (2016/08/23 訪問)

家族旅行で伊勢志摩に行った際に立ち寄りました。
志摩市街から国道260号で南下したところにある大王灯台の西側にある八幡さん公園が波切城址となります。
遺構らしい遺構はありませんが、土塁らしきものは確認できます。
海に面した場所で眺望は最高です。

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くろもり

秀吉と家康の天守台 (2018/10/20 訪問)

駿府城天守台の発掘調査で見つかった豊臣秀吉が家臣の中村一氏に築かせたと考えられる天守台の一般公開があったので見学してきました(静岡旅行の日程に一般公開の日10/20・10/21が後追いで重なってラッキーでした)。
家康さんの像のすぐ西側、駿府城の天守台の南東部に秀吉時代の天守台があったようです。
現地でもらった資料によると秀吉時代の天守台全てが家康時代の天守台の下になったわけではないように見えます。
南東部は突き出ていたようですので、秀吉時代と家康時代の天守台両方を復元して同時に見られる・・・なんてことも将来あり得るかもしれません。
何より嬉しかったのは平成31年度は天守台の内側を掘り下げて今川時代の遺構を調査するとのこと。今川義元公や氏真公時代の遺構が何かしら見つかる事を心待ちにしています。
※秀吉時代の天守台と発掘作業で見つかった金箔瓦の一般公開は11月22日(木)からの予定だそうです。
写真1枚目・・・家康時代と秀吉時代の石垣。手前が家康時代、奥が秀吉時代(西から)。
写真2枚目・・・金箔瓦の展示予定の案内。
写真3枚目・・・家康公お手植えのミカン。まだまだ緑色。
写真4枚目・・・駿府城の南西にある四足門跡の石垣。

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小城小次郎

鮫ヶ尾城

悲劇の美武将・上杉景虎が最期を遂げたこのお城は、なるほど景虎が頼りたくなるくらい頼りがいのある堅城だった。

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ぽんたっく土佐守

石碑の周りは「ぎんなん」だらけ… (2018/10/21 訪問)

名鉄豊田市駅から自転車で10分ほど。
矢作川沿いの閑静な住宅街にあります。
訪れたのは日曜日の朝6時半頃…
公園内にある「マムシに注意!」の看板と
東隣の新興住宅地住民の方々から
不審者と間違われないだろうかと
少々ビビりましたが、
城内(公園内)に突入しました。
石碑(写真2)近くには大きな銀杏の木があり、
一歩踏み出すたびに
路面に落ちた完熟「ぎんなん」の臭いが襲いかかります。
これといった遺構はありませんが、
書院跡の礎石、城址西側の土塁が
ありし日の寺部城を思い起こさせます。
また、城址南西にはかつての城主を祀る
「守綱神社」があります。



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リベロスキー

津軽為信“最後の居城” (2018/10/25 訪問)

土塁がカッコいい、ナイスな城跡。
岩木山も望めます。

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リベロスキー

津軽氏の城 (2018/10/25 訪問)

石垣の大規模な修復工事の為、本丸の中央に移動の天守。
そのおかげで、天守と岩木山が一緒に写せました。

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チェブ

どこもかしこも秀吉に潰された! (2018/10/21 訪問)

八王子の陣馬街道を下って行くと、山城が沢山ありそうな雰囲気になります。
浄福寺城は北条 氏照が続100名城の滝山城に移る前に本拠地にしていたそうです。
立派な山城です!
が、坂(?) 壁(?)登れません。素人の私は怪我するに決まってます!だから、見上げて来ました。
帰って来て気が付きましたが植物の種?が、身体中に付いてました。草もボーボーです!

私の行動範囲はだいたい北条氏の城跡が多いのですが、秀吉さんの小田原征伐で、どこもかしこも、やっつけられてます。
あと何回、説明板の「小田原征伐で廃城」の文を読むんだろうっと思います。

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カルビン

信濃岡城です (2015/05/01 訪問)

日本100名城になっている大分県ではなく、埼玉県朝霞にある岡城でもなく、長野県の上田原古戦場に近い場所にある岡城です
(他にも岡城はありそうですな)

こちら信濃岡城は開発によって残された城域はかなり縮小されているものの、主郭とそれに沿ったに大きな堀が残されておりました


ここだけを見学しに遠くから来るのはちょっと勿体ない感じがしますが、他に近場に塩田城、上田原古戦場(板垣信方墓等)、上田城、真田郷城群等々が存在し、更に真田氏関連人物の菩提寺が複数・ごんべの墓・ちょっと足を延ばして村上氏関連史跡も見られるので、上田駅を拠点にじっくりと見学したいところです


やはり車での訪問が便利ですが、岡城に関しては駐車場がなく、城脇の1台分開いていた駐車スペースに無理やり止めてダッシュで散策したのでご注意下さい

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オダリン

鍋島36万石の城下町 (2011/02/24 訪問)

鯱の門が現存している。本丸御殿が復元されてるがこれが一部で全部になるとメチャクチャでかいものになる。また2階建ての部分があるのは珍しい。天守台には本丸から上がれないのも珍しいし濠が100メートルほどの広さがあるのが印象に残っている。さすが大大名の城下町だと思った。

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モト

素晴らしい空堀と土塁に引き込まれます (2018/10/16 訪問)

入り口から土塁が見えて早くも期待が膨らみます。
土塁を眺めながら進むとすぐに深い空堀が出てきます。
この城跡を囲んでいる空堀が見事なんです。
深いし、畝ってますしこれには思わずにやけてしまいました。
郭への入り口にある土橋も雰囲気があります。
郭も土塁に囲まれており、これぞ城跡だと誰もがわかる感じです。
まとまっていて、なかなか見応えのある城跡です。

寄ったら満足のぜひぜひオススメしたい城跡です。
きっとご満足いただけますよ。

駐車場も完備されてますし、ある程度の場所をナビでセットすれば近くまでくるとメインの道にも道案内があるので行きやすいと思います。

追伸
この時期は近くにあります、ひたちなか海浜公園のコキアもきれいでした。
10枚目の写真に載せてみました。

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勝野武士

城下に残る遺構と、姫路藩家老ゆかりの和菓子。

何度行っても新しい発見があって飽きない世界的名城。

姫路城西側にある好古園は西御屋敷跡(藩主榊原政岑が吉原で高尾太夫を身請けしここに住まわせたとか。ちなみにこれら一連の派手な暮らしっぷりに徳川吉宗がキレて、結果大幅減封され越後高田に移封されちゃいました…)と周辺の武家屋敷の町割りを再現し、それぞれが美しい庭園となっております。庭園越しにみる姫路城、格別ですよ。

国道二号線沿いはかつての中堀跡。今でも腰巻き土塁や門跡の石垣が残っていて、城の厳重な守りをここでも感じることができます。散策するにはかなり範囲が広いので、お時間に余裕があれば是非。
ちなみに、姫路駅あたりはかつて姫路城総構の外堀と南の入り口だった飾磨門があったところ。ここは残念ながら何も残っていません。

お土産にオススメなのは西二階町にある『伊勢屋本店』にある『玉椿』という上生菓子。
柔らかく赤い求肥餅の中に黄餡を包んだ、見た目はシンプルながらも美しく、そして上品な甘さで、僕にとって世界一大好きなお菓子かも(笑)。
実はこれ、江戸中期に木綿で藩財政を立て直した家老河合寸翁が作らせ、命名したのだとか。寸翁は茶の湯の心得もあったのですね。
まさに、地元を代表する銘菓です。

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勝野武士

賤ヶ岳の麓の酒蔵。

江戸時代の蔵で今でも仕込みをしているという『冨田酒造』。
ここの銘柄の一つが、その名も『七本鎗』。
大吟醸は特に口当たりが良くて柔らかく、それでいて程良くキリッとしていて呑みやすいです。
ラベルの書体はなんと、あの北大路魯山人の手になるもの。なんでもここはゆかりの深い酒蔵なんだとか。
魯山人が愛した昔ながらのお酒、是非。

ちなみに木之本駅周辺だと、『菓匠 禄兵衛』の丁稚羊羹。竹の皮に包まれた、上品な甘さで美味ですよ。
あと、『つるやパン』のご存知(?)サラダパン。真ん中を縦に割ったコッペパンに沢庵を細かく刻んでマヨネーズで和えたものを挟んでます。…好き嫌いがはっきり別れそうですが(笑)、程良い塩気と沢庵×マヨネーズ×パンが意外に好相性で、僕はドハマりというか大好きです(笑)。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー83個目 (2018/10/20 訪問)

これが5度目の徳島城。とりあえず徳島城博物館にてスタンプを捺し、展示をさらっと拝見してから歩いて献血ルームアミコに向かった。700回目の節目の献血を完了してから徳島城に舞い戻る。9年前の阿波おどり翌日以来、2度目の本丸踏破。東二の丸経由で登り西二の丸経由で下城した。緑泥片岩の石垣が特徴的な徳島城だが、海峡の対岸の和歌山城にも見られる。

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勝野武士

長浜観光のあとには是非。

北国街道から少し逸れますが、『茂美志屋』というお店があります。
こちらでいただける長浜の郷土料理として『のっぺいうどん』という、具だくさんのとろみのついたうどんがあります。寒い時期には特にオススメですよ。
あとはビワマスの刺身も絶品です。

ちなみに、長浜はうなぎ屋さんが点在しています。
お金に余裕できたら行ってみたい…!

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名張藤堂家の居館 (2018/10/13 訪問)

1585年に豊臣秀吉の命で筒井定次が伊賀上野20万石へ移ると、定次は伊賀上野城を築き、家臣の松倉勝重に名張8000石を与えて名張城を築かせました!
勝重は城の完成を待たずに亡くなり、嫡男重政が家督と築城事業を引き継いだが、重政は定次と衝突し、筒井氏のもとを去っていった!
その後、名張城に城代として桃ヶ谷国仲が入った!
しかしながら、1608年に筒井氏は所領を没収され、国仲もここを去っていった!
筒井氏に代わって、伊勢・伊賀22万石を与えられた藤堂高虎は、家臣の梅原武政を名張城代に任命しました!
しかし、武政は失政続きで1617年に解任され、高虎の異母弟で伊賀上野城代の高清の支配となりました!
一方、丹羽長秀の三男として生まれ、豊臣秀長の養子を経て、高虎の養子に入った藤堂高吉は、高虎の後継者と思われておりましたが、1601年に実子の高次が誕生したことで高虎との関係が悪化しました!
高虎が伊勢・伊賀に移ったのに伴い、高吉は伊予今治2万石を与えられたが、1636年に高吉は伊勢・伊賀名張2万石へ移されました!
高吉は廃城となっていた名張城に殿館を築き、名張陣屋と言った!
高吉の子孫である藤堂宮内家は独立した大名ではなく、藤堂本家の藩内領主という扱いでした!
これを不服として、享保年間には本家からの独立を幕府に働きかけたが失敗して、結局、藩内領主のまま幕末まで存続しました!
高吉の実兄である丹羽長重、そして育ての親である藤堂高虎は、いずれも築城名人として名高い!
名張陣屋の遺構は、名張藤堂家邸跡や移築された太鼓門などが現存されています!

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小城小次郎

龍岡城

幕末のどさくさに築城された「日本にふたつ」の五稜郭。お城というにはあまりにも小さいそのフォルムと、未完成のまま役割を終えた歴史とが、むしろ滑稽でさえある。

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にのまる

谷村城の詰め城 (2018/10/21 訪問)

谷村城とは桂川を挟んで対岸に位置しており、現役の頃は橋で繋がっていたのだそうです。
登城口はあまり危険な感じはしませんでした。すぐに内堀がありますが、倒木と笹薮で奥まで行くことは叶いませんでした。
三の丸、二の丸、帯曲輪を通って順調に本丸に到達。東照宮が建っていたのは天領だったからでしょうか。
本丸から先が見どころ満載のはずなのですが、乗り越え難い巨大な倒木と潜り難い草薮にあえなく撤退。中途半端な城攻めになってしまいました。
これから行かれる方は、私の草ばっかりの写真ではなく、dougenさんやじゅんじんさんの遺構がバッチリの美肌写真が絶対にいいのでそちらを参考になさってください!
標高があまりないせいか、富士山は頭をのぞかせていただけでした。「富士山見るなら我が城、岩殿へ!」という小山田信茂の声が聞こえてきましたが……その手に乗るか!!勝頼くんと同じ轍は踏まないっ!一回行ったから岩殿はもういいっ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

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オチョ

鹿だらけの海城 (2015/09/26 訪問)

鹿島は北条港の目と鼻の先にあり、渡船であっという間に渡ることができます。
島の大部分を占める小山に主郭があり所々に僅かながら石垣が残り、公園化されて分かりづらい部分はありますがいくつかの曲輪も残っております。
四国勢で唯一明治維新まで大名として生き残った来島村上氏の四国征伐後の居城ですが、今は鹿島の名前の通り鹿の居城と化しています(笑)

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カルビン

そこへ至る道も、山登りも大変 (2015/05/30 訪問)

先日upしました勝間田城以上に登城口が茶畑パーティな花倉城
こういうシチュエーションを味わうと、バイクで登城される方がとても羨ましく思えます(道が狭くても大丈夫だし、駐車スペースに困らなさそうですし・・・でもバイクはバイクで苦労する事多いんだろうなぁ)

さて、花倉城は今川義元兄弟の家長争いの場な訳ですが・・・公家のような成りをしていたとされるひ弱なイメージの義元さんには登城するのに体力持つのか?ってくらいなかなかの登山が待ってまして・・・(汗)

メタボで高所恐怖症な自分に至っては体力もメンタルも疲弊する事にorz


遺構は入口の土橋の先は主郭附近に集中していると思われますが、主郭から先に続く道には遺構は見受けられませんでしたので、それほど大きな規模では無いのかもしれません
(道中の登りの大変さと高所でそわそわしていた為に気が付かなかったのかもしれませんが・・・)


麓の新東名高速沿いにある長慶寺に太原雪斎と今川泰範(義元の先祖)のお墓があるので、セット訪問推奨です

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todo94

続日本100名城スタンプ59個目 (2018/10/20 訪問)

9年前、阿波おどりを見た翌日に訪れた時は、見性寺周りの濠と矢竹や説明板をチェックしただけだった。グーグルマップにもここが勝瑞城跡として表示されているから。今回は発掘調査されている館跡がメイン。枯山水庭園跡はかなりしょぼいけど濠跡の規模はなかなかのものである。発掘・調査・整備が更に進んでいくことが期待される。なお、土日のスタンプ置き場のガソリンスタンドは最寄りのエネオスでは無くちょっと離れた昭和シェル石油なので、ご注意を。

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